狂意
利人の元に戻った頃には、既に日を越していた。かれこれ三時間ほど利人を一人で待たせたことになる。
「悪いな、利人。思ったより家に長居しちまって」
「いいよ、別に。俺はもう、家に帰ったら多分母さんたちに捕まっちまうから。……それにしても、長居ができたってことは、本当に大丈夫だったんだな。そんなにたくさん荷物持ち出して来られるくらいだし」
言いながら、俺の背中のリュックに目を向けた。辺りには、人工の明かりは無いが、月の光でシルエットくらいは認識できる。家から懐中電灯も一応持ってきてあるのだが、点ければ見つかりやすくなるのでそんな危険なことはしない。
「ああ。とりあえず、まずは着替えよう。サイズは、まあ、多少大きいかもしれないけど」
「馬鹿にしやがって。そんなに俺小さくないですよーだ!」
利人がふんと鼻を鳴らす。因みに、利人の身長は百六十前後だ。平均的な高さである。しかし、俺の身長が無駄に高いので、服のサイズもおのずと違ってくるのだ。少し機嫌を損ねたようで拗ねる利人をなだめつつ、適当な服を渡す。
「制服は、どっかその辺に捨ててこうぜ。持ってても荷物になるだけだ」
環境的には宜しくないが、そうする他無かった。
着替え終わると、俺たちは橋には上らず、先ほどとは逆方向に川沿いを進んだ。周りの森が田畑に変わったところでちゃんとした道に出ようということになったのだ。日が明けるまでにどのあたりまで進めるかはわからないが、とにかくこの村からだけは出たかった。辺りが明るくなる前に、昼間の時間をつぶす場所も見つけなければいけないので、あまり時間は無かったが、一時間も歩けば村からは出ることができた。隣の村も森が多いところなので、隠れるところにはそこまで困らずに済みそうだ。地元が田舎で本当に良かったと改めて思った。
さて、これからは暫く県内を歩き渡る生活が続くだろう、と俺も利人も考えていた。昼間にこんな子供が歩いていたら不自然なので、夜中に動くしかない。これから昼は長くなっていく一方だし、何をして暇をつぶそうか、等と言って話していたところだ。しかし。
それは、その日の白昼に起こった。
ゾクリ。
利人と交代で睡眠をとっていて、丁度俺が寝ているときだった。
不意に変な寒気がして俺は目を覚ます。利人も同様にそれを感じたようだった。この感じは……
「兄弟」
「まだいたのかよ」
利人は、昨日のことを思い出したのか、うっと顔を歪めた。
「これで最後になるんじゃないか。……それにしても、昨日の今日でまた会うことになるとはな。しかも、昨日のや、お前の時のとはまた違う感じだな」
勿論、胃が締め付けられるような痛さはあるし、全身の毛が逆立つかのようなあの感覚もする。しかし、この寒気は
「なんか、今まで以上の殺気だ」
利人の呟きが聞こえた。
そう、殺気である。
今までも十分に感じて来た感覚ではあるが、今回のそれは今まで以上のものなのだ。恐らく、距離としてはまだそう近くは無いのだろうが、まるで相手が目の前に居るのではないかと思ってしまう。
「近づいてきてるな」
少しして、殺気がぐっと増した。すごい勢いでこちらに向かっているのだろう。逃げなければと思う一方で、少しもこの場を動く気にはなれなかった。
とにかく、殺気のせいで内臓が今にも破裂しそうだ。
「とりあえず、体をほぐしておこう。喰うにしろ喰われるにしろ、戦闘は免れないだろうからな」
ついさっきまで寝ていた俺は特に、入念に体をほぐしておく。これほどの殺気の持ち主だ。きっと昨日の双子とは比べ物にならないだろう。
時計を見ると、現在の時刻は午後一時。騒ぎを起こしても部外者にばれないよう、更に森の深いところまで下りていく。
「そろそろ来るな」
「ああ」
今までとは違う緊張感。気持ちを落ち着かせるために、深く息を吸う。
ガサガサ。
たった十数分後。物音が近づいてきた。それと共に、殺気も近づいてくる。
そして、木陰から、一人の男子が現れた。
「おま……が…………、……うだ……か?」
そいつは、何かを言った。ニュアンスで、何かを尋ねられているのだということはわかるが、滑舌が悪くてその内容までは聞き取れない。低く、ほとんど音になっていないその声は耳に痛い。
薄汚れた身体。伸び放題のぼさぼさの髪。焦点の合っていない目。乾ききった血がこびりついている口元。
どうやらそいつは、化け族の本能に意識を乗っ取られて、神経がイカレてしまっているようだ。
「ん、あーあー。悪ぃなあ。さー……いきん、誰ともしゃべってなかったからよお。うまくしゃべれねえんだわ、おれ」
頭をかきむしりながら、そいつはにへらと笑った。長い舌で唇を湿らせ、そしてゆっくり続ける。
「お前らが、おれのキョーダイか? んー、まあそおっぽいけどな。お前ら、おれと同じだからな」
