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禍々しき侵食と囚われの世界【最終章開幕】  作者: 悠々
第10章 精霊の号哭編
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第129話 ユリカの夢

 目を開けるとそこは、森の中だった。


(あれ、ここは一体……)


 どこだろう。

 その言葉が口から出ない。

 思うように体が動かない、声が出ない。


(心無しか視線が低い……。それに、この声……)


 近くで鼻歌を歌う女性の声が聞こえる。

 その声に、ユリカは聞き覚えがあった。

 けれど、誰の声なのか思い出せない。

 思い出そうとすると、何故か頭が痛むのだ。

 まるで、思い出すなと言わんばかりに。


「あら、起きちゃった?」


 ユリカの目に、声の主である女性の顔が映る。

 ユリカと同じブロンドの髪に、高貴な身分を示す首飾り。

 何より耳に付けられたイヤリングがその身分を証明していた。

 王族にしか身につけることを許されない、皇の勾玉が、その耳元で輝いている。


(なぜ王族の者がこんな森の中に……)


 その疑問の答えはすぐにやってきた。


「リサベル、今戻った」


 ユリカの目に映るそれを見て、ユリカは一気に血の気が引くのを感じた。

 そこに居たのは、代々語り継がれている歴史の人物。

 いや、正確には人では無い。


「今日は早いですね、悪魔さん」


 そこに居たのは、忌々しい体をした悪魔であった。


(なぜ悪魔がここに?彼は何百年も前に死んでいるはず……)


 その時、ユリカの脳裏にヨハネの言葉がよぎった。

 あれは、過去を見る力を教わった時──、


──


「君は過去の世界をまるで実体を持つかのように見ることが出来るようだ」


 ヨハネはユリカの千里眼を覗き込みそう言う。


「悪いこと、ですか?」


「いや、普通に考えればこの上ないほどいいことじゃろう。その力は他の人には扱えぬ、特殊な力なのだから」


「じゃが……」とヨハネは続ける。


「その力は強力すぎるゆえ、他の禁忌魔法と併用して使った場合不具合を起こす可能性がある。例えば、その過去の世界に取り残されてしまう、とかのう」


「取り残される……?」


「そうは言っても、戻る方法はいくつかある。まず前提としてここが過去だと認識すること。そうすれば君が元の世界に帰りたいと願い、眠りに着けば、いつでも帰って来れるだろう」


──


(つまり私は、アマリリスとみたあの過去の時代に取り残されてる……ということね)


 同時代の別の場所に飛ばされたのだろう。

 つくづくこの魔法は不思議だ。

 帰りたいと願えばいつでも帰れる。

 しかしユリカは直ぐに帰ろうとはしなかった。

 目の前に悪魔がいる。

 重要な鍵を握る人物が目の前にいる以上、手ぶらで帰る訳には行かなかった。


(でもなぜ、知らない過去を見ることが出来るのでしょうか?)


 アマリリスの場合、彼女の見た過去を再現したに過ぎない。

 したがって過去を見るには、在りし過去を見る必要があるのだ。

 しかしこの過去は全くもって記憶にない出来事であり、この条件に反する。

 一体これは誰の過去なのだろうか?


「それで……覚悟は決まったか?」


「…………ごめんなさい」


「謝らなくていい。ゆっくり考えろ」


 悪魔は王族の女性の頭を撫でる。


(覚悟を決める?何か思い悩むようなことが……?)


 もしかしたら重要な秘密を知ることが出来るかもしれない。

 そう、楽観的にユリカは彼らの会話に耳を済ませていた。

 しかし、現実はあまりにも酷なものだった。


「ユリカを手放すなんて……考えられない」


 思わず声を出してしまいそうになる。

 だがその驚きは声ではなく、嗚咽となって放出される。


「おぎゃあ」


「ごめんね、ユリカ!」


 泣きじゃくる赤ん坊を抱きしめあやす。

 しかしユリカが泣き止むことは無い。

 それはこの赤ん坊の体に憑依している今のユリカが混乱しているからであろう。


(これはもしかして……私の記憶?)


