落ちるりんご
ワーグナーとの戦いに向けて準備をすることになったおれたちはディーナを先頭に先程までいた場所から少し歩き出す。すると、どこまでも続いているかのように見えたお花畑は何か膜のようなものを通り過ぎたと思った時点で消えてなくなり、最初にいた真っ黒な世界に戻っていた。
さらにそこからしばらく歩くと、ディーナが今度はパンっと手を叩く。
「よし、これでそう簡単にはここの中から外に影響がでなくなったはずだ。」
おれは試しに火魔法を来た方向とは反対方向に放つと、随分飛んでいった先で何かにぶつかって炎の球が消失した。
「もうなんでもありだな。」
おれの驚きなのか呆れなのか自分でもよくわからない言葉にコウは首を縦に振り激しく同意している。
「まぁそう驚くな、お主たちもすぐにできるようになるはずじゃ。改めて説明するが、今回ティナも含めて覚えてもらいたいのは魔素の回復方法と時を操る魔法の習得じゃ。あ、ショウはその前に一つステップがあるがの。」
改めて説明するディーナにティナは驚く。
「え!?私もなの!?おネエの教え方は半分死ぬから嫌なの!」
ティナはコウの後ろに隠れるがすぐさまディーナがティナの首根っこを掴んで宙にぶら下げてティナのことをドスの効いた目で睨みつける。
「ほぅ、なら先に死ぬか?」
ティナの顔から血の気が引いていくのがわかる。すぐさまティナは首をフルフルと振り、拒絶の意を示す。
「いえ、ちゃんということを聞くなの。」
「分かればいいのじゃ。じゃあ早速始めるのじゃ。」
何でここまで明確な力関係があるのにディーナはティナに封印されていたのだろうか。今度機会があれば聞いてみよう。それはさておか、おれはディーナのレクチャーが始める前にディーナに一つだけ確認したかった。
「おれたち、結構ここにいる気がするんだけどこの間にワーグナーが世界を滅ぼしてる、なんてことはないよね?」
すると、どうやらそんなことはないらしい。
「あぁ、その心配は無用じゃ。何せこの空間の中は外の世界からみたら時間が止まっとるようなもんじゃからな。いくらこちら側で時間が進もうが向こうの世界では全く時が動いておらんのじゃ。」
なるほどな、んじゃあまりここで長い時間居すぎると自分ばっかり歳をとって、いつのまにか両親より老けてしまう、なんてことがあるんだな。そう考えると、よく相対性理論で取り扱われる浦島効果の逆バージョンみたいなものか、となんだか腑に落ちる。そしておれはあることを思いつき、コウの方を向き尋ねる。
「いろいろ話を聞いてて思ったけど、ディーナがこれまでやってきてることから考えて時を操る魔法ってつまりは。」
どうやらコウも同じ発想に至っていたようで頷く。
「あぁ、重力操作のイメージってことだな。」
転移前の世界では何事も光の速度を超えることができない、という絶対則が存在しており、それに起因して、高重力環境下や、光速に近い速度で動く環境はそうでないところに比べて時間が早く進む。この絶対則がこの世界でも通用するらしい。
つまり、相対的に相手の時間を早くしたい場合は自分たちが光速に近い速度で動くか、自分たちの重力場を強くすればよく、遅くしたい場合はその逆、ということである。実際にこれまでディーナが使っていた魔法は、基本は速度ではなく重力場を変えているのだろうが、その場合、どうやって重力の変化を使用者に感じさせずに使っていたのか疑問が残る。この世界に物理法則を理解しようという心がけがないことから、きっとディーナが相対性理論を理解して時間魔法を使っているわけではないのだろう。そんなことを考えていたところディーナがおれとコウのやりとりに疑問を浮かべる。
「重力操作?なんじゃ、それは。そもそも、重力ってなんじゃ?」
ほら、やっぱり。
おれとコウは思わず顔を見合わせると笑ってしまった。
「重力って、りんごを地面に落とす力って感じかな。まぁ気にしないで。はじめよっか。」
