第7話 騒がしい夜
診療所に帰還したユズル達一行は、軽く夕飯を済ませた後キリヒトからフォーラ村の地形について説明を受けていた。
キリヒト曰く、
「魔人の討伐には軍を動かす必要がある。その準備期間の間ずっとここに引きこもってるのも退屈だろ?」
だそうだ。ありがたい提案だった。
それに続き、例の魔人についても語られる。
「まずは……いい話と悪い話どちらから聞きたい?」
キリヒトが話を切り出す。
「……悪い話から……かな」
「そうか。こんな話本当はしたくないんだがな、必要な情報だ。話しておくことに越したことはないだろう」
何も知らないユズル達にとっては、どんな情報でも有難かった。
「まずは村長を襲った魔人の名前についてだ。奴の名前は《ベルゼブブ》、貴族階級だ」
魔族にも階級制度が存在する。
その基準は戦闘力や能力によって評価される訳だが、主に三階級。
上から王族、貴族、平族。
王族階級は必ずしも王家の血を継いでる者とは限らず、魔王から血を分けてもらった者のことを指している。
「まぁ呪術を扱う魔人と聞いた時に、何となく予想はついてた。問題は──」
「問題は敵の規模と戦闘力だ」
キリヒトがユズルの言葉を繋げて話す。
「五年前、この村の護衛部隊、通称《フォーラム騎士団》は今亡きハルク村へと遠征を行った」
ハルク村は15年前に魔王に滅ぼされた村の一つである。
「遠征の目的はベルゼブブ討伐。約200の兵を連れフォーラム騎士団は旅立った」
200という現実離れした数字を聞いてユズルは驚く。
同時にその言葉の意味を理解して絶句する。
ベルゼブブの強さを村長の未だ癒えない傷が体現していた。
「……帰還したのはわずか五名。そのうち、今でも現役で兵士をやっているのはたった一名。フォーラム騎士団は一時解散の危機に面した。だがその時立ち上がったのが今の団長でもあり、ベルゼブブ戦で生き残った兵士。それが……」
ドォォォォォォォンッッッッ!!!!
「「「っ!」」」
破壊音と共に魔獣の咆哮が響き渡る。
「まさかっ……!」
キリヒトに続きユズルとユリカも建物の外に出る。
「……結界が……無い?」
そこには、ただただ虚無の空間が広がっていた。
「俺たちは村長の様子を確認してくる!キリヒトは──」
「俺はここに残る」
「頼んだ。きっと怪我人が出るはずだ」
異常事態こそ診療所の存在は大きい。
キリヒトにはここで村人の安全を確保してもらうことにした。
「村長を頼んだぞ、二人とも」
「あぁ!行くぞユリカ!」
「はい!」
ユズルとユリカは脳内の地図を頼りに村長の元へと走り出した。
その背中を見届けて、
「……それじゃあ俺も動きますか」
キリヒトは診療所のドアに「休館中」と札を立て、夜の街へと翔け出した。
(結界が完全に消え失せるのはおかしい)
結界は、村長の命だけで維持されているわけでは無い。
そう、維持するためには"アレ"の助けが必要なはずだ。
「っ!ユズルさん次の曲がり角左に一体います!」
ユリカが千里眼を発動してユズルの援助をする。
結界が完全に失われた今、考えられる最悪の事態は村長の元へ既に敵の幹部が到着している事だ。
魔獣の待つ角を曲がり、身体を目標へと向ける。
「ローレンス式抜刀術 弐の型、旋風!」
ユリカのおかげで先制攻撃が決まり大熊が悲鳴をあげる間もなく消滅する。
「きゃぁぁぁ!!!」
「今の声は?」
「っ、声の方へ行ってみましょう」
声のした方へ向かうとそこには村人を襲う大熊の姿があった。
と、
「ギャアアアアア!!!」
「っ、しまった囲まれた!」
ユズルが振り返るとそこには毒蛇の姿があった。
全長はおよそ成人男性7~8人に相当する、巨大な蛇だ。
「ユリカ、行けるか?」
「はい」
「村人の救出は頼んだ!俺は毒蛇を殺る」
ユズルとユリカがそれぞれの目標目掛けて走り出す。
「うぉおおお!ローレンス式抜刀術壱の型、煌龍!!!」
「創造の光」
ユズルの一閃が毒蛇の核を破壊し、ユリカの放った浄化の光が大熊の視界を奪う。
その隙にユリカは村人を救出する。
だが一息着く暇もなかった。
毒蛇の消滅と同時に毒蛇の背後に隠されていた驚異が露になる。
「っ、しまった、群れ──」
ユズルが動揺した隙に、毒蛇の群れがユズル目掛けて尾を振り下ろす。
「っ……!ユリカ!聞こえるか!」
毒蛇の猛攻を交わしながらユズルはユリカに叫ぶ。
「はい、聞こえてます!」
「ユリカは村長の元へ向かってくれ!俺も隙を見て合流する!もし何かあったらこれを」
ユズルはポケットから筒状の信号弾をユリカに投げる。
「……分かりました。ユズルさんも危険と判断したらすぐに逃げてくださいね」
「あぁ分かった!」
ユリカはそう言い残して走り去る。
その姿を横目で確認し、ユズルは群れへと視点を戻す。
毒蛇計5体。
初めて魔獣と対峙して一週間ほどのユズルにとって、同時に5体相手するのは正気の沙汰ではないだろう。
だが、
「こんな魔獣に負けてるようじゃ、自分の運命に抗うことすら出来ねぇよな……」
ユズルは息を大きく吸い、
「ローレンス式抜刀術──」
群れの中へと消えてった。
「はぁ、はぁ」
走ることに慣れていないユリカは、早くも息が上がっていた。
「ユズルさんが、頑張ってる、のに、はぁ、んっ」
言葉とは裏腹に進むペースがどんどんと遅くなる。
と、自分の上を何かが通り過ぎた感覚がユリカを襲った。
ユリカはすぐさま頭上に顔を向けたが、そこには何も居ない。
ユリカの頭上を通過した者は、既に目の前へと姿を現していた。
「……っ、誰ですか?!」
「……小娘よ、口の利き方がなってないじゃないか」
その姿を見たユリカが瞬時に信号弾を打ち上げる。
ユリカの目の前に現れた"それ"は、人間ではない。
(背中に生えているあれは……羽?)
