ジャスティス・アネスキー
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町の人々の悲鳴と怒号が渦巻いた。いつもならこの時刻にあふれているはずの日常の喧騒ではない。町中がパニックに陥っていた。
人々は我先に逃れようと懸命であり、それが更なる狂乱を巻き起こし、家族でさえ手を繋いでいるのも困難だった。はぐれてしまった子を捜す母の声が、母を捜す子の泣き声が、人波の怒涛の中に呑み込まれ、かき消されていく。
だが、手を差し伸べる余裕のある者はない。皆、自分の命を、自分の家族を、恋人を守るので精一杯だった。どよめきに、助けを求める声が、あぶくのように消散される。
しかし、誰が彼らを責められよう。今、彼らは命の危機にさらされているのだから。津波や噴火のような人智を超えた災害が、今まさに彼らに襲いかかろうとしていた。
半透明のおぞましい緑色に輝く波が、生きとし生けるものを消化しながら、町を呑みこんで行く。
置き去りにされた鶏達が、鶏舎ごと取り込まれ、一瞬で骨だけの姿を見せ、すぐに解け崩れた。
「グリーン・ショゴス」
それがこの災厄の名だ。
この粘性生命体は小山ほどの体積をもち、あらゆる生物を体内にとらえ、消化しながら、徘徊する。
通ったあとには強酸で焼け爛れた大地が残るだけだ
普段は半冬眠状態で鍾乳洞の奥深くなどに潜んでいるのだが、いったん活動期に入ると獲物を求め、津波のような速度で大地を這い進む。馬の全速でようやく逃げ切れるほどの速さだ。人間の駆け足など、奴にとっては赤子の這い這いに等しい。
活動期に入るきっかけは不明だが、ただひとつ確かなのは、一度動き出すと人間数百人に及ぶほどの命を吸収するまで止まることはないということだ。
物理攻撃は無効、炎に対しても強い耐性をもつグリーン・ショゴス。 騎士団殺しの異名をもつこの怪物が辺境に発生した場合、そこの住人達はまず間違いなく中央から見殺しにされる。討伐隊を派遣した場合に払う犠牲が甚大だからだ。貴重な武装した自軍をむざむざグリーン・ショゴスの餌にするため派遣したくはない。餌なら他にいっぱいあるではないか。どうせグリーン・ショゴスは腹がいっぱいにさえなれば、活動を停止するのだから。そう中央は判断するのだ。
訓練し武装した戦力数百人も、住人の数百人もこの怪物にとっては同じこと。ならば、住人を人身御供として差し出すのが一番被害が少なくてすむ。明言はしないが、それが国の方針だ。町の人々もそれをよく知っている。残酷な現実を直視しないと、この荒廃した世界では生きていけない。子供とて知っている真理だ。だから彼らは国の軍隊の助けにすがろうとはしなかった。
形式的に救援が来るのは、町が喰い散らかされ、満足したグリーン・ショゴスがねぐらに引き揚げたあとだ。助けは来ない。倒すことも防ぐことも出来ない。逃げるしか選択肢はない。
そして弱い者から脱落し、次々に飲み込まれて消えていく。
グリーン・ショゴスが満腹するまで続く死の追いかけっこだ。群れの弱いものから淘汰され、その脱落者が餌食になっているうちに、群れのほかの者は逃げおおせる。この荒野では、人にも弱肉強食のことわりが適用される。そんなデスゲームのなか、身寄りのないひ弱な幼い姉妹が最初に脱落したのは当然と言えた。
突き飛ばされて転がった妹を助けようと、人波に必死に逆らって駆け戻った姉。
「 おねえちゃん !! 」
わっと泣きながら走り寄ってきた妹を ほっとして抱きしめたのもつかの間、姉の表情が恐怖に凍りつく。
左右の屋根をこえて雪崩落ちてくる緑色のうごめく壁を目撃したのだ。
おそろしい速さで迫ってくるグリーンショゴスの仮足だ。囲まれた。鳥でもないと、もう逃げ場などない。自分達が死地に落ちたことを姉は悟った。迫る緑の壁の向こうにのぞいている青空が痛いほど目にしみた。
「 ・・・おねえちゃん あれ なに ? 」
まだ小さすぎる妹は自分の置かれた状況がわかっていない。きょとんと緑の悪夢を見上げている。今までだって急かされるままわけがわからず逃げ惑っていただけなのだ。
あわれだった。姉は、自分はどうなってもいいから、せめて妹だけは助けてほしいと、神に祈りかけ、そしてすぐに諦めた。そんな奇跡が起きるはずはない。ならば、最後は祈るために手を組み合わせるのではなく、妹をかき抱くためにこの両手を使おう。
死を悟りながら、姉は妹をなるべく怖がらせないようけなげにも笑顔を浮かべ、妹を優しく抱きしめた。自分の震えを必死に抑え込む。
「 だいじょうぶ こわくないよ おねえちゃんがずっと一緒だから・・・ 」
彼女自身もまだ十にも満たないのに、本当は泣き叫びたいほど怖いのに、涙ひとつ見せず、姉として最後まで振舞おうとした。彼女の心は賞賛されるべきものだった。
