第65話 絶対的な解除
(またこの魔法か……ッ!)
世界がまるでスローモーションのように動きを止める。
俺が遅いのか、それとも管理者が速いだけなのか。
いづれにしてもこの一撃は、
(防げねぇ!)
横腹に一撃が打ち込まれ、激しく棚に体が打ち付けられる。
その刹那、世界が元に戻った感覚に陥り、スローモーションで動いていた世界は通常運転へとシフトされる。
「……厄介だな」
サシでやるとしたら、かなり面倒な相手だろう。
というか常人が太刀打ちできる相手なのだろうか?
恐らく勝てる勝てないの話では無くなってくるだろう。
「ここで見た事を忘れると約束するなら、外に出してあげなくも無い」
倒れ込むボップを見下ろし、エリカと名乗る仮面の女はそう告げる。
(……あんま人前では見せたくなかったんだけどな……)
ボップは膝を地面に立て顔を上げる。
その表情を見てエリカは驚きを顕にした。
ボップは笑っていたのだ。
強者を前にしての賞賛の笑みなのか、はたまた何か策があるのか。
いずれにしても不気味な笑顔を浮かべたボップは立ち上がり、エリカに手招きをする。
「来いよ」
「……っ!」
ボップの発言に、思わず足が下がる。
(だが、身体的にはなんの異常もない。単なる見掛け倒しか……)
先程同様、空間を支配したエリカはボップの首元目掛けて剣を振りかざす。
(この部屋の中で、私より速く動ける奴は居ない……っ)
だがその一閃はボップを捕えることが出来なかった。
「おいおい、やっぱり俺が遅くされてただけじゃねぇか」
「なっ……!」
エリカの一撃を受け流したボップは、力強くその剣線をねじ伏せる。
そして懐に一歩踏み込み、肘を叩き込む。
「うぐっ……」
鈍い打撃が全身に響きわたり、エリカはふらつく。
その一瞬の隙を、ボップは見逃さなかった。
いや、その一瞬の隙のためにボップはあえて肘打ちをしたのだ。
「──ローレンス式抜刀術壱の型 煌龍!」
至近距離からの一撃。
十分に肘が伸びきらず威力に不安が残るが、そんなもの気にする必要がなかった。
(見た感じ、こいつ単体はそこまで強くないんだ。この空間とこいつの魔法、それがリンクして初めて真価を発揮する。つまりこいつは、ただの打撃には弱い!)
「なっ……んでっ……!」
エリカは脇腹を押え床へ這い蹲る。
それを横目に、ボップは宙に浮く魔導書に手を伸ばす。
「ふぅ……んでこれどこから出ればいいんだ?」
辺りを見渡しても出口らしきところは見当たらない。
「まぁ、来た道を戻ればいいか」
「ま、まて……!」
「ん……?」
壁を見上げるボップの後ろで、エリカが声を上げる。
「どうして……どうやって動いたんだ!」
「どうやってって、そりゃあ……解除したに決まってんだろ?」
「……は?」
ボップは「何がおかしいんだ?」といった表情を浮かべる。
だがこれは明らかにおかしいことだった。
そもそもこの部屋は管理者の、云わばエリカの完全領域であり、彼女の意思で全てが管理されている。
そんな領域で、何故ボップはエリカに有効打を与えることが出来たのか。
その答えはとても単純で、理解し難いものだった。
「絶対的な解除。それが俺の使う本当の魔法だ。まだ、ほとんどの人が知らない」
「そんな魔法が存在していいわけが……」
「いいんだよ。この世に絶対は無いんだ」
その発言に、妙に納得してしまった。
ボップの言う通り、この世に絶対はない。
「ということで、俺は帰るとするわ」
エリカに背を向け手を振るボップ。
しかしエリカは、その背中に不敵な笑みを浮かべる。
「帰るも何も、私はここからあなたを出すつもりは無い」
だがそんな言葉には耳もくれず、ボップは壁に触れる。
その刹那、壁が光だし外界へと扉が現れる。
「っ?!い、一体どういうことなんだ!」
「だからさっきも言っただろ、この世界に絶対はないんだ」
扉に手をかけたボップが「そうだ」と振り返る。
「せっかくだし、俺の本当の名前を教えてやろう」
「………本当の、名前?」
エリカは困惑の表情を浮かべる。
本名を聞いたところで、一体何になるのだろうか?
だが、ボップが口にしたその名は──、
「俺の名前は──」
「ふぅ、意外と手こずったな……」
頭髪を掻き、地上へと顔を出す。
その目線の先には王城があり、今も尚中で戦闘が行われている。
それがなんのための戦いなのかボップには分からない。
だが、不思議と居るような感覚に陥っていた。
自分の弟子であり、あの英雄の血を継ぐ者が。
「ユズル、そこにいるのか?」
見上げた城は高く、伸ばした手は太陽で照らされ血管が青く光っていた。
「ありえない……」
ボップがいなくなったあとで、管理者 エリカは一人立ち尽くしていた。
その理由は、ボップが別れ際に発したあの一言だった。
"俺の本当の名は──"
「あれが本当なら、この世界はもう……」
感情を露にしない孤独な管理者は、一人恐怖に震えるのだった。