翼や羽根とは違う、まるで昆虫のような薄くて透き通った羽が生えていた。
「人の名を聞く時は、まず自分から名乗るのが筋って者じゃないのかい?」
「……ユリカです」
「………そうか、可愛い名前をしてるのぅ」
「貴方の名前は……?」
悪い予感はしていた。
だがそれが現実となるとき、さすがのユリカも血の気が引くのを感じた。
「──妾はベルゼブブ。魔獣の統率者にして呪術を操る者」
そう告げ、ベルゼブブと名乗る女は不気味に笑った。
「まずは二体っ!」
前方の毒蛇二体を倒し、一旦群れから離れる。
残り三体。体力的にもまだ余裕はある。行ける!
と、その時だった。
「あれは……」
上空に打ち上げられた煙を見て、ユズルは動きを止める。
(あの煙は、ユリカに渡した信号弾……っ!)
だが、そっちに気を取られすぎた。
「っ、あっ、がはっ」
まともに毒蛇の一撃を喰らいユズルの足が地上から離れる。
そのまま受け身も取れずに屋根に叩きつけられ、衝撃で建物が崩壊した。
(くそ、体が動かねぇ)
倒壊した家屋の瓦礫の上で伏せるユズルに、毒蛇の牙が迫る。
「ッ……!」
辺りに熱く鮮明な血が飛び散る。
ユズルが強くつむっていた目をゆっくりと開くとそこには──、
「──よく耐えたな。あとは任せろ」
剣を構える、キリヒトの姿があった。
「とりあえず応急処置はした。どうだ、立てるか?」
キリヒトの腕はなかなかのものだった。
いやユズルそう言うべきではないだろう。
キリヒトの強さは、ユズルなんかより遥か上をいっていた。
壁を蹴り、毒蛇を踏み張飛し、動き一つ一つが明らかに経験値が違った。
「あ、あぁ助かったよ。助けてもらっておいて申し訳ないんだが俺は今から向かうべきところがあるんだ」
「その姿でか?」
「……」
ユズルは自分の身体を見て押し黙る。
今ユズルがユリカの元へと向かったとしても力にはなれないだろう。
だが、
「ユリカが呼んでるんだ」
「……そうか」
「ありがとう、それじゃあ」
ユズルは重い足取りで信号弾の打たれた場所目指して歩き始める。
「まて」
「……なんだ?」
キリヒトに呼び止められ少し不機嫌そうにユズルが振り返る。
今の状況下で、ユリカを一分一秒でも一人にしたくない。
「すまないが急いでるん……ゴホッ」
キリヒトはユズルの肩を支え、ユズルの腹に剣を突き刺す。
あまりに突然のことで、ユズルの思考は停止する。
「な、にを……」
「癒しの一撃」
ユズルの腹から剣を引き抜き、ユズルはその場に蹲る。
視界がチカチカと点滅し、身体中が熱くなるのを感じた。
「熱………………暖かい」
次第にその熱が心地よい温かさへと変わっていく。
「この技によって傷を受けたものを回復する、剣技と魔法の融合技だ」
「ユニオン……」
「あぁ、俺は元々魔術師だ。そこから剣の道へと進み、融合騎士としてここまで生きてきた」
ユニオンセイバー。
村にいた頃、本でしか読んだことのなかった現実を目の当たりにしユズルは息を飲む。
この本こそ結界を維持するために必要な"アレ"、魔導書だった。
「……急いでるんだろ?」
「……あ、あぁありがとう助かった」
「お礼は要らん。この村のために戦ってくれているのに、この村の代表者が何もしないなんて情けない話だろ?」
「そうか………代表者?」
「そういえば話の途中だったな」
キリヒトは姿勢を正し、
「元フォーラム騎士団最後の生き残り。現フォーラム騎士団団長キリヒト・アルタミラ。それが俺の名だ」
そう告げた。