第173話 一矢
【セイラ視点】
ユズル、ユリカ、グランドゼーブ、ミカエラ、キリヒト、ヨハネ、メイシス。
彼らを先頭として始まった生存戦争も、既に半日が経過しようとしていた。
その彼らが目の前で消えてから数時間。
残された兵士達は今も、王城の1階で王族階級第6位 デスピアス相手に苦戦を強いられていた。
いや、苦戦と呼べるほどの戦いは今のところできていない。
一方的に削られ続けている、が正しい。
表情を一切動かさない、冷たい視線を貼り付けられた顔。
長く白い髪は1度として揺れることなく、全身を包み込む黒のレギンススーツは愚か、その細長い指にはめられた手袋すら穴のひとつも空いていない。
セイラが鼓舞し兵士を率いて戦闘を初めた当初、人類側には王都軍、帝国軍に加え竜人とその他種族の義勇兵達、述べ300人程度が戦闘に加わっていた。
が、今はもう動ける兵士が半数ほどしかいない。
それどころか、デスピアスに一撃すら与えられていないのだ。
「セイラどうする!このままやっても埒が明かないぞ!」
「……っ!むやみな攻撃は止めて、なるべく散らばるんだ!」
攻撃を止める。
一見検討はずれな発言に聞こえるが、これは正解であった。
デスピアス、彼女は別名ワープの魔人と呼ばれ、その名の通り空間に転送次元を生み出し、そこに吸い込まれたものは全て彼女の思う場所に転送される。
つまり彼女に向けた攻撃は全て転送次元に吸い込まれ、代わりに自分たちの背後に、別次元に、仲間に返ってくるのだ。
セイラを含むエルフ族達は弓を得意とするが、矢が届くことはない。
それだけではない。
彼女自身が宙に浮いているため、兵士はほとんど脅威となっていない。
竜人も近づこうとすれば飛ばされ、遠距離ブレスを放てばたちまち仲間達が焼かれるという、あまりにも理不尽な状況に置かれていた。
(デスピアスから攻撃を仕掛けてくることは無い。それなのに、勝てるビジョンが見えてこない……っ)
このまま彼女を放っておけば、戦闘を終えたユズル達が彼女と対峙することになる。
そうなれば魔王戦に支障をきたすことはもちろん、最悪の場合魔王と同時に戦闘が行われてしまう可能性がある。
そうなれば、いくら彼らであれ勝機を見出すことは難しいだろう。
(やはり、私達がここで仕留めなければならない……!)
セイラはデスピアスの動きを注意深く観察した。
(転送先に法則性はおそらく無い、全部手動で行っているという事ね。転送されるまでの時差はほとんど……というより完全に無いという方が正しい。逆にこちらの攻撃を威力を上げて跳ね返すということもしてこない……)
エルフの特性である視覚強化の恩恵を活かし、戦場全体の分析を行う。
「セイラ!」
「えっ……あっ!」
集中しすぎて、自身の背後に生まれた転送次元に気づかなかった。
既のところで竜人であるアーノルドに救われる。
「ありがとう」
「気にするな、それよりどうだ?反撃の糸口は……」
「……戦況を変えられそうなものは、何も」
「……そうか」
「ごめんなさい……」
セイラの言葉に、アーノルドは首を振った。
「俺たち竜人は腕に自信あれど、頭に自信はない。人間達の見えている世界も、我々と比べたら遅すぎる」
アーノルドの言う通りだった。
人間の見えている世界と、エルフが視ている世界は違う。
本来他種族で共闘することの無い世界、お互いの欠点を補い合うなど、普通に生きていれば考えることは無いだろう。
だが、今はそれが出来る。
「君にしかできない仕事だ、セイラ。だから頼む」
アーノルドの力強い声が、セイラの背中を押す。
その声に、セイラもまた応える。
「ええ!」
背後はアーノルド達に任せ、セイラはデスピアスに視線と意識を集中させる。
相変わらずこちらを見下ろし、全く動こうとしない。
こちらもまた、攻撃の手を止め彼女と睨み合う。
「……はぁ」
デスピアスの表情が僅かに動く。
次の瞬間、兵士たちの前に巨大な転送次元が現れ──、
「きえ、た……?」
