世界最後の1日に
今夜世界が終わる。テレビをつけてみると、そんな事ばかりを取り上げる番組ばかりだ。何でも無数の隕石の流星群が地球のほぼ全域にわたって落下してくるのだと言う。世界を見渡せばその事が発端で戦争や犯罪が激しくなっている国々もあるそうだ。それでも世界中の大半の人々がオレと同じだろう。
「実感ないな……」
オレはそう言ってベッドから体を起こした。時計の針の位置を確認。午後1時を過ぎていた。いかん。世界最後の1日をオレはだいぶ寝過ごしてしまっていた。ここ数日、特にこれと言って何もしてない……と言うよりは家から出てすらもない。このままボーっと最後まで過ごしてしまうのもいいのかもしれない。でも、それでは何だか寂しすぎる。そう思ったオレはやれやれと洗面所に向かった……。
佐久間慎時。20歳。こないだ大学を中退したばかり。理由はいたって単純。もう明日には生きている世界なんてないからだ。中途半端な学歴があっても何にもならないからだとも言っておく。もっともオレみたいな奴はこの国にごまんといるはず。そんな現実があることは1か月前のテレビ番組で確認済みだ。
県外の地元にいる親には大学を中退する折に会っておいた。「最後ぐらい地元に帰りなよ」とは家族だけでなく、地元の友人からも耳にたこができるほど言われた。それでもオレは地元に帰ることにはしなかった。地元が嫌いだからではない。ただなんとなくオレは今いるこの場所が気に入っていた。
オレは約2年前にこのアパートに引っ越してきた。進学の為ではあるが、2年も過ごしてきたこの3畳半の狭い部屋に心地良さを覚えたのだ。住めば都というか、まぁ、そんなところだ。それだけで人生最後の場所に選んだのか? と問われれば、ちょっと恥ずかしい感じもするが、そうである。変わり者とでも何とでも言ってくれ。これがオレだ。オレが選んだ人生だ。
テレビを眺め、煙草を吸いながら物思いに耽る。この部屋には数多くの思い出が詰まっている。今テレビに映っている偉い人とかが築いてきた歴史に比べたらどこにでもあるような普通の日々に過ぎないのかもしれないが、それでもオレにとっては、それが何よりも深く濃く残る確かな物語なのだ。
初めて引っ越してきた3月の春。家事をするようになって初めて実感した両親のありがたさ。大学でできた友人たちと大はしゃぎして隣のおっさんがブチ切れてきたこと。バイトで溜めたお金で買ったギターを激奏してまたも隣のおっさんをブチ切れさせたこと。合コンで知り合った彼女に自作の歌を披露し、その後に愛を確かめ合ったこと。翌日玄関ドアに『〇〇〇禁止』の張り紙をされたこと。いつもパンツ一丁だった隣人も、夢中になった彼女も、朝まで馬鹿騒ぎし合ったツレも今はいない。連絡を取り合うこともない。でも何故だろう。今はないその光景が愛おしく思えて仕方がなかった。
気がつくとオレの視線はテレビから埃被っているギターに向けられていた。
オレは無意識のうちに古びたギターの手入れを始めた。
何故だろう。何故今までほったらかしにしていたのだろう。いつもオレは後になって大切なことに気づかされる。いや、人間なんて大半そんなものか。相手の本当のことなんて簡単にわかるものじゃない。本当のことなんて軽々しく他人に言えるものでもない。でも真実を明かすことで救われる人もいるのだろう。元カノが家族のことでひどく悩んでいたこと。明るく振る舞っていた親友が実は手を出してはいけないものに手をだして、借金地獄に堕ちて消えてしまったこと。全て後になってわかったことばかりだ。まぁ、先にわかったとしてもオレに何かできたかどうか……
やがて手入れを終えた。
演奏しきれるかどうかやや疑問が残るが、何とか今日1日は持ちそうだ。
鏡で髪型と眉の形を確認し、ゆっくりと靴を履いた。思えば数日振りの外出だ。行ってみようじゃないか。終焉前のご近所に。オレは外に出てみた。
