8.馬と鹿
王宮に滞在して1巡(6日)もしないうちに、第1王子と第3妃の協力を得るヒルデガルドを見て、相変わらず天然人たらしだ、とヤンは思う。
絶対に人に対して気を許さない彼女の兄が、唯一気を許し溺愛しているのがヒルデガルドである。ーー人の心を解す何かが、ヒルデガルドにはあるのだろう。
エルマやヤンに対する態度も、明るくて屈託のないものだ。彼女の傍は、とても居心地が良い。ーー主従関係としては、不適切な距離ではあるが。
ヤンは、ヒルデガルドのために命を尽くすつもりは無い。ヤンの命は、ヤンだけのものだ。だが、それ以外なら、この風変わりな姫のために働く所存である。
天然で快楽的で、楽観主義者で寛容なこの雇用主は、頭が良くても少し抜けているところがある。危なっかしくて見ていられないから、今日もヤンはヒルデガルドの傍で働くのであった。
◇
第1王子は調査結果を執務室で聞いた。
「現地では、確かに隣国と戦をしていました。指揮官は、メルゼブルク辺境伯ご嫡男様で、士気は高かったです」
「戦をして、どのくらいだ?」
「断片的に、1年。ただし、今の状況になったのは半年ほど前からです。稲刈りのため、1度休戦したのですが…」
「…稲刈りで、休戦?」
聞いたことが無い。いったい何のために戦っているのか。
「ええ。稲刈りによる休戦です。メルゼブルクではよくあることです。せっかく休戦ムードでしたが、半年前に何故か隣国の第4王子が指揮官になりまして」
「ああ…あの残念王子か…」
隣国は王妃との間に5人の男児をもうけたが、皆優秀だという話だ。ただし、第4王子だけは少し風変わりだとの噂がある。よく周りに「誠に残念ながら」と枕詞を付けられるため、「残念王子」と呼ばれていた。
「で、メルゼブルクの懐事情は?」
「良くないですね。徹底的な質素倹約に努めています。領主が率先して質素な生活ですから、領民も裕福な生活はしておりません」
「東とは真逆だな」
「はい。メルゼブルクはここ1年、やはり国からの援助が滞っているようです。援助なく戦を持たせているのは、辺境伯の手腕でしょう。それと…」
そこで1度区切り、腹心は面白そうに話し出す。
「メルゼブルクでは兵農分離がしっかりしていて、農民を兵士にさせることはないのですが、兵士と農民の結びつきが大変強いものでして…」
ぶふっと笑ってしまった腹心を、ユリウスは不思議そうに見つめる。ーー彼はいったい何を見たのか。非常に気になる。
ゴホンと咳払いし、腹心は改めて話し始める。
「…失礼しました。戦場では、兵士の炊き出しを農民が全て行っていました。炊き出しだけでなく、武器の手入れや補充、掃除に至るまで、とにかく農民が兵士のサポートをするのです」
「…仲良しだな」
「まさしく」
得たり!という表情で頷き、腹心はなお話す。
「領民皆が協力して、戦をしているのです。王子の言う、“仲良し”が一番しっくりくる関係ですね。ーー素晴らしい」
「そうか…」
腹心は、メルゼブルクでは領民が領主をとても尊敬していて、領主も領民をとても大切にしている、理想郷だと熱心に話す。また、メルゼブルク辺境伯の人柄もしきりと褒めていた。
最後に彼は調査結果を「メルゼブルクは白」と説明して下がった。
「そうすると、強奪ないし横領の犯人は誰だ…?」
こちらは、また別に調査を命じた腹心の報告を待たねばならない。
だが、これまでの調査結果を、ヒルデガルドに話すべきだろう。ーーそう思うと、ユリウスの心が浮き立つ。
「秘書官、今日の予定は?」
「はい。本日はウムラウフ侯爵令嬢の面会予約が入っております」
「またか…」
ユリウスは頭をガシガシかいてつぶやく。連日面会しているが、彼女は自分の話ばかりだ。ユリウスは相槌しか打てない。
秘書官から予約名簿をもらう。今日はウムラウフ侯爵令嬢のみだった。他のご令嬢は諦めたのだろうか。
順番にめくり確認していくと、最後の頁にたどり着く。ーー面会の初日だ。1番下は、棒線で消し込みされている。
『ヒルデガルド・フォン・アスカーニエン』
「ーーえ?」
ーーあのやぼったい女性が、初日に面会を申し入れていたのか…?
ユリウスの心臓が早鐘のように鳴り始める。
「こ、この消し込みは…?」
「はい。その日は予約が一杯になってしまったので、キャンセルさせて頂きました」
ユリウスは立ち上がり、秘書官の言葉を最後まで聞かずに執務室を飛び出した。
「ーーいない?!」
「はい~。お嬢様は第3妃のところに行ってます~」
急いでヒルデガルドの居室に来てみたら、侍女らしき女性に不在を告げられた。
ーーしかも、第3妃のところ…?
