魔術師長の恋と愛 2
私は彼女の頬に手を添えていた。
冷たくなっていく最愛の人。
『愛している』
ずっと言いたくて言えなかった言葉。不安定な心でゆっくりと愛を示してくれた君には、この言葉は重く性急過ぎると思っていた。
だが。
君は嬉しそうだった。
もっと早く言えば良かったのか?
『……口付けして下さいませんか? もう一度』
『口付けられる度に自分を肯定出来ます』
『唇が触れるだけなのに……不思議』
『もしかして、私。貴方に……』
『……ワイアット。…呼んでみたかっただけ』
『ふふっ。貴方の笑顔も素敵よ』
『あのね。今日はたくさん…して欲しいの……』
彼女も「好き」や「愛してる」とは言わなかった。だが、愛しさを感じさせる宝物の様な言葉を日毎にくれた。冗談の様に言いだした、あの会話も。
『もし、貴方が私の初恋の相手だったら…嬉しい?』
「ああ。とても嬉しい。君も私の初恋の人だ」
『……そう。もっと早く私達…ううん。何でもない』
「これからの方が長い」
『……そうね』
愛しい会話の中にも君の心の傷は見えていた。
長い未来と愛で君を癒したかった。
だが、これからなんてもう無い。
もう、二度と聞けない君の声。
君は、もう目を開けない。
「………………クリスティーナ。 クリスティーナ! クリスティーナ!!」
思い出の彼女と会話しながら、私は狂った様に冷たくなった愛しい人の名を叫んだ。
『…約束して…。来世…私を妻にして…』
……そうだ。
約束したのだ。
彼女が求めた。
私は叶えなければ。
彼女に誓った事も。
愛しい人の頬を撫で髪を撫でた。
彼女に口付けたかった。
だが、彼女はもう『口付けして』と求められない。
だから私は出来ない。
私は違う、陛下とは。
私はクリスティーナを愛している。だから先程、彼女が求めた口付けが最後だ。
それでいい。
「クリスティーナ。待っていてくれ。君の…いや。私達の息子を幸せにしてから君に会いに逝く」
クリスティーナ、君への想いは来世に持っていく。
私達の有り得ない恋は二人だけの秘密だ。
それがクリストファーの為にもなるだろう。
もう、私達三人の未来は無い。
ならば、クリストファーは正当な王子だ。
稀有な魔力もある。
彼に相応しい立場と場所を与える事。
それが私がこれからすべき事だ。
『駄目だったか。ワイアット、残念だったな。「聖女の祈り」は、お前なら発動出来るかと期待したが』
クリスティーナの死を陛下に告げると、陛下は彼女を悼むより「聖女の祈り」を持ち出した。
『もし…発動していたら、どうされましたか?』
『お前の望みを叶えただろう』
『クリスティーナ嬢とクリストファー殿下を望んでもですか?』
『クリストファー…そんな名前だったか。そうだな、その方が国の為になる』
『国の為? とは?』
『お前が伝説の魔法を発動すれば、各国がお前を欲しがるだろう。お前を留め置く為には国の予算を半分与えても良い程だ。だが、お前が望むのはあの二人なのだろう? 充分、国の為だ』
……安上がりだとでも言うのですか?
クリスティーナもクリストファーも私の命より価値があるのに。
怒りでクラリと眩暈がした。
それを、意地で耐えた。
『だが、私もお前も失敗したな。お前が「聖女の祈り」を発動したなら、メイドが姫を孕んでなくても私の行為には意味があったがな』
……やはりそうか。
私が「聖女の祈り」を発動し、クリスティーナが姫を身篭っていたら姫だけを引き取り二人を私に下賜する。それが陛下の描いた一番の成功だろう。
……だが、失敗した。失敗……。
陛下、貴方がした事はそんなに単純な事では無い!!
貴方の行為の意味は、最初から絶望しか無かった!!
私の失敗……それは彼女を守れなかった事。
貴方から運命から。
『クリストファーと言ったか? あんなに深い青の瞳とはな。母の元に送ってやるのが良いと思わんか? メイドは王妃と王子と王女に誠心誠意使えていたそうだ。自分の子が脅威となるのは望むまい』
情けを掛けたつもりですか?
