第167話 イザベルvsアマリリス
【ユリカ視点】
──数日前。
「……ユリカ、それ本気で言ってるの?」
「……ごめんなさい。でも、どうしても確かめたいことがあって」
メイシスと再会した一行は、一夜をウィズダ村で過ごすことになった。
ユズルが寝静まったあと、ユリカは自分の契約する精霊、アマリリスを召喚した。
「どうしたの、ユリカ?また眠れないの?」
ユリカは眠れない夜に、時々こうしてアマリリスを呼び出していた。
こんなにしっかりしているユリカでも、まだまだ誰かに甘えていたい歳だ。
でも、今宵は違った。
「アマリリス、貴方に相談があります」
いつもと違った雰囲気に、アマリリスは真剣な眼差しでユリカを見つめた。
そしてユリカは自身の考えていることをアマリリスに伝えた。
「……ユリカ、それ本気で言ってるの?」
「……ごめんなさい。でも、どうしても確かめたいことがあって」
アマリリスの反応は、あまり肯定的ではなかった。
その反応は、間違っていなかった。
「第一位の魔人と対峙した際、手を貸さないで。なんて……。貴方、ジュピターの強さを忘れたの?」
「違います。忘れてなんてありません。ですが……」
「母親を元に戻せるかもしれない、そうでしょ?」
「……」
「はぁ……」
エリカの話と自身の記憶。
第一位の魔人は、産みの母イサベルで間違いないだろう。
生みの親に対する情もあるが、自分の過去を知る人物からなにか情報を得ることは出来ないか、その考えがずっとユリカの中で渦巻いていた。
これからの戦いで重要な鍵が隠されている。
そう感じるのだ。
「……分かったわ」
折れたのはアマリリスだった。
だが、アマリリスは「けど、1つ条件があるわ」と人差し指を立てた。
いつもより少し冷たい声に、ユリカは顔を曇らせる。
が、
「ユリカに命の危険があった時は、命令無しでも手助けに入る。これが条件よ」
アマリリスの出した条件はその声に見合わず、とても暖かいものだった。
キョトンとするユリカを、アマリリスは優しく抱擁する。
「ユリカは私を救い出してくれた。私も、貴方の助けになりたいの」
耳元で、囁くように優しくそう呟く。
その声に、ユリカは心から安堵を覚えた。
この約束を守り、アマリリスはこの戦いで手を貸さなかった。
ユリカが、気を失うまでは。
「……あんた、私の主に何してくれてんのよ」
主の危機に、命令を無視し顕現したアマリリス。
その鋭い眼光は、怒りに燃えていた。
アマリリスが姿を現すと同時に空が曇り、雨が降り始める。
戦場は一転、アマリリスにとって有利な環境へと変化していく。
森は今や、あの日のハナヴィーラのように振り続ける雨に囚われた。
「精霊魔法 水泡の檻」
ユリカの身体を、水泡が包み込む。
「待っててねユリカ。すぐ終わらせるから……」
とはいえ今のままで勝てる相手では無い。
契約者の魔力供給がない今、現実的では無いがやるしかない。
「──真名解放」
アマリリスの身体を羽衣が纏い、全身がより一層光を放つ。
大精霊 アクエリアス。
少しでもユリカの回復時間を稼ぐため、魔力の消費を最小限に動くしかない。
「精霊魔法 霧雨!」
細かい雨粒が刃のように襲いかかる。
逃げ場のない広範囲の魔法。
「黒薔薇の開花」
それをイサベルは内側から跳ね返した。
まるで朝露で花開く蕾のように。
水は相性が悪いように見えた。
「なら、霙の雨!」
アマリリスの魔法を、イサベルは先程と同じ魔法で受け止めた。
だが、先程とは違った。
アマリリスの魔法は黒薔薇の花弁の表面を凍らせ、衝撃によって凍った花弁が散ったのだ。
明らかな有効打である。
「氷が弱点なのね!なら──」
「聖級魔法 天の威光」
「っ……!」
勢いよく踏み出したアマリリスを、激しい光が襲う。
同時に全身を強い熱が生じ、反射で顔を覆った。
氷魔法が来るならば、こちらも相応の対応をしようということなのだろう。
その熱では氷魔法は愚か、雨粒でさえ蒸発してしまう。
(この感じ、懐かしいわね……)
かつて太陽の精霊 サンと精霊王の座をかけて争った時、同じような状況に陥った。
あの時は確か──、
「相性の悪い相手には物量ね……っ!」
アクエリアスは天候をさらに操り、災害級の雨を降らせた。
そのうち徐々にイサベルが放った威光は熱を失い、無効化に成功する。
