第9話 朝日
朝日がフォーラ村の建物を照らし、雨水に濡れた屋根は太陽光を反射させ金色に光る。
「……………戻るぞ」
「……あぁ」
「これが彼女達の痛みだ!!!」
「はぁぁぁぁああ!!!」
次元を歪曲させるほどの一撃。
その衝撃によりユズルは壁に叩き付けられる。
(っ……!ベルゼブブはどうなった……?)
目を開けた先に彼女の姿はない。
背中を強打したことによる呼吸困難がユズルを襲う。
だがそんなことを気にしている余裕はなかった。
(くそ、ここからじゃ建物が邪魔で見えねぇ……っ!)
先程まで感じていた魔人の匂いは愚か、血の匂いもしない。
(外したのか?)
「ユズル!立てるか!」
「キリ、ヒト……奴はどうなった!」
「すまないが分からない……。後ろからだと消えたように見えたが……」
屋根から飛び降り、キリヒトがユズルの元へと歩み寄る。
「恐らくさっきの一撃は外れた」
「………そうか」
確実に当てる方法がなかったわけじゃない。
だがそれができていない以上、愚痴愚痴言う筋合いはない。
今はベルゼブブの所存を確認しなければ。
攻撃時、ユズルは少しでも命中率を上げるために建物の上ではなく、建物と建物の間、いわば道上での攻撃を試みた。
その結果、彼女に逃げ道を与えてしまった。
「ここは……?」
攻撃地点の通路沿いには、地下に向かって伸びる階段があった。
「……フォーラ村にはいくつか地下通路が整備されている。そのうちの一つだ」
「どこに繋がっている?」
キリヒトは既に術を解き、納刀していた。
「この地下通路の出口はここを含め三箇所。一つが結界付近の広場の前で、もうひとつが今亡きハルク村に通じている」
「なっ……!」
「15年前までふたつの都市の架け橋として使われていた。今は結界とバリケードによって閉ざされているが……」
「……バリケードの所まで案内してくれ」
「……分かった」
地下通路の壁は、一面傷だらけだった。
恐らく魔獣はここからやってきたようだ。
ニつめの出口を過ぎしばらく進むと、奥に明かりが見えた。
結界の光だ。
「ここがバリケードのあった地点だ」
そこには既に破壊され、原型を留めないバリケードの亡骸が残っていた。
人間では何人係でも壊せそうにない強固な作りだ。
ベルゼブブたちの仕業で間違い無いだろう。
「……奴はこの道を知っていたのか」
「分からない」
ふと、ユズルはあることに気づく。
「これ、こっち側から破壊されたわけじゃないな」
普通こちら側から破壊されたとするならば、破片はバリケードの向こう側に散乱するはずだ。
だが、破片は内側に散らばり、破壊跡は内側を向いている。
「侵入経路はここからのようだな……」
「………とりあえず地上に出よう」
結界が再構築しきったのを確認し地下通路を歩く。
「そうだ、キリヒトに聞いておきたいことがあるんだが」
「なんだ?」
「なんで元魔術師のお前が、回復術を使えるんだ?」
去り際に言っていたユリカについてのことは本人の前で聞こうと決めていた。
「それも融合に関係してくるのか?」
「……融合によって回復術を習得することも可能だ」
「それってやっぱり──」
「俺は元回復術師だ」
「……」
「なぜ偽っていたのか、と言った顔だな」
通気口から伸びる青白い早朝の光によって表情が伺えるようになってきた。
「特に深い意味は無い。一番大切な人を治せないと知った時、回復術師であることが無意味に思えた。それだけだ」
まだ薄暗い通路を足音だけが鳴り響く。
「……出口だ」
地上へ繋がる階段からは暖かい光が差し込んでいた。
地上に上がり空を見上げる。
雨雲はもう町をぬけていた。
「朝日だ」
長い長い闇夜の征戦は、一時的に幕を下ろした。
「はーい……って、キリヒトさん!とユズル、さん?でしたっけ。と、とりあえず中入ってください!」
村長宅に帰還した二人はティアナとユカリの元へ向かった。
「……はーい?」
「ティアナ、俺だ」
その言葉を聞いた瞬間勢いよく扉が開かれる。
「キリヒト!良かった…っ」
キリヒトの元に駆け寄る。
少し遅れてユリカもユズルの元へと駆け寄ってきた。
「無事でよかったです……。怪我とかないですか?」
「あ、あぁ大きな怪我はしてない、と思う。ユリカの方は大丈夫なのか?」
「はい、先程町の薬剤師さんに来てもらって解毒済みです」
「そうか、なら良かった」
ユリカの無事に安堵する。
その間にキリヒトは次の行動に出ていた。
「騎士団のみんなは今どこに?」
「ほとんどは結界外遠征後の休暇で家に帰っているので、全員確認はまだ取れていませんが……現時点で10名が負傷そのうち3名が重傷。2名が、その……」
「言わなくても大丈夫だ。そうか……分かった、ありがとう」
「それではとりあえず着替えて体温めて休んでください。休んでいる間にやっておいて欲しいことがあれば、私にできることならやっておきますので」
「それなら私も手伝います」
「ユリカさんもまだ安静にしててください」
もう大丈夫なのに、と言った顔だ。
と、村長が本当なら最初に聞くであろうことを口にする。