一瞬の出来事に、セイラ達は言葉を失う。
目の前で起きた出来事に、ただならぬ恐怖心だけが募っていく。
兵士たちの前に現れた転送次元は彼らを飲み込み、そして消えたのだ。
たった数秒の出来事。
その数秒で、動ける兵士の約3割が姿を消した。
「う……」
どこからともなく、声が聞こえた。
「「「「うわぁぁぁあああ!!!」」」」
その声はひとつではなかった。
恐怖は伝染し、多くの者が声を上げデスピアスに背を向ける。
先程までの戦いは、死ぬほどのものではなかった。
デスピアス自体は攻撃を仕掛けてこなかったからだ。
だが、状況は大きく変わった。
未知の存在を前に、人々は恐怖する。
あの転送次元の先に何があるのか。
得体の知れない何かに飲み込まれる恐怖は、軍団を分散させるには十分な程だった。
「待て、お前たち!ここで逃げてどうする!」
逃げようと走り出す兵士たちに、アーノルドが叫ぶ。
が、帰ってきた声はアーノルドが望んでいた答えとは真逆なものだった。
「攻撃も当たらない敵にどうやって戦えって言うんだよ!!!このままみんな、あの謎の空間に飲み込まれて永遠に闇の中を彷徨えってのか!!!」
現場の指揮が、一気に下がったのを感じた。
もうみんな分かっているのだ。
デスピアスに勝てると思っている者はもう、誰も居ない事など。
それでもセイラは諦めたくなかった。
誰の役にも立てず、濃い霧の森で、狭い世界で生きてきた彼女が、やっと誰かの役に立てそうなのだ。
彼女にとってそれは、戦う理由であり、自身への誇りでもあった。
だからセイラは諦めない。
最後まで戦い抜くと、魂から叫ぶ。
「恐怖に勝てとか、誰かの役に立てとか、そんな事は言わない。逃げることは時には正解な時だってある」
弓を構え、標準をデスピアスに定める。
「私はずっと、逃げてきた。あの森で、外に出ることを夢見るお姫様を気取ってた。戦うことを、自分で自由を掴み取る事からずっと逃げてきた」
いつか誰かが霧を晴らし、この森から連れ出してくれる。
ずっと他人に期待し、現状から目を背け逃げ続けてきた。
そんな自分に、逃げるななんて言う資格は無い。
だけど、
「きっとそれは全部……最初から全部、決まっていたことなんじゃないかって」
今は、逃げる時じゃない。
「この瞬間の為に、逃げ続けてきたんじゃないかってそう思う。全ての終着点、醜くも出会うべきその時まで逃げ続けてきた、その瞬間がきっと今なんだと思う」
いつしか周りは、セイラの言葉に集中していた。
とても戦いのさなかとは思えないほどの静寂。
そこに響くセイラの声。
もうこの戦場は、セイラのものだった。
「今逃げる者たちは、これから先きっと出会わなければならない瞬間が待っている人達なんだと思う。だけど──、」
セイラの指が弦を引く。
「今日という日を乗り越えなきゃ、その瞬間は二度と現れないと私は思うけどね!」
セイラの腕に刻まれた妖精の印が光る。
その光はセイラの矢に纏わりつく。
矢が指から離れ、デスピアスに向けて放たれる。
その場にいた全ての者が、その矢に視線を奪われた。
当然の如くデスピアスは、目の前に転送次元を召喚する。
矢が当たることは無い。
……はずだった。
「……っ!」
その場にいるもの全てが、言葉を失った。
唯一、デスピアスの呻き声だけが響く。
これまで、一切言葉を発していなかったその魔人の声だけが。
「と、届いた……?」
矢は、なんとデスピアスに届いたのだ。
セイラの放った矢は、転送次元の目の前で分散し、分散した粒子は転送次元の脇をすり抜け、再び矢を構成した。
その矢を避ける術は、デスピアスにはなかった。
一矢報いるとは、まさにこの事だろう。
今セイラは、誰もできなかったことを成し遂げたのだ。
そしてそれは確かに、反撃への一撃だった。
「お前ら!セイラを援護するぞ!!!」
「……っ」
アーノルドの声に、立ち尽くしていた兵士たちがまた戦場に駆け寄ってくる。
流れが、大きく変わった。
デスピアス戦は、後半へと駒を進めた──。