「 おねえちゃんがきっと守るから・・・ 」
そう掠れた声でささやいて、努力して笑顔まで浮かべたのだ。
〝ごめんね、嘘ついてごめんね、助けてあげられなくてごめん。 あの世で出会えたら、いっぱいいっぱい謝るから許してね〟と妹に心の中でわび続けながら、けなげに微笑み続けた。
彼女は誰も恨まなかった。ただ、せめて苦痛なく一瞬で私達を殺してください、と姉はそれだけを願った。そして目を閉じ、その瞬間を待った。
・・・・・だが、その瞬間はいつまでたっても訪れなかった。
おそるおそる姉は目を開けた。
その目にうつったのは、自分たちを消化するはずのグリーン・ショゴスではなかった。自分たちを頭からのみこむはずだった、おぞましい緑の壁は、屋根をこえたところで凍りつくように停止していた。
「 ・・・・・おまえの、〝あね〟としての覚悟が、俺をここに呼び寄せた。死を前にしても妹を守ろうとしたその勇気、恐怖に揺るがぬ姉としての誇り、しかと見届けさせてもらった。幼いながらも、そのあね道、見事のひとこと 」
思いもかけぬ賞賛の声がかけられた。姉は呆然と見上げる頭上で、風に布がたなびく音がした。
見たこともない黒い布地の金ボタンをあしらった服をマントのように肩にかけ、一人の男が姉妹を守るように立っていた。軍服 ? 姉は一瞬そう思った。それが日本の詰襟の学生服であることを彼女が知るはずはなかった。
座り込んだ彼女の目には、その服は漆黒の旗のように見えた。さほど大きくないはずのその服が、まるで軍の巨大旗のように頼もしく見えた。
服の主はまだ若かった。幼いこの姉妹よりは年上だが、少年と呼べる風貌だった。なのに、身にまとう雰囲気は、まるで伝説の王のように頼もしかった。この地方では珍しい黒目黒髪が不敵に嗤う。
「 これからもあね道に精進するがいい。そして誇れ。おまえの姉としての覚悟はじつに美しかった。・・・・さて、〝あねちから〟も補充出来たし、その美にふさわしくない不粋な輩には、早々にご退場願おうか 」
散歩にでも行くような気軽さで、彼は一歩前に進み出た。街をのみこむグリーンショゴスを子犬程度の脅威にしか思っていないかのようだ。その歩む先から光が迸る。
眩しい。逆光で後姿もよく見えない。これは太陽の光 ?
でもこの方角に太陽があるはずないのに。
目を細めて確かめようとした姉は、少年そのものが光源と気付き、愕然とした。
そしてもっと驚くべきことに、食欲になにより忠実なはずのグリーン・ショゴスが怯えたように蠢動し、後退する動きを見せていた。
「 ・・・俺の強さぐらいはわかるか。スライムもどき。だが、逃がさんよ。なぜなら、おまえは〝あね〟を傷つけようとしたからだ 」
少年の輝きがより強くなる。幼い姉はもう目を開けていられなかった。
光芒がすべてを染め上げていく中、少年の宣告が朗々と響き渡る。
「 ジャッジメントタイムだ ! あね法第三条、身を呈し弱きものをかばおうとした姉を殺そうとしたその罪、断じて許すまじ ! ・・・・・判決 おまえは死刑 ! 」
光がさらに暴力的に高まった。
ただならぬ気配に生存本能を刺激され、悲鳴のような耳触りなきしみをたて、グリーン・ショゴスが逃走を試みる。だが、それより遥かに早く、少年の手から白く輝く光球が放たれ、グリーン・ショゴスに突き刺さっていた。
「 正義執行ッ !! シャイニング ! おねえ ! サンッ !! 」
緑色の巨大な粘体が白く輝きふくれあがり、瞬時に沸騰した。狂ったようにのたうつグリーン・ショゴス。町全体を白く染め上げるほどの光の爆発が連続し、その度にショゴスの巨体が痙攣する。
不意に弾力を失ったグリーン・ショゴスがぐにゃりと力を失い垂れ下がった。
炎耐性をもつグリーン・ショゴスに、相性を無視し、致命的なダメージを与えるほどの高熱だった。中央政府最強の魔法省部隊総がかりでも、なし遂げられるかどうかわからない離れ技だ。
それをたった一人で行うなど、どんな高位魔術師でも到底不可能な神技だった。
「 ・・・あなたは神様なんですか・・・? 」
なにが起きたかは、姉の理解の範疇外だ。
だが、突然闖入して死を覚悟していた自分を救いだし、絶対強者のはずのグリーン・ショゴスをあっさり絶命させたこの少年を、幼い姉がそう思ったのも無理はなかった。
どういう態度をどるべきか決めかね、姉は落ち着きなく、お尻をもぞもぞさせていた。
「 あー 違うから。あれただの姉属性好きの大馬鹿。あんなあほな技名叫ぶ神様いないって。まあ笑っちゃうほど強いのだけは事実だけどね 」
耳元で心底あきれはてているというふうの声がし、幼い姉は飛び上がりそうになった。