おれの答えにわかったようなわからないような顔をしていたが、ディーナにとってそんなことはどうでもいいらしく、おれの話に少し感化されたのか、虚空からりんごを3つ取り出す。
「そうじゃな、それでは始めるとしよう。」
おれたちはディーナからりんごを1個ずつ受け取ると、ディーナはそれを手から落とすように指示される。ま、まさか。
ぽとり。
全員のりんごが地面に転がる。
「この手から落ちたりんごを落ちないようにするのじゃ。ほれ、こうやって。」
ディーナが再び虚空から取り出したりんごを落とすと、何事もないように空中で静止していた。
全員がその状況に困惑する。
「な、なんなの?何が起こってるなの!?」
どうやらティナも初めて見たらしい。
「何がって、このりんごの周りの時をとめたんじゃ。止まれ!って思えば止まるもんじゃよ。ワシとかティナの力を継いでいる者限定の話じゃがな。あ、ちなみに、魔素でこの力には抗うことができるから、例えばワーグナーをこれでずっと抑え込むとかは無理じゃ。」
そうか、この世界ではイメージが具現化するのであり、具現化させる資質があれば思ったもの勝ちである。しかし、これがなかなか難しい。自分の掌から落とされたりんごが空中で止まるなんて、どうやったらイメージできようか。反射的に床に転がるりんごが思い浮かび、そしてその通りになってしまう。
「まぁティナとコウは先にしばらくそれで試してみるのじゃ。ショウ、お主はちょっとこっちにこい。」
そういって少し二人とは離れたところにくると、ディーナはおれに火魔法を使うように指示する。おれはいわれるがまま、明後日の方向に向かって火魔法を放つ。
「これがなんだっていうの?」
「お主、魔法を使うときにワシとのパスは意識しておるか?」
おれは何のことだかさっぱりわからない、といった顔をしていると、ディーナは呆れた顔をしている。
「まぁよい、やってみた方が早いじゃろ。」
そう言うとディーナはおれの手を掴む。お、おれにロリの趣味はないぞ、なんて思ったら握った手を粉々にされおれは悶絶したが、すぐにディーナが治してくれた。もうディーナのことを冗談でも悪く思うのはやめることを心に誓う。
「ほれ、もう一度同じ魔法を使ってみるといい。」
一連のことを無視してさらりとディーナに言われ、再び火魔法を使うと、ディーナの力がおれの体に流れ込み、そしておれの左手の古傷が青白く光ながら火魔法が放出される。先ほどと大きく異なるのはその威力。最初の火球はおれの体ほどの大きさだったが、今回のはその二倍以上の大きさがあり、おれはあまりの変化に驚く。
「何これ!?どうなってるの?」
「お主の魔法はワシの力を全く使えていないのじゃ。だから、今は直接的なパスでワシの力を貸した。このパスの繋がりは、慣れればどこで魔法を使おうがワシとの繋がりさえ意識できれば、同じようにワシの力を使えるのじゃ。さぁ、もう一度やってみるといい。一度きっかけさえあれば、同じように出来るはずじゃ。」
おれは改めて火魔法を構えるが、今度は先程感じたように、ディーナの魔素と繋がっているイメージだ。すると、ディーナと手をつないだ時と同様、おれの左手の傷が光ながら、ゴウゴウと轟音をたてて火球が飛び出す。
「そうそう、それでいいのじゃ、これでワシのことをバカにすることは出来んくなったじゃろ?」
そういってどこか得意げなディーナはなんだかかわいらしかった。
そして、おれはコウたちの元に戻ると再度りんごを落とし始める。しかし、当然いきなりうまくいくわけがなく、コウたちも成功していない様子だった。
◇◇
おれが合流してから果たして、どのくらいりんごを落とし続けただろうか。いつのまにか全員その場に座り込み、黙々とりんごを落としては拾い、落としては拾いを繰り返していた。
「だぁー!なんなんだ、これ!簡単そうにやるけどめっちゃ難しい!」