俺たちのことはお構いなしに、一人でベラベラと話を続ける兄弟。どうやら話はできるようだ。ただ、会話になるかどうかはまだわからないが。
「なあ兄弟、殺り会う前に、名前くらいはお互い教え合わないか? 兄妹の名前も知らずに死んでいくっていうのは、ちと虚しいものがあるからな」
利人が言った。それに対して、兄弟はいいぜと頷く。
「言いだしたのはそっちなんだからあ、そっちから名のれよ?」
「俺は利人。で、こっちが……」
「隆盛だ。俺たちは二人とも、化け族として目覚めてから、まだ二年くらいしか経っていない。兄弟、お前はどうなんだ?」
「俺は、ニンゲンとして生きてた時のキオクなんざ、もうほとんどないくらいだ。だから、いつからーとか、おぼえてねえよ。……なあ、ききたいことはそれだけかあ?」
兄弟は、既に布きれのような状態の服の袖をまくり上げ、
「おれの名は、■■■■だ!」
勢いをつけて地面を蹴った。
肝心なあいつの名前が聞き取れなかった。結局俺たちの兄弟は、何という奴だったのだろう。
「飛びどうぐとは、ずいぶんとヒキョウじゃねえかよ、おれの兄弟――リヒトにリューセイ」
兄弟の死に際の台詞はそれだった。
飛び道具――簡易な弓矢のことだ。俺が狩りをする際に使っていたものを、家へ戻った際に持ってきたのだ。俺が自分で作ったものだから、飛距離はそこまでないが、矢の先端にはよく研いだ刃物を付けてあるので、刺さったらそれなりのダメージはある。家を出てくる前に、少しだけ弓の弦を補強してきたので、威力も増しているはずだ。
矢が兄弟に刺さり苦しんでいるところを、利人が小刀で仕留めた。それも、俺が家を出て来る際に持ってきたもの。
刃渡りがそこまで長くないため、深いところまでは刺さらないが、刺した刃を引っこ抜けば、そのうち大量出血で死んだ。随分と苦しい死に方をさせてしまったが、俺たちにはそれくらいしか方法がなかった。
兄弟の遺体は、俺が喰うことにした。傷口からあふれ出る新鮮な兄弟の血液を見ているうちに、喉がとても乾いてきたのだ。身体を血肉で満たしたい。兄弟を喰った昨日の今日で、そんな衝動にかられた。利人はそういった要求よりも昨日旧友を喰ったダメージの方が強かったらしく、自ら俺に譲ってくれた。利人が項垂れている中、俺は一人兄弟の遺体にかぶりついていた。
暫くして、俺が食事を終えると、いつの間にか利人が居なくなっている。もう暫くすると、ビニール袋に水を入れて戻ってきた。
「そのままだと、移動中に人に会ったら一発でアウトだろう? 顔を洗った後に、ついでにさっきの武器の刃も綺麗にしておこうぜ」
とのことだ。気を利かせてくれたらしい。それに、そうして動いている方が気が紛れて楽だったのかもしれない、とちらりと思った。
移動をしている間、俺は化け族としてのこれまでを振り返っていた。
二年前、化け族として目覚め、
一年前、利人も化け族として目覚め、殺されかけた。
二週間前、兄弟が二人も目覚め、
昨日、その二人と出会い、殺し合い、初めて兄弟を喰った。そのまま住み慣れた村を出て、その際には母と父の話を初めて聞いた。
そして、今日。名も知らない兄弟に出合い、殺し合い、そしてそいつも喰った――
此処二日で、一気に人の道から逸れてしまった。いや、化け族の子孫である時点で、既に人ではないのだが、それでも、此処二日以前は特に目立ったことも起こらず過ごせてきた。つまり、大きな変化はなかったのだ。それが昨日、初めて兄弟を喰ったことにより、今までの生活を失い、状況が急激に変わっていく。
現段階で俺が二人、利人が一人の兄弟を喰った。残るはあと俺と利人の二人だけだろう。頭の中にインプットされている情報により、そう確信できる。
そうなった今、利人は、兄弟狩りの協力者ではなくなった。ならば、隣に居るこの兄弟を、一刻も早く喰うべきだと思っている自分がどこかに居る。その一方で、まだまだその時ではないと思う自分と、そもそも利人を喰う気なんて微塵もない自分も居るのだ。
とにかく、二人も兄弟を喰ってしまっている俺は、残りの一人である利人を見ることによって、喉が渇いているような気になるようになった。二年前の、初期ほどではないのが救いだった。だからと言っていつまで平然を装っていられるかわからない。ある日急に自我を失ってしまったら……と考えると、少し不安だ。
「とりあえず、これで、他の兄弟に喰われないだろうかって怯える必要は無くなったわけだな」
と、昼間、利人が言っていたのを思い出す。今は利人の考えに乗っ取り、そう思っておくようにしよう。いつ起こるかわからないものに怯えているよりも、今は目の前のことだけを片づけていこう。そのためにも、とにかく遠くへ行かなければ……。
そう思えば、不思議と気が楽になった。