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星空 終のダイアリー  作者: 野口詠多
8/11

四月 一八日 (金)


大人「すばらしい! この絵はいくらで買えますか?」


子供「用紙が百円、クレヨンに百円かかりました」







 「言わずと知れた名作だが、松本清張に『砂の器』という長編がある。たしか、某踊る感じの刑事ドラマでも、この小説のカメダはオマージュされていた。それほどに、推理もの、ないし刑事ものにこの小説が与えたインプレッションは大きいわけだが、この作品についてあんまり踏み込んだことを語ろうとするとネタバレの謗りをまぬがれないだろうから、ここではひとまず、松本清張の予言……というか、卓犖たる才能から由ってきたる、未来文化の予想、先見の明について触れよう。

作中に、ミュージックコンクラートなる響音が登場するわけだが、清張はこれを若者文化ととらえている。事件の本質に触れてしまうことなので、詳しくは自身で一読して確かめてほしいのだが、とにかく大人には理解できかねる音響がそれだった。ホールにて鳴り響く描写を読めばはっきりとわかる。誰もあれについては、理解などしていない。しかしそれを聴いている大人たちには感性が乏しいためにわからずとも、我々にはミュージックコンクラートをそれとして理解できる素地がある。無論清張自身が予期した形でのミュージックコンクラートはその後呱々の声を上げることはなかったわけだが……初音ミクといってしまえば、みんな誰しも腑に落ちるのではないか。そう、言わずと知れたあの電子系アイドル。今や世界じゃあ、大学の講義なんかで積極的に考察され、どっかの国でオペラだのオーケストラだのといった催しまで敢行されるほど、あのボイスはすっかり浸透しちまっている。すなわち清張が予見したのは――アイドルという夾雑物が介在したものの――、ボカロという一ジャンル、電子音楽がやがて世界を席巻するぞという、そういう示唆だ。

 『砂の器』ではミュージックコンクラートは天才と称される若者たちによってリードされているにすぎず、それが社交界を主戦場と心得る大人たちにしてみれば、理解という音色でもって伝わってこない。とにかく彼らは、不吉なイメージを抱いて新たな芸術と接するのであるが……しかし彼らは、あろうことか理解もできないその演奏に拍手を送った。鳴りやまないシュプレヒコール。彼らから齎されるやんやの喝采を、ミュージックコンクラートはほしいままとしていた。

 大人たちは、自分自身で理解もできぬものに、拍手を送る――砂上の楼閣、だなどという言葉があるが、まさしくその通り、『砂の器』というタイトルは、皆が皆信じ込む嘘――器であれ――が膾炙していた時は、理解できようができまいがそれは本当に器となる……本当は砂由来の器物であっても、吹けば壊れてしまうような、ちょっと波風がたつだけで――事件があるだけで――、さらさらと崩れてしまうような砂の器であっても、そういう空気が醸成されている間は骨董のそれと価値を等しくする。いや、なにも氾濫するボーカロイドたちがそうだと言いたいのではない。『砂の器』というタイトルの意味を、少しく考えてみただけさ。

 みんなみんな、嘘つきだよね、と。

「たとえ嘘でも、世の中には美しい嘘というものがあるわ。人はそれを方便というのだろうけど、なかには人を感動させる、わけても美しい嘘があるじゃない。『勧進帳』って知ってるでしょ? 学生なら、歌舞伎見学みたいな学校のもよおしで、観に行ったことあるはずよ。星空くんは記憶喪失で、花道からどたどた走ってくるあの臨場感あふれる音を忘れているのかもしれないけど、『勧進帳』は、弁慶が義経を守るために嘘をついてそれを読み上げ、富樫のなおの追及には涙を流しながらも、義経を打擲するんじゃないの……あれは全部、みんながみんな嘘をついているってことでしょ? それでも、悪い嘘じゃない。その嘘を、信じるフリをして――嘘をついて、義経郎党を逃がした富樫もまた、その姿を美しいと感じ入ったればこそ、胸を打たれたからこそ、彼らを逃がしたんでしょ? 美しい嘘が、世の中にはあるの。汚らしい嘘ばかりじゃないのよ……」

 ……俺にはわからんね。嘘つきは、泥棒のはじまりさ――いや。

 ――泥棒の末期、終わりだね。

「……キサマ、くすねおったな……!」

「な、なんのことよ」

 唇をすぼめて明後日の方向を向いているが、いくら首を絶妙な角度に傾けていたって嘘をついているのが何故かまるわかりだぞ。

 口笛まで吹いて余裕の平静さをかもしだしているが、どうしてか嘘だというのははっきりわかるぞ。なんでだろうな。

「ええい、白々しい! とぼけるでない! さっきの昼休み、たまさか月見から聞いたが、ザッハートルテは月見が食べきれない一つを半分こに分けただけだったそうじゃないか。出費はたったの七八○円、どこぞの地方の最低賃金とイコールだというアズにゃんソースを仕入れたぞ。どう言い逃れする」

「うぐ……か、考えてみればわかりそうなものよ! そ、そもそも女の子の小さすぎる胃袋の容積は某曽根さんとは構造が違ってて、ザッハートルテが一ダースも入りきるわけがないのよ。そこを不注意にも読み飛ばしたあんたが悪いわ」

「いや、だから知らんのだってザッハートルテがどれくらいMPを消費せずにあるいは無尽蔵に放てるのかとか追加効果がなにかあるのかなんて。そんなことより、二人の将来のためにたくわえていた五千円を疾く返せ!」

「まったく! こと金の話に及ぶといっつも男はこう、権柄づくになるのよね! もうちょっと恵比寿さんらしいイケメンでいたらどうなの⁉」

「恵比寿らしいイケメンってなんだよ⁉ 福々しい顔ってことか? どこの民族の基準に照らせばあれがイケメンにカテゴライズされんだ⁉ とにかく耳を揃えて五千円、しっかり返せ!」

「えべっさんを愚弄したわね⁉ もう許さないんだから! それの次くらいに、元をただせばあたしのものだった五千円を満足な働き一つもせずにまんまとくすねたうえに、あまつさえそれをあたかも自分の金であったかのようにして振る舞ったあんたの態度が許せない!」

「えべっさんってなんだよ、関西人でもないのにそんな呼び方すんなよ! 恵比寿さんを悪く言ってしまったことはここに陳謝するけど、それが五千円分の働きをしなかったことよりもお前の逆鱗に触れたのかよ!」

「謝るのね。じゃあ許すわ」 

「許してくれるのかよ!」

 ……ん、待て? なにか違うぞ? 立場が逆転してる。

 恵比寿マジック、おそるべし。

「いやいや、違うからな夢見。俺がお前を咎めているんだからな? 五千円、きっかり返せよな?」

「だから、その五千円はあたしのでしょ?」

「だから、その五千円は俺が貰ったでしょ?」

「なんでよ! あんた日誌で、あることないこと書きたててあたしをこき下ろしていたじゃない⁉ せっかくかっこいい部長で売り出そうとしていたのに、あんな嘘を書くなんて不正直だわ! 辛辣だわ! 譎詐讒謗だわ! 名誉棄損だわ! 詐欺だわ!」