そこに何の用なのか。疑問に思いながらも、ユリウスはそれ以上問わず、すごすごと執務室に戻っていった。
お茶会では周囲の耳目があり、ゆっくり話せないから、という言い訳をして、ユリウスはたびたびヒルデガルドの元を訪れた。
しかし、毎回不在を告げられて戻るという日々。
ヒルデガルドの元に通い始めて5日目。ついにしびれを切らしたユリウスは、第3妃の居宅を訪ねることにした。
ーー第3妃とは、ほとんど話したことがないが…。
子どもがいないため、ユリウスとは接点がまるでなかった。夜会で時々見かけるが、線の細い方だ、という程度の認識でしかない。
ヒルデガルドと彼女の関係は何だろう。
……そして、何故第3妃の居宅はこんな奥深くにあるのだろう。
自分の父親の女の趣味を疑い始めるユリウスであった。
ようやく門扉にたどり着くと、庭先から楽しそうな声が聞こえる。
「ユーディト様!そちらは大丈夫ですか?」
久しぶりに聞くヒルデガルドの声に、ユリウスの胸が震える。
「大丈夫ですわ、ヒルダ」
「ヒルダ」か……仲が良さそうだな…。いいな…。
ーーていうか、何してるのか。
急いで門扉を抜け、庭に駆け込む。
「いっくよー、そぉれーっ!」
ヒルデガルドのかけ声に、畑からニョキニョキ芽吹く植物。それはあっという間に花を咲かせた。
「まあ!すごいわ、ヒルダ」
「えっへへ~。秘技・『農家の味方』です~」
きゃっきゃとはしゃぐ美女2人。目の前の光景に驚いて、身体が固まるユリウスだった。
「あら、ユリウス様」
「あ、本当だ」
「…こんにちは、妃殿下、メルゼブルク伯爵令嬢。こちらで、何を…?」
ちらりとユリウスが畑を見る。先程まではただ畝があるのみだった。それが、今では様々な苗が花を咲かせている。
ーーこれは、ヒルデガルドの魔法か…?
およそ使い方が変わっている。
「畑を作りました!」
「ヒルダは素晴らしい能力の持ち主ですわね!」
「えへへ。ありがとうございます」
褒められて照れるヒルデガルド。それを見たユリウスは、思わずうっと唸る。
ーーくそう、可愛いな…!
うっかりときめくユリウスだった。
「ではお二人とも。中へどうぞ」
「はーい」
「では、お言葉に甘えて失礼する」
第3妃の別宅は、広くなかった。しかも手入れも適当だ。ーーまあ、本宅は宮殿内にあるから、別宅はこれくらいで良いのかもしれない、とユリウスは無理やり結論づける。
「それで?ユリウス様は何の用でしたの?」
第3妃に直接問われ、ユリウスは動揺した。ここではどこまで話して良いものか。ヒルデガルドと2人きりになった方が良いのではないか…と頭の中が錯綜する。
「その、メルゼブルク伯爵令嬢に用事が」
「あっ、そうでしたか。そう言えば連日訪ねてくださった様で。わざわざありがとうございます」
「いや…」
「ふふ」
ここでバラすな!とユリウスが頰を赤く染める。それに、連日の訪問を知っていたなら、ヒルデガルドの方から私の元へ来てくれても良いだろう?!と恨めしい目でヒルデガルドを見つめた。
そんなユリウスを、生温かくユーディトが見つめる。
「それで?ユリウス様。メルゼブルクのことが分かりまして?」
「…メルゼブルク伯爵令嬢…」
「はい。ユーディト様には殿下と同じことをお話しました」
「そうか…」
ユリウスは、思わずガックリしてしまった。「2人の秘密」などと、甘酸っぱい想いでいたから、かなり残念である。
だが、気を取り直してユリウスは続ける。
「メルゼブルクは白。だが、中央も要請を受けて救援を出している」
「…でも、メルゼブルクにはここ1年ほど届いていないわ…」
「それについては、まだ調査中だ」
「そうでしたか…」
ヒルデガルドがポソリとしおらしくつぶやく。普段の明るさとは違い、今日は影がある姿が、ユリウスをキュンとさせた。
「殿下。調べてくださって、本当にありがとうございます」
「い、いや…。王子として当然のことをしたまでで…」
そっと触れたヒルデガルドの手が、思いのほか柔らかく暖かかったので、ユリウスはまたも動揺してしまった。
メルゼブルクでは、農民が最強です。農民が腐ったトマトを投げたり、肥だめの陥穽を作ったりして協力しています。ーー諍いの原因も、農民が作ってたりしてますけど。