揺れ動く心
セシルと話をした数日後、おれたちはクエストに来ていた。今日はAランクのクエストで、ダイヤモンドゴーレムの討伐である。このダイヤモンドゴーレム、魔法無効な上に途轍もなく硬いからAランク扱いであるが、ゼラスの爪やおれの斬れ味付与で斬れないほどではなく、なんて事はない魔物だった。そのクエストから帰ってきた後、おれたちはいつも通り食事をとりながら話をしていると、どうやらアリスが酔っ払ってきたようだ。
「そうそう、ちょっと聞いてよ!今度デートに行こうって誘われたよ。こういう時って、何を着て行くべきなのかしら?」
エールを煽りながら頬に紅が指しているアリスは浮かれており、おれは浮かれるアリスになぜかイライラしていたがゼラスは優しい。
「それはよかったですね、アリスさんだったら何を着てもよく似合うと思いますが、やっぱりドレスが良いんじゃないですか?あんまり動きにくいのは良くないと思いますが、普段と雰囲気変わってよりアリスさんが魅力的に見えると思いますよ?」
おれは盛り上がる2人を冷やかすように冗談交じりに言う。
「まぁでも、アリスがドレスを着てウロウロして、破いたり汚したりするのは目に見えてるけどね。」
おれの冷やかしにアリスは少し頭にきたらしい。
「わ、私だってドレスくらいちゃんと着れるわよ!バカにしないで欲しいわ!」
おれは突っかかって来るアリスに火に油を注ぐ。
「さぁどうだかね。普段から見るととてもそうは見えないけど。まぁおれにはどちらにしても関係ない話だけどね。」
こうなるとお互いもう後には引けない。
「関係ないならいちいち口を出さないでくれる!?あぁ、良いわね、あんたは。お姉ちゃんと上手いことやってるみたいで。幸せな人たちは私のことなんてほっといてくれる?」
どんどんヒートアップしていくおれたちを見てゼラスが思わず止めに入る。
「まぁまぁ2人とも、そんな言い方しなくても良いじゃないですか。」
しばらくおれたちは黙って睨み合うが、その状態に痺れを切らしたアリスはゴソゴソとカバンから紙幣を出すと、バン!と机に叩きつけその場を立ち上がる。
「今日は帰るわ。」
そう言ってクルリと踵を返すアリスの顔はどこか悲しそうな顔をしていたが、それに気がついていたのはゼラスだけだった。
アリスが扉を開け出て行くと、おれとゼラスの間に沈黙が訪れる。
「なんか、その、ごめん、ゼラス。」
「謝るなら、アリスさんに謝ったほうが良いんじゃないですか?」
ゼラスはおれを叱るでもなく、諭すように言う。だが、おれは何をどうやって謝ったら良いか気持ちの整理がつかないでいた。そもそも、おれが茶化したのも悪かったかもしれないが、アリスもあそこまで怒らなくても良いではないか。本当だったら、今すぐ走って追いかけ、謝るべきだと頭ではわかっているのだが、なんでそこまで、と思う自分が体をその場に硬直させていた。そんな思いの中、なんとかおれは声を絞り出す。
「あぁ、今度会った時に。」
ゼラスは何かを言おうかどうか悩んでいる様子だったが、緩くなったエールと一緒にその言葉も飲み込まれてしまったようだ。
「そうですね、まぁ、今日は帰りましょうか。」
こうして、アリスが出て行った後程なくしておれたちも店を後にした。
おれは家に帰り寝る準備を整えると、ココが腿の上に乗っかる。最近、なんだか大きくなってきてる気がするのは気のせいだろうか。
「はぁー、なんだかなぁ。」
おれのため息に、仕方がないから聞いてやると言わんばかりに大欠伸をするココ。
「なんかあったにゃ?」
おれはいつもココに魔素を流すときに、こうやって愚痴や悩みを聞いてもらっていた。今日あった出来事を説明すると、やはりココにはつまらない話だったらしい。
「良いにゃ、青春してるにゃ。好きにしたら良いにゃ。」
