異変
タリスはラキカが裏ギルドに出入りをしていることを掴み、それからしばらくラキカの周囲を洗っていると、裏ギルドの人間と思われる強面のスキンヘッドの男とラキカが話をしているのを見かけるようになった。そして、このスキンヘッドの男を調べてみると、冒険者ギルドにも登録があり、名をカイルというらしい。冒険者ギルドのギルドランクはA級で、かなりの腕前であることがわかる。
「流石お師匠様が頼るだけのことはある。実力も申し分無さそうだな。」
タリスは何とも言えない複雑な感情を胸に大きなため息を吐くと、その白い息は冬の寒空の中へ消え去っていった。
◇◇
その頃、マーナの体に異変が起き始める。
「私、何でこんなところにいるの?」
ある満月の夜の夜明け、マーナは気がつくとアーガンス城の裏にある森の中にいた。手は血まみれになり、靴も履かずに全身泥だらけだった。ふと、口の周りに何か付いている感じがしたので、ハンカチを取り出し口元を拭うと、ハンカチにはベットリと血糊がついていた。
マーナは驚くが、不思議と恐怖がなく、この状況に歓喜している自分の気持ちに気がつく。
「なんだか、気分が高まる。力が湧いて来る。なんだってできる気がする。あぁ、もっと肉が、お肉が食べたい。全てを壊してしまいたい。」
しかし、その気持ちを受け入れてはいけないと言う気持ちが自分の中にもあった。
「な、何を言っているの、私。と、とにかく、今は早くお城に帰りましょう。」
マーナは城に戻ると、お風呂に入り、体を洗いながら自分の身に起きたことを思い出そうとする。
「いつの間に私はあの森にいったのだろう。それにあの血、おそらく、動物の血だわ。私が動物を殺したとでも言うの?」
その柔らかい手のひらを泡でいっぱいにして、全身を確かめるように撫でるが、特に体に変わりはないようだった。しかし、ふと鏡に映った自分の顔を見ると、今まで見たことのないような、欲望にまみれた笑みを浮かべていた。
「さっきはあんなに気分が良かっただろ?その欲望に身を任せて仕舞えばいい。」
マーナは自分の口から突然出た言葉に驚く。そして、その目に宿った赤色の魔性の光を見た瞬間、アイナの部屋で魔法の光を浴びたことがマーナの頭の中にフラッシュバックする。
「あ、あの時の!?」
しかし、閉じられていた記憶を無理に呼び起こした影響でその場でマーナは意識を失ってしまった。
◇◇
あまりにも長い間マーナがお風呂に入っていたため、心配した従者によってお風呂場で倒れているマーナは見つけられた。
「ごめんなさい、ちょっとのぼせちゃったみたいで。」
マーナは従者に必死に取り繕おうとするが、言葉とは裏腹、逆上せたはずなのに顔は真っ青だった。
「マーナ様、少しお休みされてはどうですか?王様も心配されております。」
マーナは確かに王宮内の様々な儀礼、パーティなど、多忙を極めていた。その場では、凛とした姫としての品格を保つため、常に身なり、言葉遣いには気を使い、元々のマーナのお転婆な性格は初めて会う人からは見る影もないだろう。
「そうね、少し、休ませて頂こうかしら。」
マーナはそう言うと、自分の部屋に戻り、ベッドに横になると、知らない間に眠りに落ちてしまっていた。
◇◇
それから数日、マーナはもう1人の自分に悩まされていたが、それもしばらくするとなくなった。声が聞こえている間は誰かに相談をすべきか悩んでいたが、落ち着いたから問題ないだろう、と自己判断で結局この件を誰かに言うことはなかった。
「マーナ様、だいぶお元気になられたようですね。」
お風呂場でマーナを見つけた従者が、マーナの顔色を見て話しかける。
「えぇ、お陰様でね。あの時は助かったわ。」
従者は礼を受けて深々と頭を下げる。しかし、次の言葉がマーナに不安を煽った。
