開かれたワームホール
「よし、やってみるか!」
そう言ったのは群青色の作業着に身を包んだおれ、峰ショウタ。
隣で操作用のパネルを前に同じ作業着をきた桜庭コウが頷く。
今2人がいるのは海抜マイナス50メートルの地下にある実験室。そこには、500平米ほどの広さが広がっており、事務所、実験室、休憩室などが併設されているが、今2人がいるのはその中でも一部屋が最も広い実験室で、目の前には大層な装置がかまえていた。
その装置は、超加速衝突装置と呼ばれており、部屋の左右から伸びた大きな管が中央の金属ケースに接続されている。この左右に伸びる管は、建屋の外に数キロに渡って伸ばされており、所謂加速装置と呼ばれる代物である。
この装置は、色々な実験ができるが、今おれたち2人が取り組んでいるのは簡単に言えば光速衝突実験である。左右にある加速装置から、それぞれ光の速度に近い速度で物質を送り込み、中央の金属ケース内でぶつけることで、原子レベル物質を衝突させるのだか、こうすることで衝突した物質同士が融合する。2人が目的としているのはここからで、質量を持ったもの同士が、圧縮され、ある一定以下の大きさになることで、自分の重力に負けて重力崩壊を起こし、最後には爆発して「あるもの」が残る。ブラックホールである。
ブラックホールは、産業上、軍事上で様々な用途があり、例えば遠心力を利用した加速装置や、廃棄物処理など、無限の可能性を秘めていた。この中でもおれたち2人が取り組んでいたのはワームホールを使った移動手段の検討だった。
技術的にはまだまだ実現可能は遠いが、ワームホール同士を同じ次元内で接続することができれば、そこを通って移動することが可能となり、移動の概念が大きく変わる。
その入り口とすべく、まずはブラックホールの形成を行なっていた。
これまでも、おれたちは実験の中でブラックホールの形成には成功していたが、今回はさらに目的に近づけるため、これまでの条件から、新たに「回転」という要素を追加した。
ブラックホールは、その中心部に特異点とよばれる、物理法則が通用しない点が存在する。しかしながら、全ての物質はこの点では存在できないため、ワームホールの入り口としてはもちろん使えない。それを解決するのがこの「回転」の要素である。
ブラックホールに回転を加えることで角運動量を持つことになり、それに伴いこれまでは特異「点」だったところが特異「環」となり、この環でできた面を別次元への入り口とするのである。
所謂、カーブラックホールというやつだ。
これまで、おれたちは加速器から射出された物質を真正面から衝突させていたが、今回は回転させるため、僅かにずらして衝突させようとしていた。こうすることで、衝突した衝撃で自ずと回転するのである。
超大電力を使用するため今は電力消費が少ない真夜中。
「さーて、これが終わったらパーっといこうか!」
おれはポケットに手を突っ込みながら、成功することを疑ってないかのような満面の笑みで重力計測器のモニターを眺めて言った。
「まったく、相変わらず能天気だな。このテストにどれだけ金がかかってるのか、わかってるのかよ。」
おれの楽天的な発言に、呆れながらもコウは出力設定の最終確認を行う。
おれたちは正反対な性格ながらも、コウはおれの楽天的で行動的なところ、おれはコウの慎重で抜けがないところを良さとして認めており、周りからも良いコンビとして認められていた。
おれたちの付き合いは3年ほど前から始まったこのプロジェクトからだったが、それでも2人がお互いを理解するには十分な期間だった。
「よし、設定OK、エネルギー充填率も問題なし。いつでもいけるぜ、大将。」
コウが珍しく冗談を言うと、おれはどっかの宇宙戦艦のキャプテンにでもなったつもりで乗っかった。
「よし、んじゃいくぞ、発射!」
コウは口元でほくそ笑み、「射出」と書かれたボタンに被せられたプラスチックのカバーを開き、ボタンを押し込んだ。
ヴィーンと音が鳴り始め、装置から30秒前、とカウントダウンが始まる。
徐々に音が大きく、高くなっていきカウントダウンは残り5秒を告げていた。
おれは先ほどまでの薄ら笑いをやめ、コウと一緒に瞬きもせず計器を睨みつけていた。
2人の緊張は他所に、装置の無機質な声は刻々と時間を読み上げ、そして時はきた。
3、2、1、発射
加速器が接続された金属ケースに設けられた小窓から、白色の光が漏れる。
そして、その直後、光は収束し、2人が薄っすら目を開けてみると、計器は重力を観測していた。
「よし、せいこ、、いや、ちょっと待て」
おれは言いかけた成功を祝う言葉を瞬時に言い換えた。
次の瞬間、計測器が測定限界を示すOL「オーバーロード」を表示し、建物全体で異常発生を告げるブザー音が鳴り響いていた。
「いや、嘘だろ、こいつはまずい。」
コウも状況を理解し、青ざめる。