ココは後脚で耳の後ろを掻くとあぐらをかいた足のくぼみに丸まる。
「ったく、ココは呑気でいいよなぁ。」
「一言だけ言っとくにゃ。自分の今の気持ちをよく考えると良いにゃ。」
まさか猫に自分の気持ちを考えろなんて言われる日が来るとは思いもしていなかった。おれはココを足の上に乗せたまま上半身を倒し寝転びながら考える。
「気持ち、気持ちねぇ。」
おれはなんだかモヤモヤしたまま、その日は結局そのまま眠りについてしまった。こんな体勢で寝てしまったから、起きたときに足が痺れていたのは言うまでもない。
◇◇
その翌日、おれはアリスに会うと気まずいからあまり気乗りしなかったが家にいても猫と戯れるだけのため、城の見回りに今日も来ていた。この辺りは流石元サラリーマン、なかなか休みに休めないという性分が転移しても残っている。そして、アリスにあっても気まずいが、セシルに会っても、もしアリスにおれが言ったことを言われていたら、と思うと、セシルに会うこともなんだか気まずいと感じていた。しかし、そう思うことがよくなかったらしい。やはりセシルにでくわす。
おれはセシルに気がつき来た道を引き戻そうとするが残念ながら見つかってしまう。普段だったら喜ぶところだが、今日はちょっと事情が違う。
「あら、ショウくん、今日も見回りですの?お仕事に精が出ますわね。」
あんまり変に意識してもよくないし、とりあえずのらりくらりと躱そう。
「ありがとうございます。セシルさんはどこかに行かれる途中ですか?」
どう見てもそうは見えないが、やっぱりそうではないらしい。
「いえ、きっと今日もショウくんが見回りに来るだろうとアリスがいうから、お待ちしていたのですわ。」
セシルはアリスに何かを言われて待たせることになったのだろうか。思い当たるとしたら、昨日の出来事がそうさせているのだろうが、流石に良い歳した妹と喧嘩したおれに文句を言うためだけにわざわざ待っている必要もないだろう。おれはこれから待ち受ける事態に身構える。
「そ、そうなんですね。そ、それでぼくに用ですか?」
おれはセシルの方をちらりと見ると、セシルは思いつめたように黙るが、何かを決心したようにおれの方を向く。
「実は私、婚約が決まったの。」
「え?」
おれとセシルの間に春の風が吹き抜ける。てっきりアリスのことで何か言われるだけだと思っていたため、完全に不意を突かれた形となり、おれは動揺を隠せないでいた。
「突然こんな話をごめんなさいね。でも、これまで色んな話を聞いてくれたショウくんには自分の口からちゃんと伝えたくて。」
しかし、ようやくセシルの言葉がちゃんとおれの頭に入っていき、情報として咀嚼される。
「そ、そっか、そうですか!良かったじゃないですか!」
あれ?思ったほど落ち込んでない?おれは驚きこそしたもののあまり落ち込んでない自分に改めて驚く。そして、その様子を見たセシルも少し驚いていたが納得したように大きな息を吐く。
「もしかしたら、ひどく落ち込ませてしまうかもしれないと思いましたが、わたくしの自意識過剰だったみたいですわね。」
「い、いや、そりゃあもちろん驚きましたし、正直ショックです。だって、やっぱりぼくはセシルさんのことが好きでしたから。」
おれは自分の言葉に思わず赤面するがそれを見たセシルは口に手を当てて笑いを堪える。
「ありがとう。その言葉、嬉しいですわ。でも、わたくし、思いますの。ショウくんは、わたくしのお相手をしてくれていましたが、きっとそこに特別な感情はなかったのですわ。」
おれはセシルのその発言に胸に手を当てて考えてみる。セシルと初めて会った時からドキドキしてしょうがなかったし揺れる後ろ髪におれの心も揺らされていたあの気持ちは特別な感情ではないというのだろうか?一方で、確かにセシルの婚約の話を聞いて、なんでおれではないのか、ということや嫉妬の気持ちはなく、純粋に幸せになってほしいという気持ちの方が強い。