が、それと同時にイサベルを覆うようにして黒の花弁が地面から顔を出す。
雨は植物に恵をもたらす。
かつて、ハナヴィーラが花の都と言われた様に。
水も氷も相性が悪い。
(いや違う。恐らく、不利な対面がないのね……っ)
これが第一位。
決して優位を譲らず、冷淡に戦いを進める。
その姿勢は、人々の目には絶望に映っただろう。
彼女が、かつて聖王の座に居たなんて知らずに。
(……恐らく彼女を制することが出来るのはユリカだけ。ユリカに繋ぐ、それが私に出来る全て……っ)
アクエリアスは背後に視線を向ける。
そこには依然として目を閉じたまま、水泡の中で眠るユリカの姿があった。
いつ目覚めるか分からない。
……目覚めるのかさえも。
それでも、アクエリアスはユリカを諦めるつもりは無かった。
「これが効かなかったらもう、道連れね」
自分の命を引き換えにしてでも、ユリカに繋ぐ。
彼女が長い悪夢から救い出してくれた。
彼女が再び光を見せてくれた。
希望を、信用をくれた。
だから、これはほんの少しの恩返し。
「精霊奥義──」
アクエリアスが大精霊と言われる所以。
それは、地形を変化させるほどの天候操作。
「──雨露霜雪!」
吹き荒れる嵐。
二つに一つ、雨粒は霰となり、霜となり、世界を変えていく。
雪の下から顔出す花も、重い氷の中では永遠の時を刻む。
灼熱の大地も、雨粒に濡れれば寒冷な荒地と化す。
天候はいわば時の流れ。
全てを無に帰す、究極の魔法。
それに対抗するは、聖王一家のみが扱える聖級魔法。
「主導者の威光」
極光と曇天が交わり、辺りは濃い魔力溜りに包まれる。
耐性のない者が一息吸えば気絶するほどの濃度。
だがここにいるのは、魔族の化け物と大精霊だけだ。
「い……っ」
左肩に激痛が走る。
まるで鋭利な刃物で刺されたかのような痛みに、アクエリアスは視線を左肩に向けた。
そこには、まるで黒い鱗のような物が突き刺さっていた。
前に視線を戻すと、吹き荒れる豪風の中こちらに何かが飛んできているのが見えた。
つまりイサベルは、大精霊の奥義を相殺しつつ、反撃までしていると言うことになる。
アクエリアスには、この反撃を防ぐ余裕すらないというのに。
(防御にまで回せる魔力も神経もない……っ)
アクエリアスは、最低限急所は避けつつもあくまで攻撃に意識を集中させた。
「うっ……くぅ………」
一裂き、二裂きと、肉体が削られていく。
アクエリアスには、回復魔法の心得は無い。
あるのは精霊の加護のみ、それだけでは到底修復は間に合わない。
押されつつある戦況、突破口も見えないままアクエリアスは身体も魔力も底をつこうとしていた。
その時だった。
不意に急所を避けた一撃が、背後に抜けていったのが分かった。
背後には、ユリカが居る。
ユリカの意識はまだ戻らないままだ。
幾ら防御魔法をかけていると言えど、この速度と硬度を放つ一撃はもたない。
アクエリアスは術を解き、走り出す。
自分の背後など、気にもせず。
嵐が止み、相殺するものが無くなった黒き矢は、アクエリアス目掛けて降り注ぐ。
アクエリアスはユリカに覆いかぶさり、全ての攻撃を我が身で受けた。
その数、実に540矢。
難攻不落の城塞でさえ破壊するその技を受けた身体は、既に肉体と呼べる原型を留めてはいなかった。
精霊に血は通っていない。
通っているのは膨大な魔力と、それを形とする粒子の集合体。
一度に衝撃を受けると粒子もつれが起き、身体は次第に元の粒子へと飛散していく。
それは、大精霊も同じ。
アマリリスの身体は徐々に透け始め、次第に空気の中へと溶け込んでいく。
「………、……」
発声器官は既に無く、アマリリスの言葉は誰の耳にも届くことは無かった。
アマリリスの居た場所には、無数の残骸が山積みとなって、ユリカを覆い隠していた。
その山を、イサベルは払い除ける。
山の中に眠る、ユリカを殺すために。
世界はまたしても希望を失った。
……はずだった。
「……?」
残骸の山を払い除けた下にあったものは、……否、そこには何も無かった。
消滅したのはアマリリスだけなはず。
人間は消滅などしない、肉体があるからだ。
死骸は無い、そして本人の肉体もない。
そして気づく。
背後から感じる、膨大な魔力の渦に。
「禁忌魔法──」
振り返った時にはもう、手遅れだった。
「──根源なる回帰!」
世界を巻き戻す魔法が今、再び唱えられた──。