世界最後の一日。だからなのか? 外は驚くほど静かでまるで正月を迎えているかのようだった。テレビでもやっていたが、世界各地で多くの人々が一カ所に集まっている現象が起きているそうだ。宗教やら何やらの括りで全国一同に集まり最後の時を迎えようと言う趣旨で行われているらしい。それは自然発生的に行われてもいるようだが、ものによっては敢えてこの時に開催するイベントもあるとのことだ。有名ミュージシャンが集まって音楽祭をおこなっていたりもするし、スポーツのイベントが開催されるとも。こうしてみるとオレたち人類とはなんと呑気な生き物なのだろうか。そう感じずにいられない。
東京。八王子。湯殿川の川沿いを歩く。はしゃぐ子供と手を繋ぎながらひと時を過ごす家族がふと目に入った。子供が幼く、親も若そうな感じがするので新婚さんなのだろう。勝手な想像で申し訳ないが、オレは少し離れた場所でそんな家族を眺めながら心を温めた。「こういう最後もありなのかも」と呟きながらオレは目を閉じ、最後のひと時を過ごす家族を通り過ぎた。話しかけても良かったか。でも、きっと邪魔にしかならないだろう。「幸せな人には幸せであって欲しい」と元カノが別れの際に言ってきたのを思い出した。あの時は「別れたくない!」の一点張りだったが、そんな言葉よりもっと言うべき言葉があったのではないかと思う。まぁ、今更な話だ。しばらくオレは幸せの絶頂にある家族を再び目に焼き付けながら、煙草を吸って時間を過ごした。
そろそろ夕方になるのだろうか? いや、隕石の流星群がいよいよ地球に迫っているからなのか、空が変な紫色に変色していた。
オレは歩きながら、思ってもみなかった現実を目にした。それは今自分がいる場所から離れずに生活を営んでいる人が結構いることだ。干していた洗濯物を取り込んでいるおばちゃんや川沿いで仲良く煙草を吹かしている爺さんたち。そこにはいつもと変わらない生活が確かにあった。人類最後の日が何だと言うのだ。こんなにも人間はたくましいじゃないか。お陰様で「誰もいない静かな外で一人リサイタルをやってやる!」とのオレの願望は実現困難となった。
オレの願望に止めが刺さったのはそれからすぐのことだった。
川のほとりで一人の女子高生がオレのやろうとしていた事をまさにやっていた。その光景を目にした途端にオレの中で何かが崩れ落ちた。何と言う事だ。
少々の悔しさを噛みしめつつ、ゆっくりとギター少女に近づいた。
ギター少女はかなりの大声で歌を歌っていた。「だからそれオレのやろうとしていたことなのに」という本音は決して声に出しては言わない。オレは彼女のすぐ後ろで彼女の音楽をしばらく鑑賞した。
彼女はギターの腕もさることながら、節の効いた歌もかなり上手だった。見事としか言いようがない。しかし何でまたこんな所で歌を歌っているのだろうか。しかも一人で。彼女の演奏がひと度終わると、オレは敬意を込めて拍手を送った。
「わ! ビックリした! 何ですかいきなり!?」
「いや~うまかったよ。うん。うまかったよ」
「あ、ありがとうございます。おじさん、この辺の人?」
「お、おじ……お、まあ、そうだな。ちょっと離れているけど。この辺と言えばこの辺だ。いつもこの辺で演奏なんかしているのか?」
「ううん。普段は家から出ることが滅多にないよ。でももう明日はないからね。今日は満足いくまで好きなことしてきなさいって言われたの。多分帰らないかも」
「そうなのか……」
「おじさんは? ギター持っているけど、いつも歌っていたりするの?」
「え? いいや、これは家族の荷物だよ。今運んでいてね。それより君上手いねぇ」
「何よ? スカウト? ナンパ? こんな時にサイッテッ」
「いや、そんなつもりは全くないよ。良いものは良いと素直に言いたいだけだよ」
オレは財布を取り出して百円玉を取り出して彼女に投げ渡した。
「ナイスキャッチ!」
「ちょっ、これは?」
「鑑賞代だよ。お金持ってないからそのぐらいで勘弁してくれ」
「……ありがとう」
それからオレは急ぎ足で家路を辿った。生まれて初めての路上(川沿い)ライブに臨める絶好のチャンスだったのに、結局やらず仕舞いとなってしまった。だが不思議にもどこか気持ちは悪くなかった。オレにとっては多分良い出会いだったのだろう。また会うことなんてもうないのだろうが……。