「人聞きの悪いことを言うな! 俺は人間のリアルをあそこで克明に浮き彫りにしたのだ!」

「それにしたって、五千円はあたしのじゃないかな? あたしはあんたに舞文曲筆してってお願いしたわけなんだから。なんなら、出るとこ出てもいいのよ?」

 たかが五千円で出るとこ出るな。

「ヘソ出しルックで平素の授業に出てやってもいいのよ?」

「……それはいったい、なにを言いたいんだ? それが昨日言っていたご褒美ってやつなのか? 俺は教師の汚い字が躍る黒板ではなく、夢見の魅惑のヘソを注視していればいいのか?」

 なんだその、衆人環視の綱渡りすぎるご褒美。

 まぁ、ノートや黒板を見ているべき授業中に、夢見のヘソを見ている俺を見ていちゃいけないんだけどな。みんな。

「そうね。初めて書いた小説にしてはなかなかよくできてたから、何かご褒美あげないと嘘になるわね」

「なら五千円くれよ。それで万事が片付く」

「なら、五千円以上のものをあげようか? お釣りがくるくらいの?」

「なんだよ? 五千円以上のものがプライスレスなこの世にあるとでもいうのか? それこそ俺は、ザッハートルテの奥義をレシピ的に伝授するとか、そういうのじゃないと価値を見出さないぜ?」

「とんがらせたあたしの唇とか」

「ん」

 ぶっちゅ。やーらかいもの同士の接触衝突事故。

「早えぇぇぇぇぇ⁉ 描写にして一行とか投げやりなうえに軽ぃぃぃぃぃ⁉ あたし仮にもメインヒロインだろ⁉ なんで顔を赧めたりとか、冗談はやめろよとか言ってそっぽを向いたりするのがねぇんだよぉぉぉぉ⁉ がっつきすぎだろ、ぶっちゅーとかエロゲの主人公でももう少し躊躇うだろぉぉぉぉ⁉ 官能小説とか耽美小説とかもっと読んで学べよ! 接吻には最低でも二、三ページは紙幅割いてるよ、そういうの⁉」

「いや、俺谷崎と坂口派だから、接吻の描写とかまどろっこしくて、もらえるものならアカザでも的な?」

 彼らはありきたりの、まともな愛情表現ではあきたりないんだぜ? 刺青彫ったり、海とふんどしを愛したりしてな。

「うう、あたしのファーストキッスが、こんなにもあっさりと、味気なく損なわれてしまった……」

「いまのキッスで憶い出したことがある。そう、あれは確か二年前の、雪積もりし冬のロッジでのことだ……」

「え⁉ このまま回想入っちゃうの⁉ キッスで取り戻す想い出っていうのも気になるけど、ちょっと待ってよ! もう少しあたしの、ヒロインとして軽すぎる扱いについてかこっていようよ!」

「なんだよ、わがままな女だぜ。五千円でファーストキスを売ったと思えば、安いもんだろ?」

「赤字だよ‼ 日本語おかしいだろ! あたしそんなに安い女だったの⁉」

「大丈夫だ、問題ない。きっとアニメ化される時には、キスシーンはあの手この手で美化されてるだろうから。ハっという声にエコーがかかったりとかしてな」

「内容的にアニメ化はありえないよ⁉」

 というか、内容が無いよー。

 これこそ恵比寿マジックである。

「お前が差し出してきたんだろ? ご褒美にあたしの唇って」

「まだ差し出してなかった! というか差し出す気はなかった! 反応を見て、楽しみたかっただけなの!」

「それはすまないことしたな、しかし俺には嘘は通じんから、今後気をつけろよ? 五千円は慰謝料だ、くれてやる」

「ふぇぇ……唇がまだひりひりするよぉ……」

「……」

 なんでひりひりすることがあるんだ? ほんの一瞬、チューしたくらいで何をひりめることがある。

「で、何を憶い出したというの? あたしとの蜜月のひと時?」

「いや、何も憶い出すことはないさ。お前の唇は白馬の王子様とか某不幸体質さんのそれなのか? 違うだろ。俺はなにも憶い出さないよ、俺にかけられたザッハートルテの呪いを解くためには、もっと金を積む必要がある」

「うそつきっ!」

 四文字表現にもだいぶ慣れたところで、俺たちは後に活かしようもないダベりを切り上げ、話頭を転じることにした。

「で? 体育娘の勧誘の件はどうなったんだよ。今日は体育の授業だったろう」

「それなんだけど……いろいろと邪魔が入って、難航しちゃってね」

「難航しちゃったのかよ」

 相談部どう? って軽く持ちかければいいだけの話なのに、難航しちゃうのかよ。

「詳しいいきさつは番外編『夢見勝のイデオローグ』にて語られるわよ!」

「いま言えよ。週末は目前だぞ。三人だとペア分けができねぇだろ、俺と体育娘の最強タッグを、果たして読者に見せてやれるかどうかの瀬戸際だ」

「それについては問題ないわ。彼女、週末の不思議探訪には一も二もなく参加を表明してくれたから」

「お、ってことはあれか? 相談部はやっと、俺と夢見以外の部員第一号を手に入れたってわけか」

「いや、入部については今日の放課後にちょっと覗いてから判断するみたいなことを言ってたんだけど……」

 夢見はそこでそわそわしたように壁かけの時計を見て、語尾を沈ませた。

「なるほど、慎重派だな。きっとあれだよな、その体育娘、お前みたいな女子の前だと積極的に話ができても、異性が相手だと急に委縮して、口数が減っちゃうようなそういうタイプだろ? 三白眼のロンリーウルフこと星空終くんがお前を除いた唯一の部員であることはもう告げてあるのか?」

「うん、爽やかイケメン美少年、ネットでは武蔵坊気取りの星空くんが、貴女もハーレムの一人(いちにん)に加えたくて垂涎の様子だったよと伝えておいたわ」

「あっはっはっは、それじゃないか夢見? それがきっと曲解して伝わったものだろう。やっこさん、俺が女に飢えてるみたいに勘違いして、どっかで二の足踏んでるに違いないね。一も二もなく、三のリズムで足踏んでるよ。この分じゃあ、今日は来ないんじゃないか?」

「そ、そんな⁉ ぜったい来るよ! 彼女はそういう、恥ずかしがるような子じゃないもん!」

「思い込みって知ってるか? 夢見、女の子同士で固まっている間は竹を割ったようで、結構逡巡しないような快活さで満ち溢れているような女子も、意外と男子に免疫がなかったりなんかするとアガっちゃったりなんかするもんだよ。そこの点、不良、いやさDQNみたいに怖れられる俺なんか、よく女子からそういう態度取られたからわかるよ」

