王太后の追憶 2
今回もおじい様はクズでおばあ様は苦悩しています
ご注意くださいませ
『クリスティーナ、クリスティーナしっかりして…』
クリスティーナの産んだ子を抱きながら私は懸命に呼んだ。
お願い、目を覚まして……クリスティーナ。
乳母がいないのだ。この子まで死んでしまう。
『王妃様…』
『良かった、気が付いたのね…』
『私が産んだ獣を殺してください…』
あの子は忌々しげに言った。
いつも笑っていたあの子が……。
ああ、もっと早く私が気づいていれば……涙が溢れた。
『お願い、生きて!!クリスティーナ、お願いよ…。貴女が産んだのは獣なんかじゃない。クリスティーナに良く似た、可愛い男の子よ…』
私がそう言うと扉が開く。
陛下だった。
私の腕の中の赤子を一瞥し陛下は冷たく言った。
『…男か。お前に良く似た王女が生まれると思ったが外れたな』
そして、それ以上は何も言わずに出て行った。労る言葉すらないなんて。
どうして……どうしてこんな事が出来るのですか……?
『第一子は私の望み通り王子だった。次も私の望み通りになるなら、お前に良く似た姫が産まれてくるはずだ』
陛下の言葉を思い出す。
陛下は本当にクリスティーナが産む子は女の子だと思ったのだろうか……。私が産んだ二人がそうだったから。
温かで幸せな思い出が一瞬で真っ黒に染まっていく。
____半年後、クリスティーナはクリストファーを残して天国に旅立った。
クリスティーナは……あの子は昔のあの子に戻りかけていた。
なのに、陛下はクリスティーナを無残に犯した。
次の子を産ませる為に。
やっと、食事を取るようになったあの子。
クリスに笑顔を向けるようになったあの子。
あの子を死なせたのは陛下だ。
あの子が必死で灯していた「か細い命の火」は、陛下が与えた絶望で完全に消されたのだ。
『なんだ、やはり弱っていたのか』
クリスティーナが亡くなる前に言った陛下の言葉。
そして。
『エレアノーラは宰相の息子と結婚することが決まっている。お前はもう出産には耐えられまい。だが、この国には、もう一人くらい王女がいてもいい。クリスティーナに似ていたら使えるだろう。それに、身寄りが無いならお前が産んだことに出来る』
陛下の残酷なこの言葉をクリスティーナはどんな思いで聞いたのだろう。
『王妃…申し訳ありません…あの子をクリストファーを生かしてください…』
あの子の最後の願い。
クリスティーナは表向きには辞めた事になっていた。
身内がいないあの子はひっそりと内密に埋葬された。
その余りにも哀れで悲しい埋葬。
私はクリストファーを必ず守ってみせる、そう誓った。
元々、女の子なら私の子供とするつもりだったのだ、クリストファーもそうすればいいと陛下に言った。
だが、陛下の返事は残酷だった。
『私がメイド似の王女が欲しかったのは外交のカードにする為だ。他国に嫁ぐとは人質や殺される可能性がある。愛しい娘には出来ない。エレアノーラの婚約者を宰相の息子にしたのは婚姻後も守れるからだ。外交のカードは美しく思い入れが無い王女が適任だったが、メイド似の王子ならば国に必要ない。ルーカスの立場が脅かされるだけだ。早目に消した方がいいのだが、ワイアットが進退をかけて止めるからな。無害なうちは生かしておく』
なんて……なんて理由なの。
『陛下……私だって他国の王女だったのですよ?』
私の声は怒りで震えた。
『お前と私は違うだろう。私達は相思相愛だった、今もな。それはとても稀で幸運な事なのだ。頻繁に起こる事では無い』
私の頬を撫でながら陛下が言う。
笑うべきか怒るべきか泣くべきか……私の感情は混乱していた。
確かに私は陛下を誰よりも愛していた。陛下も私を誰よりも愛してくれていた。
でも、あの子にあんな仕打ちをした今、陛下の非道で冷酷な思いを知った今、それでも私達は本当に相思相愛のままだと陛下は思っているのだろうか。
『私なりに、ルーカスやエレアノーラを守る盾を作ろうとしたのだが。失敗だったな。もう、お前以外の女に子を産ませるなど考えない。男が産まれれば面倒なだけだ。やはり、私の子はルーカスとエレアノーラだけだ』
そう言って、陛下は優しく私を抱きしめた。
私が喜ぶと思っているのだろうか? 子供達を守る盾を作ろうとしたからと?
その為にクリスティーナは……!!
そして盾になり損ねたクリスは捨て置くつもりの貴方に?
陛下。貴方のその行動が何を作り何を壊したか、お分かりでは無いのですか?
