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悪女が真実しか話せなくなった結果、すべてがひっくり返った話。

作者: 白い魚大好き

初投稿のため、とても緊張しております。

短いお話のため、サクッとお読みいただけると嬉しいです。

どうぞよろしくお願いします。

 魔法省の隣に建つ、レンガ造りの古い裁判所は、詰めかけた人々の好奇心と怒りの熱気に包まれていた。


 今日は第一王子殺人未遂に問われている、悪女ルーナ・ブラックの裁判なのだ。


 魔王とも呼ばれる闇の魔法使い率いる過激派と、国軍の戦争が終結して約半年。


 まだあちこちに戦争の影響が残っているが、それでも国内は平穏な日々を取り戻していた。やっと落ち着いたということで、英雄達のパレードを行ったところ、このセンセーショナルな事件である。


 平穏に感謝しつつも退屈していた人々は、怒りと共に大いなる期待をもって裁判の行方に耳を傾けていた。


 ルーナ・ブラックが稀代の悪女であり、劇のような筋書きで王子の命を狙っているほど面白い。悪気のない悪意が、法廷の中央で被告人席に縛り付けられたルーナの全身に注がれていた。


 裁判官席の後ろには、普段はカーテンが掛けられている特別席がある。茜色の重厚な布に金色の房が付いたそれが、今日は開いていた。


 そして三つ並んだその特別席には、王と二人の王子が座っていた。王妃は息子の事件で体調を崩しているため、別荘にて休養中だ。


 ルーナは人々の期待を裏切らない言動を見せた。


 裁判が始まる前から、被告人席が固くて座りづらいだの、冤罪がバレたら酷い目に遭うぞだの、よく喉が枯れないなというボリュームで騒ぎ続けた。


 やっと裁判が始まっても、その主張は二転三転し、幼稚園児の方がまともな話をするだろうと思える荒唐無稽な話で無罪を主張し続けた。


 おかげで裁判は何度も休憩を挟む必要があり、ルーナの国選弁護人は誰が見ても明らかなほど疲労の色をたたえていた。


 傍聴人の野次もひどくなり、国王がいらっしゃるというのにあまりの進行の悪さに、裁判長は決断を下した。


 「被告人に真実薬を飲ませよ」


 傍聴席からどよめきが起こる。


 ここで言う真実薬は、口にすれば約一時間、真実しか話せなくなる。精度は極めて高く、先の戦争裁判でも、対拷問術を叩き込まれた闇の魔法使いたちが、これであっさり白状したのだ。


 ただし副作用もキツく、効果が切れた後、二、三日は昏睡状態に陥る。その後も数日は頭痛や吐き気や幻覚、寒気など、筋骨隆々の凶悪犯がうんうん唸るほどの影響が残る。


 「私は!貴族制が廃止されるまで、侯爵の地位にありました由緒正しいブラック家の者ですのよ!」


 怒りに唇を戦慄かせるルーナの言葉に、多くの傍聴人が馬鹿にした笑いをこぼした。


 何故なら、ブラック家はずっと王家に忠誠を誓ってきた家系ながら、半年前の戦争では王家を裏切り、闇の魔法使いに加担したと噂されているからだ。


 証拠不十分として起訴されていない、限りなく黒に近いグレーの家の一つである。その家名を誇れるはずがない、というのが聴衆の意見だった。


 だが、長女が闇の魔術で王子を殺そうとしたことを認め、素直に法廷に立たせているということは、現在のブラック家は王家に従う姿勢を見せているのだろう。


 抽選に外れたのか、好奇の視線に耐えられないのか、傍聴人席にブラック家の姿はなく、ひとりぼっちでぎゃあぎゃあ騒ぐルーナは、複数の警備員に押さえつけられて、真実薬を飲まされた。


 その時おかしな現象があった。何か緑色の煙のようなものがルーナの身体から立ち上った。


「おお、……おお……」

ルーナが今にも吐きそうな、苦しそうな声をあげる。


 法廷がざわめき、医者を呼ぶか? という声が聞こえる。だが、医者の領分だろうか。副作用というだけでは、あの緑の煙はおかしい。


 まるでなにか、真実薬に相反する呪いか魔法が、身体から抜け出ているような-。


 やがて苦しそうに強張っていたルーナの身体は、緑の煙をドッと吐き出した後、ぐったりと椅子にもたれた。


 「……被告人、話せますか?」

 裁判官が気遣いながら声をかける。


 「はい、話せます。」

その声は先程まで喚き散らしていた声と異なり、至って冷静な声だった。


 ルーナの身体は前を向き、縛られたままの手首で額の汗を拭った。右手から手首までは、王子暗殺に失敗し、逃亡する際の怪我で骨折しているため、クッション材と包帯が巻かれている。