「そっかぁ、イケメンに耐性のない女の子だったら、星空くんの豊頬の美少年と謳われた顔を間近で見ているとクラっと卒倒しちゃいそうだもんね……でも、あの子はそういう子じゃないと思うけど……臆するイメージではない、というか、物怖じしない、もじもじしない性格、だと思うけど」

「だと思うけど。それはお前の主観だろ? お前の押し付け、お前のイメージの上塗りでしかない。そんなものは世界の真理とはいえない。その子にはその子の世界があり、その子にしか知らない性格がある。それはどんなに仲を深めた親友であっても、わかりっこない領域なんだ。それについてお前が何かを言えたり、判断できたりするなんてのは、お前の嘘だ。お前の理解できる範囲で、その子のキャラを勝手に造形させて、肝までファットに肉付けさせているにすぎんよ。いまごろ彼女は、やっぱり星空大魔王の放つザッハートルテのような眼光におののいて、相談部に来るのやめようとか思ってるんじゃないか?」

「そ、そんなこと……でも、たしかに、あたしたち、体育の時間でしか付き合いなかったから、彼女の性格の全貌をあたしは知っているわけじゃないし……でも彼女、そんなに女々しい子かなぁ?」

「女々しいね。女々しいよ。女々しくあれ。昨今の女子高生は、すべからく女々しくあるべきなんだ。溌剌お転婆なキャラであったとしてもな。わざわざコミュ障のお前なんかと積極的に絡んでくるほどだぜ、月見ほどではないとはいえ、根は引っ込み思案なんだと思うがな。クラスでも男子がでっかい声張り上げて『俺は!』とか言ってマンガやらお笑いやらの話をげらげらとするたんびに、実は教室の隅でデカイ声にびくっとしているのかもしれない。ほら、体育は男女別だから、男の傍にいるその子の反応を、夢見は見たことがないんだろ?」

「たしかにそうだけどぉ……でも、あの子はほんとに明るいのよ? そんなに女々しいかしらねぇ?」

「お前の妄想だよ。現実のその子は俺に竦んでいるという、いじらしい展開に一万ペット」

「……じゃあちょっと、探してくるわその辺!」

 と、そんなにその子が来てほしいものか……夢見は俺が静止を口にするのも聞かで、そそくさと風のように立って保健室を後にしてしまった。

 さてもどうしたものだろうか、完全に独りである。

「なんだよ、淋しいじゃねぇか……俺一人ではせいぜいが二行か三行しか保たんぞ?」

「ちわーっす、三河屋でぇーっす!」

 と、三行めにして、げに明るい声を快活に振りまきつつ、堂々と嘘をつきながら我が保健室の扉を開けてのしのし入ってきたのは、まだ見ぬ新キャラだった。

「あっれー? いるのはイケメンだけかぁー? 夢っちはどしたん?」

「……夢っちなら、今しがた君を探しに校内のどこかを当てどもなく彷徨しているところだよ。まったく、だから僕はあれほどもう少し待っていたらよかろうにと、さんざん言い含めていたんだけどね。どうやら擦れ違っちゃったみたいだね」

「だっはっはっは! 夢っちはそそっかしいヤツだなー。オレのう○こは長いぜってあんだけ言っといたのに、まったくヤレヤレだぜー」

 ……語尾をいちいち引き延ばしたように発する蓮っ葉なこの生徒は、こちらがススメてもいないというのに勝手知ったるとばかりずかずかと保健室の中に入ってきたかと思うと、俺の眼前のスツールにいきなり着座してきやがった……。

「いよっ! 色男!」

「……いよ」

 眼は勝気そうに吊り上がり、にっと引き伸ばされた口から暴力的にゆがんだ八重歯が覗ける。

信じられないぐらいの白い肌だった。病的といってもいい。しかしそれは、健康的な肉体を表現するにはいささか不釣り合いか。立っている時の目測や、着席してからのいまの座高の高さでわかるが、この生徒は明らかに、俺よりうわ背がある。

 いや、身長に対して卑屈になったりとか、そういうキャラでは俺はない。夢見だって俺より高いしな、いくらか。しかしこの生徒は、それを軽く上回っていた。二メートルくらいありそうだった。もちろん譬喩だが、それくらいの人間としての差をひしひしと感じないわけにはいかなかったね。

保健室の電灯が照り付けて微かに明るい反映をみせる赤みを帯びた髪は、ヘアカラーで色付けされているのだろう、スカーレッドの鬼の角を散らしたように、総髪におどろと広がる躍動感あふれるワイルドなウェーブがかかっていた。全体的にワインレッドで、思いっきり校則違反だ。

違反ついでに、セオリー違反も一つある。この生徒、なぜかスカートを穿いている。いやいやそんなはずはない。だって我が校指定の血のように赤いジャージのロングも穿いているんだからな……。

ジャージも穿いて、スカートもひらめかせている。

そんなはずは、ない。

(スパッツよりもひでぇだろぉぉぉぉ⁉)

 どこがサポーター娘だ。本当に夢見のやつ、打診してくれたのか? 案外、ジャージをまくったらその下にサポーターは巻かれていたのかもしれないが、さすがにまくって見せてくれとかそんなことを言いだす勇気は俺にはなかったね。

 あの子そんなに女々しい子じゃない、なんてレベルじゃない。モノホンのDQN娘じゃないの。

 運動が得意かもしれないって……ケンカが得意ですってことなのかい夢見ぃ……?

「……あ、あの、ところで、その、お名前は……?」

 俺が完全にチキンを発揮して、しかし辛うじてしどろもどろにそう訊くと、妙に人生におけるすれっからしな貫禄のある相手はまたもニっと猟奇的な笑みを三日月なりに口を引き延ばしたように浮かべてから、邪気たっぷりに応じたね。

「んだよイケメン? オマエ、夢っちから何も聞いてねーのかよー?」

そんな責める風に言わないでください。

貴女の声を聞いただけで、びくっとしてしまう自分がいるんです。

「いや、夢っちは生来のうっかり者だから、うっかり禿げ散らかしちゃうから、君が来ることは知らせてくれても、肝心の君の名前を僕に言いそびれていてね。ははっまったくせっかちなんだから、あ、それじゃあ僕、その夢っちを連れてくるから、どうかここで待って――」

