シャルトーのお願い 完
「それでこの部屋なのか?」
「そ、そう……」
中庭から移動してきて現在屋敷のある部屋の前にいる。ぼくはどうしてもシャルトーのお願いを振り切ることができずにここにいた。
扉は虎子望さんのお父さんの書斎ほど立派なものではなかったが、猫神様ご自慢のキャットフリーな猫専用扉はここでも存在感を放っていた。
部屋まで案内してくれるとは言ってくれたのだが、ここに近づくほどにシャルトーは絞首刑台に連れてこられる囚人のように大きく身震いをしていた。
その原因は中にいるとある人物のせいであるらしい。
ここに来るまでにシャルトーから事情は聞いておいた。
「談話室にあった僕がずっとお気に入りだったクッション、純君が自分の部屋に持って行っちゃったんだ」
「ふんふん。で? 自分で取りには行ったのか?」
「そ、それが純君がいるときは入りたくないし、いないときもこの扉からはクッションが大きすぎて持って出ていくことはできないんだ」
「ふむふむ、なるほど。で、純君とは誰?」
「あぁ、純君知らないのかい? ありさお嬢様は知ってる?」
「う、うん。ご主人に挨拶に行ったときに、一緒にいた女の子がそうだって猫神様が言ってたよ」
流石に元同級生とか言ってもわからないだろうからめんどうな説明はしないでおこう。というより元人間だということは話していいものなのだろうか、いや話しても通じる相手じゃなさそうだ。
「それで純君ていうのは?」
「純君はありさ嬢様の弟さんで今ヨーチエンセイだって、センプスが言ってた」
虎子望さんには弟がいたのか。知らなかった。
「そうか弟さんがいるんだね。それでなんで純君がいるときに部屋に入れないの? 入ったら怒られるとか猫が嫌いとか?」
「ううん、別に怒ったりはしないよ、ただ……」
「ただ?」
ここでシャルトーはのどをごろごろ鳴らすばかりでなかなか次の言葉が出てこないようだった。
「――怖い。他に言葉なんて思い浮かばない。ただ、怖いんだ」
そう言うと身体の毛を逆立ててなにか怨念でも振り払うかのように身震いをした。ここまで怖がるとはよほど素行の悪い子なのだろうか。いやいや幼稚園児で不良とかこんなにいい家庭で暮らしているのにあり得ないだろう。
でもそれならどんな理由だろうか? 自問自答しながら部屋に近づいて来た。
今純君は部屋にいるはずだからぼくはここで待ってるねと言われ渋々一人で猫専用扉から純君の部屋の中へと入っていった。
「お、お邪魔しま~す」
我ながら意味のないことを、と思いつつも口から自然に出てしまう。さらにそーと抜き足差し足で部屋の中へ侵入していった。
部屋は幼稚園児一人で使う部屋ではないだろうと思う程とても広く、あちこちにおもちゃが散っている。
しかしいつもは手に収まるほどの大きさだったものが急にぼくより大きくなったものだからまるでおもちゃたちがぼくを見張っているような錯覚がした。
すぐ目の前でぼくを見下ろすゴリラの人形は今にもぼくの尻尾を引っ張ってきそうな迫力だ。さらに山積みにされたぬいぐるみの中の犬はチワワなのにぼくの四倍はあり、今はドーベルマンより恐ろしく見えた。。ただそのチワワは大きな瞳をうるうるとさせ愛嬌をふり撒まているだけなのだが。
しかし周りを眺めてみても意外にも最近流行のゲーム類は見当らなかった。ぼくの近所の幼稚園児はみなDSとかをなぜか玄関先でやっている風景を多々見たものだが。
教育としてまだ早いと持たせてもらえないのだろうか? それだったらやはり良い親だな、なんて上から目線な思考を展開していると、急に目の前に影ができた。
いた!
