第2話 悪夢再び
──802年6月24日
「先生さようなら!」
「気をつけて帰るんだよ」
授業が終わり、みんながそれぞれ学舎を後にする。
ユズルは一昨年、村の教師に就任した。
身長はまずまずだが、顔立ちはいよいよ大人の男という感じになってきた。
今年で22歳になる。
……あの事件からもうすぐ17年が経とうとしていた。
今も尚思い出される記憶。
消えないのは記憶だけでは無い。
「……また広がってる」
あの日、ユズルの左脇腹を掠めた謎の一閃はユズルの体に呪いの刻印を植え付けた。
今も尚ユズルの体に侵食し続けるこの呪いは、与えた本人、つまりあの暴龍を倒すまで消えない。
受けたばかりの頃は小さく、手のひら程の大きさだったが今では左脇腹から腰にかけて広範囲に広がっている。
さらにこの呪いは、
「切り離せない……か」
この呪いで侵食された部分は感覚を失う。
そもそも傷が付かないのだ。
前に切り離そうとして脇腹を裂こうとしたことがあるのだが刃が通らなかった。
この呪いのせいでユズルは今でもあの日のことを忘れられずにいた。
「いや、」
この呪いのおかげでユズルは今でも復讐心を忘れられずにいられる。
ユズルが教師になった理由は平和な生活を手に入れるためではない。
二人を殺した暴龍に復讐する為だった。
あの日、リアを止めていればこんなことにはならなかった。
だが、心のどこかで自分も外の世界を見たいと思ってしまっていた。
昔から人類はふたつの生き方を選択してきた。
ひとつは勉学に励み、村の存続を支える生き方。
もうひとつは武学に励み、村の安全を守る生き方。
ユズルは勉学に励み、教師となった。
ユズルの命はそう長くない。
この呪いは命を蝕み続けている。
「目に見える時間制限があるとか……この世界の神様は性格が悪いらしいな」
だからこそ試したいことがある。
ただ剣術を身に付けただけでは暴龍は倒せない。
ならば、
「知識を得るんだ。調べて調べて調べ尽くす」
知識で暴龍を殺す、そのくらいの覚悟で臨んでいた。
ユズルはただ勉学に励んでいた訳では無い。
彼はあの日から一度も復讐心を忘れたことなどなかった。
故に彼が17年間で得た知識のほとんどは外の世界のことや魔獣の生態、周辺の村の情報や魔人の情報がほとんどだった。
そしてユズルは10の時、村の護衛隊長であるボップに弟子入りし鍛錬を続けてきた。
だがまだだ。まだ足りない。
ユズルの剣技はボップに認められるほどまでに上達した。
村に残っている知識だって片っ端から全て漁り尽くした。
しかし足りない。
それほど魔獣と人類の間には厚い壁があった。
残りの仕事を終えてユズルは学舎を出る。
と、その時
「せんせ!」
1人の少年が息を切らしながら駆け寄ってきた。
それはユズルの学校に通う生徒のひとりだった。
「どうした?忘れ物か?」
「違うんだ!その……」
彼の様子から、只事ではないと察する。
彼は俯き言いずらそうな顔で続けた。
「アキくんたちが結界を出てから帰ってこないんだ」
「………なんだと」
アキくんとは同じくユズルの学校の生徒である。
やんちゃな性格で、どこかリアと似ているように感じていた。
「落ち着いて状況を説明してくれ」
「う、うん。僕達いつもみたいに村の外れにある公園で遊んでいたんだ。そしたらアキくんが結界の外に出てみようって言い出して、僕は怖くて……ひっく」
「いい判断だ、それでいい。だがどうやって?」
結界周りの設備は、ここ数年で驚くべき進歩を見せた。
故に一般人は無闇に外へは出れないはずだが……
「公園の近くに、穴が空いてて……そこから……」
……盲点だった。
子供だけが通れる隙間、そこまで注意が行っていなかった。
「それで、他には?」
「アキくんの他に四人ついて行って……まだ誰も帰ってきてないんだよぅ」
……かなりまずい状況だ。
そもそも結界を出た時点で結界と感覚が共有されている村長は気づいているだろう。
運が良ければ護衛部隊がすでに身柄を保護していてもおかしくはないが……
「……まずいな、雨雲が近づいてる」
このまま行けばアキくん達はおろか、護衛部隊の命も危ないだろう。
だからといってユズルに出来ることは……
「せんせぇ……アキくん達のこと助けて」
「……ッ」
その一言が、ユズルの心を大きく揺さぶった。
泣きじゃくる彼の姿が、あの頃の自分と重なる。
「……君は村長のところに行ってきなさい」
「ひっく、せんせいは?」
「僕は……」
体を蔵のある方向に向け直す。
幼少期入り浸っていたあの蔵には、リア達と外に出たあの日から足を運んでいない。
だが不思議と今、蔵がユズルを呼んでいる気がした。
「"俺"はみんなを助けに行ってくる」
おじいちゃんの形見の剣を求めて、ユズルは蔵へと駆け出す。
「頼む、間に合ってくれ……ッ!」
ユズルは蔵の戸を乱暴に開けると剣を握り、17年ぶりに結界の外へと出た。
「アキくーん!」
森をぬけ、花畑にたどり着く。
あの時と変わらず、一面鮮やかな花の楽園が広がっていた。
リアとマコトの姿がチラつくが、思い出に浸るのは後回しだ。
「くそっ、ここにもいないのか。……まさか」
ユズルは洞窟の方へと体を向け走り出す。
そしてユズルは絶句する。
もっとも恐れていた事態が起こってしまっていた。
……洞窟の前には、真新しいカバンが落ちていた。
ユズルが護衛部隊と合流したのはその後すぐの事だった。
「おそらくみんなは洞窟の中に入っていったんだと思う。カバンが入口付近に落ちていた」
「襲われた可能性は?」
「辺りには血痕が見当たらなかった。その可能性は低いと思う」
「なら、やることはひとつだな」
「(こくり)」
ボップは全員に向かって叫ぶ。
「これより子供達の救出作戦を始める!進行方向は洞窟内!目標は全員無事で村に帰ることだ!制限時間は一時間!一時間経っても子供立ちを見つけられなかった場合、その時は速やかに撤収する!」
一時間後。
それは日没までの時間であり、雨が降り始める数十分前である。
全員が顔を引きしめ、洞窟を睨む。
そして、
「突撃開始!!」
遂にあの暴龍が住む洞窟へと、足を踏み入れるのだった。
作戦開始から二十分、未だに魔獣との遭遇はない。勿論、子供達の安否も分からずにいた。
「……ん?今声がしなかったか?」
部隊を先導していた兵がそう言う。
「……確かに聞こえたぞ」「俺もだ」
「……あっちからか」
声が聞こえた方に向かって歩き始める。
その先には、アキを含む五人の子供達がいた。
「アキ!」
「せんせい!」
子供達は洞窟に入ってしばらく行ったところにある、開けた空間で固まっていた。
「無事か?」
「うん、みんな無事だよ」
子供達は安堵のばかり泣き始める。
「それじゃあ早いとこ撤収した方が良さそうだな」
そう言ってボップが指示を出そうとした時だった。
「アアァァァァァァァァァァア!」
「きゃぁ!」
「うおっ!」
聞き覚えのある鳴き声が聞こえユズルは顔を上げる。
その姿を見て、ユズルは体中から怒りが湧き上がってくるのを感じた。
「……あの時は、よくもリアとマコトの命を奪ってくれたな」
そこには、リア達を食い殺した暴龍の姿があった。