第8話-2 蒼炎
(そろそろか……)
ユズル達は無事村長の元にたどり着いただろうか?
「ん、どうした?急に攻め手が甘くなったな?」
あくまでベルゼブブを仕留めるのを目的としていないため、そう受け取られるのも仕方ない。
恐れる点はこの作戦が気づかれることだ。
無理に攻撃する必要が無いため、ベルゼブブの攻撃をかわしながら距離を取る。
向こうから距離を詰めようとはしてこない。
ユズルとの再開後が本戦となると予想されるため、魔力の出力を最大限に抑える。
(タンクが見えてきた。この距離なら遠距離攻撃で追い込む必要はもうなさそうだな)
「始めるとするか……」
一時的に魔力の流れを止め、ユニオンを解く。
ユニオンを閉じた状態で再び体に魔力を込める。
要は身体強化と同じ原理だ。
ひとつ違うとすれば、発動時以外魔力が消耗することがない事だ。
これなら魔力を維持したまま奴とやり合える。
全身を魔力の焔が包み込む。
紅き焔は希望を、蒼き焔は
「蒼き復讐の炎」
復讐を──。
「それじゃあ行ってくる。ちょうど雨雲がこの上を通るタイミングで結界を再構築してくれ」
村長宅について数分。
目を覚ましたユリカは、まだ治りきっていない自分の体の心配より先に村長 ティアナの治療に専念していた。
「まさかこの村の魔導書が向こうの手に渡っていたとは……」
結界の維持に必要なもの。
それは器である村長の存在だけではなかった。
魔道書と呼ばれる本は、結界を維持するために必要なもう一つの心臓のようなものだった。
失ったのは10年前の襲撃の時らしいが、つまり10年もの間ティアナはたった一人で結界を守ってきたのだ。
ただ心配事はそれだけではなかった。
なんとユカリは侵食の他にも軽い毒を受けていたのだ。
「……ユリカ辛くないか?」
「今はなんともありません。少しヒリヒリするぐらいです」
「そうか、よかった。気遣ったりしてないか?」
「大丈夫ですよ。これは本当です」
「そうか……そうだな」
パートナーは疑うものではなく信じるもの。
ユズルの心にはそういう思いが芽生え始めていた。
ユズルはユリカたちの元を離れ、再び戦場へと駆け出した。
「強引な攻撃じゃな。当てると言うより押し込んでいるような不器用な攻撃じゃ」
ベルゼブブに悟られないよう、向こうの挑発には乗っているように見せている。
「まぁあの時と比べると少しはマシになったかのぅ」
貯水タンクが見えてくる。
ついに始まるのだと、キリヒトは身体の芯が震えるのを感じた。
「このままじゃと結界の範囲外に出るがいいのかのぅ?」
「その結界を無力化させたのは、お前だろ」
結界の外と内を隔てるものは今は存在しない。
そう今は。
(作戦が予定通り進んでいるならあと数分後には)
ベルゼブブの前へと出て、タンク下へと誘導する。
タンクの前を通り過ぎる刹那、キリヒトはタンク裏に逆転の一手を見た。
その影が笑ったかと思うと次の瞬間、ベルゼブブを大洪水が襲っていた。
「──よくここまで誘導してくれた」
キリヒトの隣に誰かが降り立つ。
それが誰だか、確認しなくても分かっていた。
「反撃開始だ!」
「……さん…………ナさん……」
キリヒトは無事かしら。
いつもどんな思いで帰りを待っているか彼は知っているのだろうか?
私のために戦ってくれている彼を引き止めるのは、どこか抵抗があった。
かつて優しかったその後ろ姿はいつしか復讐色に染まってしまっていた。
「…………キリヒト」
「ティーアーナーさぁーん!」
「わっ」
「わっ、じゃないですよ、ずっと呼んでたんですからね!ティアナさんが怪我でもしたらこの作戦はおしまいなんですから。雨雲の確認は私がしますのでティアナさんは奥で待っててください。キリヒトさんが心配なのは分かりますが……」
「そ、そうよねごめんなさい……」
「その気持ち、少し分かります」
下女の後ろからユリカが顔を出す。
「自分の死よりパートナーの死の方が怖い。これってやっぱり大切な人がいる者たち共通の感情なんですかね」
「きっとそうだと思います」
遠くから聞こえる破壊音に耳を傾けながら、結界の再構築が始まった。
羽が濡れたことによりベルゼブブの行動速度が下がっただけではなく、飛行能力まで奪えたのはユズル達にとって大きな一手だった。
「ローレンス式抜刀術弐の型 旋風!」
「くっ、」
行動速度が下がったおかげで旋風を使えば互角にやり合えるほどになった。
先程まで攻撃の手を緩めていたキリヒトは力を解放し、最終決戦地へと追い込みをかけている。
そのため挟み撃ちの攻撃ではなく一方から追い詰める形で攻撃していた。
現時点では致命傷を与えるまでには至っていない。
そう、今はまだ作戦の途中なのだ。
とその時、ベルゼブブが建物の柵に鞭を巻き付け屋根へと飛び乗った。