……貴方の子でもあるクリストファーを殺すのが? 貴方が気にかけているのは、ルーカス王子だけでしょう?
『そうは思いません。陛下も先ほど仰ったではありませんか。伝説の魔法の価値を。聖女は王家の王女でした。クリストファー殿下のあの瞳。クリストファー王子は聖女の再来かもしれません』
『聖女の再来? なるほどな。可能性としてはあるが、だからこそルーカスの脅威になる危険の方が高いだろう』
国の宝に成り得るクリストファーより、ルーカス王子の安泰を重視するのですね。
『いえ。そうは思いません。脅威ではなく王家の更なる繁栄の為に、私が責任をもって第二王子として立場を弁えた教育をします』
『お前がか? 失敗したらどうする?』
『私の進退をかけましょう。ですから、陛下もお約束下さい。殿下の才能が開花するまで待って下さると。この国の為に』
『お前が失敗したら、お前が居なくなるのか? そんな危険を冒すならば今、不安要素を消した方が良いだろう』
『それが決定事項なら、ただいまから私は職を辞します』
陛下は私の価値を充分に知っている。
「聖女の祈り」が発動出来なくても、私がこの国一番の魔術師であり最高の魔法医師だ。
『……それは困るな。王妃はまだ体調が悪い日もある。子供達も病気をしやすい年頃だ。お前以上の魔法医師はいない。魔術師としてもな……仕方がない。アレをお前に託そう』
『お任せ下さい、陛下。きっとクリストファー殿下が王子として相応しいと報告が出来るでしょう』
『……なるほどな。まだ使い道はあるか…ふむ』
使い道……。
やはり、陛下はクリストファーを道具として見ているのだろう。どんな使い道を陛下は考えているのか。だが、私の進退もかけた。私に価値がある内はクリストファーは無事なはずだ。守ってみせる。クリストファーだけは。
貴方からも運命からも。
クリストファーにとって幸運だったのは、王妃と王女の存在だ。
聡明で優しい王妃はクリスティーナを憐れみ、クリストファーを守り育ててくれた。私はクリストファーを王子として認めさせようと奮闘し、王妃は逆に徹底的にクリストファーが王子である事を隠した。性別まで偽って。
私達は真逆の様だが、クリストファーと王家を守る為には王妃の判断が正しいと理解していた。
王妃は世間にはクリストファーの存在を極秘にしたが、実子である王子と王女にはクリストファーの存在を話していた。
それは、陛下がクリストファーを認めても認めなくても生きれる道を王妃は考えて下さっていたのだ。
それに、王女も幼いながらも賢く優しかった。
クリストファーの名前も性別も立場も全て理解し接してくれた。
二人の助けもあり、クリストファーはクリスという人生を生きられていた。
だからこそ、私はクリストファーを陛下に認めさせようと必死だった。
クリストファーは順調に才能を発揮した。
5歳の時には全ての属性の魔法も難なく使えるようになった。
ルーカス王子にもエレアノーラ王女にも魔術の才能はあった。
だが、二人が5歳の時とクリストファーでは比べ物にならない。
本当にクリストファーは聖女の再来かもしれない。
私はクリストファーの才能に震えた。
その度に私は陛下に進言した。
だが、陛下は『エレアノーラはどうだ?』と、一緒に学んでいる王女の事を聞くだけだった。クリストファーは、どんなに素晴らしい才能を発揮しても認められる所か無視されるだけ。そして、クリストファーは14歳になった。
クリスティーナに似ているクリストファーだったが、やはり少年の特徴が出始めていた。私が「聖女の祈り」さえ発動出来ていれば。クリストファーは男子として暮らしていけたのに。
クリスティーナの面影に懐かしくなる時もあるが、それ以上にクリストファーが不憫でならなかった。
王妃もクリストファーの処遇には悩んでいるようだった。誤魔化せる時間は短くなっていた。
そして、あの日がやって来た。
王女が不治の病にかかり、私にもどうにも出来ず死を待つだけになってしまった。
それをクリストファーが「聖女の祈り」で治したのだ。
魔力を放出して倒れたクリストファーを診ながら、私の心は歓喜に沸いていた。
私と同じ色の瞳を持つクリストファーは、自分自身の才能で運命を切り開いた。
