第105話 決断の時
「禁忌魔法は、言語が統一される前に書かれたものじゃ。それゆえ、失われた言語で書かれておる」
「失われた言語?」
「そうじゃ」
ヨハネによると、言語の統一は一筋縄ではいかなかったらしい。
どの種族も誇りを持ってその言語を使ってきた。
故に反対意見が出るのは当たり前であり、争いもまた避けられるものでは無い。
「言語の統一は、この世界を再構築する上で必要不可欠であった。そのため初代聖王は言語を統一するため、厳しく言語弾圧を行ったのじゃ」
そのときに統一前の言語は捨て去られ、後世に伝えられることはなかったという。
「たった1人を除いてな」
「聖王……ですか?」
「左様。聖王は、自分と後続の聖王にのみ失われた言語を伝えた。そうして王家のみが失われた言語を解読でき、それ以外の人は読み解くことすら出来なくなってしまったというわけじゃ」
王家は第7代レオンで途絶えている。
つまり今この世界で禁忌魔法の原本を読み解くことが出来るのは、ユリカとユリカの母にあたるイサベルだけ、ということになる。
「待てよ……そういう事か……」
「どうしたのかね、ユズル少年」
「あ、いや……ユリカが持っている禁忌魔法の原本は、メイシスという人から譲り受けた物なんですが……メイシスは聖王から貰ったと言ってたんです」
「なるほど、今の話で全てが繋がったと言うわけか」
「はい。つまり今の聖王は王家の血を引いていないから禁忌魔法の書について解読できなかった。故に手放した、と」
「では、なぜ手放したか分かるかね?」
「……いつか解読できるものが現れ、禁忌魔法を発動した時、その者が聖王にとって重要な人物になるから……」
「そういうことじゃ。いつまでも王宮に置いておいては解読者は現れない。わざと外の世界に手放し、解読者を見つけるのが聖王の目的だったのじゃろう」
考えれば竜の渓谷での王都軍襲撃も意図的なものだったのかもしれない。
(さすがに考えすぎか……)
「さて、これで話すことは全て話した。何か気になった点はあるか?」
「気になった点しかなくて……どこから整理すればいいか……」
正直全てを把握はしきれなかった。
中には忘れたいこと、知りたくなかったこともあった。
だがそれを全て含めても、ここで得た知識は2人にとって何よりも欲しかった「答え」であった。
「まぁ焦る必要は無い。私は少なくとも輝神誕祭が終わるまでここにおる。知りたいことがあればまた来ればいい。今日のところは宿にでも戻ってゆっくりしなさい」
ヨハネの言う通りである。
ユリカとユズルには、時間が必要だった。
全てを理解する時間と、決断する時間。
輝神誕祭が幕を閉じる時、同時にユズルは選択しなければいけないのだ。
仲間か、成長かを。
「私が2人を外までお連れします」
黙ったままの2人を、修道女は指を軽く鳴らし外へと連れ出した。
何度観ても不思議な魔法だ。
「下まで降ろしましょうか?」
「……いやいい。今は少し外の風に当たりたい」
そう言い残し、2人は頂の教会を後にした。
下り道、何から話せばいいのか分からず沈黙が続く。
降り止まぬ雪が髪に積もり、体温で溶かされ液体となって肌を伝う。
その感覚だけがその場を支配していた。
「……ユズルさん」
先に口を開いたのは、ユリカだった。
「今でも、旅の目的は変わっていないですか?」
その質問の真意は、聞かなくてもわかっていた。
ユリカをここに残し旅立つか、ユリカと共にここで2年足踏みするか。
その決断を迫られているのだろう。
「……変わってない」
「なら、なぜあの時あんなに取り乱したのですか?もし本当にユズルさんの意思が変わっていないのなら、即答できたはずです」
「……っ」
ユリカの言う通りだった。
2人はここまで、魔王を倒すために、この世界を変えるために旅を続けてきた。
幼なじみであるリアとマコトが殺された日から揺らいだことの無い復讐心、それだけがユズルの動力源であった。
………そのはず、だった。
「ユズルさん……ユズルさんは今、どうしたいんですか?魔王を殺したいんですか?世界を救いたいんですか?私と一緒にいたいんですか?」
「…………分からない」
「どうして分からないんですか?そんな軽い気持ちで旅をしていたんですか?今までやってきたこと全て……無意味だったんですか?」
「…………っ、違う」
ユリカの言う通りだった。
本当に強い意志を持って旅をしていたならば、あの場で即答できたはずだ。
でもそれが出来なかったのは、ユリカという女性を愛しすぎたせいだろう。
きっと過去のユズルなら即答できていた。
彼女と過ごした日々が、ユズルにとって大きすぎたのだ。
だから、失うのが怖かった。
リアやマコト……大切な人を失った過去があるからこそ、ユリカとの別れが怖いのだ。
「ユズルさん、はっきりしてください。そんなうじうじしたユズルさん、私見たくありません」
ユリカは立ち止まり、ユズルからの返答を待つ。
正直、今にも逃げ出したかった。
正論で打ち負かされ、己の弱さをさらけ出した。
今のユズルは、誰が見ても"恥ずかしい人"そのものだ。
だが、ここで有耶無耶にするのは違う。
「…………俺は、ユリカと別れたくない……っ」
「……」
「君のそばに、ずっといたい。君が隣にいないことが、怖いんだ」
全てをさらけ出す。
いつの間にかユズルの目には、大粒の涙が浮かんでいた。
「もう、大切な人を失いたくない……。もちろんリアとマコトの仇を討つことを諦めたわけじゃない、今でも心の中で煮えたぎるような怒りが、復讐心が渦巻いている。でも──」
ユズルは顔を上げる。
その瞳には、最愛の人の泣き顔が映っていた。
「君の側を、離れたくない……。失いたくない……。こんな俺を……嫌いにならないでくれ……」
ユズルの心の叫びを聞いたユリカは、ユズルをそっと抱きとめる。
その刹那、全ての感情が溢れ出した。
ずっと抱え込んできた気持ちが、まるで貯水所が決壊したかのように1度出た感情は収まることがなかった。
そうしてユズルの叫びを聞いたユリカは、涙ぐんだ声でそれに応える。
「嫌いになんて、なるわけないじゃないですか……。大好きです、愛してます……。私だってユズルさんのいない世界、耐えられないです。でも──」
普段取り乱すことの無いユリカが、初めて感情を奮い立たせて叫ぶ。
「私達の旅は、こんなところで終わらないです!これから先も、ずっと、ずっと、ずーっと続くんです!だから……だからぁ……ぐすっ」
ユリカを泣かせてしまった罪悪感で、ユズルの心は締めあげられる。
「この2年、たった2年だけ、我慢です!長い人生のうち、たった2年だけの別れです!2年後、お互い成長した姿で、また……世界を旅しましょう……っ!」
その言葉を聞いて、ユズルは強く、強くユリカを抱きしめた。
2年分の愛をこめて。
「2年後、必ず君を迎えに来る。だから、待っていてくれ!」
「……はい!」
いつの間にか雪は止み、夕日が2人を照らしていた。
2人は口付けを交し、帰路に着くのだった。