彼女は日本人離れした色白の顔で、瞳が青く、明らかに外人かハーフの女の子だった。きっと彼女には彼女の人生があり、あの場所で歌を歌うまでにも様々な経緯があったのだろう。何にしてもオレは本物のミュージシャンと出会えた気がした。これを一期一会と言うのかもしれない。
爽やかな風を感じてオレは川沿いを歩き始めていた。いずれ自宅に着くだろう。周囲に宣言したようにオレはオレの選んだ場所で世界と人生の最期を迎えるのだ。全くどぎまぎしないかよ? と、聞かれればそうではない。やはり死ぬのは怖い。だがここにきてどうだろう。そこから逃げてしまおうとは思わない。逃げられるものでもないのだ。こんな風に人間の心と言うものは、脆いようで案外なかなか強いものなのかもしれない。まぁ、それもその時によりけりなのだろうが。
アパートが近くになった時、オレは異変に気がついた。閉まっている筈のコンビニが開店していた。いよいよ何もかも終わるぞと言うこの時に。
オレは立ち止まって一瞬考えたが、突入することにした。これに興味を持たずにいられない。
ガラガラなコンビニに居たのは眼鏡男子の店員だ。店員はオレが入店するなり「いらっしゃいませぇ!」と元気よく挨拶をしてきた。ごく当たり前のことなのかもしれないが、今は不自然なことこの上ない。あと数時間で何かも終わるはずなのに、この店員は一体何を考えて出勤したのだろう? お陰様でオレは買い物をしなくちゃいけなくなった。そんな空気が店内に充満していた。結果的に全財産をはたく形でオレはカップヌードルとお茶を購入した。
「317円になります」
「…………」
「500円お預かりの183円のお返しになります」
「…………」
「ありがとうございました♪」
「あの、ちょっといいです?」
「はい?」
「もしかして今晩ここで迎えるつもりなのですか?」
「ええ。そうですよ」
「そうですか。なんかすいません。変なこと聞いて……」
「いいえ。僕みたいなのは変わり者だと思いますよ。今の僕はこれがしたいことですから……」
「お仕事に誇りを持っておられるのですね」
「いいえ。何ていうか……本当は医者になりたくて大学に行っていたのですが、こんなことになってしまって。夢半ばで辞めたのです。でも今更親元に戻るっていうのも、これまたなかなか気が進まないもので……あ、すいません。何だかベラベラと喋っちゃって」
「いいですよ。何ていうかオレも似たようなものなので。感心しました」
「明日、もしも“無事だったら”是非いらしてください。お待ちしていますよ!」
「そうですね! 是非!」
オレは颯爽とアパート前のコンビニを出た。なんと逞しいコンビニ店員が近所にいたのだろう。でも、おそらく初めての面識ではない。オレと彼が会う時などせいぜい勘定の時のみで、下手をしたら顔を合わしてすらない。なんとも不思議な出会いだった。そして「最後」と言うのも世の中人それぞれなのだな。
「はあ~どうするよ~」
オレはオレの部屋に戻り、大の字で横たわった。テレビをつけてみる。どこのチャンネルを見ても、世界各所の場所に多くの群衆が集まっている模様を映しているだけだ。中には生まれ変わったら来世が何たらとか言っている番組もあった。しかしその番組の中で出てきた神々しい黄金の仏像が凄く嫌でテレビを消した。時計は午後7時を過ぎていた。残りあと約1時間。
時刻を確認した途端、急に心臓がドクドクと高鳴りだした。そうだ。遂にくる。終わりの時が。オレはただこの部屋で閉じこもってさえいればいいのだろうか? いや、どうしようと「死」というものは痛みを伴うもの。いずれくるその衝撃にオレは耐えられるのだろうか? 次第に不安が胸の奥から体中に浸食していくのを感じるようになった。間違いない。世界中の数多くの人が今のオレと同じような状態にあるはずだ。ああ、オレも家族か誰かと一緒に最期の時を迎えているようにすれば良かった。後悔の思いが沸々と湧いてくるようだ。そして時間の経過も絶え間なく長く感じられる。何もかも終わるなんて信じられるかよ? でも窓から見える空は確かに終焉の色を晒していた。
