第146話 宣戦布告
「なるほどね」
闇の精霊 ルーナは一人、空の玉座に手を添えそう呟いた。
精霊王の玉座、それがある場所まで辿り着くのに果たして何百年の月日が経っただろうか。
大精霊に任命され真名を与えられたその日から、ルーナの目標は精霊王の玉座に着くことだった。
近づくことも、触れることも許されない神聖で禁忌の玉座に今、ルーナは触れた。
そして視た、精霊王が見た景色を。
「結局この玉座にはなんの意味もなかった」
この玉座に座ることが精霊王である証だと闇の精霊は考えていた。しかし現実はそうではなかった。
玉座に触れて得たものはほんの少しの記憶だけ。
元精霊王が誰なのか、彼らはここで何を見たのか。 そして、彼らの真名はなんなのか。
全ては消された記憶。
おそらく本人でさえも忘れているであろう、封印された記憶。
「貴方達だったのね。私に真名を与えたのは──」
「もう、潮時ね……」
いつ戦いが始まってもおかしくは無い状態だった。闇の精霊は真名を解放し、こちら側もいつでも交戦できる準備は出来ていた。
しかしふたつの勢力がぶつかることは、終ぞなく──。
「潮時って、一体どういう……」
ユズル達の疑問の答えは、思わぬところから飛んできた。
「──人間達よ。王都は我、魔王 アーリマンが支配した」
それはユズルたちの脳内に直接届いた。
正確にはこの2年で大きく成長した通信魔法によるものだろう。
(そんなことより、今なんて……)
王都を支配したと言ったのか?
それは事実上の宣戦布告であった。
「──近年我々同胞が酷く殺されている。これは明らかな敵対行動だ。よって我々魔族は人類に宣戦布告することにした」
突然すぎる戦争の幕開けに、ユズル達は顔を見合せただ呆然と立ち尽くしていた。
気づけば目の前にいたはずの闇の精霊の姿はどこにもなかった。
「──本日をもって2度目の生存戦争を始めるとする」
魔王は言いきった。
1番恐れていたことが始まってしまった。
まだユズルはカマエルの真名も解放できていなければろくに覚醒も使えない。
それどころか、各地に散らばった仲間たちとも2年間関係を絶っていたため消息が掴めていなかった。
闇の精霊を逃し、師匠を失い、圧倒的な実力不足で連携も取れないまま、始まってしまったのだ。
「ユズルさん、立ち止まっている暇はありません。まずは村に戻りましょう」
「……そうだな。急ごう」
今は状況確認が最優先だ。
師匠の弔いを後日に誓い、魔獣に喰われぬようユリカに小さな結界を張ってもらう。
村はまさに、混乱の嵐であった。
「今の聞いたか?生存戦争が始まるって……」
「王都が落ちただと?もはや人類の敗北ではないか」
「ここもいずれ魔人が襲ってくる!防衛戦戦を死守するんだ!」
村の騎士団たちが慌ただしく武装し、臨戦態勢に入る。
村人たちは不安に刈られ自らの家に逃げ帰るよう消えていった。
そんな中、アルバ村村長は村を走り回り村人に呼びかける。
「結界を強化するため、魔力の扱いに長けている方は村長宅に集まってください!」
村長の呼び掛けに、僅かながら人々が集まり始める。しかし圧倒的に人手不足であった。
やはり一刻でも多く家族と一緒にいたいからであろう。
この期に及んでまで人間は、自分の欲を、思いを優先してしまうのだ。
この弱さが魔人との明確な違い、彼らには持ち合わせていない感情という名の弱点が人間にはある。
「この程度の魔力では貴族階級の魔人が複数体来た場合、結界が耐えられません。私も加勢しに行った方がいいですか?」
「いや、ユリカにここで魔力を消費させる訳には行かない……っ」
かと言ってユズルにはどうすることも出来ない。
この混乱の中、いつ自分が死ぬかも分からないのに自分の優先したいこと、大切なものを捨ててみんなのために動いて欲しいなんて、ユズルには言う資格がなかった。
だから、ユズルは決して村人に協力するよう呼びかけるようなことはしなかった。
「……ユリカ、村人全員に通信魔法を飛ばせるか?」
「できます」
ユリカがアルバ村全域を対象に通信魔法を発動する。
「──みんな聞いてくれ」
ユズルの声が村人たちの耳に届く。
そして、
「──今から俺たちは魔王を討伐しに行く」
村人全員にそう宣言する。
村人たちの心を動かすにはこれしかない。
「──かつて悪魔を倒した一族の血を、ユリカは継いでいる。この数年間、俺たちは旅の中でいくつもの布石を見つけた」
少し大きく出た。
そうでもしなければ、大衆は動かせない!
「──だから、俺たちが魔王を討つまでの間耐えてくれ!耐えるだけでいいんだ、いずれ終わりは来る!」
ユズルはありったけの感情を込め叫ぶ。
「──俺たちが帰る場所を!どうか守ってくれ!!!」
静まり返る。
言いたいことは言いきった。あとは、
「ユズルさん、あれ……」
「あ……」
ユリカの指さす方向には、家から顔を出し、ぞろぞろと集まる人達がいた。
人々はユズル達に気づくと、こちらに親指を立て声を投げかける。
「君達の帰る場所は、俺たちが守る」
「だからどうか魔王を」
「お前たちは村の希望だ」
村人たちの声が、ユズルの全身を包み込む。
暗く沈んだ村人たちの心に光を刺すその姿はまるで、かつての光の精霊のようであった。
ユズルは彼らに頭を下げると、ボップ宅に足早に向かう。
道中すれ違う兵士達がボップはどこだと話す声が聞こえたが、ユズルはあえてその声を無視した。
忘れたかったからかもしれない。
ボップの家には、鍵がかかっていなかった。
「相変わらず、不用心だなぁ……」
中に入り、書斎を探す。
案外すぐに見つかり、ドアを開ける。
そして机の上に乗せられた1冊の本が目に入った。
その本の上には、「ユズルへ」とメモが置いてあった。
「ご丁寧に」
本を手に取りページをめくる。
どうやら日記帳のようだ。
日付を見るとどうやらだいぶ前、それもユズルが生まれるより何年も前のものだった。
「俺に一体、何を見せたかったんだ」
恐る恐るユズルは、その日記帳に目を通し始めた──。




