第53話 永遠の別れ
「今日は随分と早いおかえりですね」
「下手に飛び回って居場所がバレるのも嫌だからな」
悪魔は生まれたばかりの我が子を抱き抱え、そっと撫でる。
イザベラの目には恐ろしい悪魔ではなく、優しいお父さんが写っていた。
「俺は今まで何人もの魔人を生み出してきたが、人間の子供は初めてだ」
「そういえば、魔人ってどうやって作るんですか?」
人間やその他の種族同様、求愛行動によって繁殖するのだろうか?
「生肉に俺の血を混ぜればいいだけだ。馬でも牛でもなんでもいい。俺の血さえ混ざれば、次第に魔人と化す」
「なんか怖いですね」
口に手を添え微笑む。
「てことは、悪魔さん以外は魔人を生み出せないって事ですか?」
話を聞く限り、魔人を生み出す為には悪魔の血が必要不可欠なようだった。
もしそうだとしたら、悪魔が死ねば魔人の数は減っていく一方だろう。
「あぁ、そうだ。だが、中には魔獣を作れる奴もいる」
「魔獣、ですか?」
聞いたことはあるが、実際に目にしたことはなかった。
話によると、獣の形をした魔族の一種のようだが……
「魔獣っていうのは、魔人界での動物みたいなものだ。一つ違うとしたら、それは魔獣は人間の敵だということだ」
魔獣といえどやはり魔族であることに変わりはない。
「魔獣は魔人と比べて知性が低く、力も弱い。知性がない故、無差別に人を襲ってくる」
「……怖いですね」
「安心しろ。少なくてもお前と子供は俺が守る」
「……悪魔さんってさらっとかっこいいこと言いますよね」
「そうか?普通のことを言ってるまでだが……」
イサベルは優しく微笑む。
王城を逃げ出したあの日から三年。
王都から離れているとはいえ、いつ見つかるか分からない。
「……それで、例のやつはどうする?」
「……お願いします」
「わかった、行くぞ」
「……はい」
悪魔は無駄な確認はせず、イサベルへと赤子を移し、立ち上がる。
向かった先は、麓の村から見える場所に位置する小さな洞窟だった。
「……本当にいいんだな?」
「……ええ。この子には、人間のままでいて欲しいもの」
「そうか……」
悪魔は眠る赤子をそっと持ち上げる。
例の件。それは、生まれてきた赤子を氷漬けにするというものだった。
なぜそんなことをする必要があるのか?
その理由は、彼女の血にあった。
──数日前。
「お前に言っておかなきゃならないことがある」
子供を産んでまだ間もない時、悪魔が思わぬ言葉を口にした。
「形は違えど、その子には俺の血が流れている。俺の血が流れているものは、どんなものであろうと最終的に魔人と化してしまう」
「そんな……」
衝撃的な発言を受け、イサベルは凍りつく。
まさか自分の子供が魔人になるなど、想像もしてなかった。
「だが、対処法が一つだけある」
「一体、なんですか?」
イサベルは息を呑む。
悪魔は指を一本突き立てると、怪訝な趣で語り出す。
「俺の血の力は、完全じゃない。無限に存在できる代物じゃないんだ。つまり、俺の血の効力が弱まるまで、この子を眠らせればいい」
「よかった、殺さないといけないとかだったら私……」
イサベルはほっと胸を撫で下ろす。
「それで、眠らせる期間ってどのくらいなんですか?」
「500年」
「……え?」
あまりに現実離れした答えに、イサベルは思わず聞き返す。
「500年だ」
改めてそう聞かされ、イサベルは戦慄する。
イサベルは普通の人間である為、当然500年も生きることはできない。
つまりこの子が目覚めた時、この世界にイサベルは存在しないことになる。
「考えておいてくれ。我が子に人間のままでいて欲しいなら、この子が3ヶ月と経たないうちに眠らせる必要がある──」
「冷凍保存」
みるみる赤子を包み込むように、氷の結晶が構築される。
この子が目覚める時は、どうか争いのない世界でありますように。
イサベルは目に涙を浮かべる。
幼少期から王族としての教育を受けてきたイサベルは、泣くことを今までずっと我慢してきた。
それ故初めて頬を流れる涙は、なによりも熱く感じた。
「じゃあね──」
洞窟の入口で、イサベルが赤子に向けて手を振った。
これがイサベルが見た、我が子の最後の姿である。
「──私のかわいいユリカ」
「……っ」
「……?どうしたんだ?」
「いえ……」
何者かに呼ばれた気がしたユリカは、後ろを振り返る。
だが、そこには誰もいない。
(今、誰かに名前を呼ばれたような……)
「あれがフォーラ村か」
隣ではユズルという男が、山頂から景色を見下ろしていた。
"──行ってらっしゃい。ユリカ"
どこからか、そう聞こえた気がした。
その声は、どこか懐かしい声だった。