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檻の献身

 重たい扉が開く音がする。寝台に転がる男は天井を見つめたままだった。やがて慣れ親しんだ足音が近づいてきてベッドがきしみ、何者かが側に腰掛けてマットレスに沈み込む感触がする。


 視界に広がる真白い耳、白い髪、白い肌、左右の目は金と銀の色違い。すっかりやつれきった彼と対照的に、未だに若いときの美貌を衰えることなく保っている。むしろさらに磨きがかかっているくらいだ。


 バスティトー二世は彼女だけの秘密の部屋の寝台の上で、子どものように寝台のバネの感触を楽しみながら、やせ衰えた男に向かって話しかける。


「まだ諦めませんか、我が君」


 男は頑なに彼女を見ようとしない。しかし、彼女が身を乗り出して近くで覗き込むと、びくりと身体が大きく震える。男の濃褐色の瞳は濁りきっており、彼女に対する怯えと媚びと、それからその奥にさらにもう一つ何かの色が見え隠れしている。

 バスティトー二世は愛しの主君の顔を両手で包み、指の腹で撫でながら、何者をも籠絡してきた美声で歌うようにささやきかけ続ける。


「子までなした仲ですのに、未だに我が君はわたくしを愛してくださらない。本当に、憎らしい。けれどその強情が愛おしくてたまらない」


 すると男の目に灯が灯る。


「愛している――愛している? 私は認めないぞ。こんなものが愛などと」


 唸るように発せられる言葉には既にかつてほどの活力はない。だが彼の込める感情には、かつては見られなかった女に対するどす黒い何かの感情がとぐろを巻き、うずいている。


「私はいつかここを出る。ここを出て――」

「わたくしでない者に愛されますか?」


 女の声が途端に低くなる。男の身体はとっさに反応して震え上がった。ところが奇妙なことに、瞳の光の方は先ほどよりもさらに強くなっている。


「そうだ。お前が言った通り、かつて私は誰でもいいから愛してほしかった。誰でもいいから、私のすべてを受け止めて、受け入れて、言うことを聞いて欲しかった」

「この檻があなた様の世界です。檻の中で可能なことならわたくしは何でも叶えてあげましょう。あなた様の綺麗な所も汚い所も、一切全部引き受けて差し上げましょう。外の世界と違って何も偽らなくていいのですよ? わたくしだけはすべて知っていますから」

「馬鹿を言うな。私は私のものだ、お前のものではないし、お前のものになったつもりもない。私は認めない。こんな私は、私ではない!」

「いいえ。もう認めて楽になってしまいなさい。これがあなた様でございますよ」

「違う。私はもっと、輝かしいものだった。お前さえいなければ、私はそういうものであれたはずだった――」


 黒と、金と銀とが交錯する。男は女をにらみつけた。


「だから今、これだけは言える。確かに私は強欲だ、すべてが欲しい。だが、私の世界にお前だけは必要ない。私はお前の何も認めない。すべて否定してやる」

「あなたの世界を取り上げたわたくしに復讐でもなさるおつもりですか?」

「そうだ。生きて、生きて、他の誰がお前を認めようと、他の誰がお前を褒めようと、私は永遠にお前を否定し続けてやる。お前より長く生きて、いつかここを出て行ってやる。お前は世界のすべてを思い通りにしたつもりかもしれないが、私だけはお前の思い通りにならない――お前のいる世界は間違いだ。この檻のすべてが、間違っている」


 ぴしり、と獣人の尻尾が床を叩いた音に、男の身体はとっさにすくみ上がる。バスティトー二世は男の顔から両手を離し、凄絶な微笑みを浮かべ目を爛々と輝かせた。


「ようございますとも。その他大勢から唯一になれたことには変わりありません。昔よりはずいぶんと進歩しました。いじめ抜いた甲斐が少しはあったと言うことでしょうね。わたくしはこれからも檻として一身にあなた様に尽くして参りましょう。たとえ一生、我が一番の望みが叶うまいとても。これがわたくしの愛し方ですから」


 彼女はベッドから一度立ち上がると、テーブルの上に置いてあった籠から果物と小さなナイフを取り戻し、鼻歌を歌いながら皮を剥いている。若いときはこんなことがあれば彼女に飛びかかってナイフを奪おうとした男に、もはやその力は残っていない。ただ、寝台から暗い目で彼女をにらみつけ続ける。

 やがて彼は、幸せそうな彼女の横顔に向かって深く息を吐き、再び視線を天井に向けてつぶやく。


「キティ。ぼくの一体どこに、そんなに執着する要素があるんだ」


 獣人はぴょこりと白い両耳を動かし、ゆらゆらと長く優美な尻尾を振る。


「むろん、すべて愛おしいのでございます。我が君」


 イライアスは鼻で笑い、目を閉じた。

 キティはまだ、彼のために果物を剥き続けていた。







 その昔、まだ人が人でなかった頃、猫の子バスティトーは地上の様子を憂い、天に願って降り立ちて、我らに恵みをもたらした。バスティトーは豊穣の女神であり、また慈悲深き愛の女神でもあり、蛮族を打ち倒す戦の女神でもあった。


 バスティトー二世はまさしくマリウス朝アレサンドロ王国において、この女神そのものであったと言える。彼女の在位で王国は絶頂期を迎えた。女王は獣人を隷属せしめていた蛮人共を討ち滅ぼし、領土を広げ、民にあまねく富と財をもたらした。


 その一方で、バスティトー二世は残酷で苛烈な性格をも持ち合わせていたことが知られている。彼女に逆らった者はことごとく、一族郎党子々孫々に至るまでその制裁を受けることになり、敵対した者には容赦がなかった。女王はとある人間の国の都を滅ぼした際、三日三晩かけて都のすべてを蛮族ごと焼き払い、焦土には塩を撒いたとされる。


 またバスティトー二世は宮殿のどこかに天から神力を得るための部屋を作り、そこに通うことを怠らず、定期的に姿を消したと言う。女王はこの件に関して一切の詳細を語らず、詮索して逆鱗に触れた者は全て凄惨な最期を遂げている。子の一人すら、母の跡をつけ、怒りを買って片目を抉られた話は有名である。


 女王は記録上四人の子を産んだが、生涯結婚はしなかった。女王自身は神の子を得たのだとうそぶいたこともあったらしいが、何らかの理由で結婚ができない、あるいは関係を公表できない立場の男であったのではないかと推測されている。


 彼女の退位後、王冠は長子イライアス一世に引き継がれた。



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