……ああ、本当に陛下は全く気付いていないのだ。
この時、陛下への思いを私は封じた。
怒りも憎しみも悲しみも愛も。絶望と共に全て。
クリスティーナとクリストファーの事は極秘だ。
だからこそ、王妃である私が陛下に対し態度を変える訳にはいかない。
そうしなければ、クリストファーもルーカスもエレアノーラも守れない。
王族が揺らげば何よりこの国も守れない。
私は自分を殺し、陛下を心から愛していた時と同じ態度で陛下に接するしかない。
クリスティーナを地獄に追いやった陛下は、今度は私を地獄に落としたのだ。
誰もクリスティーナを救えなかったように、私も誰にも救われないだろう。
だが、私には協力者がいた。
ワイアット・ルクレールとエレアノーラ。
二人は本当にクリストファーを愛してくれた。
クリスを守る為、女の子の格好をさせ、敬語以外の言葉を禁じた。
でも、二人はちゃんとクリスを男の子として扱ってくれた。
誰にも気づかれないように慎重に。
エレアノーラには『クリストファーはクリスよ。貴女の弟だけど侍女として接しなさい。そうしないとクリスは消えてしまうわ』と、幼い日から言い聞かせていた。
エレアノーラも『クリスティーナの様に消えてしまうの?』と、言って幼いながらも理解してくれた。
もちろん成長するにしたがって、クリストファーの存在に疑問を持った。私やワイアットから経緯を説明した。あえて本当の事を言った。
エレアノーラは理由を知って増々クリスを弟として大切にしてくれた。
……兄であるルーカスの分も。
ワイアットは一貫して『クリストファー殿下は魔術の才能が私以上にあります。どうか、王子として認め相応しい立場をお与えください』そう陛下に進言していた。
だが、陛下が頷く事は無かった。
むしろ、クリスの才能を存在をルーカスを焚き付ける為の道具にしただけだった。
ワイアットは歴代の魔術師よりも秀でていて王室の魔法医師でもあった。
だから、発言権は宰相よりもあっただろう。
陛下もそれは理解していて、自分が望まぬ意見を何度も提言するワイアットに何の処分もしなかった。
ただ、何を言われてもクリストファーの存在と同じように徹底的に無視していた。
陛下の中でクリストファーはいない者であり、クリストファーに関する意見も無い物なのだ。
その様な陛下の態度とクリストファーの未来。私は悩んでいた。
魔術の才能も、頭脳も素晴らしいクリストファー。
賢いクリスは自分の立場が分かっても凛としていた。
それが私には痛々しく見えた。
クリスティーナにそっくりなクリスだが、いつか女性だと誤魔化せなくなる日が来る。一番いいのは全てを知っているワイアットの養子にする事だが。
そんな時、あの夏の日が来た。
エレアノーラが不治の病にかかり、クリスが「聖女の祈り」で、助けてくれた日。
エレアノーラが最愛の人の元に行ってしまった、あの日だ。
私は知っていた。あの子がいつからか夏が来ることを指折り数えている事を。
クリスと一緒に誰かに会いに行っている事も。
行く前は嬉しそうにソワソワしていて、帰ってくると切ない顔と幸せそうな顔を交互にしている事も。
エレアノーラは誰かに恋をして愛を育んでいる。
だから言ってしまった。
『あの子は死んだものと思ってくれないだろうか…』
当然、エレアノーラの婚約者のアルフと王太子であるルーカスは渋った。
その時、クリスが言った。
『私は「聖女の祈り」を発動した偉勲で第二王子と認めるという名誉を返上致します。その代わり姉上の我儘と居場所を明かさない事をお許しください』と。
すぐさま止めたのはワイアットだった。当然だろう。この魔法は伝説の「聖女の魔法」であり、発動しただけでも歴史に名を残す世界的な出来事。しかも、それで王女を救ったクリストファーは歴史上最高の大功績を成したとワイアットが皆に説明したのだから。
なのに私は何も言えなかった。
そして、ルーカスは陛下の言葉を思い出していたのだろう『クリストファーはルーカスから全てを奪う』という呪いの言葉を。
アルフもその事は知っていた。
だからアルフは頷いた。ルーカスにとって宰相家にとって脅威となる存在になったクリスを排除する為に。
アルフは未来の宰相としてエレアノーラよりルーカスを選んだのだ。
アルフは元々、王家と王太子であるルーカスにとても忠実で、その為ならどんなことでもしてしまう忠義心とそれが出来る有能さがあった。
だからこそ、陛下もルーカスもエレアノーラの婚約者としてアルフが相応しいと思っていた。
だが、私は違った。
エレアノーラは政略結婚でも愛し合う夫婦になりたいと思っていた。
だから、エレアノーラは彼に微笑み彼に常に歩み寄っていた。
でも、彼がエレアノーラに微笑むことは無かった。
