物語が始まる?
「スズっち、ありゃ完全に惚れられたぜ。あのトラ猫とやりあってた時ミルー見てたからな~。もううっとりって感じ。スズっち結構ルックス良いし、強くてカッコいいんじゃミルーも惚れちゃうね。ありゃ、スズっちがミックスとかすっかり忘れちゃってるよ」
ロイはこう語ります。
「あらあら~、なんだか私が想像していたのと全然違うベクトルに進んでるみたいでびっくりですねぇ。でもこれはこれで面白いからなんにも文句は無いんですけどね。フフフ」
これはセンプスさんの話。彼女がなにを期待しているのかは知らない。
「最近ミルーが怒りっぽくないんだ。なんか変な感じだけどぴりぴりしてるよりはいっかー。なんかいいことあったんだね~」
あの鈍感そうなシャルトーさえ変化に気づいている。
そうあの日ぼくはミルーに惚れられた。そして日常が変化した。
ある日の食事中。
「あら。今日のご飯はマグロの中トロですか。やっぱりマグロは脂が乗りすぎてない中トロが一番ですよね、スズさん」
「あ、うん。おいしいね……でもなんでぼくの器とミルーさんの器はこんなに近いの? こんなに広いんだしもっとのびのび食べようよ……」
人間時代にすら食べたことのない極上のトロをおいしく食べたいのだがやたらと身体を寄せてきて全く食事に集中できない。
ある夜。
「おーい、スズっちーあっそびいこーぜー」
「あ、うん。行こうかー今日はなにするんだ?」
そこにぼくの弱点である尻尾が甘噛みされる。
「ひゃうん! なにするんですか、ミルーさん」
いつの間にかぼくの背後にいたミルーさんはぼくの弱点を掌握していて得意げに鼻を鳴らした。
「今日は私と……行きませんか?」
なぜ頬を赤くする? 弱点握られてぼくが一緒に行かざる負えない状況を作り出しておいて。
「ロイすまん。今日は一緒に行けないみたいだ」
「あ、うん。今日もだな。仲良くやれよー」
最初の方は助け船を出してくれていたこともあったのだがここ最近は全然だ。後ろにはぼくの尻尾を未だに噛んでいるミルーが満足そうにしていた。
「いつまで噛んでるんですか! 気持ちよ……じゃなくてくすぐったいからやめてください」
「いいじゃない。私は好きよこの尻尾」
「ぼくも好きですけど、そういうことじゃありませんってば」
妻のお尻に敷かれる夫というのはこういう感じなのか。世の不憫な男性の気持ちを共感できる日常になってきていた。
行き過ぎた女の愛とは恐ろしいものだ。
ミルーは人間の虎子望さんにさえやきもちを焼く。先日のお昼のこと。
お、今日も紅茶を飲む姿が美しい。縁側でのんびり読書している虎子望さんを発見。縁側にティーカップと何とも言い難い組み合わせだがいつも通り可愛いなと思いながらかまってもらおうと接近。
「あら、スズ。今日もいいお天気ねえ」
思惑通りに虎子望さんはぼくを膝に乗せてくれ丸くなったぼくを撫でてくれる。自然と喉が鳴ってしまう。なんて癒される状況。雲ひとつない爽快さが突き抜ける青い空、どんなに高級なソファにも劣ることのないこの膝。背中を撫でられながら夢心地でまどろんでいるというのに……
「フシャ――――」
怒り狂った猫の唸り声がぼくを現実へと引き戻す起爆剤となった。全身の毛を逆立て猛烈に怒っている。
ぼくが来る前のミルーはあの手この手でお嬢様に愛でられる手段を講じていたらしい。のだがぼくが虎子望さんに可愛がってもらっているのを見ると猛烈に怒るようになった。
お嬢様の方に……
「私のスズに何触ってるのよ! お嬢だからって許さないんだから!」
身体を、腕を、足をひっかく、ひっかく、ひっかきまくる。
だけどそれをされている本人は全くもって痛そうではない。それはミルーが爪を立ててないからだ。傍から見ればじゃれついているようにしか見えない。実際虎子望さんはくすぐったそうに身をよじらせるだけだ。怒っていても流石に爪を立てないのは長年の付き合いだろう。
「もうっ、ミルーたらくすぐったいからやめなさいって。うふふ」
「こんのくそアマ。さっさとスズから離れろっての!」
ミルーが罵詈雑言を吐いているが虎子望さんは愉快そうに笑うだけ。そんな風景はここ最近よく見る。決まってぼくが虎子望さんにかまってもらっている時だ。昔はぼくが憎悪を向けられていた気がするのだが、今は嫉妬心を虎子望さんに向けている。
女の子の心を理解することは宇宙の大きさを測定しろと言われているようなものだと思う。
ミルーに付きまとわれていること以外はぼくの日常は平穏だった。しかし最近猫神様の姿が見えないことにミルーのことでドタバタした毎日だったためか気が付くことができなかったのだが、ある日唐突にその日はやってきた。
夜遅くに猫神様が屋敷に久方ぶりに姿を見せた。しかしその全身がズタボロになり憔悴しきった身体を見て皆唖然としてしまった。
「みんな気をつけるニャ。奴らが来る。奴が……」
そう呟き倒れてしまった猫神様。すぐに屋敷の人間に知らせにセンプスさんが走っていった。残された皆とぼくは倒れた猫神様の最後の言葉を反芻してはみるもののその意味を理解することはできなかった。
