第125話 居場所
正しい過去を知れば彼女を救えると思っていた。
実際一度救えた。
しかし彼女が苦しんだ時間は、ユズル達には想像もできないような、とてもとても長い時間だった。
積もりに積もった不満や怒り、悲しみ、恨み、それらは全て簡単には揺らぐことの無い硬い枷となって彼女を縛り続けていた。
「……ユズルさん、撤退しましょう」
最初に声を発したのはユリカであった。
その言葉に反応したのはユズルでは無く、グランドゼーブの方だった。
「ユリカの言う通りだ。今は完全にあいつらのペースだ、勝算が見えない」
ここまで完璧な計画、指揮をしてきたグランドゼーブでさえも撤退の意見に同意した。
正直戦況は、最悪だった。
ジュピターだけで手一杯だった、しかし今は雨の精霊もあちら側に加担している。
もしユリカの禁忌魔法が無事発動出来ればまだ勝算はあるだろう。
だが果たしてそれまで2人の命は続くのだろうか。
否、いまここで降参を宣言しなかった瞬間二人の命は潰えるだろう。
「……もう一度やり直せないか」
ユズルが発した言葉はふたりとは違った。
撤退するべき、それは全員共通の意見であり、どうやって彼らから逃げ切るかについて考える時間だと、グランドゼーブとユリカは思っていた。
だがユズルはまだ、諦めていなかった。
「おそらく何度やっても変わらない。むしろここで引けば、彼らに時間を与えることになる。この期を逃せば雨の精霊を救うことも、ジュピターを倒すことも出来ねぇ!」
ユズルは声を荒らげ、二人を鼓舞する。
撤退の手段を考えていた脳が、巻き戻されていく。
全ては最初から、雨の精霊を救うところからやり直す。
「アマリリス、もし君がまたあの苦しみを味わいたいなら彼らを逃がそう。だが、ここで彼らを討ち、君の苦しみが少しでも和らぐなら……」
雨の精霊の手のひらがこちらに向けられる。
敵対心の現れだ、交渉の道は今絶たれた。
「やってしまえ、アマリリス」
「──雨の銃弾」
戦闘が始まると、すぐさま3人は散り散りになる。
この作戦のには、撤退する条件も設けられていた。
こういったケースに陥った場合、すぐさま撤退せよというもの。
そのひとつが「1人でも死んだら、即時撤退する」だった。
散り散りになる、それは被害を最小限に抑える最大の戦略なのだ。
「俺とユズルが奴の注意を引く!ユリカは雨の精霊を頼んだ!」
「分かりました!」
「行くぞ!」「ああ!」
最初から再び戦闘は始まった。
最初と違うところは、2人とも既に身体的にも体力的にも大打撃を受けているだけ。
相手の手の内を知った代償だと思えばこんな痛み、痒いとも思わなかった。
「感覚が麻痺してるだけかもしれないけどな」
大丈夫、まだ笑う余裕がある。
まだ、勝てると思っている自分がいる。
それだけで十分だった。
ユズル達がやることは時間稼ぎに過ぎないのだから。
「雨の精霊さん!」
「気安く話かけるな!人間が!」
つい先程まで和解していたとは思えない態度に、ユリカの表情は曇る。
しかし、やることは変わらない。
対話を試みるのみ──。
「……またここか」
雨の精霊 アマリリスはため息をこぼす。
ユリカによって再びあの空間に連れ戻されたアマリリスは、攻撃の手を止める。
「ここには生を感じられない。お前の作りだした仮想空間ってことか」
「はい。ここでいくら攻撃しても私は殺せません」
やるだけ無駄だと伝え、彼女の敵意を削ぐ。
彼女と和解するには流石に時間が足りなすぎた。
「まだ、人間が憎いですか?」
「……っ、当たり前だ!理由はどうあれ、私を捨てたんだ!」
恐らく雨の精霊が人間に抱いている感情は憎しみでは無い。
それを彼女は気づいていないだけ。
だから、ユリカがすべきことは真犯人を見つけることでも、和解することでもない。
彼女の本当の気持ちを、気づかせるだけだ。
「貴方は人間を憎んでなんていません」
「……っ、お前に何がわかる!」
またしても人間に否定された。
裏切られた、また捨てられる。
渦巻く無数の感情が、行き場のない怒りとなって雨の精霊を蝕んでいた。
だが、その感情の答えは怒りや憎しみといったものでは無い。
「貴方は、悲しかったんですね」
彼女はただ悲しかったのだ。
あんなにも自分を必要としてくれた、愛してくれた人間が自分の元を離れてしまったのが悲しかったのだ。
一方的に関係を切られ、行き場のない悲しみはやがて憎しみへと変わり、彼女をここまで追い込んでしまった。
「寂しくて、悲しくて……でも貴方には彼らしかいなかった」
「……うるさい」
「彼らが帰ってきてくれるかもしれない、そうした思いがあるから貴方はまだこの国にいる。違いますか?」
「うるさいうるさいうるさい!そんなの、知らない!」
もう過去のことは振り返らない。
そう決めた彼女の決心は簡単には揺るがなかった。
そんな彼女の閉ざされた心を開くには、彼女の居場所を作ればいい。
「私があなたの居場所になります」
ユリカは雨の精霊をそっと抱きしめる。
困惑する雨の精霊。
だが、すぐに感情に現れ始めた。
「大丈夫です、私はどこにも行きません」
震える肩を強く、強く抱きしめる。
もう離さないと、言わんばかりに。
「私と共に生きてください。雨の精霊さん」
その言葉を聞いて、雨の精霊は閉ざされていた口を開く。
「……違うわ」
否定的な一言。
だがその声のトーンは先程とは違う、柔らかく、安心した声であった。
「私の名前は雨の精霊」
「名前を呼んで」そう訴える眼差し。
彼女にとって名前で呼ばれることは、友好の証。
かつて友だったこの国の人々が呼んだその名を、ユリカは口にした。
「アマリリス」
名前を呼ぶと同時に、ユリカによって作られた世界は壊れ始める。
まるでアマリリスを閉じ込めていた檻が崩壊するかのように。
「貴方と契約します。雨の精霊 アマリリス──」
残るは第三位 ジュピター討伐のみ──。