 その瞬間、ユリカの幼少期の記憶が開く。




「ねぇ村長さん。私のお父さんお母さんは何処にいるの?」


 当時5歳であったユリカは、村長と2人で暮らしていた。

 ずっと疑問に思っていた、なぜ自分には両親が居ないのか。

 村長は優しく微笑み、


「ユリカのお母さん達はね、旅に出たんだよ」


 と語った。

 幼かったユリカはそれで納得し、ずっと両親は旅に出ているから居ないのだと思い込み続けていた。

 記憶が疑問を抱かぬほどに。


(なんで忘れていたんだろう……)


 ユリカにはずっと両親がいないと思っていた。

 だが、どんな生命体にも生みの親は存在する。

 思い返せば簡単な事だった。

 自分がなぜ王族の血を引くのか。

 自分はなぜ古代文字で書かれた禁忌魔法の書を読むことが出来たのか。

 自分がなぜ、王都で王都軍に拉致されたのか。

 全てはこの血統が、この過去が、私という存在自体が禁忌であるからだったのだ。


(私は……一体…………)


 何者なのか。

 それを知った時、自分の存在理由を再び自分に問いかけることになるとは。

 その日ユリカは、現実世界に帰ることは無かった。

 帰りたいと願えるほど、ユリカの精神状態は安定していなかったからだ。

 だがユリカは2日たっても、3日たっても帰りたいと願うことは出来なかった。

 気持ちの整理がつかない。

 やがて月日は流れ、とうとうその日がやってきた。

 いつも通り気持ちが浮遊し、空虚な日々を送っていたユリカはある場所に連れてこられた。

 そこは、洞窟であった。

 女性と悪魔の声が遠くから聞こえる。

 やがてユリカの全身を冷たい氷が覆い尽くし、意識が混濁し始める。


(……なるほど……私はこうやって未来に来たんですね……)


 今帰りたいと願わなければ、このまま500年ここに取り込められるのだろう。

 それでもいいと思ってしまった自分がいた。

 もう誰にも干渉されず、一人でいたいと思ってしまった。

 その刹那、ユリカの耳元に女性の声が届く。


「行ってらっしゃい、ユリカ──」


 その言葉を聞いて、ユリカは目を見開いた。

 その言葉には確かに覚えがあった。

 あれはユズルと共にアルバ村を出た日のこと。

 フォーラ村に続く山地を登った先で、ユリカはこの声を聞いたのだ。


(あの声は、お母さん……だったんですね)


 その瞬間、ユリカの感情が爆発する。

 ユリカにも、家族がいた。

 ユリカを愛してくれる人がいた。

 その事実を目の当たりにし、ユリカはやっと生きたいと思えたのだ。

 そう、今も尚ユリカの帰りを待っている人がいる。

 誰よりも私を愛してくれる人。


(ごめんなさい、ユズルさん。貴方を1人にしてしまって──)


 ユリカの意識が遠のく。

 視線の先が白く、白くぼやけだし……

 やがて──。


「……んぅ」


「ユリカ?」


 次に目を覚ました時に聞こえた声は、忘れることの無いあの人の声だった。


「……おはようございます」


「ユリカ……良かった……。2週間も目を覚まさないから……」


 2週間も寝ていたのかと自分を疑う。

 心配させてしまったなと反省しつつ、ずっと近くで見守ってくれていたユズルに、最大の感謝を伝えた。


「長い間寝ていていたし、何か夢でも見たか?」


 ユズルの問いかけにハッとする。

 先程まで見ていた自分の過去を、記憶を忘れる前に話さなければ。

 そう思っていたのに、


「……なんだか長い夢を見ていた気がするんですが…………」


 どうしても思い出せない。

 忘れては行けない、重要な夢であったことは覚えている。


「すみません、忘れました」


 刹那の夢体験。

 ユリカの過去の記憶は再び、暗闇の中へと沈んでいくのであった──。


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