 汗で乱れた前髪でも、化粧がなく、汗が滴る蒸気した肌でも、その顔は、怒りで歪まぬ冷静な顔は、たしかに貴族令嬢と言われても納得する美しさがあった。


 「……あなたの身体から、何か緑色の煙のようなものが発生しました。法廷の警備システムが反応しないところをみると、他者に害を与えるものではないようですが、あなたはこれに覚えがありますか?」


 「はい、ございます」


 傍聴席が再びどよめく。悪女ルーナがまた何か仕掛けた上に失敗したようだ。これはゴシップ紙の文字数が増えそうである。


 「あれは、私の義理の母が私に仕掛けた操り人形の呪いです」


 傍聴席からは婦人たちの驚きの声が響いた。次いで、裁判官席から槌の音が忙しく響く。

「静粛に!次に騒いだら退廷を命じますよ!」


 「義理の母上は、何故あなたに操り人形の呪いを? それは闇の魔法ですよね? 家庭内であろうとも、闇の魔法使用は犯罪となります」


「はい、闇のまほうであり、犯ざいです」


ルーナの口がやや不自然に動いた。意思と異なり真実を話したためだろう。真実薬は質問の体を取られると、本来飛ばしても構わないところまで回答してしまう。


 「義理の母も義理の父も義理の兄妹も、私とは一滴も血が繋がっておらず、私を疎ましく思っておりました。

 そして半年前の戦争で闇の魔法使いに加担したことが公になり、世間体が悪くなったため、こうして闇の魔法使いを身内から差し出すことで、闇の魔法使いたちとは縁を切ったことをアピールしたかったのです。

 ついでに邪魔な私は死んでくれればなお良し。

 そのためには私を操って闇の魔法使いに仕立て上げる必要があったため、義理の母は私に操り人形の呪いをかけました」


 静粛にと注意されてもご婦人方の口は囁き声で話し合っている。

 なにしろ、ルーナはブラック家が闇の魔法使いたちと繋がっていたと真実薬を通して発言してしまったのだ。


 「……あなたは、操り人形の呪いの下で第一王子を攻撃したのですか?」


「はい。呪いの下で殿下を攻撃しました。

 闇の魔法使いを倒した英雄殿とそのご助力をされた王子殿下たちの凱旋パレードは、我が家が経営する店の前の大通りでしたので、店の二階席から闇の呪いを掛けようとしました」


 「操り人形の呪いのせいだと言えば、罪を逃れられると考え、今まで何人もの闇の魔法使いがその言い訳を使ってきました。……真実薬の下ですから、ないとは思いますが、あなたの主張は真実ですか? 」


 「はい、真実でございます」


 「じゃあ何で王子殺害に失敗してるんだ! 操り人形の呪いは絶対じゃないのか⁉︎ 」


 傍聴席から野次が飛んだ。発言した男は警備員に引きずり出されて行くが、ルーナの口は律儀に回答していた。


 「生前の実父は、王家に忠誠を誓う家系の者としての矜持を私に教えてくれました。

 私はパレードの当日に店の二階から第一王子殿下を殺す狙撃の呪いをかけるように命じられました。

 しかしパレードの前日に、店の二階席の欄干を、もたれればすぐ壊れるほどに、ノコギリで切りつけておくことを禁止されてはおりませんでしたので、夜中にそのようにいたしました。」


