第54話 最後の灯火
ユリカと別れてから数年が経ったある日の夜、悪魔は何者かの気配を感じて起き上がる。
「……一応様子を見に行くか」
違和感を覚えた悪魔は、闇夜に飛び立つ。
どこまでも広がる真っ暗な森に意識を取られていた悪魔は、後方から迫る影に気づけなかった。
「──審判の金槌!」
「がはっ……ッ!」
(こいつ、どこから……ッ!)
まともに一撃をくらい、悪魔は森の中へと墜落する。
本来なら当たるはずもない攻撃をもろに受け、悪魔は地面に打ち付けられた。
「魔法で気配を消していたはずなのに、流石は悪魔だ」
男は地上に降り立ち、悪魔を見下ろす。
地面に打ち付けられた反動で体が強ばるのを感じた。
「……っ、レオン!」
月が男の顔を照らし、正体が顕となる。
そこに居たのは、第七代聖王 レオンであった。
すぐさま体勢を立て直すべく体を持ち上げようとするが、一向に体が動く気配はない。
「この魔法は、受けた相手が罪人であるほど効果が増大する。悪魔、君を殺すためにできた魔法なんだ」
一歩ずつ悪魔に近づく。
そっと背中に触れたかと思うと次の瞬間、何かが体が抜き取られた感覚が襲った。
「……は?」
悪魔は自分の手を見て驚きの声を漏らす。
なんと手が消えかかっているではないか。
指先が薄く光だし、体から無数の粒子が空中に放出されていく。
「君の心臓を抜いたんだ。もう、再生することは無いよ」
「──ッ!そんな馬鹿な話が……ッ」
「あるんだよ。この世に永遠の命なんて存在しないんだ。君の命は、今日で餓える」
「──っ」
悪魔は最後の力をふりしぼり、レオンに背を向け闇夜に飛び立つ。死がすぐそこまで近づいていることは、当人である悪魔が一番よくわかっていた。
そのうえで、この残された時間をどう使うか。
そんなもの、最初から決まっていた。
「……陛下、追いかけなくていいんですか?」
「……あぁ。心臓は抜いたんだ、もう自由にしてあげよう」
レオンは部下にそういい、森の出口に向けて歩き出した。
「……僕は争い事が嫌いなんだ」
「……ベル!……サベル!」
悪魔さんの声が聞こえる。
だけどその声はいつものような力強さを感じない、消えかけるような弱々しい声だった。
「……悪魔、さん?」
目を開けたイサベルは困惑した。
それもそのはず、目の前にいる悪魔の体は今にも消えかかろうとしていた。
この時、イサベルは確信した。
これが最後の時なのだと。
悪魔と初めて出会った時から、覚悟はしていたつもりだった。けれどいざその時になると、そう簡単にも行かなくて。
「……嫌だよ」
「イサベル……」
泣きじゃくるイサベルを、悪魔はそっと抱きしめる。
「俺はもう長くない。イサベル、君にお願いがある」
「……何?」
「俺の血を、飲んでくれないか?」
予想だにしない言葉を放たれ、イサベルは疑問の眼差しを向ける。
「いつか必ず俺はまた、この世界に降臨する。人間とはそういう生き物だ、私欲のためなら悪魔とも契約する。だけど、俺はお前のいない世界なんて考えられないんだ」
視線を落とすと、下腹部から下は既に消えてしまっていた。
「だから、俺の血を飲んで生きてくれ!俺の血を飲めば、お前は魔人と化す。そうすれば何十年も、何百年も、何千年も生きられる」
今にも消えそうな声で、しかし力強いその訴えはイサベルの心に届いた。
「……私も、貴方のいない世界なんて嫌よ」
イサベルは差し出された手を強く握り返した。
「イサベル、ありがとう……」
悪魔は自分の舌を噛み、イサベルと口付けを交わす。
唾液と一緒に、悪魔の血が流れ込んでくるのを感じた。
唇を離し、恍惚とした表情のイサベルをそっと撫でる。
「……数時間のうちにお前は魔人となる。魔人になったあとは、アーリマンというやつの所へ行け。俺が今まで産んできた魔人の中で1番強く、一番知性の高い魔人だ。俺の名を出せば、きっとお前を守ってくれる」
「……分かったわ」
「もうじき意識が朦朧としてくるが気にしなくていい」
既に腕と顔だけになってしまった悪魔は、イサベルを腕に抱き優しく微笑む。
「悪魔になる前の記憶は、徐々に失われていくだろう。きっと数日後には、俺との思い出も忘れてしまうだろう」
「……絶対に忘れないわ」
「……そうだな」
西の空が少し明るくなって来ている。
新しい朝が始まろうとしていた。
「なぁイサベル、最後にひとつ聞いてもいいか?」
「……何かしら?」
これが悪魔の最後の言葉になる、そうイサベルは思った。
だから一文字も聞き逃さないように、真剣にその言葉を待った。
「イサベル、どうして俺を助けてくれたんだ?」
それはあの日と同じ質問だった。
あの時、イサベルは言葉を濁した。
しかし今ならはっきりと分かる。
何故、自分が悪魔を助けたのか。
「……あなたが好きだったからよ」
目から下を失った悪魔の額に優しく口付けをする。
その唇が離れた時、悪魔は完全に消滅した。
「ありがとう、私の王子様──」
そう呟いて、イサベルは深い眠りへと落ちていくのだった。
これにて過去回想編は終わりとなります。
次話より王都編再開となります。