婚約者として誠実な態度で紳士的ではあった。だが、彼はこの結婚の意味だけを大事にしていた。その中身を大切にしようという思いは全く感じられなかった。
エレアノーラも『彼は私と結婚するのは宰相家の義務だと思っているわ。だから、私に微笑み返す必要も愛し合う必要も無いと思っている。それを私にも無言で強いるの。愛という不確かな物より義務の方がより強い絆になると思っているのよ。私……そんな彼が……とても怖い……』と、言っていた。
エレアノーラが思った通りだろう。
彼はエレアノーラが病に倒れた時、無意識に宰相家の心配をしていた。そして、エレアノーラが助かった時、宰相家の為に喜んでいた。気づいたのは私だけだろう。私が女であり陛下の愛を受けていたから。
アルフと結婚すればエレアノーラは、今の私と同じように夫と心が通わない苦しみを味わうだろう。しかも、私と違いエレアノーラは彼に愛されていない。
結婚という冷たい檻にエレアノーラは一生閉じ込められる。
だからと言って私がした事は許されはしない。
当然だ。
クリストファーを守ると誓ったのだから。
私は娘を連れ戻すべきなのだ。
だが、私は愚かにも娘の幸せを願い与えたいと思った。
ワイアットはクリスを止め、クリスの意思が固いと分かるとクリスを養子にすると提案した。私もずっと思っていた事だった。だが、無茶な願いを言った私に発言権は無かった。
ルーカスとアルフは「聖女の魔法」を発動したクリスが絶対に台頭するようなことが無いように学園に閉じ込める決定をした。
エレアノーラはアルフにとって王家と宰相家を繋ぐ楔。でも、エレアノーラの我儘を受け入れ、クリスという驚異の芽を完全に摘むことで宰相家は楔以上の強い絆を手に入れたのだ。
クリスは穏やかな笑顔でそれを受け入れ、王子である事を永遠に放棄した。
____まさか、クリスティーナが埋葬される時の誓いを破る日が来るなんて。しかも、こんなにも最悪な形で。
さらに私は、陛下の元を離れる理由まで手に入れてしまった。エレアノーラを溺愛する陛下には、この件は極秘にする必要がある。
ワイアットがエレアノーラの病は免疫が無い人間は側に寄れないと言ってくれた。
母である私には免疫があるが陛下にはないと。基本的に免疫がある母親が主に娘の看病をするのが最善で、王である陛下は尊い御身の為に面会は出来ないと。
これで私はエレアノーラの看病という名目で離宮に住む権利を手に入れた。
クリスティーナの事があって以来、ずっと仮面をかぶって陛下に接していた。陛下に愛されている時も。
昔は幸せだった愛の行為が拷問に変わっても受け入れるしかなかった。
その地獄のような日々から私は逃げ出せるのだ。
クリスティーナは誰にも救って貰えなかった。なのに私は救われてしまった。守れなかったクリストファーに、あの子の息子に全てを捨てさせて……。
意図していた訳ではない。だけれど、結果的に私とエレアノーラはクリスを犠牲にして幸せを平穏を手に入れようとしている。
そんな醜い私にクリスは言った。
『王妃様。これでいいのです。私は最初から王子になる事は望んでいません。むしろ、これからは男性として学園に通え身分も地位も得る事が出来る。自分にとっては夢の様な幸運です。それに姉上も真実は知りません。大丈夫です、姉上はきっと幸せになります』
そう言って笑うクリスに、私はクリスティーナの笑顔を見た。クリスもあの子と同じようにエレアノーラを愛し守ってくれた。
なのに、私は。クリスもクリスティーナも守る事が出来なかった。それどころか奪った、クリスの全てを。
ああ、私も陛下と一緒になってしまった。
いや、それ以上に汚れて醜くなってしまったのかもしれない。
クリスは娘の命を救った大恩人で「聖女の魔法」を発動した。あのワイアットを超える才能を見せたのに。それでも私は娘を選んだのだから。
それに陛下はこれでエレアノーラに会えない。そして、私にも会い辛くなる。
それは陛下への最大の復讐であるように思えた。
クリストファーに何の益もない身勝手な私の黒い思い。
クリスは全てを失って、私とエレアノーラは一番欲しかったモノを手に入れた。
陛下とエレアノーラは理由は全く違うが、自分の罪に気付いていないだろう。
だが、私はハッキリと理解している。
陛下は私を地獄に落としたが、私は自ら人として落ちてしまった。
叫びたかった。思い切り泣きたかった。
だけど、もう私には泣く権利などないのだ。
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ちなみに『一目惚れの方はご遠慮…』に出てくる陛下はおじい様のキャラを少し引き継いでいます