本来、金属ケースは半重力発生装置で保護されており、ブラックホールが発生しても安定するだけの装置となっているはずが、装置自体が軋み始めていて、飲み込まれるのは時間の問題だった。
「さぁどうしたもんかね。」
おれが雰囲気があまり重くならないように出した言葉は、本人の意図にそぐわない形で重いトーンとなり、この状況の危うさを物語っていた。
「こいつ自体を壊すためには、さらに大きなエネルギーをぶつけて重力場をかき消すしかないけど。」
コウは呟くがおれはその言葉に続ける。
「まぁそんなことしたらおれらもタダではすまないわな。」
コウはコクリと頷く。
幸い、この研究所には最終安全装置としてそれができるだけのエネルギーとして水素爆弾が準備されていた。
ここでできたブラックホールをそのままにしておいたら国はおろか、地球が消滅してしまう。そのため、組織として人命を賭して最低でも「何もなかったこと」にする必要がある。
「まぁ、最終手段はそれしかないけど、なんとかならないかね?」
おれは顎に手を当てながら出来るだけ冷静に考えていた。
装置のけたたましい警報音が鳴り響く中、2人は少しの間黙りこくり、必死に現状打開策を考えていた。しばらくするとコウが半ば諦めたように呟く。
「この研修所自体は消滅するし、かなり博打だが、、あれしかないか。」
おれはその言葉を聞いてニヤリと笑う。
「まぁ、そうなるわな。」
やり取りの間でこれまではなんとか押さえ込まれていたブラックホールも、少しずつ大きくなってきていて既に装置はブラックホール自体に飲み込まれて始めている。ブラックホール自体の重量が増えることで少しずつ大きくなっていくのだが、今は2人の背丈ほどの大きさの黒い塊となっていた。
「これだけの大きさがあれば特異環も人が通れるだけの幅があるはずだ。」
コウの言葉におれは頷き続ける。
「どこにでるかわからないけど、ここで犬死にするよりはずっとマシか。なにせ上手くいけばワームホールの人類初体験者だ。」
「そうと決まれば行くしかないな、もう時間がない。」
ブラックホールは金属ケースの外枠に差しかかろうとしており、部屋全体がガタガタと震えていた。
おれは操作盤のすぐ脇にある「緊急停止」のボタンを押すと、装置のパネルは消灯するが、当然状況は変わるわけもない。
そして、緊急停止を押すと、さらにそのボタンの奥から、「施設放棄」のボタンが出てきた。
この施設放棄のボタン、これが超小型水素爆弾の発射ボタンだ。
緊急停止ボタンは赤色のボタンであるが、この施設放棄のボタンはその場に似合わないエメラルドグリーンのド派手なボタンだった。
初めてみる施設放棄のボタンの色に、おれは設計者のセンスを笑いながらも、チラリとコウを見る。
コウはおれと目が合うと
「だめだ、もう時間がない!押してくれ!」
と悲鳴に近い声で叫んでいた。
おれはその声を聞き、誤操作防止のガラスを突き破りボタンを押すと
本施設は5秒後に放棄されます。
と人を食ったような無機質なアナウンスが流れると同時にカウントダウンが開始された。
その頃、ブラックホールはほぼ完全に装置を飲み込んでおり、2人の前にその黒々とした全体を曝け出していた。
「よし、行こう!」
おれのその声に合わせて、コウは頷き、その黒々した物体に駆け出し、飛び込むとその数秒後、眩い光がその空間を充填し、全てのものを消滅させた。
飛び込んだ2人はグルグルと回転しながら何かに引き寄せられながら落ちて行く。
一緒に飲み込まれた装置や器具の破片が飛び散っておりおれの左手の甲を、コウは額から血を流していた。
おれは飛び込んだ後ゆっくりと周りを見渡す。
ああ、これが走馬灯というやつか、なんてことを思いながら、これまでの轟音とは無縁の無音の世界にいた。
自分の正面はゆっくりと進んでいるのに、ふと後ろを振り向くと物凄い勢いで物が遠ざかっていっていた。
そして、ブラックホールの中心方向をみると吸い込まれたはずの色んな物が円環状に引っかかっていた。これが特異環か、なんて思いながらおれは眺めていた。
特異環上では光すら重力の脱出速度から抜け出せないため、外から見るとそこで物が止まっているように見える。もちろん、実際には重力で完全に潰れてしまっているのだが。
その特異環の内側には眩い虹色の光が輝いていた。おれ達が目指すのはまさにここで、なんとか円環に触れないよう、バランスを取りながら、中心の光を目指した。
こうして、コンマ何秒未満のごく短い時間の重力場遊泳をおれたちは経験した後、ワームホールの入り口に辿り着き、2人はそれぞれ、光の中に姿を消していった。
実験の事故でワームホールに飲み込まれていってしまった2人。
そして、次の話から始まるのはショウタがワームホールを通った後のお話です。題名の通りチートも何もないところからのスタートになりますが少しずつ山場や伏線も用意させていただいております。末永く、お付き合い頂ければ嬉しいです。