第71話 恋の魔法
作戦開始の1日前。
早朝、王都結界沿い下町──。
「なんだぁ、これぇ」
「どうしたんでぇキタさん」
「いやぁなんか外出れねぇだ」
「ボケちまっただか?……あれほんとだ」
二人の老人が結界に触れる。
だがまるで壁のように硬質化しており、出入りが出来なくなっていた。
「困っただなぁ……」
「まぁそのうち治るべ。さぁ中さ入るだ」
「んだんだ」
結界の硬質化。
ユズル達はもう、敵の懐の中にいる。
40分を超える大接戦を制したユズルは、帝国兵から受け取っていた罠で大佐を拘束した後、ユリカが待つとされる6階層へと続く階段に足を運んでいた。
(くそ……視界がぐらつく……っ)
魔力を急激に消費したことで、かなり体に負荷がかかっていた。
ましてやユズルは魔法というものを習得してまだ数ヶ月の初心者である。
体が追いついていないのだ。
(ユリカ……待っててくれ……っ!)
足を引きずりながら一段一段上へ上へと登っていく。
そしてついに──、
「ユリカ!!!」
王城6階層、儀式の間。
ついにたどり着いた。
部屋に入るなりユズルが目にした光景は、言葉を失うものだった。
天井や壁から無数の管が、中心に置かれている棺へと伸びていた。
その棺の中にいたのは他の誰でもない。
「……ユリカ、そこにいるのか?」
「……ユズル、さん?」
細々とした声が聞こえ、ユズルは最後の力をふりしぼり棺の元へと駆け出した。
「ユリカ!」
勢いよく棺の中を覗き込む。
そこには仲間であり、ユズルという人間にとって最も大切な人物 ユリカの姿があった。
救出までに数日を要したのだが、ユリカの容姿はさほど変わっていないように見えた。
「ユリカ、大丈夫か?」
「は、はい……。それよりも、その顔……」
「あ……」
ユリカが困惑の表情を浮かべる訳、それは未だ侵食されたままの顔を見たからであった。
そう、ユズルの侵食は戦闘を終えてもなお残っていたのだ。
もしかしたら永遠にこのままかもしれない、そんな不安がよぎるが、
「そんなことより、ユリカが無事でよかった……」
ユリカの拘束していた器具を取り外し、その身を解放させる。
と、途端に城が大きく揺れユズルはその場に倒れ込んだ。
(あ、れ……?)
ドクンッ──。
体が動かない。
まるで今までの疲労が一気に押し寄せたかのようだった。
それでもユリカだけでも逃がそうと、必死に口を開く。
「……ユリカ、よく聞いてくれ。ここから南西にある海岸沿いに一台船が停泊している。帝国軍が脱出のために手配してくれたものだ、そこをめざして走れ」
「何を、言ってるんですか?一緒に……」
「……俺はもうすぐ魔人と化す」
ユズルは分かっていた。
この疲労感が、魔人化の前兆であることを。
自身の心臓の音が、まるであの夢で出てきた黒い心臓のように聞こえる。
せめてユリカには、魔人と化した自分を見せたくない。
それに逸話によると、魔人化した者は記憶をなくし最愛の人でさえ襲ってしまうらしい。
(俺が自我を保っている間に、頼む……)
「……ユズルさん」
段々と足音が近くなり、やがて自分の目の前で止ったかと思うと上体を起こされる。
「ユリカ……」
ユリカと目が合う。
その顔は真剣だった。
「ユズルさん、なんで私のことを助けてくれたんですか?」
「そりゃ──」
「仲間だから」そう言いかけて口を閉ざす。
(違うだろ、俺が命をかけてまでユリカを助けたいと思った理由は……)
ユズルは胸の奥底に秘めた思いを打ち明けた。
「君のことが、好きだからだ」
それを聞いたユリカは肩を震わせる。
決して嫌な訳では無い。
むしろその逆。
ユリカという少女もまた、彼に恋をしていたのだ。
「ユズルさん、魔人化は止められません」
「……あぁ、知ってるよ」
「でも──」
視界にブロンドの髪が写ったと思った瞬間、不意に唇を塞がれる。
柔らかい感触、それが唇だと気づくのに時間はかからなかった。
時間にしては一瞬だろう。
だが2人にとっては永遠のように感じた。