 「狙撃の呪いは狙いを定めるために、どこかにもたれるか寝そべるなどして体勢を安定させる必要があったのでしたね」


 「はい、その通りです。しかしあの二階席の欄干は、下部が飾りで覆われているので、うつ伏せや胡座をかいての狙撃には向かないのです」


 「ではあなたが二階席から落ち、右手を骨折したのは、いえ、それよりも酷い目に遭う可能性もありましたが、覚悟の上だったのですか?」


 「はい、自殺は禁じられておりましたので、死ぬ以外の可能性はあると思っておりました」


 これは全てがひっくり返ってくる話だ。

 悪女ルーナは悲劇の少女になりつつあった。


 「ご家族は、呪いであなたに何を禁じましたか?」


 「自殺、逃亡、警察だけでなく外部への一切の通報、自供、両親と兄妹への抵抗が基本です」


 「その他に、都度禁止されることがあったということですね? では具体的な例を教えてください」


 「大小の戦争勝利パーティーで悪女の評判を立てるため、人との会話を禁止されました。

 週末の慈善活動に参加することを禁じられました。

 実母の遺品の宝石や衣類を使用することを禁じられました。

 義理の家族と同じ浴室やトイレを使用することを禁じられました。

 度々食事を取ることを禁じられました。

 度々トイレに行くことを禁じられました」


淡々と紡がれる事実に、傍聴席のご婦人方の顔色が悪くなっていった。


「もう結構です、有難うございます。

 では、操り人形の呪いを掛けられていた期間と命令された具体例を教えてください」


 「魔法高等学校の長期休暇のため、寮を出なければならず帰宅してからですので、二ヶ月ほどです」

 ルーナの目から涙が溢れた。恐らくは、そんな家族が待つ家に帰りたくなかったのだろう。

 あの時帰らずに済めばと思わずにいられないのだろう。


 誰ともなしに彼女を憐れむ溜息が聞こえた。


 「……第一王子殿下の殺害を命じられました。

王子殿下殺害後もしくはその失敗後に、死刑になるまで悪態をつくことを命じられました。

  トイレに行くことを禁止されたため、汚した床の掃除を命じられました。

 義理の母と妹に実母の遺品を譲ることを命じられました。

 悪女の評判を立てるため、友人の恋人に言いよることを命じられました。

 義父と義兄の、よ、夜のあい手を、友人の恋人に言いよるれん習として命じられまいしゃ」


 今度こそ傍聴席から悲鳴が上がった。


 ルーナの口は話したくないことを無理に話したために、唇を閉じようとした身体の主の抵抗を受けて、噛まれた跡と流血で汚れていた。


 目からははらはらと涙が溢れた。


 「もう、もう結構です。有難うございます」


 休憩したいのでは? という声が聞こえる。まだ十六歳の哀れな少女はあまりにも傷つきすぎていた。


 「いいえ、真実薬が切れる前に全てをお話ししたいです」

ルーナの口が健気に回答する。


 たしかに、今の話は真実薬があるからこその説得力であり、真実薬はその副作用のせいで何度も服用することはできない。

 ましてやルーナは罪人ではないのだ。


 裁判官たちはルーナの意思を汲んで、真実薬の期限いっぱいまで、王子殿下殺害計画と、ブラック家と闇の魔法使いたちとの関係を聞き出した。


 聞き出せば聞き出すほど、ブラック家の所業は酷く、ルーナに対する扱いは常軌を逸していた。


 「どうしてあなたの義理のご家族は、あなたをそこまで貶めすのだと思いますか? 」

裁判官の一人が信じられないという顔で、思わず訊いた。訊いた後で失礼に気づいた顔をしたが、真実薬はルーナに回答させた。


 「……過去に、義父が母にフラれたからだと思います。」


「え? 」

あまりにもしょうもない理由に複数人の声が重なった。


 「義父は、私の実父を憎んでいました。義父は由緒正しいブラック家の自分が、人間界出身の実母に袖にされ、特段血筋が良いわけではない実父と結婚したことが気に入りませんでした。

 実父が不慮の事故で死んだ後、義父は実父の建てた会社を金銭的に追い詰めて、借金の立て替えを条件に実母と結婚し、苛めの限りを尽くしました。私にもあまり良い対応をしてくれたとは言えないです。

 愛人として今の義母を家に住まわせました。

 実母が自殺すると義母と結婚し、私に様々な嫌がらせを行うようになりました。」


 そしてルーナの身体からゆらゆらと白い煙が立ち上る。

 真実薬の時間切れが近いことを示すものだ。


 「……何か、望むことはありますか?」

裁判長が声を掛けた。


 傍聴席からは、ルーナの供述があまりにも憐れで、啜り泣く声がする。


 「はい、王族の殺害を企てたもの、実行したものは、その結果によらず極刑と定められております。もし叶うなら、どうか私の意識のない内に刑を執行してください」


 この国では王族の殺害はその企てだけで、見張りだけで、少しでも関われば極刑とされている。それは国を乗っ取ろうとする闇の魔法使いたちに対抗するために制定されたものだったが、この少女にとってはなんと不幸なのだろう。