「なっ!」
羽の機能を奪えば空中戦は無いと思って油断していた。
屋根の上では魔法の心得がないユズルでは攻撃するのはもちろん、雨雲接近後ベルゼブブを挟んで追い込むことが出来ない。
「俺が屋根の上に乗って引き続き攻撃を続ける!お前は今自分にできることをしろ!」
そう告げるとキリヒトは力強く地面を蹴り壁を伝って屋根へと登った。
今俺にしか出来ない事。
考えをまとめるために少し俯く。
その刹那、先程走り去って行った二人の気配がユズルを通り過ぎていく感覚が襲った。
「……何故だ」
顔を見上げたユズルは絶句した。
「なんで……」
それは、敗戦を知らせる雨だった。
「なんで今、俺は雨に打たれているんだ」
フォーラ村は絶望の色に染まった。
「なんで、どうしてっ、」
必死にベルゼブブとキリヒトを追いかけながら、ユズルはこの作戦の失敗点を探る。
こうして冷静になって考えると、おかしな点はいくつかあった。
まず雨雲の到着時間をユリカから受けとった信号弾の煙から推測したのが間違いだった。
周りにもっと対象になる、言ってしまえば燃え盛る家々の生み出す煙を見ればもっと適切な判断ができたはずだ。
次は、もうないだろう。
そんな甘い世界ではないことを、ユズルは身をもって体感していた。
「このままだと、結界が再構築される前に村をぬけてしまう……」
自分の顔を伝うこの雨がいつの間にか熱い液体へ変わっていた。
それが涙だとは認めたくなかった。
「涙を流すのは、まだ早いだろうがっ!」
頬を叩き士気を高める。
と、体を一瞬電気が通る感じがした。
先程ユリカを助けた時と同じ感覚だ。
剣が光り出し、熱が篭もる。
「……はは、剣に背中を押されるなんてな」
自分に答えてくれた愛剣のためにも、自分の体を呈してここまで繋いでくれたユリカ、キリヒト、そしてこの襲撃で被害を受けたフォーラ村の住人のためにも。
ユズルは生まれて初めて、蒼空を翔けた。
「くっ」
(まずい……っ)
雨のせいで被害を被ったのはベルゼブブだけではなかった。
予定地を目印に前だけしか見てなかった故に上空から迫り来る雨雲に気づかなかった。
そのため今屋根が濡れ足元が安定しないでいる。
いつ滑り落ちてもおかしくない中、鞭を巧みに操り住宅街を走り抜けるベルゼブブを一人で止めることはほぼ不可能に近かった。
そう、一人では。
「この調子なら人間どもに捕まる心配はなさそうだな………ん?」
遠くから感じる殺気。
迫り来る大地。
衝撃も痛みも音も感じず、まるで世界の時が止まったかのような感覚が襲う。
「──ローレンス式抜刀術伍の型 聖蒼」
声が通り過ぎ、遅れて痛みが追いつく。
さほど深くない傷、立ち治すには十分な一撃だった。
「──え、」
確かに振るったその手には、しっかりと鞭が握られている。
先の存在しない鞭が。
「浅い一撃、失敗技だと油断しただろう」
「がはっ……!」
大地に伏せるベルゼブブは顔を上げユズルを睨みつける。
「き、貴様、その剣は──」
ベルゼブブの反応に眉を顰める。
先ほどからこの剣について疑問点が多すぎる。
「この剣について、どこまで知っている?」
徐々に距離を詰めながらベルゼブブに問う。
「……ざに……ない」
「ん?」
「貴様なんざに答える筋合いはないわ!」
「なっ……!」
体を前のめりにしたままこちらに詰め寄るベルゼブブ。
その手に握られている鞭が形を変えていき、やがて元の長さへと再生する。
「毒鞭尻尾」
「どこ狙って………っ、しまった!」
明らかに狙ってない一撃に気を取られすぎてベルゼブブの逃走を許してしまった。
鞭の攻撃を受けた地面はえぐれ、蒸気が発せられている。
「ユズル!」
「キリヒトかっ?!」
頭上からの声にユズルは顔を上げる。
屋根の上には蒼き炎に身をまとったキリヒトの姿があった。
「すまない、ベルゼブブの逃走を許した!キリヒトは引き続き上から追ってくれ!俺は──」
言葉の途中でキリヒトの動きが止まる。
キリヒトの向く方向を見ると、
「結界の再構築が始ま……った?」
村と外の境界線沿いに金色に光る直線が空へと一直線に延びていた。
その線がまるで円を描くように広がっていき、やがて薄い膜のように村中を覆っていく。
「っ、このチャンスを逃す訳には行かない!」
「あ、あぁ!そうだな!行くぞ!」
雨の中、愛する人を傷つけた大罪人の背中を追い、走り出す二人。
「っはぁ!」
地面に技を放ち加速する。
建物の壁を蹴り、奥歯を噛み締めながら前だけを見て疾走し続ける。
「見えた!」
キリヒトのその叫びにユズルが答えるかのように跳躍する。
そして、
「これが──」
大きく振りかぶる。
大罪人を仕留めるために振り下ろされた一撃は、
「彼女達の痛みだ!!!!」
空間を歪曲させるほどの怒りの一撃だった。