「おいおい、まぁいいじゃねぇか、二人で待ってようぜー」

 がしっと、猛禽類が獲物を脚でとらえたみたいに、ものすごい握力が立ち上がりかけた俺の腕をとらえて離さなかった。

「オマエのことも知りたいしよー、ほら、ケツ下ろせよ、客人にシツレーだろー?」

「ははははい、デカシリーなくてすいませんでした」

「仲好くしよーぜー!」

 これよ。

 このDQNに特有のフレンドリーさを、夢っちはなにかと勘違いしちゃったんじゃないかなぁ……。

 そりゃあ、相談部についてぐいぐい訊いてきますとも。かつあげ、みかじめ、ゆすり、なんでもござれな風貌ですもん。二次元だったら間違いなく、中国人の美人暗殺者の顔ですもんこの人。

 そんな彼女は有無をも言わさぬ力で俺を席に引きずり戻すと、鼻に親指を押し当てるあのてやんでぇな伝で名乗りを上げた。

「オレは三河屋サトコってんだー。よろしくなー、イケメン」

 三河屋って本名だったのか……。

 嘘じゃなかったのかよ。けっこう頻繁にお届けに上がっちゃう感じな名前なのかよ。

「あ、うん、はぁ、まぁ、よろしく……」

「しっかし、あれだなー。保健室でオマエと夢っちが二人きりって、なんかマズくねー?」

「マズくねーくないっすよ。いまだって、三河屋さんと二人っきりだし……はは」

 俺の発言の、なにがマズかったのだろう。現代っ子語すぎて、否定なのか肯定なのかファジーすぎたのが気に食わなかったのだろうか。対面の女はギロリとした鋭利なイーグルアイで俺を射すくめたね。

 ほんと、何が気に食わないんだ……? 冗談とか、お気に召さない感じの方なのか?

「オマエ、オレのことを二度と三河屋と呼ぶな」

 その声、女声とは思えぬほどにすっごくドスが利いてたね。

 これが夢見相手なら、間違いなく三度めは四阿(あずまや)と呼んでいたところだったよ。

「あ、なるほど、某大先生のデビュー作のシリーズでお馴染みのあの方と同じように、名字で呼ばれるのは嫌いなんだね、あはは、わかったよ、これからは、サトコさんって呼べばいいのかな?」

 それだとお茶のCMみたいな呼び名だけどな。

「夢っちみたく、サっちゃんって呼べよなー」

 ……サっちゃんはね、サチコじゃないといけないと思うんだ、ほんとうはね。

 だけど大っきいから、俺も相手のことを「サっちゃん」と呼ぶんだね。

 悲しいね、俺。

「……さ、サっちゃんは、そのぅ、相談部に入るつもりなのかな……?」

「……ん? なんだー、嫌だってのか? 汚穢(おわい)はー、オレのことが嫌いなのかー?」

 ……汚穢って、俺の下の名前のこと(終)を言っているんだろうか。だとしたらこれは、某先生の掛け合いの流れをサっちゃんも期待していると受け取って差し支えないんだよな。ほら、名前で呼べとか言ってたし、きっとサっちゃんも某先生が好きなんじゃないかな。あるいは呼び名については単純にサブローさんに引っかけただけなのかもしれないけど、いくらなんでも今日初めて顔合わせする相手に汚穢呼ばわりはないよなぁ、うん、よし突っ込んでみよう。

「あはは、嫌だなサっちゃん、わざわざお越しいただいた客にそんな失礼なこと思うわけないだろー? あと、僕の名前をそんな晩節までを汚しかねない感じで呼んでくれるな、僕の名前は終だよ」

「んだよいちいちうるせぇな! 噛んだんだよ! そんぐらいわかんだろ⁉ 察しろよ! 揚げ足なんてとってねぇで、新聞でもとってろハゲ!」

「ひぃぃぃぃハゲでごめんなさいいぃぃぃぃぃ!」

 デジャブ! これはデジャブ!

 夢っちが悪い子の影響をすっかり受けちゃってます! というか夢っちはすっぱいレモンの筈でしょ⁉

 これは腐ったミカンじゃないですかぁ⁉

「ところでオワリよー、オマエってあれだろー、キオクソーシツってんだろー?」

「な、なぜ教師すら把握していない僕の基本ステータスをサっちゃんは知っているんだい? なんでも知っているキャラなのかい? 坊主頭の野球少年がうっかり口でも滑らせたのかい?」

「夢っちが言ってたぞー。オワリはキオクソウシツしたってー」

 夢っち、口が軽すぎる。

 あとで総菜パンと、ジュース買って来いよな。

「ところでよー、キオクソーシツってー、どんな感じだー?」

「いや、どんな感じって言われても……」

 むしろ、以前までの感じを留めたデータが無いから、記憶喪失なんだけどな。

「いやなー、オレ、キオクソーシツしたことねーんだよー」

「……え、まぁ、大抵の人はそうだろうね」

 一生に一度、経験するだけでも奇蹟だ。オスミケ発見とイーブンくらい。

「参考までに聞いておこうと思ってなー。オレもキオクソーシツした時、テンパったりしねーよーになー」

「はは、大丈夫だよ。そう簡単に人の記憶は失われない」

 それに、事態に際して積んできた心構え自体が失くなるんだよ? あはは、サっちゃんにはムズカシイ話だったかなー?

「オレもオワリみたくキオクソーシツしてみてーんだよなー」

「……ん?」

 背後から後頭部を鈍器のような物でうち叩けという合図だろうか?

 それで都合よく、サっちゃんの中の腐った柑橘的な部分だけを析出できるものだろうか。

「オワリはさー、キオクソーシツした時、どーだったー?」

「どうだったって……その感想を僕が答えてしまったら、実は記憶喪失者でないことがバレてしまうじゃないか」

 カマをかけるなよ。うっかりボロは出さないよ。

「やっぱあれかー? 感じるのかー?」

「……」

 ……ん? どうもおかしいぞ。恵比寿マジックの予感がするぞ。

 サっちゃんはいったい、なんの喪失の話をしてんだ……?

「オワリのキオクソーシツの相手って、やっぱ夢っちだったのかー? 気持ちよかったかー、キオクソーシツした時はー?」

「ストーーーップ‼ だめだめだめだめ! そういうのはラノベに、あってはならないことだよ! ラノベキャラに喪失はない! 喪失ほどラノベキャラと無縁な語彙もない! 走疾の話だよね、サっちゃん⁉ きっとスプリンターな話のことを言ったんだよね⁉ 校庭という限られた空間でいかに最大酸素摂取量のことを考えながら走りきるか、自分のV()O2maxと照らし合わせて、ランナーズハイ的な意味で気持ちよくなるにはどうしたらいいのか、そういうことを訊きたかったんだよね⁉ さすがのアスリート魂だねサっちゃん! よっ! 体育娘キャラ! 論破的な超高校級の暴走少女! でもね、その問題は永久に解決しないよ! だって僕らインドアメイトなんだもん!」