 傍聴席は可哀想だ! 特例を! お慈悲を! と口々に抗議の声が上がる。


 裁判官が木槌を叩き続けてもそれは収まらず、その内ルーナの身体は椅子ごと床に倒れた。


***

 ルーナ・ブラックは厳重な警備の下に、警察病院に入院していた。


 しかし、ブラック家同様に闇の魔法使いと繋がっていたもののグレーのまま起訴されていない魔法使いたちが、ルーナによって罪を暴かれることを危惧した結果、ルーナは拉致されてしまった。

 

 すぐさま殺害されなかったのは、再び操り人形の呪いかそれに類する魔法で、ルーナが誰に何を話してしまったのか吐かせるためだった。


 汚れ仕事を請け負ったのはそうした仕事専門の男二人で、それを追うのは闇の魔法使いを退けた英雄たちと警察官たちだった。


 「軍隊はまだなの⁉︎ 」

英雄たちの一人である魔女が叫ぶ。降り始めた雨でびしょびしょだ。


 「どうせ動き出すまでにお偉いさんの許可を取って、その上のお偉いさんの許可を取って……お時間がかかるんだろうさ。うおっと! 」

こちらも英雄たちの一人である魔法使いが、箒から滑り落ちそうになって掴み直した。


 「だから僕らが『勝手に』救出しようとしたということにするんだろう? 『勝手』なんだから好きにやって、さっさと終わらせよう」

英雄と讃えられている魔法使いが違法改造した箒のギミックを使って加速した。


 「あいつ、英雄特権であれを堂々と使えるの嬉しいんだろうな」

「これまでだって割と堂々と使ってたと思うわ」

置いて行かれた格好の二人が目を合わせ、やれやれと肩をすくめた。


 状況は悪かった。相手はかなりの手練れで、このままでは人間の世界に逃げてしまいそうだった。そうなると人間界への捜査協力依頼でまた手間を取る。


 英雄の少年は法定速度を大幅に超えたまま、片手運転で杖から魔法を放つ。


 実行犯の男二人も応戦するが、一人は少女を抱えており、実質反撃できているのは一人だった。


 まだたった十七歳の、英雄の少年は頑張った方だ。

 警察官たちは遥か後方で、まるで追いつく気配がなく、軍隊は出動すらできておらず、このままでは戦争犯罪の秘密を知る少女が、人間界という政治的に厄介な場所で、闇の魔法使いたちに隠されてしまうところだった。


 急な出撃かつ『勝手に』救出に向かったことにしてくれという命令で、ろくに準備もできていないのに、突然の大雨だ。


 すぐそこに人間界との境である炎の門が見えた。

 炎-人間というものは、視界にある情報から連想して行動するものだ。


 少年は、手前にいた『少女を抱えていない』男に向けて火炎球を撃ち込んだ。


 「交換! 」

男は自分と少女を入れ替えた。そして

「増幅! 」

魔法威力を増幅させる魔法を火炎球に当てたのだった。


 少年が少女の身体を包む炎を消すために魔法を放っている間に、男たちは人間界に逃げてしまった。


***

 ルーナの意識はどこか温かな水の中にあった。

 波間から穏やかな白い陽光が差し込む。


 綺麗-。


 ルーナは眠った。長く深い眠りと意識の浮上を繰り返した。


 そこに不快感はなく、あるのは久しぶりの平和だった。


 時折人の声がするような気がした。それは自分の思考の声なのか、何かの思い出なのか、わからなかった。


 ふわふわとした意識の中で、ルーナは何の不安もなく、実の両親が生きていた頃のように素直な気持ちで答えたり、そのまま微睡んでしまったりした。


 ある時-声が急にハッキリ聞こえるようになった。

『それ』は男性の声で、機械から聞こえているようだった。


 「-これにて全質問を終了します。お疲れ様でした」


 何-?


 ルーナが目を開けると、水の膜がバシャバシャと音を立てて、まるで卵の殻を剥ぐように外側へカーブして消えていった。


 水の膜の外は眩しかった。

 ルーナは両手で目を覆った。


 「ああ、まだ目が光に慣れていないね。誰かアイマスクを」

パタパタと人の足音が複数聞こえる。


 柔らかい男性の声は、水に膜が開けてすぐに、少しだけ見えた白衣の人の声だろうか。


 ルーナはアイマスクを掛けてくれた女性の声に従い、その手を取って椅子まで移動して腰掛けた。


 脚の筋肉がごっそりなくなったように力が入らず、よろめいたが、女性がしっかりと支えてくれた。


 女性の手は皺があり、筋張っていたが、なぜか優しい感じがした。


 ルーナは身体の具合を尋ねられた後、超法規的措置によって自分が生かされていることを知った。


 「拉致実行犯は捕まるよりは君を逃すことを選んだらしい。しかし君を闇の魔法使いについて話せる状態で生かしておくことはできなかったんだろう。火炎球で燃やされた君の身体は-かなり、ダメージを負っていてね。

