シャルトーのお願い
「ふいー、食った食った~」
幸いにも食べ物はこの部屋の中にあった。たいして探すこともなく食べ物にありつけた。
昔人間のころに食べた猫缶のツナは味が薄くて食べられるものじゃなかったと記憶していたので、最初は不安だったけれどいつもの食事よりむしろおいしく、お腹八分目で我慢することができなかった。
うまい食事で忘れかけていたけれど、ミルーさんを探しに行かなければならないんだ。
昨日のことは人間で例えると、本人が見ている前で女子の布団に顔をうずめるているというシチュエーションだろう。しかも会って間もない全然知らない子のである。改めて思い起こしてみると今更ながら恥ずかしく思え、顔が熱くなってきた。
外に出て顔を冷やそうと思い部屋を出る。見る人のやる気を奪うようなどんよりとした雲が空を覆ってはいるが、中庭は初夏の香りを漂わせ歩く者に活力を与えるようだった。
この中庭は枝がだらしなくたれさがっている木がたくさんあった。
しだれ桜だろうか。このやる気のなさそうな感じはぼくの好みであった。春は過ぎ花を拝むことはできないけれど青々とした濃い匂いが辺りを夏色に変えている。
木の間を縫うように歩いているとひときわ高い木の上で、屋敷の窓を凝視しているシャルトーを見つけた。なにやら昨日とは異なる神妙な雰囲気を漂わせて窓を見ているので声をかけるのを躊躇した。しかしぼくの気配に気がついたのかあちらのほうから昨日と変わらぬのんきな声で声をかけてきた。
「おーい、こんなところでなにしてるの、っさ」
「ああ、実はミルーさんを探していてね」
腐っても猫である。ぼーとしていても軽々と木から降りてた。最近はメタボ猫なんてのもいるけど適度な運動はしていそうだ。
「ミルー? 今日はまだ見てないなぁ」
「そうか残念。そういえばシャルトーはさっき寝るとか言ってなかったけ? こんなとこで寝ていたのか?」
「ふぇ? ぼく寝るなんていつ言ったっけ? 言ってないよー、今日は朝七時くらいまで寝ていたんだもの、眠くなんかないよ~」
「あ、え? そうなのか? 寝起きで聞き間違えたかなぁ」
「大丈夫? もうボケているのかい? 見かけによらずお年寄りかい?」
こいつにはボケているとか言われたくなかったが、ボケはともかくここの猫たちと比べて年季が入っているのは間違いない。ぼくは一七だから猫年齢だとかなりのお年寄りに分類されるはずだ。
「あー、まいっか。ぼくが寝起きでボケていたんだろう。それじゃあね」
「あ、ま、まって」
「ん? まだなんか用なのか?」
「う、うん。実はお願いしたいことがあって……」
シャルトーはさっきぼくが来たときに見ていた、丸い窓を見上げて真剣な顔をつくった。
「えっとね、ある部屋に置いてるクッションを取り返したいんだ」
「はあ? そんなの自分でとってくればいいじゃないか」
「そ、それができないから君にお願いしてるんだよぉ」
二言目で先程までのキリリとした顔が一変、ぼくのつれない態度に顔のしわが深くなった。
「シャルトーにできなくてぼくにできるとは思えないけど……」
年季が入ったおじいちゃんだからではない。猫歴たった二日目なぼくにシャルトーができないことを頼まれても困る。実は未だに高いところから飛んで降りるのが少し怖い。着地の瞬間は自然に受ける体制になってはいるのだけれど。
「だ、大丈夫だよ。ぼくは臆病だけど、スズ木君だっけ? スズ木君なら勇気あるしできると思う」
「あ、一応ぼくはスズっす……」
昔の名前が出てきて、うんとか言っちゃうところだったけど。
「でもぼく自慢じゃないけど勇気とは縁のない奴だと思うけど
「えっ、そんなことないよ! だって昨日の夜さ、初日からミルーの寝床を使おうとするなんてすごいよ! ぼくなんてあの目で見られただけでおしっこちびっちゃいそうだもん……」
「は、はぁ」
やっぱりミルーさんは怖い方なのね。面と向かって謝るのが怖くなってきた。手紙とかじゃダメかな。あぁでも猫じゃ手紙とか書けないか。
「でもぼく今ミルーさんを探している途中だし……」
なんだか面倒なことになりそうな予感がしたので逃げる体勢に入った。昔から面倒事には首を突っ込まない主義が体に染み付いているのだ。
「そ、そんなぁ、うっ、うっ。ぼくスズ君に置いていかれたらどうしていいかわかん……」
「あ、おい。泣くことないだろ」
数秒でマジ泣きモードに入ったので流石にびっくりした。まだまだ子供なんだろう。
「だ、だって」
「わ、わかったって、取ってきてやるから泣くなって。ほら、これで涙を……」
っていつも常備しているハンカチがない。って当たり前か猫だし。
――ぶびー。
なんだ拭くもん持ってたのか、って
「おい! なにひとの尻尾で鼻かんでんだよ!」
人一倍尻尾は気に入ってるのに! 今日の朝だって歩きながら手入れしたっていうのに。
「え? だってこれでって尻尾向けてきたからそうなのかと」
ハンカチとる仕草で後ろを向いたことでシャルトーのほうに尻尾うを向けてしまっていたのか。
「それで、ほんとに手伝ってくれるの? ほんとにほんと?」
ぼくの落胆の様子をよそに目とかんだばかりの鼻をキラキラさせて尋ねてきた。
「あーもー、しょうがないな。やってやるって」
と、こんなわけでシャルトーの手伝いをさせられる羽目になった。そうぼくは昔からお人よしな性格が染み付いているのだ。それが原因で重傷を負ったというのに。
猫は悲しくて涙や鼻水を流すことはありませんが、
物語ですので目をつむってあげてください。