「お、おう……」

 窮鼠猫を噛む。あるいは、一寸の虫にも五分の魂か。俺はサっちゃんの肩をがくがくと揺すらんばかりにして、鉋屑に火が点いたようにそうまくしたてた。さしものサっちゃんも、押しも押されもせぬDQNもこれにはたじろいだようで、若干引き気味に俺を見ていたね。

 チキン野郎とDQN娘との間には、相乗作用ではなく引き算的な差が歴然としていた。俺はこんなタッグにオスの三毛猫発見の可能性を託したのかと思うとぞっとしない気分になり、くしゃくしゃにした馬券を投げて野次を飛ばしたかったが、他ならぬ我がことなのでどうしようもない。

 ただ笑うだけだ。

「な、なんだか知らねーけど、オレ、キオクソーシツについてとんでもねー勘違いをしてたみたいだなー」

「そ、そうだね……記憶喪失ってのは、あれだよ、自分の過去とか、想い出とか、そういうのをいっさい失くしてしまうことをいうんだよ。けっして膜とか貞操のことではないさ」

「……うらやましーなー、それ……過去を忘れられんのかー……」

「……え……?」

 ぽつり、と――。

 そう漏らした一言が、さっきまでのおそろしくも力強い声のように聞こえなくなっていたのは……くだらないやりとりの応酬のおかげでサっちゃんとの距離が、ちょっと縮まったせいか……。

 あるいはサっちゃんの背後に、重たくのしかかる家庭の事情を匂わせるような、そういう次巻以降に回収有効なフラグが立ったからなのかもしれない。心の闇的な。

「なんだよー、いつになったら夢っちは戻ってくるんだよー?」

「さぁ……今頃は校内を上を下への大忙しで駆け回っていることは間違いないと思うけど。ところでサっちゃんは、放課がひけてからはどこでなにをしていたんだい? 僕らはずっと待っていたんだけど」

「う○こしてたー」

 ……しまった、入りしなにそう言っていたのを忘れていた。

 まさかの小学生ネタである。いったいこれを読んでいる何人が、このネタで笑いこけてくれるだろうか。

「むー、なんだよこれー、オレははっきりう○こって言いてーのにー。この○が邪魔をするー」

「あはは、たしかにいまさら伏字? 遅くね? って感は否めないよね。しかもよりにもよって、伏字の初出がう○こってねぇ。もっと伏せるべきとこ、ここまでの段階にけっこうあった筈なのにね。むしろう○ここそ、すんなり書いてスルーすべきところだったよね」

「オレはこのー! 伏字ってのがキライだー! なんか、むしろ○で表すことで、他の言葉と差別してるみてーじゃねーかー! そんなのウソだー!」

「あはは、嘘でもなんでも、こればっかりはマナーというか、しきたりみたいなもんだからね。あるいは、却って○を使うことによって、メタ的な面白さを引き立たせるとかできるしね」

 式次第やモラルこそが、嘘みてぇなもんだけどな。

「むー! それにしてもー、オレははっきりと言いてーことは言いてーんだよー! う○こー! う○こー!」

「うん、わかるよその気持ち」

 俺も野暮なことが言いてぇんだよ。

「う○こじゃねー! うん○って言いてーんだよー! うがーっ‼」

「三つしかないのに○の位置が移動しちゃったよ。もういいんじゃないかな?」

 充分穴は埋まった。もう一つのパターンは、うんこよりもやばいぞ。

 これ以上ないくらい、品を損ねるぞ。

「うー、なんかー、なんとも糞づまりな気分だぜー……」

「うまくもないからね」

いやはや竜のごとき猛き心を持った俺も、卑猥なスラングを多用するDQNを前にしてはたじたじだね。

「ところで夢っちはさー、いっつも昼休みはどこでメシ食ってんだー? 今日一緒に食おうと思って、ランチボックス片手に一組くんだりまで、千鳥足で行ったんだぜー?」

「平日の真っ昼間から女子高生が酔っぱらっちゃだめでしょ」

 ランチボックスってあれか、某日曜の神話的家族形態で名高いあのアニメにもよく登場する酔っぱらいの引っ提げたあのお土産のことか?

 あれって何が入ってんだろうな?

「オワリはさー、夢っちと一緒に食ってるのかー? ここでよー?」

「いや、保健室はキャット厳禁・飲食厳禁だからね。僕はちゃんと教室で食べてるよ」

 ちなみに夢見は、ここ最近二組の月見と一緒に食べている。それまでは居心地悪くも不承不承、俺と机を並べていたのだが、薄情なもので自分に友達ができるや俺のことなんか置き去りに早々と二組に行ってしまうのだった。俺は教室の中で男子からの陰湿な視線と聞こえよがしな舌打ちにサラウンドされながら、惣菜パンをぱくりとやっている仕儀だった。

 ところでサっちゃんはその二組の生徒なんだから、昼休みにそっちへ向かった夢見とどうやら擦れ違ってしまったものらしい。まったく、なんて擦れ違い合う二人なんだよと、俺は今後の二人の関係に擦れ違いという要素が導入されてしまうのを念頭に入れながら、テレビでよく見るお笑い芸人にそういえば擦れ違いコントで名高い二人組がいたのを思い出し、どれ試みにと思って夢見についてあらぬ嘘をついてみた。

 今度夢見とサっちゃんがお喋りする時に、面白い掛け合いが聞けるかもしれないイタズラ心からだ。乞うご期待。

「夢っちなら、いっつも友達がいないもんだから、昼食タイムに周りからこれ見よがしに醸成される村八分感にたいそう孤立を深めてしまっていてね。本人もそれを気にするあまり、いたたまれなくなるようで……最近は、なんとトイレで弁当を食べるようになってしまったよ」

「ト、トイレで弁当食ってんのか⁉」

 これぞ、世に云うランチメイト症候群である。

 オブセッションとして全国の一部の高校生たちが抱える、笑いごとではすまされない深刻な病なのである。

 それを本来ならばケアせねばならん立場にある部長が、便所飯をしているという笑いどころの嘘っぱちなのだった。

「そうだよ、厠で一人淋しくランチボックスさ。後架で涙を流しながら、口にオカズを放り込むのさ。友達のいない高校生は、閑所で弁当用のスパゲティを塩水とともにすすり上げねばならない宿命にあるのさ」

「夢っち、雪隠で饅頭してたのか⁉」

 ……おい。

 このDQN娘のボキャブラリーセンスの良さ、これいかに?