 でも君は闇の魔法使いと繋がる人物たちを知る重要な人だ。そこで法務大臣は緊急法を適用された」


 「ルーナ・ブラックは不幸な事故で死んだ、ことになっている。君は緊急法令か、やんごとない身分でもない限りまず使用されない魔法によって、可能な限り身体を再現されている」


 アイマスクがそっと外された。

 ルーナに配慮して薄暗くされた室内に姿見がある。


 以前の黒髪から真っ白な髪に、そして病人のような青白い肌になっていた。輪郭が以前よりも幼く感じる。まず顔面の造りが違う。


 「どうしてもね、人形みたいな顔の方が造りやすいんだ。世間に馴染んで生活してもらうには、目立たない顔の方がいいんだけど、どこにでもいる顔ってかえって難しいんだよ」


 ごめんね、と白衣の男性は謝った。改めて顔を見ると、なんだか少しくたびれた感じの初老の男性だが、丸い眼鏡の奥でくりくりした瞳は少年のようだった。髪はボリュームのある癖毛で、うっすらと顎髭が伸びていた。


 「美人にしていただいて、お詫びなんて申し訳ないです」


 声を出して驚いた。喉の奥が痛む。ガラガラと酒焼けのような声だ。


 「あー、なるほど……。こればっかりは話してもらわないと調整できなかったんだ。ごめんね、これから少しずつ調整して馴染ませていこう」


 ルーナは笑おうとして、頬に引き攣りを感じた。


 「まだ身体が馴染んでないからね、少しずつリハビリしていこう」

 ルーナは頷いた。鏡の中の美少女も連動して頷く。

 これが自分とは信じられない。


 黒い瞳は同じだがパッチリとしており、以前よりも小ぶりで形の良い鼻と、花が咲いたような唇。どこぞのお姫様のようだ。


 美少女と誉められることが多かったらしい義妹よりも遥かに美しかった。


 そういえば、義理の家族はどうなったのだろうか。


 訊いてみたいが喉を使うのはもう少ししてからの方が良さそうだった。


 くたびれた白衣の男性、アイマスクを着けてくれた女性が、ルーナがこれから過ごすことになる施設のことを説明してくれる。


 どうも、この施設自体が超法規的存在のようだった。実感が湧いてくると少しずつ恐ろしくなってくる。


 しかし-。

 「今日から君はアテナ・ジョンソンだ。苗字はよくあるものをということだったんだけど、名前はね、君が強い女性であることを示すものにしたかったんだ」

 男性は勝手に決めてごめんねとまた謝ってくる。しかし、ルーナは、アテナは胸の奥が熱くなるのを感じた。


 今日から、私はアテナ。ルーナではなく、アテナ。

 ルーナ・ブラックはもういない。


 義母に呪われた時に、自分にはどう死ぬべきかという選択肢しかないと思った。

 自ら死ぬことも許されず、途方もない絶望だけがあった。


 それが、新しい自分として生きられることに、例えようのない幸福感が湧いていた。


 「眠っている間に、意識の深層にね、質問をしていたの。どうしたら生きたいと思ってもらえるかなって」


 よりひどい悪態をついて真実薬を飲み、全てを明らかにした後に、殿下殺害未遂の責任を取って死ぬつもりだったのね。


 女性はぎゅうっと強く抱きしめてくれた。

 真っ赤な口紅や萌えるような赤い髪、実母とはまるで違うが、サバサバとした明るさと優しさを感じさせる女性に抱き締められると、何故だかとても懐かしいような気がした。


 「あなたは強い子よ、アテナ。勝利の女神の名前がきっと似合うと思ったの」


***

 生まれ変わったアテナは、第一王子を含む英雄の少年少女たちと友情を築き、特殊警察として多くの闇の魔法使いを捕らえ、愛する人と結婚し子宝に恵まれた。栄誉と、そして抱えきれないほどの幸せを手にするのだった。

お読みいただきまして有難うございます。

とても嬉しいです。

次回もご縁がありましたら、ぜひよろしくお願いいたします。

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