第15-3 約束
「はぁ、はぁ、ティアナ、大丈夫か?」
「う、うん」
魔人と父さんの姿は依然として見えないが、地下通路をめざして足をとめずに走り続ける。
「あと少しだ!」
数百メートル先に地下通路の入口が見えた。
入口まであと八十、七十、六十…既に呼吸が整っておらず耳鳴りがする。
喉から鼻の付け根にかけて鋭い痛みが走り、口の中に甘酸っぱさが広がっていく。
「ま、待っ……」
「ティアナ!」
先に限界が来たのはティアナの方だった。
それはそのはず、普段から稽古をしているキリヒトと比べてティアナは普通の女の子だ。
ここまでキリヒトと肩を並べて走ってきたのも驚くべきことだった。
(ティアナの呼吸が乱れてる……このまま走らせるのは危険だ)
「ティアナ、僕の肩に掴まれる?」
ティアナを担ぎ歩き出す。
だが、キリヒトも限界が近かった。
(足が進まない……っ)
一度止めた足は、そう簡単には動かなかった。
もうしばらく魔人と父さんを見ていない、戦っているのか、まだ追ってきているのかさえ分からない。
だけど、
(もし追ってきているのだとしたらそろそろ見えてきても……)
よろけながら今来た道を振り返る。
辺りはもう暗いはずなのに、燃える建物の火で昼間のように明るく、夏のように暑かった。
その赤く染った空に黒い何かが浮かび上がる。
それは段々と大きくなってきて、やがて正体を現した。
(地下通路まで間に合わないっ!隠れなきゃ……っ)
咄嗟に建物の間にあるゴミ箱に隠れる。
(羽が生えてたからきっと奴だ。父さんはどうしたんだろう……)
キリヒトも父の強さは知っていた、なんなら先程目の前でその実力を見たばかりなので、戦闘での敗北は考えにくかった。
けれど肉眼で確認できたのはあの魔人一人だけだった。
(きっと父さんは走って追いかけてきてくれてるんだ。たまたま魔人が飛んでたから気づいただけで……)
「隠れているところは見たぞ?」
「っ……」
密閉されたゴミ箱の近くからあの魔人の声がした。
(父さん、早く……っ)
「あやつ……お前の父さんとやらはここには来ないぞ?」
全身がビクッと震え、大きな音が出る。
(今、なんて……)
父さんが、来ない?
「エクステンドテール」
「きゃあ!」「うわっ!」
隠れていたゴミ箱が投げ飛ばされ、中に隠れていた二人が放り出される。
「やつが復活する前にさっさと済ませるとするかのう」
「ティアナっ!」
ティアナの方に歩み寄る魔人。
その手には先程までの鞭とは違い、刃渡りの長いナイフが握られていた。
(動け!動くんだ、俺!)
必死に立ち上がろうとするも、恐怖で足が上がらない。
「キリ、ヒト……っ」
離れたところで踞るティアナが瞳に涙をうかべ、かすかに声を漏らす。
たくさんの感情が小さな体に押し込められ、今にも破裂しそうだった。
そうこうしてるうちに、魔人の姿がすぐそこまで迫ってくる。
「キリヒト……」
「ティアナ……っ」
「たす……けて……っ」
「……っ!」
その一言が、キリヒトを動かした。
さっきまで動かなかった足が急に軽くなる。
(そうだ、俺は約束したんだ)
──「私の事、守ってくれる?」
「うおぉぉぉぉ!!!」
ティアナの前に走り出る。
「何があっても、俺は!君を守る!」
装備などない。
武器などない。
勿論魔法だって使えない。
けれども、決して引かない!
「お前一人で何が出来る?子供1匹、時間稼ぎにもならん」
「……っ!」
やはり怖い。今にも逃げ出したい。
魔人の言うとおり、俺は今から殺される。
でもそれでよかった。
「……愛する人を見捨てて逃げるほど、俺は弱くない!」
「分からないな」
視界から魔人の姿が消える。
それと同時に腹から暖かい何かが溢れ出る。
「キリヒト!キリヒトぉ……っ!」
ティアナの悲鳴が聞こえたが、振り向くことが出来ずそのまま倒れ込む。
「何故、そんなに死にたがるのか。妾には分からない」
魔人の声が聞こえたと同時に耳鳴りがし始める。
やがて、痛みがやってくる。
が、声は出なかった。
(あ……れ?)