 いま時分のDQNの抽斗に雪隠で饅頭とかあんのかよ。してやられたね、文字通りってやつを取られちゃったよ。

 難しい言葉いっぱい使った、俺がバカみたいじゃねぇか。

「そっかー……夢っち、ダチ公いなかったのかー……」

「不良少女といえば、友達のことをダチ公と呼ぶにきまっているというのはいささか時代に整合しない偏見のように思えるけど、うんまぁそれは偽らざる事実だよ」

 尤も、今や月見というマブがいるから、これも虚誕ってことになるんだけどな。

「やっぱあれかなー、オレは便所メシやったことないけどー、雪隠で饅頭ってずるいってニュアンスもあるから、そんなずるいことをやるつもりは毛頭ねーんだけどよー、それでもいつか便所メシした時は、たぶんやっちゃうんだろーなーってことあるんだけどー、夢っちはやってんのかなー?」

「……なにをだい?」

「食いながら脱糞」

 食べてる時に、汚いこと言わないでください。という世間の訓戒がある。

 言わなきゃ良いのか、的なずるいとんち解釈はできないよ。出すのはもってのほか、完全アウトだよ。法律的には良くても、マナーとか道徳彝倫は、切り抜けていいことだらけではない。

 まぁ、法律を切り抜けることは、ほとんど嘘と同義なんだけどな。

「いやさー、行儀悪いことはわかってっけどよー、一度ハメ外してみてーよなー、夢っちやってんかなー、食ってる時にうん○ー」

「○ーって、なんて発音したらいいのか困るところだけど、そうだね夢っちはそんなにはしたない娘じゃないと僕は弁護してみるよ?」

 そもそも便所飯なんか召しあがったこともないだろうしな。おとしめた手前、嘘をついてでもしっかり弁護してやるからな。

 谷崎潤一郎的でも坂口安吾式でも中上健次流でもなく、リーガルに気持ちよくなろう。最高にハイってやつになろう。

「えー? 夢っちって上品な娘なのかー?」

「上品な娘だよ、当たり前だろ? あんなに美人で、友達がつくれないほどおしとやかな淑女が、下品なはずはないだろう? それが便所飯に追い込まれているから、ランチメイト症候群は許すまじってわけで」

「でもよー、夢っちシャワー浴びてる時、必ず放尿するって喜色満面に言ってたぜー? そうしないと落ち着かないんだってよー。オレが不潔だろって言ったら、眼の色変えて凄みだしたかと思うと、病みつきになった次第を流れるシャワーのように語ってたぜー? 周りの女子もオレもどん引きだったよー。しまいにゃ恍惚の美学とか持ち出すんだもんなー、かなわねーよー」

 あ、夢見がさっき言っていた体育時間中に入った邪魔ってこれか。

 その恍惚の美学とやらが邪魔をしちゃったんだ。ちろっと、老齢期の尿意みたく鎌首をもたげちゃったんだ。美しさってのは、人に理解されず、煙たがられるもんだからな。夢見の場合それは、風呂場での放尿だったってわけだ。

 正直、庇いようのない美学だね。そりゃ、他人と話す時の掴みネタでどん引きされてしまえば、相談部はどうだいと一言きりだすのも難航するだろう。というか、暗礁に乗り上げる。

「夢っち、たまーに、○んこも出してうっとりしちゃうらしいぜー」

「ああ⁉ ズレてる、世間からズレてしまってるよ夢見さん……‼ いろいろズレてしまっている! それとサっちゃん、○の位置はそこにズレてはいけない……!」

「なんでだよー? アンコとかインコとかあるだろー?」

「そうだね! きっと、アンコとかインコとか、エンコーとか温故知新だよね!」

「夢っちは風呂場でエンコーなんかしねーよー! バーカ!」

「ひぃぃぃごめんなさいうんこの話でしたよねすいませんうんこの話しましょう!」

「ところで話変わるけど、オレほんとに伏字は嫌いだー」

「うわお、恵比寿マジック。卑猥な会話も山の天気猫の気分。伏字はたしかに野暮だけど、あるのと無いのとでは、読者に与えるイメージもだいぶ変わるんだよ。ほら、この作者はちゃんと世間をわきまえたいっぱしの大人であるのか、それともふざけたことだけを言いたがる憚り知らずな子供なのか、とかね。あるいは○を逆手にとって面白おかしくネタにできるし」

「ネタにするってよー、○の使い方を工夫して読者を笑かせるってことかー?」

「具体的な用法は、もう既に僕らが実践してると思うけど、そういうことだよね」

「そういや昔よー、うすた京介って人の有名な漫画でヤク○くんってのがあってー、あれはツボったなー」

「うん、あんまりそういう細かいところ衝きすぎると、僕らの設定といろいろ辻褄合わなくなっちゃって後で年齢特定されちゃうよ。僕らはいま時分の高校生でいようよ。このやりとりは後でボツるね」

 というかサっちゃん、漫画読むのか。

「オレはあれだよー、跳躍する感じの漫画が大好きなんだー」

「へぇ、いかにも体育少女って感じだけど、跳躍する感じの雑誌だけなのかい? 転がす感じや、日曜な感じや、押し出す感じのネタはダメなのかい?」

 最近は進撃する感じがはやりらしいぜ?

「ダメってことはねーけどー、ホップステップの後に続く感じの雑誌がいっとうかなー?」

「ふぅん……ちなみにどんな漫画が一番好きなんだい?」

「荒木センセーに決まってんだろー! あの奇妙な冒険な感じがたまんねーよー!」

 出版社とか、権利とか、いろいろ気を遣ってそういう言い方してるんだろうけども、かの名作をして奇妙な冒険な感じと呼称するのは、いかがなものかと思うよ。それこそ、もって回った奇妙な言い回しだ。

「サっちゃんはさ。その漫画のタイトルが何故『奇妙な冒険』なのか、考えたことがあるかい?」

「え、なんだよ急にー。タイトルなんて意味ないだろー? 八○年代的なー、よくあるタイトルじゃねーかー。内容とあいまっていぶし銀な感じのするファン好みな題だぜー」

「うん、まぁそうなんだけどさ……僕はちゃんと、作者の荒木先生はタイトルに忠実に漫画を描いてる人だと思うんだよね。何故ならあれの第四部なんて、一所にとどまっているじゃないか。町の中を右往左往するっていう意味ではそりゃぁ冒険かもしれないけれど、一般的な意味では冒険とは言えないよね? ならなぜ、この題なのか」

「むー! オワリはオレの前でセンセーの作品を難詰するのかー⁉」

「しないしない。ただ、タイトルの意味を考えるだけさ。砂の器的にね。たとえばわかりやすく第一部、逆に考えるんだって名言があるだろ? 湖底にもぐって呼吸するってシーン」

「あー、あったなー。オレは好きだぞー、その名言」

「うん。その名言は、いったいなんの逆のことを言っているんだい?」

「……えー?」

「逆って、なんの逆だい? サっちゃんが身の丈一九○センチメートルのますらおだったとして、意外な髪の毛によって湖に沈められたとするね……サっちゃんだったら……いや、普通の人でも、この場合はどうする? 頭上、すなわち息を吸うために湖面から顔を突きだそうにも、髪が邪魔をしているという危機的状況の中で、君だったらどう考える? どういう行動をとる?」