最終的に実感するしかなかった。向き合うしかなかったのだ。
オレは無意識のうちにケースからギターを取り出した。残り時間はあとどのくらいか? 10分、いや、この際そんなことはどうだっていい。オレはベランダに出てギターを構えた。外は生温かった。空の色は濃い紫から薄明るいピンク色に変色していた。もう少しで地球に幾万の星屑が降ってくるのだ。
ギターのコードを適当に押さえてみる。うん。調子は悪くない。
空が眩しくなってきた。いよいよだ。
オレは渾身の歌を空に向けて歌い放った。
元カノの為に作って贈った歌。この世が終わりを迎えても最後の最後まで貴女を愛しぬくという歌だ。まさかこんな時に歌うことになるなんてね。だけど変だ。それが嬉しくって涙が止まらない自分がここにいる。身体が溶けるように熱い。ああ、そうだ。今全世界の人々が漏れなく「死」をこの瞬間に迎えている。でもオレは今この瞬間、誰よりも“生きている”と感じて止まなかった。
――そこで目が覚めた。
オレは炬燵に入って寝ていたようだ。夢か。夢だったのか。ついているテレビをボーっと観る。そこには今話題沸騰中のハーフ系女性シンガーソングライター「アビル」のインタビューが映されていた。彼女はついこないだ重病を患い他界したことで話題となっている。死んで人気になるなんて、何とも皮肉な話だが。インタビュアーは病床でなおも曲作りに励む彼女にその理由を尋ねていた。
『えっとーこないだ夢を見ましてね……どこかの川土手で弾き語りしていると、そこの近所のおじさんが拍手して、褒めてくれて。別れ際に100円玉を投げてくれて。勿論夢だから今手元にはないのだけど……なんだか俄然やる気がでたのです。可笑しな話ですよね。でもどこかの誰かが私の歌を聴いてくれるのなら、それが嬉しくて私は自然と作っているのだと思います』
テレビに映るアビルの顔をまじまじと観て驚愕をした。さっきまでみていた夢に出てきた少女そのものだったのだ。元々オレは彼女のファンでもなければ、彼女の歌を聴いたこともない。だからこのテレビで観る彼女が初見になる筈だが……
妙に気分の悪くなったオレは洗面所で顔を冷やし、外に出ることにした。
オレは特にワケもなくアパートを出てすぐのコンビニに寄った。
今度は夢にでてきた店員とバッタリ出会った。一瞬目が合い、何とも言えない空気になったが、特に何も起きなかった。だがあの表情、オレと同じく驚きを隠してはなかった。一体何だろう。何だと言うのだろう。ひとまずオレは適当に選んだお茶とカップヌードルを買った。このコンビニには当分来ない方がいいのだろう。オレには大した問題ではないが、やれやれ面倒な事に巻き込まれたものだ。
コンビニから家まで1分もかからない。だけどどうも落ち着かなくて、道端で煙草をじっくり吸うことにした。しかしそんなひと時もあっけなく終わり、気がつけばオレはまたも自宅の炬燵に入ってボーっと過ごしていた。テレビが無意味にバラエティ番組を流している。灰皿には吸い殻が溢れていた。
なんと不思議な1日を過ごしたのだろう。
そういや、あの夢の中でオレは学校を辞めていた。でも現実には辞めてなんかいない。長いこと通ってないのは確かだが。
「久しぶりに行ってみるか」
そうオレは呟くと、炬燵の上に置いてあった退学届けを破り捨てた。もう一度、もう一度だけ自分に挑んでみたくなったのだ。
明日も地球はまわる。多くの人が為せば成らぬことを成そうと励むのだろう。そうであれば空虚に日々を過ごすのはなんと虚しいことか。すっかり目が覚めたオレの視線はテレビから埃被っているギターに向けられた。
読んでいただきたいへんにありがとうございました。期待させておいて最後はこういうオチでありました(;´∀`)ですがどうでしょう?明日世界が終わるのなら、皆さんはどういうことしますか??たまにはそんなことを語り合うのもいいのかもしれませんね(^^)