一瞬の出来事だったため脳が追いついていない。
いや、追いついてないんじゃなくて、もう機能していないのかもしれない。
呼吸できているのかさえ分からなかった。
「次はお前だ小娘。いや、」
首元を捕まれティアナの体が宙へと浮かぶ。
「この村最後の、小さき村長さん」
「いや……っ!」
首元から何かがティアナの体に入ってくる感覚に襲われる。
(ティアナを…助け………なきゃ…………)
朦朧とする意識の中で、夕刻の景色が蘇る。
(約束……したんだ。俺が………ティアナを……)
「…………守らなきゃ」
「ほう?」
「キリ……ヒト?」
ふらふらと立ち上がる。その姿を見て魔人が手を止める。
「約束……んだ…俺が……守っ……だから…」
声にならない声がもれる。
「面白い、その状態で立ち上がるか」
魔人はティアナを突き落としキリヒトの方を見る。
「ちゃんとトドメを指してやろう」
そう言って魔人が構えた瞬間、
「ティアナは、俺が守るんだ!」
全身が熱くなる。まるで燃え上がるかのように。
「次はなんだ!お前は面白いな!」
一瞬のうちに傷が修復し、身体中を蒼い炎が包んでいた。
「魔術師か!だがこの距離なら妾の方が有利、残念であったな」
元々の間合いが近いため、魔人が一歩踏み込んだ瞬間攻撃圏内へと入る。だが、
「……再生の炎」
「っ、は──」
次の瞬間魔人の姿が消え失せる。
否、消えたのではない。
吹き飛ばされたのだ。視界から消えるほど遠くに。
「キリ……ヒト?」
近くで見ていたティアナがキリヒトの顔をのぞき込むように確認する。
と、不意にキリヒトを包む炎が消えその場に倒れ込む。
「キリヒトっ!」
ティアナは倒れたキリヒトを抱き抱えたが、既に意識は無かった。
「息はしてる……良かったぁ」
(さっきのは、一体……?)
キリヒトが魔法を使っているところは見たことがなかった。
だが、今はまだ安心できない。
もしやつが生きていたらまた私を殺しにくるはずだ。
放り投げられたのが地下通路側だったため、既に目と鼻の先に地下通路があった。
「とりあえずキリヒトを……」
そう言って振り返った時には、もう遅かった。
「もう加減はしない」
「え……」
首元に刃物がかする、が、トドメが飛んでこない。
「もう加減はしないだと?」
魔人の体から、何者かの剣が突き出している。
「それはこっちのセリフだ!」
「なぜ貴様がここにッ!!!」
剣を振り上げ魔人の体を腹から肩まで引き裂く。
そのまま蹴り上げ建物にたたきつけ、再び剣を振りかぶる。
「その命で償え」
魔人の首元、核目掛けて剣を振り下ろす。
その瞬間、鈍い音と共に決着が着いた。
「ベルゼブブ様は、こんな子供相手にいつまで時間をかけているんだ……」
トドメを刺すはずだったアイバクの剣は核にヒビを入れたまま時が止まっていた。
その代わりにアイバクの心臓に剣が貫通していた。
「ちゃんと時間稼ぎしてくれたんですね」
「がはっ、ぁぁあ!」
血を吐きその場に倒れ込む。
(魔人が言ってた時間稼ぎってまさか……)
突如アイバクの背後に現れた男の姿に、ティアナは見覚えがあった。
だが、それを信じたくはなかった。
嘘であって欲しかった。
「な、んでお前が……」
顔を上げたアイバクの前には、長年共に戦ってきた騎士団の仲間の姿があった。
胸を抑え必死を上体を起こしながらアイバクは男に問う。
「なんでって、そんなの決まってるじゃないですか。仲間がピンチなら助ける。当たり前でしょう。ね、団長?」
「仲間って、どういうことだ……お前の仲間は俺だろうが!」
「勝手にあなたの仲間にしないでくださいよ」
「勝手にって、何年も一緒にこの村を守ってきた同じ騎士団の仲間じゃないか!」
その言葉を聞いて男は笑い出す。
「あんたらと仲間になるために、俺は騎士団に入ったんじゃない。今日、この日ために入ったんだ」
「なん……だと?」
「この日のために、騎士団の情報をベルゼブブ様に流し続けた甲斐がありました」
「貴様……っ、何が目的なんだ……っ!」
「あなたに言ってもきっと分からないと思いますが……まぁもうすぐ死ぬだろうし言ってあげましょう。簡単に言えば昇格のためですね」
「昇格?」
「はい。魔王の元で働くには、村をひとつ破壊する必要があるんです。弱い者には任せられませんからね」
「っ!魔王の元で、働くだと?!」