「……そりゃ、潜るよ……主人公だって、そうやって危機を脱したわけだし……」

「ほんとうに、潜るのかい? なるほどたしかに、主人公は息を吸おうとして水面へ上昇するのではなく、潜ったことによって空気を確保し、危機を乗り越えたわけだけれども……それは結果論だろ? むしろ帰納法的に考えれば、確率的には、あの場合湖底に空気があるかどうかなんて、一か八かなんかよりもずっと成功の見込みは薄かったはずだ。逆に考えることなく、普通に考えて水面に浮上していた方がまだしも建設的だよ。少なくとも一般の人たちならば、そうしていたはずだよ」

「……おー……」

「つまり、そこなんだよ。逆に考えるっていうのは、常道とは逆を行くってことさ……冒険に出るってことさ。常道からは反き、常軌を逸している横紙破りな奇妙な冒険……それが逆ってことなのさ」

「……⁉ な、なるほどー!」

「第二部の主人公なんて、まさに奇妙な冒険の連続だったろ? よくその作戦成功したよなーって展開の連続だったじゃないか。第一部の主人公の勇気ではなく、知恵を武器に闘う彼の奇妙な冒険はそれまでとちょっと違う趣はあるけど、でも第二部のラスボスは、勝てばよかろう――過程からリスクをオミットし、結果さえよければそれでよい――こう言ったんだよね? これは主人公の奇妙な冒険とは真逆の生き方……すなわち世間でいう、正攻法ってやつなのさ。だから彼は、負ける。運だろうがなんだろうが、安定した生き方をしているようなやつは、度量の大きさですでに敗北していたのさ」

「な、な、な……⁉」

「第三部なんか、顕著だよね。第一部の勇気、第二部の知略に続いて、今度は主人公に圧倒的なまでの力が宿るわけなんだけど……とある能力者と魂を賭けあったギャンブルをするくだりなんて、まさに奇妙な冒険とはいえないかな? 第二部の主人公は、イカサマでギャンブラーに挑むわけだけど……イカサマっていうのは、ルール違反なんだけれども、ルールがあればこそ、でしょ? ルールには則っていなくとも、ルールを逆手に取った生き方だ。それはルールに則した生き方と変わらないし、法律を盾にとる弁護士やらと一緒のやり口でしかない。つまりイカサマのうえをいくイカサマをやられてしまった日には、敗北を喫する……魂を奪われるんだよ。効率的に勝とうとすれば、もっとうまく、こすいほどうまく世渡りするやつに負けてしまうのさ。

 さてそこで、第三部の主人公はどうした? ルールに則っても、ルールを逆手にとっても、ギャンブラーを打ち負かせないなら、どうすれば勝てるのか……? サっちゃん、彼はどうしたんだっけ?」

「……あ、あの方は……ハッタリを……は⁉」

「そう、ハッタリだよ。彼は母親の魂までを賭けて、ハッタリをかますんだよね? つまりこれは、そもそもルールには従わないよという横紙破りを譬えているんだよ。イカサマには――上には上がいるんだから――、それを倒すとあらば、そもそも手持ちの札を見てはいけない――ルールに則らず、彼は失敗した時のリスクが高いだろう奇妙な冒険に打って出たわけだよ。そもそもルールなんかにしたがわないという力任せな生き方。あの第三部はエジプトでの冒険のことを言っているんじゃないよ。こういう、ルールやセオリーを持たない彼の力強い人生をして、奇妙な冒険と表しているんだ。

 つまり、タイトルの『奇妙な冒険』っていうのは、まさしく読者をもアっと云わせる生き方を提示する、真に力のある男の姿を浮き彫りにしているんだよ。当たり前でありきたりな冒険とは逆を行く、奇妙な冒険で勝利を掴んでいく、いいお話だよね」

「弟子にしてくださいぃぃぃぃぃ!」

 DQNがスツールを保健室の壁に蹴っ飛ばして、フローリングの床に額を着けていたね。

 画的にシュールだ。

「そ、そんな……あの漫画にそんな読み方があったなんて……オレ、知らなかった……!」

「まぁ、ファンなら誰もが気付いてることだろうけどね。むしろそれを口に出して言ってしまうと、作者の荒木先生はもとより、色んな創作家からお叱りをこうむりそうだけれどね」

 ――横紙破り、大いにけっこう。

 人生はスリリングに、愉しく生きなきゃな。

「でもまぁ、荒木先生が『全然違います』と一言否定に付してしまえばそれはそれで終わっちゃうような読み方だし、これはやっぱり僕なりの読み方だね。言うなれば妄想だよ。サっちゃんが僕に弟子入りすることはない。これまで通り、荒木先生に心酔していなよ」

「い、いいや! オレはなんだか、今の話を聞かされて眼が洗われたようだ! あの漫画のタイトルにそんな深い意味があったとは……!」

「個人の深読みだけどねぇ」

「深読みでも! オレは恍惚の美学を味わった!」

 ……マズいぞそれは。人とズレてしまう生き方だ。

 常道に反してしまう。

「なにか……なにか他にもないのか⁉ 師匠⁉ 他の人気漫画のタイトルで⁉」

「えー……あと思いつくのが、若木先生の『かみのみ』くらいしか無いんだけど……これはもう、ファンでなくても、みんな気付いてるでしょ」

「『かみのみ』! 『神のみぞ知るセカイ』だな! 知りたい! ……ん? これはでも、フツーのタイトルじゃねーのかー?」

 近頃のDQNは色んなジャンルの漫画を知ってるんだなー、とか俺は関心しつつ、今日は野暮だ野暮だとうるさい夢見もいないことだし、久々にハメを外して、語ってやろうか。

 聞き手がいるというのは、オタメガ冥利に尽きるよな。いや、メガネ属性は月見の分担だけども。

「そう思うでしょ? でも僕は、この作者はギャルゲーじゃなくて、シェイクスピアを読みすぎた人のように思うわけだよ。というのも、日本ではシェイクスピア翻訳で白眉な福田恆存なんて人がいるんだけど、この人は人間を劇的なるものと呼んでいる。シェイクスピア自体、メタな発言をふんだんに盛り込む人だからね。劇的なるものと訳して間違いはないよ……そうして『かみのみ』ではこれが、リアルなんてクソゲーだ、ってことになるんだもんね。この二つを引き合いに出して比べるのは牽強付会だとか、いやしくも文学をサブカルと一緒くたにするなって怒る人もいるんだろうけれど、シェイクスピアの時代はシェイクスピア劇なんて、まさにサブカルなんだからね。カルチャーにサブは無い時代なんだろうけども、人々の認識としてはそういう受け方をされていた筈さ。それがいつの間にか、意味を説明する人たちが小難しい言葉を遣っているうちに、あれよあれよという間に文学に上り詰めて、そうしていつしか有閑階級のたしなみにまでなった時に、権威を表す代名詞としてその名が機能するようになっただけなのさ。要するに、メインカルチャー――文化の階層性は、みんなが口々にそれは文学だと言うことによって組み立てられているに過ぎないんだよねぇ、まさに砂の器さ。嘘っぱち。