「そう、なんですかね?今のぼくにはちょっとよくわからないです。」
「きっとそうだと思いますわ。今すぐにはわからないかもしれないけど、きっとすぐに気がつくはずですわ。」
確かに、今はセシルのことやアリスのことがごっちゃになっておれの気持ちがぐちゃぐちゃだ。一度ゆっくり整理したい。
「そうですね、ちょっと気持ちの整理をしないとですね。でも、何にしてもセシルさん、おめでとうございます。そして、今までありがとうございました。」
「はい、こちらこそ、本当にありがとうございました。」
そう言ったセシルの目には涙がうっすらと浮かぶ。慌ててセシルはその細く白い指先で目元を拭う。
「あ、あれ?おかしいですわね。何でわたくしが。す、すみません。」
おれはあっけらかんとしてるのがなんだか申し訳なくなってくる。これではまるでおれが泣かしてしまったかのようだ。
「泣きたいのはどちらかというとショウくんのはずですのにね。何してるんだか。でも、大丈夫です、すみません。」
そう言ってセシルは涙を拭うと、こちらを見て笑いかける。
「大丈夫ですか?でも、幸せになって下さいね!」
おれはセシルに呼びかけると、セシルは頷く。
「えぇ、ありがとうございます。あ、それと、別に会えないわけではありませんからね。流石にこれまでのように、とはいかないと思いますが、定期的に城には戻ってくるのでこうして見回りに来ていただけたらお会いする機会もあると思います。」
やっぱりどこかに嫁いでいくのだろうか。少し心の奥底が痛むができるだけそれが表に出ないように振る舞う。
「はい、是非その時はまた色々お話させてください。」
「こちらこそ。あ、あと、アリスとも仲良くやってくださいね。」
おれはセシルの婚約のあまりの衝撃にアリスのことを少し忘れていたが、そういえばそうだった。
「アリスさんは最近騎士団の方と仲良くしてるそうだから、それこそぼくは何もできませんよ。」
それを聞いたセシルは少し驚いた顔をするが、すぐに笑い出す。
「ふふふ、まぁ2人のことにわたくしがとやかく言うのも野暮なので深くは言いませんが、昨日はアリス、泣いてましたよ?それだけショウくんとの喧嘩がアリスにとって大きなもの、ということだけ言っておきましょう。」
な、泣いてた?あの気の強いアリスのことだけに、おれにはちょっと意外だった。やっぱりちゃんと謝らないといけないのかもしれないな。
「そうなんですね。ご存知かもしれませんが実はアリスとちょっと喧嘩したんですよね。ぼく、ちょっと言い過ぎてしまったかなって思ってます。」
「そうなのね、じゃあ、謝りに行ってあげるとアリス、喜ぶわ。どうせ謝りに行くなら、お花でも買って行ってあげると良いかもしれないわね。」
おれは突然のセシルの提案に顔を上げる。
「は、花ですか!?そんな、一度もあげたことないですよ?」
「だからこそじゃない。もしよかったら今から買いに行きませんか?アリスも今日は一日部屋に居るはずです。早速今日謝りに行きましょう。」
な、なんだ?さっきまで涙を流していたのに急な変わりようだ。やはり女性の心は難しい。でも、ごちゃごちゃ考えると行けなくなりそうだから、この勢いで言ってしまっても良いかもしれない、とおれは考える。
「わかりました、じゃあ、ご一緒頂いても良いですか?」
こうして、振られたセシルとなぜかおれはアリスの花を買いに行くことになった。
恋愛感情や自分の気持ちには鈍感なショウですが、この先アリスとショウはどうなってしまうのでしょうか?
そして、セシルの涙の意味は一体?