おれは発狂しながら頭を掻きむしると、ディーナが座り込んでいるおれの向かい側に座る。
「ちょっとだけ手伝ってやるのじゃ。ワシが落とすりんごに一緒に魔法をかけるのじゃ。」
おれはすぐさま意図を理解し、りんごを持っていない反対の手でディーナの落とすりんごに向かって手をかざす。
「ほれ、いくぞ。」
言葉と同時にりんごがディーナの手から転げ落ち、そして先程ディーナがやったのと同じようにりんごは空中でピタリと静止する。
「簡単じゃろ?」
そう言って、ディーナは何度も何度もりんごを落としては止め、落としては止め、を繰り返す。
「一緒にやってると本当に簡単そうに見えるんだけどなぁ。」
おれがポツリと呟くとディーナが何やらニヤニヤ笑っている。
「人が悩んでるのを見て喜ばないでくれるかな?」
おれは同じようにりんごをなんとか空中で止めようと努力しながらニヤつくディーナに文句を言うが、やっぱりディーナは笑っている。
「あぁ、すまん、あまりにもお主が鈍感すぎてな。ワシが魔法を使ったのは最初の数回だけじゃ。後は全部お主の魔法で止まっておったんじゃよ?」
おれが本当かどうか疑う間もなく、ディーナは立ち上がり再びりんごを落とすと、ディーナはくるりと明後日の方を向いてしまうがおれが止まれと思ったタイミングで確かにりんごは止まっていた。
「う、嘘だろ?凄い!やったぞ!」
おれが思わず一人で歓喜に湧いていると、聞き耳を立てていたティナが怒り出す。
「なんでそいつばっかり!ずるいなの!私にも教えるなの!」
ティナの言葉にディーナは笑っておれに言う。
「その喜びをティナも感じさせてやるのじゃ。教えてやってくれ。ワシはコウの相手をしよう。」
ディーナの言葉におれは頷き、ディーナに教えてもらったのと同じようにティナに教えると、少し時間はかかったが、最終的には同じようにできるようになっていた。一方コウは、おれなんかよりもずっと飲み込みが早いようで、ディーナから投げられたりんごや、終いには自分に向けられた魔法なんかも止めていた。こんなにいろんな使い方ができるんだからもっと使えばいいのに、と思ったらそうは行かない理由があった。
「あれ?ま、魔素が。」
おれはティナに教え終わり、立ち上がろうとすると、魔素切れによる目眩を感じる。そう、実は時間魔法は魔素の消費が非常に激しいらしい。
ふらつくおれをみながらディーナが近寄ってくる。
「そう、この魔法は魔素の消費が多いのじゃ。だからこそ、回復の手段が必要、というわけじゃな。」
ディーナは目を閉じ、手を体の横に少しだけ広げ深呼吸をするとその体が紫色に光りだし、ディーナに向かって集まりだす。おれはグリズリーに殺されかけたときのことを朧気ながら思い出す。
この後、ディーナからこの方法もみっちり叩き込まれ、おれたちは周囲の魔素を体に取り込む方法をなんとか体得することができた。そして、地獄はここからだった。さっきのりんごを落として時を止める訓練から派生した、コウがやっていたような魔法を止める訓練を魔素がなくなるまで行い、魔素が無くなったら魔素を回復させる、というのを永遠と繰り返す。そう、永遠とだ。眠くなったらディーナが眠気を魔法で無理矢理飛ばし、ただひたすらこの2つを繰り返し続ける。おそらく、ディーナの教え方はただひたすら反復練習を課すのだろう。ティナが震え上がるのもわかった気がしたが、おかげで、この魔素の回復と時間魔法をスムーズに使えるまで習得することができた。
まさか落ちるリンゴを魔法で止める日がくるなんて、ショウは夢にも思っていなかったでしょう。
そしてこの話し中ででてきたなぜディーナが封印されたのか、という点はディーナがティナのことを信じた結果、封印されたというだけで無理矢理封印したわけではありません。本当は作品中でこのあたりの過去の話ももう少し書こうか迷いましたが、とりあえずやめておきました。