 『人間・この劇的なるもの』と「リアルなんてクソゲーだ」がどう照応するのかというと、この問題を考えるためには「神」について教えなきゃならないね。いや、神なんだから、誨えるというべきかな。なに、難しく考えることはない。フォイエルバッハ的用法での神だとか、ニーチェの「神は死んだ」だとか、そんな難しい話をするつもりはないよ。神学だとか、そのハシタメだと言われてきた哲学だとかではなく、サブカル的な神の話だ。そもそも神とはなにか? 神話でも宗教でも思想でもかまわないけど、いずれにしろ、全知全能ってイメージが強いでしょう? なんでも知っているってニュアンスだよね。でもそれは、たとえば神が死んだことにされている――多くの人が神を物語だと知っている科学の時代においては、誰が全知全能でいるんだい? 神の代わりに小数点以下何ケタまでも延々とはじき出している暇人は、スーパーコンピューターをおいてほかにいないよね? それはとりもなおさず、テクノロジーの時代において神とはスパコンであるってことなんだろうけど、神とスパコンってどう違うの? 神に知ることができて、スパコンには知ることはできないものって、なんだい? ……これはよく著されるSFものなんかの主題としてありふれたことだけど、つまり機械は人間の心を持たないよね? そう、スパコンが神と仰がれる時代において、心は存在しないっていう悲しい現状が理系勝ち組とされる世界の惨状なんだよね。

 さて、話を戻そう『かみのみ』に。この作品はギャルゲの神と呼ばれる主人公が、口説きのプロフェッショナルと勘違いされて悪魔のおにゃのことバディになって、リアル女を攻略するって筋だったよね? それってつまり、なにを口説くのさ? いや、そりゃ口説かれるのは女の子なんだけど、その結果回収されるものってなんなのかな? 答えを言うと、心だよね。ゲームなんていう、まさにスパコン時代を代表するかのようなツールが存在してしまう世界において、心なんてものは有名無実、あって無きがごとし。そして――心を知ることができるのは、それゆえに、本当の神のみ――あの漫画では、『劇的なるもの』としての人間を見たときに、ゲーム女子とリアル女子が同一のものと看做されているんだ。だから主人公に攻略できるわけだし――それゆえに主人公は、神なんだよね……女の子の、心を知っているから」

「すげぇぇぇぇえぇぇぇぇ!」

 すごくない。

 失笑や批判を頂戴するレベルの、僭越きわまりない妄想的な読みだ。

 野暮だ。無粋だ。

 クラスで自慢して天狗になるくらいは許されても、間違っても社会で試そうとか、思ってくれるなよ? 人とズレるぜ。間違っても、出版しようだなどと考えてくれるなよ。お兄さんとの約束だよ。

「すげぇや……師匠はすげぇや! そんなこと、少年漫画のタイトルの意味なんて、この世界で知ってるのは作者と師匠だけだよな⁉」

「……」

 そんなことはない。

 みんな識ってることなんだ……ただ言わないだけで、多くの人がそういうことを識ってて、そうして一番に口唇にのぼせた者を批判する。

 この世界とは、そういう世界だ……吹けば壊れてしまうものを、みんなして必死に守ろうとする世界なんだ。砂の器に投資して、価値をつくる。そのせいで誰かが傷ついても、芋虫になって這いつくばうようにしているのを見ても知らんぷりし、砂の器を保守することばかりに専念する。

 そういう世界に俺たちは、なにかを相談できる余地などあるものだろうか……? 答えは否だ。誰もなにも、相談に来やしねぇこの保健室の閑古鳥具合を見れば明瞭だ。

 神様なんて、いない世界だものなぁ……。

「――ただいまぁ……はぁ、サっちゃんったら、今日はどうしちゃったのかな? どこにもいなかったし……やっぱりあたしが風呂場での放尿の美学を滔々と語ってしまったことが口禍だったのかしら? 自分ではけっこういいお話だと思っても、世間ではあんまり受けないことってあるもんなのねぇ」

「おーっす、夢っち! 遅かったなー! 邪魔してるぜー! どーしたー、浮かない顔してー?」

「うへぇ⁉ サっちゃん! なんだ、来てくれてたんだやっぱり! なんでそんなところで、星空くんに土下座なんかしてるの?」

「この人はオレの師匠なんだー! 今日からオレ、オワリに弟子入りしたんだー」

「へぇ、それは奇怪な展開ね。てっきり星空くんのことだから、快活なサポーター巻き巻きスポーティッシュなイマドキ風の女の子の登場を予期していたらあにはからんや、予想外の不良少女に僕ちんびっくり☆ってな具合にたじたじになって、獰猛な獣を前にした小動物のようにちぢこまっているものと思っていたのに、意外と如才なく立ち回ったのね、なんだつまらないの。待っててねサっちゃん、今お茶菓子、ザッハートルテ持って来るから! どうぞゆっくりしていってね!」

「あっはっはっは! おかまいなくー! ところでここ、飲食禁止じゃねーのかー?」

「いいのよー、散らかしたりしなきゃー。飲食厳禁なんて脅しみたいに言ったって、方便みたいなもんよ。世の中、そんなルールにバカ正直に従っている人もいないわ。みんな嘘は嘘としてそれなりに振る舞っているし、なんだかんだで人は生きていけるものよ。それに、従う謂れもあたしたちにはないしね。ささ、どうぞお食べ」

「ふーん、でもそれって、なんだか奇妙な話だなー?」

「え?」

「だって、夢っちは保健室じゃなくてトイレで食ってるんだろー?」

「え、えぇ~⁉ どどどどうしてあたしが今しがたトイレでこっそりザッハートルテを貪り食べていたことを、サっちゃんが知っているのよ⁉ なんでも知ってる神様なの⁉ 坊主頭の野球少年がうっかり口でも滑らしちゃったの⁉」

「雪隠でザッハートルテだったのかー⁉ それは新しい慣用表現の誕生だなー!」

「雪隠でムーンタルトもしたことあるわ! これは、新時代の美少女を形容する言葉よ!」

「雪隠のムーンタルトか⁉ すげーなー、なんだか美人っぽいよー!」

 ……まぁ、しばらくはこの、神様のいない保健室でだらだらくっちゃべりながら、窓の外の植え込みで風に揺れるユキノシタを天ぷらで揚げたりなんかすることをひとしきり考えつつ、世界を笑っていようと、そう考えさせられたDQN娘との邂逅のひと時だったねぇ。」



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