現在猫神様は屋敷のご主人達によって治療されている。傷の状態など詳しくはわからないけれどここの人たちなら絶対に直してくれると信じて今は待つしかないのだがやはり猫神様の言っていたことが気になって仕方ない。早く復活してくれないものだろうか。
他のみんなもこの猫部屋に集まっていた。誰もが顔を伏せうなだれた様子で厚い雲に覆われたような陰鬱な日が続いた。
「あの、センプスさんは何か知っていたりしないんですか? 猫神様がああなった理由とか最後の言葉の意味とか」
彼女も元気のない様子だったがこのままではいけないと思いこの中で唯一何か知っていそうなセンプスさんにすがってみた。
「そうねぇ。なんとなくだけどミケ様が最近頭を痛めていたことは知っているわ。ただそれが今回のことかどうかはわからないのだけど……」
「いえ、何でもいいんです! ぼくは今なにが起ころうとしているのか全く分からないんです。どんな情報でもいいから欲しいんです」
ぼくの勢いに必死さを感じてくれたのか、彼女は佇まいを直した。いつものテディベア座りだ。
「わかったわ。結構長い話になるかもしれないから座って頂戴。あと他のみんなもこれから巻き込まれるかもしれないから聞いて頂戴な」
こうしてみんなテディベア座りで円を作ってはなしを聞くこととなった。
「まずみんなミケ様からなるべく野良猫たちと接触しないように言われていると思うけれどそうよね?」
「う、うん。みんな目つきが怖くて自分から近づきたくもないよ」
「気丈なお嬢様はこの前喧嘩売ってたけどな」
「う、うるさいわね! 襲われそうになったから抵抗しただけよ!」
「まあまあ。それで? そのこととなにか関係があるんですか?」
「そうね。特に全身真っ黒で他の野良猫とは異質な雰囲気を持ってる猫は見たことあるかしら?」
「うーん、ぼくはないなー」
「私も」
「俺もないな」
「ん? ぼくはもしかしたら見たことがあるかもしれない。なんだか深い闇を連想させる猫だった」
ぼくはここにくる最初の日に病院を出てから出会ったあの黒い猫を想起していた。確かにあいつは他の猫とは大きく異なった雰囲気を持っていた。
「私も見たことはないのだけれどミケ様が言っていたのはたぶんその猫なのでしょう」
「それでその怖そうな猫にミケ様は襲われちゃったの?」
シャルトーは言った。まるで自分が襲われているかのように足は震えていた。
「確証はないわ。最近は特に気をつけるように言われていたからそうではないかなと私は考えているってだけね」
仮にも神なのだから余程のことでないとああまでズタボロになるとは考えにくい。前見たく考え事してて道でトラックに轢かれたとかだったら、あの時ぼくらに気をつけろと言うはずがない。シャルトーを除いてみんなはそんな心配をされるほどぼーとしていない。
――奴と会ったら全力で逃げるニャ
あの時あいつはそう言った。詳しくは話してくれなかったが鬼気迫る顔は冗談にはとれなかった。
「ぼくがその猫を見た時猫神様はあの黒い猫と敵対関係にあると言っていました。だからぼくも今回のこともそれに関係あると見た方がいいと思います」
「あら、スズさんなにも知らないとか言ってたくせに結構知ってらしたんですのね。私から情報を引っ張りだす必要なんてなかったんじゃありませんこと? 私よりよく知っているというのにスズさん結構意地悪な方なんですのね」
そういうとセンプスさんはしずしずと泣く真似をした。
「だー。ベ、別にそんなつもりじゃないですってば! しかもその話してくれなかったらぼくたぶんこのこと思い出さなかったですし!」
嘘泣きと分かっていてもぼくは結構慌てて下手な弁明しかできなかった。
「あー、スズっちが泣かせたー。ひでー」
「スズ君自慢はよくないよ」
「私はどんなスズさんでも大好きです!」
「あなたはもう少し空気を読んでください。そしてお友達でお願いします」
「三対二でスズ君はいじめっ子のSに決定ね」
「えぇ! 急になんですかそれ。そんなくだらない話してる場合じゃないでしょ!」
「私はどんなスズさんでも受け入れます! だ、だから、一緒にねて……」
「だ、か、らーそんな話してる時じゃ。そしてあなたは最初のキャラが崩れすぎています、自重してください」
いつの間にかセンプスさんはクスクス笑ってるし、二人もニヤニコしてるし今までの重い雰囲気はどこに行ってしまったんだ。
猫神様が見たらなんて言うか……
きっと、人が深刻な時だってのにみんなしてなに笑ってるのニャーとか怒りそうだな。
「なになに? コイバナ? わしも混ぜて混ぜて」
「……」
「ぬあ!? 猫神様! いつの間に!?」
「さっきの間に。いやーみんななんか楽しそうな雰囲気でわしだけ仲間はずれとかずるいニャ」
ぼくも含めて五匹全員突然の猫神様出現に水槽の金魚のように口をアグアグさせるだけで、誰も次の言葉が出せないでいた。