「……ユリカ?」
「魔人化は止められません。でも、進行を遅らせることはできたんです」
進行を遅らせる方法。
それは「愛し合う者との口付け」。
帝国軍と初めて接触したあの夜、ユリカが告げようとして告げられなかった魔法。
それは、恋の魔法でもあった。
「体が光って──」
侵食された部位が光だし、みるみるうちに元の姿へと戻り出す。
そして脇腹に行き着き光は粒子となって虚空へと消えていった。
「どうですか、身体の方は」
「あぁ、まるで風呂上がりのような気分だ」
先程までの疲労感は消え、全身に力が入る。
「それでは、行きましょうか」
「そうだな、何があるか分からない。急ごう」
ユズルはユリカの手を取り窓際へと走り出す。
そして、
「旋風!」
片手でユリカを抱きかかえ、もう片方の手で剣技を放つ。
そのまま向かいの建物の屋根に着地し、ユリカを抱きかかえたまま海岸をめざして走り出す。
まるでお城に住むお姫様を連れ去る気分だった。
実際ユリカには王家の血が流れているため間違いではないが。
とその時背後から謎の覇気を感じ振り向く。
とそこには──、
「あいつ、どこまで化け物なんだよ……っ!」
遥か後方に見えるのは大佐の姿だった。
あれほどの大技を受け、さらに拘束されていたにも関わらずもうそこまで迫ってきていた。
(このままじゃ追いつかれる……。ここは俺が時間を稼いで──)
「──行け」
不意に背後に何者かが現れユズルの背中を押す。
それが誰なのか、振り返らなくとも分かっていた。
「……どうかご無事で」
「……お前もな」
一言ずつ言葉を交わし、振り返ることなく走り続ける。
小さい頃から、彼の声を聞いて育ってきた。
彼の声に叱られ、褒められ、励まされ、成長してきた。
忘れるはずもなかった。
「師匠、このご恩は必ず……っ」
後ろでは戦闘が始まった音が聞こえる。
だが振り返ることはしなかった。
1秒でも早く前に進むために。
そして結界を出ようとしたその時だった。
「なんだよこれ……」
ユズルは思わず足を止める。
目の前に聳え立つ結界。
それが今、壁のように硬質化していたのだ。
その瞬間、ユズルの脳裏にあることが蘇る。
それはこの作戦が実行される時から引っかかっていたことだった。
"結界を機械で管理している?あまりにも無防備すぎる"
「まさかこんな使い方があるとは……っ!」
無防備すぎるとは思っていた。
ずっと引っかかっていた違和感の正体はこれだったのだ。
数十メートル先にはもう海が見えている。
その海岸には1隻の船が用意されており、船長と思われる人がこちらを覗いていた。
ユリカをおろし、最後の力で剣技を放つ。
だが破壊は愚か、傷さえもつけることは出来なかった。
「くそっ……くそぉ!!!!」
成す術がない。
ここまで来て諦めるしかないのか。
荒れる呼吸を整えながらユズルはその場に崩れ落ちる。
だがその時、後方から何かが急接近してくる気配が二人を襲った。
「「竜王の爆裂拳!!!!!」」
爆風が巻き起こり、すかさず顔を手で覆う。
そして再び目を開けた時にはもう結界の壁はなくなっていた。
「行ってらっしゃい、ユズル、ユリカちゃん」
「……ミカエラさん、それに竜王様まで!」
そこに居たのはミカエラさんと竜王の二人だった。
2人にお礼を告げ、二人は走り出す。
彼らの一撃で結界に大きな穴が開き、ユズル達は無事脱出することに成功した。
そしてついに、
「よし、来たな!募る話は後回しだ、船を出すから捕まってろ!」
船に乗り込み、作戦成功の煙弾を空へと打ち上げた。
それを見た帝国兵が次々と煙弾を打ち込み、作戦の終了を皆に伝達する。
「ルイスさん、無事終わったみたいですよ」
「……あぁ」
王城の壁に開いた穴から、ユズルたちの煙弾を確認したルイスは周りの帝国兵に作戦の終了を知らせる。
「みんな、頑張った甲斐があったな……」
ルイスはそう呟き、愛刀を納刀した。
お昼過ぎに始まった王都頂上決戦は、夕日が沈むと同時に幕を閉じた。