「今お二人がここにいるってことは……殺ったんですか?」
ユズルは俯く。完全に戦犯は自分だ。
冷静な判断をしていれば。
最後の一撃だってそうだ。
結界までまだ距離があったのに焦って外して逃走を許した。
「いや、逃した」
「そう、でも無事でよかった」
「……っ、俺が無事でもお前はっ!」
「キリヒト!」
村長はキリヒトの肩を掴んで潤んだ瞳で応える。
「貴方が死んだら、元も子もないじゃない……」
その涙を見てキリヒトも顔を顰める。
「私だって貴方以上に貴方を想っているの……。だから、もう──」
行かないで。そう言いかけて声を詰まらせる。
「……とりあえずお風呂にでも入って一度体を休めて。一晩中走り続けて疲れているでしょう?それに起きてからまたやることが沢山あるんだから、落ち着いている時に休める分だけ休むべきだわ」
「……そうしよう」
キリヒトは下女に「騎士団に収集命令を」とだけ伝えユズルを連れて部屋を出た。
「すまなかった」
「ん?」
突然のキリヒトの謝罪にユズルはきょとんとする。
「こんなことに巻き込んでしまって申し訳ない」
「キリヒトがいなかったら俺一人で突っ込んでたと思う。むしろ感謝しているよ」
静かな朝だ。
ティアナさんやユリカの体にはまだ禍々しい呪いが刻まれたままである。
しかもユズルの呪いと違い、身体を衰弱させる効果があるようで、ベルゼブブの討伐は早急を要した。
現にティアナさんは呪いを受けたあとからほとんど寝たきりの生活を送っている。
……ベルゼブブを討伐しない事にはユズルの旅は永遠に進行しない。
「……なんか広がってないか?」
風呂場の脱衣所でキリヒトがユズルの体を指さす。
僅かにだが確かに広がっている。
ニ、三日で目で見える変化は初めてだ。
「午後にでもミカエラの所を訪ねるといい」
「そうするよ。キリヒトはこの後どうするんだ?」
「ひとまず睡眠を取る。ティアナの言う通り、今のうちに体力を回復させておいた方がいい。その間に騎士団のみんなに町の巡回をしてもらおうと思っている」
その言葉を聞いて、改めてキリヒトがこの村の騎士団長であるということを思い知る。
「彼らで判断が難しいものは俺が起きたあとにでも対処すればいい。ユズルも今のうちに休んでおけ。診療所の裏手を開けてあるから、壊されてなければそこを使うといい」
「助かるよ」
大浴場とは行かぬものの、男二人だとどこか広く感じる風呂場に二人の声が反響する。
「……ユズル」
不意にキリヒトから名前を呼ばれる。
「お前はいつまでここにいられる?」
「……いられるも何も、まだ何も終わってないだろ?」
「そうか……」
再び静寂が訪れる。
でもこの空白の時間はキリヒトが言葉を切り出す準備期間なのだとユズルは直感していた。
「午後、融合について教えてやる」
「本当か!」
「あぁ」
湯船から勢いよく立ち上がり水しぶきが上がる。
「ただし、今日中に習得の兆しがなければその先は無しだ」
「っ……。分かった 」
寧ろユズルも一日で習得できなかったら自分で断っていただろうと思った。
「仕掛けるとしたらまた天候に助けてもらう必要があると思っている。やはり羽が使えないことでの我々への恩恵は計り知れない。行動力の低下だけじゃない。覚醒は知ってるか?」
「一応。位の高い魔族のみが習得可能の身体強化とはまた異なる……進化のような、要はパワーアップすることだっけか。てかキリヒトはどこでそんな知識を?」
「フォーラ村は海に面した町なのは見てわかるだろう。商人から見た海は宝の山だ、当然商人は海を求めてやってくる。それは結界外からも例外ではない」
湯船から上がり体を拭きながらキリヒトは続ける。
「移動商人、命を懸けて資源確保を行う各々の街の英雄達だ。アルバ村からも過去にフォーラ村の移動商人が訪れたことがあるはずだ」
「あー、あー!あれか、"シオ"」
貴重品のためユズルは一度しか口にしたことが無いが、美味だった。
確かにこれなら人々が欲しがるのも納得出来る。
「俺はティアナと幼なじみと言ったが、要は俺の一家は代々この村の騎士団長をやっている。そのおかげで異国の者が挨拶しに来る場に何度か相席する機会があったんだが、その時にとある本の存在を知ったんだ」
話によるとその本は、過去にユズルが村で読んだものと似ていた。
もっともその本は、移動商人によって取り寄せてもらったものなのだが。
キリヒト曰く、移動商人に誘われてその村に出向いたらしい。
「どのくらいいたんだ、その、移動商人のおっちゃんのところには」
「二年半、騎士団を継ぐものとしてそれ以上村を開けることは不可能だった」
いつの間にかキリヒトは着替えを終えていた。
「それじゃあ俺は騎士団に指示を出して睡眠を摂る。これからさらに忙しくなるだろうしな」
そう言ってキリヒトは脱衣場を後にした。
「俺も一旦戻って寝るかぁ」
長い一日だった。
……心の中では朝日を見ることはもうないと思っていた。
だが今こうやって生きている。
生かされている。
その意味を、それだけの価値が自分にあるのだと心に言い聞かせた。
敗北を知ったユズルの、新たな物語が始まる。