「はい。だって、このまま人間側についてなにかいい事あります?無いでしょう。こんな狭い結界の中でしか生きられない下等生物なんかにつくより、この世界の支配者である魔王につくのが一番頭が良い方法だと思いますけどね」
「何を馬鹿なことをっ!」
「どこが馬鹿なんですか?逆に聞きますけど、人間側についた場合のメリットってなんですか?」
「人間にはなぁ!」
アイバクが勢いよく立ち上がる。
「心があるんだよ。奴らにはそれがねぇ!心がなければ人は生きられない。お前にだって心はあるはずだ!きっと今だって、どこかで後悔しているはずだ!」
「いえ、全く。勝手に後悔してるって決めつけないでくれます?」
「お前は強がっているはずだ。今からだって遅くない。やり直そ──」
「うるせぇよ。俺が決めてことにえらそうに口出しするなよ」
血飛沫が上がり、その場にアイバクが倒れ込む。
「昔から気に食わなかったんだよ、その上から目線……っ」
団員はアイバクの傷口を踏みつける。
「あ、そうだ」
血で濡れた剣をしまった男が何かを思い出したかのように振り返る。そして、
「そういえばここに来る前に騎士団のみんなを見つけてさ、団長一人じゃ寂しいだろうから、横に添えておくね」
そう言って男が取りしたのは、三人の兵士の頭部だった。
それは、先程暴龍からアイバクを守った兵士たちのものだった。
それが瞳に映った瞬間、アイバクの目が変わる。
「じゃあさっさとティアナを殺して撤収す──」
「あぁぁぁぁぁぁぁああ!!!」
空中に男の生首が舞う。
その姿の後ろには、紅き炎に包まれたアイバクの姿があった。
そして、ヨレヨレになりながらティアナの元へとアイバクが歩みよる。
「ティアナ、結界の張り方を教える。おそらく1回しか言えないからよく聞いてくれ」
「団長、さん?」
今にも消えそうな声でティアナに話しかける。
その声を聞き逃さないように、必死に聞き取る。
気がつけば魔人の姿が無くなっていた。
「これで結界が戻るはずだ……やってみてくれ」
「は、はい!」
アイバクさんに教わった通りの手順で詠唱する。
体が光り、緊張で汗が出る。
震えるティアナの手をアイバクはしっかりの握ってくれていた。
「ティアナにお願いがあるんだ、そのままで聞いてくれ」
ティアナが詠唱し終わったのと同時にアイバクが口を開く。
「……キリヒトに……お前を、世界一愛している。と伝えてくれ」
「団長さん……?」
「お前と、もっと色んな景色が見たかった…。村の騎士団長としてでは無く、1人の父親として、お前と過ごした時間は俺にとって幸せそのものだった……ありがとう、と……」
「団長さ……っ!」
握られた手が抜け落ちる。
それと同時に村の周りに薄い膜のようなものが浮び上がる。
涙が溢れ出して止まらなかった。
何に対しての涙なのか、分からないけどたくさんたくさん泣いた。
声が枯れるほど、一生分の涙が流れた。
その日ティアナの中で、何かが終わりを告げた気がした。
「……アナさん!………ティアナさん?」
「……あっ、どうしたのかしら?」
「どうしたのかしら?じゃないですよ、もう。お昼ご飯の用意が出来ましたよ」
「え?ああ、もうそんな時間なのね」
「もう………心配なのは分かりますが、朝からずっと窓の外ばっかり見て」
「ごめんなさい……」
「謝らないでくださいよ。それに、キリヒトさんなら大丈夫ですよ」
下女はやれやれといった様子だ。
「……私ね、小さい頃にキリヒトと約束をしたの」
「どんな約束ですか?」
いつの間にか下女も隣にきて窓の外を眺めていた。
いい天気だ。
「どんな事があっても私を、君を守るよって」
「……すてきな約束じゃないですか」
「今頃キリヒトは何をしてるのかな、もう戦闘が始まってる頃かしら」
「朝方に出発したのなら、既にハルク村には着いている頃ですね」
「キリヒト……」
「………さ、お昼ご飯にしましょ」
「…………そうね、そうしましょう」
キリヒトとティアナ。
二人の思いを乗せた風は、あの日と同じ匂いがした。
戦闘シーンの書き方が苦手なので、次話以降の執筆が進みません…泣
構成はできているんですけど、繋ぎ方が歪になってしまったり、使い回しの表現がどうしても増えてしまって書いて消して繰り返してます笑
ここまで読んでくださっている方には本当に感謝しかないです…いつもありがとうございます!!!