人形のように小さな美少女がふわふわと空を飛んでいた。
動くたびに光の粉がきらきら舞う。
それは御伽噺で聞いたままのあの姿・・・・・・
「 妖精・・・さま ? 」
「 お 私が見えるとは見込みあるね ! 心が曇ってるとあたしは見えないのさ。 あたし、リン ! よろしくね。だいたいなによ。シャイニング・おねえ・サンって ! シャイニング・サンでいいじゃない ! おねえは余計だよー 」
一気に高い声で早口でまくし立てる妖精リン。
少年の目がきらりと光る。
「 違うぞ、リンよ。シャイニング・サンが余計だ。重要なのはおねえのほうだ 」
「 あほかー ! このあね好き中毒者が ・・・って 、そんなこと言い争ってる場合じゃなかった ! ちょっと、正義 ! そのままじゃ、グリーン・ショゴスの残骸で町こわれちゃうって 」
妖精リンが慌てるとおり、グリーンショゴスの沸騰する死骸が、その重圧で町の建物を押し潰しつつあった。めきめきと屋根が潰れ、建物の壁にひびが走り抜ける。
「 なんだ。もう死んじまったのか。心配すんな。まだ〝あねちから〟は残っている。浮揚 」
少年が広げた両手を突き出し、わずかに上に動かすと、グリーンショゴスの死骸がぶわっと宙に浮き上がった。力を失った仮足が、ずるずると路地という路地から引き抜かれ、本体とともに空にのぼっていく。まるで頑強に張り巡らされた雑草の根が引き抜かれるようだった。この少年の乱入がなければ、姉妹の命運はどこ逃げ込んでも尽きていたのは間違いなかった。
上空のグリーン・ショゴスの大きすぎる遺骸で、町が巨大な影に覆われる。
まるで黒雲が頭上をよぎったようにあたりが暗くなる。あまりのことに幼い姉妹は身を寄せ合い、ぽかんとその光景を見上げているしかなかった。
しかし、ほんとうに凄まじいことはその後におきた。ジジジと虫の羽音のような音がしだした。
「 へええ~、大技二連発分。ほんとにすごい〝あねちから〟だったんだ 」
と妖精リンが、感心して姉のほうを見た。
「 うむ、たいへん上質で力強い〝あねちから〟の補給ができた 」
肯きながら、頃よしと判断した少年が、片手を突き上げ、ぎゅっと手を握りこんだ。
その拳に黒い稲妻が走り抜ける。
「 爆縮ッ ! ブラックぅ ! おねえ ! サンッ !! 」
「 また おねえつけるの !? こっちが恥ずかしくなる必殺技名を ッって 語尾の大声で叫ぶのやめて !! あほーッ !! 」
羞恥で身もだえする妖精リンのつっこみも、幼い姉妹の耳には入らなかった。眼前に展開する壮絶な光景に立ち竦んでいた。
空中に吊り上げられたまま、グリーンショゴスの死体がめきめきと音をたてて内側に折りたたまれて縮んでいく。そして霧が渦巻くようにその姿が崩れ、みるみるうちに黒い小さな球体に変化し、やがてはじけるように消えると、空にはなにも残っていなかった。
半壊した建物とえぐれ爛れた地面だけが、グリーン・ショゴスが猛威をふるった証拠だった。
緑の暴君は完全にこの世から消え失せ、頭上には蒼穹のみがあった。
「 ・・・・・正義執行完了。せめて来世は立派な姉に生まれ変わってくるがいい 」
二度と生きて見る事が出来ないと思っていた青空が眩しい。
助かったことをようやく実感した姉は、崩れ落ちて顔をおおって泣き出した。
張り詰めていた気持ちがようやく切れたのだ。
怖かった。それでも妹を怖がらせまいと気丈に耐えていた。
幼い彼女にはあまりに大きかった負担。
おろおろとすがりつく妹もつられるようにやがて泣き出した。
あとは涙の大合唱となった。
「 うんうん ふたりとも頑張ったね。怖かったね。もう心配ないよ 」
頷きながら妖精リンがハンカチをぶらさげ飛び回り、ふたりの涙を拭いてくれる。
「 姉は常に毅然としてあれ。だが、おまえは良く頑張った。だから、今は泣いてまた立ち上がれ 」
少年は姉妹の頭に交互にぽんぽんと手をのせた。言葉は尊大だが、口調とまなざしは優しかった。
「 ありがとう・・・ございました・・・あなたは・・・・いったい 」
しゃくりあげながら問いかける姉に
「 俺か ? 俺は姉崎正義。ただの、あね好きだ 」
にやっと少年は笑った。
幼い姉は感謝とともに、その名を心に刻み込んだ。頬が熱い。新たに生を受けたかのように、胸が高鳴る。なにかとてつもないことが始まるような予感がした。そして、その昂ぶりは間違っていなかった。
この日、少女の平凡な日常は終りを告げ、輝くような大冒険の日々がはじまった。
その誘い手の少年の金色のボタンが、陽光を反射してきらきらと光った。
「 人は俺をジャスティス・アネスキーと呼ぶ 」
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