この歴史的な快挙を陛下は認めざるを得ない。
この国一番の魔術師の私が発動出来なかった伝説の魔法、それで陛下の溺愛する王女を救ったのだから。
クリストファーが運命に勝った瞬間だった。
だが、歓喜も束の間。王女が消えてしまった。
そして、その代償にクリストファーは全ての権利を放棄した。私は必死で止めたがクリストファーの意思は固かった。
それならば、クリストファーを養子にすると言ったが認められなかった。
ルーカス王太子と次期宰相アルフはクリストファーを学園に閉じ込める決定をした。一代貴族で伯爵の身分と学園長の地位を将来的に与えるとされたが。本来なら聖女の再来として王子になれた。私の養子になれば次期魔術師長にもなれた。
そのクリストファーには余りにも不相応な身分だ。
この時、陛下がクリストファーをどんな使い道としていたか分かった。
陛下はクリストファーの才能を道具にしていたのだ。今まではルーカス王子の成長に役立ったのかもしれない。しかし、今回は別の作用を生み出した。誰も予想できない出来事が重なったせいで。
エレアノーラ王女が不治の病になった事。
それを「聖女の祈り」でクリストファーが治した事。
エレアノーラ王女は消え、王妃とクリストファーが王女を庇った事。
そして、ルーカス王子は聖女の再来とも言えるクリストファーの才能に怯えた事。
「聖女の祈り」は、運命に勝つ魔法だったはずだ。
それだけの価値が充分以上にあった。
なのに、勝ったのはそれを発動したクリストファーではない。
……エレアノーラ王女もルーカス王子も私は大切に思ってはいたが。
こんな皮肉な運命になってしまうとは。
間接的に陛下は、クリストファーの将来を潰した。その結果、陛下の愛する王女と王子は……。
王女は真実の愛を得て、王子は安泰と「聖女の魔法」を使える脅威にならない最強の駒を手に入れた。
負けたのか?
クリストファーは運命に…陛下に……。
「聖女の祈り」伝説の魔法を発動しながら……。
クリストファー。
運命の残酷さに打ちのめされた私は彼を見た。
だが、クリストファーは穏やかに優しく微笑んでいた。
そして、3人だけになった時に王妃を見て言った。
『王妃様。これでいいのです。私は最初から王子になる事は望んでいません。むしろ、これからは男性として学園に通え身分も地位も得る事が出来る。自分にとっては夢の様な幸運です。それに姉上も真実は知りません。大丈夫です、姉上はきっと幸せになります』
穢れの無い笑顔でクリストファーは言ったのだ。
……王妃は結果的に娘である王女を選んだ。
だが、王妃も王女もクリストファーにとって恩義のある二人だ。
クリストファーが、こんなに素晴らしい笑顔が出来るのも王妃と王女のおかげだろう。
慈悲深い王妃は、泣き出しそうな顔をした。
……王妃は陛下に裏切られていた。
陛下にはそのつもりは無かっただろう。
表面上、陛下と王妃は昔のままだった。
だが、聡明で優しい王妃は陛下のした事の重さを本人より良く理解されていた。
何の落ち度もない王妃。むしろ被害者だ。
それなのに、誰よりも王の罪を償おうとしていた。
陛下の裏切りの証であるクリストファーを優しく思いやりがある人間に育ててくれた王妃と王女。
…… 独身の私が赤子のクリストファーを引き取ったとして同じ様に育てられたとは思わない。
王妃は誰にも責められるべきではない。
王女も、もちろん王子もだ。
だからこそ、苦しかった。
クリストファーは本当に「聖女の再来」だったのに。
陛下は、その事を一生知り得ない。
だが、それによって溺愛するエレアノーラ王女の真実も永遠に分からないのだ。
皮肉にもルーカス王子の安泰と引き換えに。
陛下は子供達三人の運命を知る日が来るだろうか?
運命はこの日、新たに動き出していた。
「聖女の祈り」
やはりこれは、多くの人の運命を動かす魔法だった。
陛下が潰したように見えたクリストファーの将来。
困難な道ばかりを与えられたクリストファー。
しかし、この時。
運命に見放されたのはクリストファーでは無かった。
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