「キッカ様も、大層ご心配されていた様子でしたよ?私がマーナ様を浴室で見つけたという話を聞いた時に、事細かに状況を聞かれましたから。」
「そ、そうなの。姉思いの弟で嬉しいわ。」
マーナは塞がれていた記憶の断片から、この魔法がキッカによるものだと言うことを思い出し、嫌な汗が背中に流れるのを感じる。そして、その場を適当にあしらい、自分の部屋に戻った。
「そう、キッカがやったのよ。思い出したわ。そうであれば、このまま終わるわけがない。誰かに相談しないと。」
本当は、マーナはタリスに声をかけたかったが、タリスの評判は王宮内に届くほど立派に活躍をしていて、そんな状況でタリスに助けを求めるのは申し訳ないと思ってしまっていた。そして、自分がどんどん魔物に近づいていっている、なんてことをタリスには知られて欲しくなかった、と言うのもある。
「相談相手は、まずは、オルバね。」
オルバとは、普段マーナの護衛を担当している騎士団員で、口も硬く、マーナに忠義を尽くしてくれていたため、マーナも信頼していた。本来、マーナが外交に行く際に護衛に着く人間はドラムではなく、このオルバだった。
すぐに従者を通じてオルバの予定を確認すると、この日の夕方に時間が取れる、とのことだった。
そしてその日の夕方、城の応接にオルバは招かれる。肩に当たるくらいの黒い長髪を頭の後ろで結び、王宮内にはオルバのファンがいるくらい、容姿端麗だった。
「マーナ様からお声がけ頂けるなんて、光栄です。」
片膝をつき、礼をするオルバにマーナは椅子を進める。
「今日の話は、王室からの話ではなく、個人的な悩みとして聞いて欲しいの。」
マーナの思いがけない一言にオルバは驚くが、頷き話を聞き始める。そしてマーナは、どこかの誰かに呪いをかけられ、自我が無くなる可能性があり、万が一、自我が無くなった状態で誰かを殺すようなことがあったら、マーナを止めて欲しい、とオルバに頼んだ。一通り話を聞き終わると、オルバはテーブルの上に手を組み、マーナの方へ身を乗り出す。
「マーナ様、その話、どこまでの方がご存知でしょうか?」
「あなたと、私に呪いをかけた人以外は知らないと思うわ。」
「呪いをかけた人に心当たりは?」
マーナは首を横に振る。もちろん、マーナはキッカだと知っていたが、王位継承権の争いが絡んでいることがわかると、流石のオルバも手を貸してくれない可能性があるため、伏せていた。
「そうですか、わかりました。それでは、マーナ様の望みの時に、何よりも最優先して近くにいることを約束しましょう。」
こうして、オルバはマーナと一緒にいることとなった。そしてこのマーナとオルバの急接近は、本来の中身とは全く違った形で王宮内、騎士団内どちらにも噂が広がることになる。
「最近、マーナ様がオルバ様と急接近しているらしいわよ。」
「何でも、マーナ様がオルバ様を呼び出したとか。」
「昔っからオルバはマーナ様が好きだっていってたからな。よかったなぁ。」
そしてその噂は当然彼の耳にも入る。
「ったく、人が心配してやってるのに、お気楽なことだなぁ、全く。」
そう、タリスだ。タリスは不貞腐れながら仕事帰りの夜に足元に転がっている石ころを蹴り飛ばすと、その石ころは壁に当たってタリスの脛に当たる。
「いってぇ。ちくしょう、石ころにまで馬鹿にされて。」
タリスはこの日何度目かの深いため息を夜空に解き放つと、白い靄は消えていった。
マーナの身に訪れる異変と、その異変によってかわる環境に一喜一憂する周辺。真実を知るマーナと護衛を頼まれたオルバ、そしてモヤモヤするタリスに謎めいた行動を取るラキカ。タリスはマーナの気持ちにちゃんと気がついてあげることができるのでしょうか?