と認識した時にはぼくはもうすでに彼の手によって宙にいた。ここの人間には会うたび持ち上げられるな。それがぼくの最初の感想だった。
純君は、虎子望さんにはあまり似ていなかった。
ただ、彼の父親であるご主人にはそっくりだった。ご主人のひげを無くし髪をワックスで固めていなければ、純君の出来上がりだ。きりりと釣り上った目尻、鼻は少し高めで高貴な印象を持たせる。ただまだ幼いなりにふっくらと肉付きがいい頬である。
「うわー、みたことない猫いるー。こんなぬいぐるみはもってなかったから本物だ」
なぜかぼくを持ってぐるぐると回りポヨンポヨン跳ねる。虎子望さんの時とは違い扱い方がひどく雑だ。持たれている脇が遠心力と相まってずきずき痛む。
「尻尾もふさふさだね~」
ぼくをさらに持ち上げ顔に尻尾が当たる位置でぼくの尻尾をいじりまわしている。どうだ自慢の尻尾だぞと誇らしく胸を張りたかったが脇が痛い。
そろそろ下ろしてくれと抗議の鳴き声をあげてみたらすんなりおろされた。やけにあっさりしていたので今度は何をする気だと身構えたが純君はぼくを見ながらあごに手を当てうんうん唸っている。
「なにか足りないんだよね……。あ、わかった! ちょっとまってろよ~」
と言ってなにやら押入れの中身を物色し始めた。ぼくには待ってる義理はないので、早々と目的の物を探すことにした。
「えんじ色のクッション、えんじ色のクッションはと……ていうかえんじ色ってなんだよ。わかりにくい色指定すんなよな。赤っぽい茶色って言ってたけど……」
おもちゃの山のほうにそれらしき色を発見したぼくは山の方へと接近した。
「やっと、みつけた~」
純君はなにかを見つけたらしい。こちらもシャルトーの言っていたであろうえんじ色のクッションを発見。これ咥えて出口で鳴けば純君が出してくれるだろうなんて思ったのが間違いだった。
「こら~、まっててって言ったんだから動いちゃダメだよ~」
乱暴にお腹を持たれたぼくは肋骨が数本軋む音を聞いた。そして純君の前に下ろされる。
「勝手に……」
「動いたら……」
「ダメなんだからね!」
こいつ思いっきりヒゲ引っ張りやがった。なんて凶悪な野郎だ。数本抜けたかもしれない。シャルトーが怯えるのもわかってきた気がする。
それから純君はおもむろに顔を崩して、横にあるなにかのセットを取り出し始めた。
「やっぱり真っ白じゃつまんないよね! なに色がいいかな~、うーん決めた! オレンジ好きだからオレンジ色にしよーと」
あ、え? おい、ぼくのお気に入りの白毛に何しようとしてやがる。その絵具でべたべたになった手でぼくをつ、つかむのか。うわぁやめろぉ。
「これで、こうして。なかなかうまくつかないな~」
「フミャ――――」
「あ、あばれるなって! へっへーん、爪が届かない捕まえ方おねーちゃんに教えてもらってるから無駄だよー」
「ウニャ―――――――」
「おっとと、よーし足はぬれなかったけど、かんせー。あっ、イタッ! かみつきやがったなこいつ、うぁ、ち、血が出てきたよー、うわぁーん」
「フシャ―――――」
ぼくのお気に入りの真っ白な毛は無残にも安っぽい絵具で彩られ、鮮やかなオレンジが所々乱雑にちりばめられてしまった。
流石に最初は引っかいたりしたらまずいかな、生意気なりにも屋敷の息子だしなとも考えたけど我慢の限界。ぼくの誇りをあんな安っぽいもので塗り変えられるなんてごめんだ。
大音響で鳴き喚く純を心配したのだろう。女中さんらしき人と虎子望さんが慌ただしく部屋に入ってきた。
「まあ、ぼっちゃんどうしたんですか」
「あ、あの猫がぼくの指をかんだの」
「あら、見たことない猫。野良猫は入れないはずなのにどうして……」
「野村さんこの子は野良猫じゃないわ。昨日新しく猫神様が連れてきた子なの。ほらうちの首輪をつけているでしょう。それにしても……」
オレンジで汚れたぼくを抱きあげた虎子望さん。ああ、やっぱり純の奴と違って慈愛に満ち溢れた抱擁だ。
「純、猫はおもちゃじゃないと前にも言ったでしょう。お父様からも言われているでしょう猫は人間と同じ生命だって、あなたはお姉ちゃんにも絵具をぬるの?」
「う、ううん。ぬらない」
「お嬢様、ぼっちゃんも怪我をなされています。これくらいで……」
「わかったわ。野村さんは純の手当てをお願い。私はこの子を洗ってくるわ。早くしないと綺麗な毛が傷んでしまうわ」
「かしこまりました」
そう言ってぼくを抱え直し虎子望さんは純の部屋を出ようとしたのだがぼくはこのままでは引き下がれない。シャルトーのクッションを奪還するためにここに来たのだから。一心不乱にあのクッションのある所めがけて飛びだそうと懸命に手足を伸ばした。
「あら、そんなに動いたら落ちちゃうじゃない、ダメよ」
優しくなだめられ、痛くはないのだががっちりガードされてしまい動きが取れなくなってしまった。
「ミャ~」
名残惜しくえんじ色を見送っていると神のご加護か虎子望さんがそちらに目線を移し
「あ、談話室のクッションじゃない! なくなったと思ったらこんなところにあったのね。もう勝手に持っていかないでよね」
とぼくを抱えている方とは反対の手でクッションをとり純の部屋を出た。おー、シャルトーよぼくはやってやったぞ! 実際にとってあげたのはぼくじゃないけど。
部屋の前ではシャルトーが不安と期待が入り混じった姿で待っていた。オレンジ色に変わり果てたぼくの姿を見て、それから虎子望さんの持つえんじ色のクッションを確認すると口元に薄い笑いを浮かべながらも目的の品を虎子望さんの細い指から奪い取り全力で逃げて行った。
「あ、シャルトーこら! もう! 今度はシャルトーがクッション持って行っちゃったじゃないの、もう。でも先に君を洗ってあげなきゃだしね。もう今度見つけたらただじゃおかないんだから!」
今度は純よりも怖い相手を敵に回したようですよ、シャルト―君。
「あー、もう乾いてきてパサついちゃってる! 早くシャワーしなきゃね」
はい、早くこのファンシーな色を落としてください。