その9 嫌わないで下さい
『――とっても楽しいところですね、ガッコーというのは。みなさん、とってもいい方ばかりで』
『あー、まー……ね』
夕方。
俺は帰り道をだらだらと歩いている。
例によってナーちゃんをお姫様だっこ。隣には葵さん。
横顔が夕陽に染まったナーちゃん、にこにこしている。
そりゃそうだろう。
――思わぬ成り行きでエビと鯛の調理、じゃなかった撃退に成功した後のことである。
「えーっ!? なに、このコ!? かっわいー!」
「なになにーっ? 海藤君の彼女なの!? うっそー! ありえなーい!」
……悪かったな。どーせ俺はありえませんから。
ってか、彼女じゃねーし!
彼女じゃ、彼女じゃ……彼女じゃ……彼女じゃ……。ナーちゃんの中ではダンナになる勢いではあるのだけれども。
むっきーっ!!
やっぱ、ナーちゃんの愛をスライディングキャッチすべきなの、俺!? ひとり外野手になって、ナーちゃんが放つ愛を右中間だろうとレフト線だろうと、受け止めてやる運命……?
男には来る愛を拒む権利はないのかーっ!
かき揚げ(鯛+桜エビ+イワシ)が空へと消えたあと、さすがにナーちゃんはちょっと沈んでいた。さびしそうにぼんやりとしている。
俺の気持ちがどこにあるか、気付いてしまったから――。
春香ちゃんを諦められないんだけど、かといってナーちゃんも可哀相で仕方がない。
浮気症っていうの? こういうの?
あーもー! しらねーよ! しらん、しらん!
が、俺と春香ちゃんとナーちゃん、三人の気持ちのトライアングルなんか知らない女子達。
ナーちゃんが人魚であることに気がついたからさぁ大変!
――殺到。
女の子でも女の子に関心もつのか。
男は逆だな。男が男に興味なんか(普通なら)もったりしないよ。
汗臭い生き物だしね。寄ってたかると環境によろしくない。
まだ数学の時間、残っているのだが、クラス全員アウトオブ眼中。
なぜなら、男どもは男どもでこれまた、セクシーな葵さんに熱中しているのだ。
メスの蚊を発見して欲情するオスの蚊である。
「どこに住んでいるの?」
「今は姫様のお傍におります」巧みにかわした!
「あの、あのっ、その……メアドなんか、お持ちでは……」
んなもの持ってるかよ、ばか者!
「メアド……ですか?」
質問された葵さん、百分の一秒くらいのスマイルを披露したのち
「私は姫様と達郎様をお守りする役目ですので、そういうものは……」
途端に、野郎どもの「ケダモノ」目線が一斉に俺に向けられ
「海藤……! お前、女ッ気がないと思ったら、陰でやることやってたのか!」
「この、淫乱ドスケベマニアックムッツリ変質者め!」
なにおっ!
国語数学理科社会じゃなくて「男女のコト」を学ぶために通学してきているお前らなんかに言われたくないわ! ……年頃の男女はまあ、仕方がないけれども。
「まぁまぁお前ら、そう言うなよ」
そこへ割って入ったのは、にこにこした史郎だった。
「海藤はなぁ、ケータイの電池が切れちまったんだよ。――だから、許してやれよ」
あ?
それ……フォローなの?
俺自身に対してじゃなくて、ケータイに対するフォローですよね?
「むー! 納得はいかんが、高波が言うならやむを得まい!」
「早く充電しろ! この色魔め!」
色魔の群れに色魔呼ばわりされるのは心外だが、途端に野郎どもは沈静化。
ってか、なぜそこで納得する!?
天然系イケメンの存在感というものは、女子だけじゃなくて男子にも効果抜群らしい。
そのメカニズムは全くわからないが、ヤツが男からも女からも常に人気があるのは確かだった。
『達郎さま……』
机の上でサーカスの見世物化していたナーちゃんが、急に俺にしがみついてきた。
『みなさん、どうなさったのでしょう? 突然、私のところへ集まってきたりして……』
人間の言葉がわからないナーちゃん。
いきなり取り囲まれて注目され、心底困惑している。
『それはね――』
俺は説明してやった。
若い人間の女子というものは、自分よりも優れたモノに対して憧れを抱く習性があり、可愛くて美人のナーちゃんを一目見てみんな興奮してしまったのだ、と。
――ウソは言ってないと思うけど?
現実にナーちゃんは、金井よりも白根よりも貝田よりも美人で可愛くて素直でおっとりで癒し系でセクシーで、間違いなく「校内・お嫁さんにしたい女子コンテスト」ぶっちぎりナンバーワンになるだろう。校内ってのはどうだろう?
ただ、俺の表現が直球過ぎた。
途端に彼女は「きゅん!」という顔で
『そんな、達郎さま……! 私をそのように褒めていただいてはいけません。そんな風に言っていただいてしまったら私、恥かしくて、どのようにすればよいのか……』
俺の胸に顔をうずめてもじもじやりだした!
すかさず黄色い歓声が爆発。
「やっだー海藤クン! 今、なんか口説いたんでしょー!?」
「キミはボクのすべてだ! キミがいなかったら、この世に愛は誕生しなかっただろう! ――とかなんとか、言ったんじゃないのぉ!?」
「やーっ! カノジョ、恥かしがってんじゃん! 早くなんとか言ってあげなよぉ! ガッコー終わったら、ウェディングドレスをみにいこうか? なーんて」
ちがーうっ! ちゃぶ台ひっくり返すぞコノヤロー!
あれば本当にぶちかましていたに違いない。
……うちの幸子といい、女ってのは一体なんなんだ!
どーしてそう、他人の恋とか愛が大好物なんだよ! ごはん三杯食えるのか!?
女子ども、勝手に妄想をおっぴろげて勝手に盛り上がってやがる。
好きにしろ。
俺は……そう! あくまでも、直接死の宣告を突きつけられるまでは、なんとしても春香ちゃんにこの胸の純愛を――はっ!?
そ、そーだった!
人魚という生き物はどこまでも情が深くて、疑うことを知らない生き物。
俺が優しい目を(当人にいささかもそのつもりはなかったが)しただけで、胸キュンになるくらいだし。
と、いうことは……俺のさっきの解説は、ナーちゃんにとっては――
『達郎さま……。私は嬉しゅうございます。人魚の私を、そのように思ってくださるなんて……』
その美しい瞳をうるうるとさせて、熱っぽく俺を見つめているナーちゃん。
『ナタルシアはずっと、達郎さまのお傍についてまいります……!』
――ノーン!!
あとはもう、後の祭り。
キャーキャー騒がれている四面楚歌の俺、そしてうれしはずかしでごろにゃんしているナーちゃん。(きわめて遺憾だが)納得いかなそうに憤慨している野郎ども。
終わった。
なにもかも……。
俺と春香ちゃんの間には「永遠」という名のシャッターが下ろされたよ。
決して上がることのない、冷たい鋼鉄の……。
ふと、その春香ちゃんの姿が目に入った。
盛り上がりまくっている輪の外でひとり、じっとこっちを見つめている。
が、それは俺じゃなくて――ナーちゃん?
人魚なんかに浮気しやがって。
きっと、そう思っているに違いない!
いいよ、もう。
俺はナーちゃんと一生、ラブラブするさ。もう、全世界公認のカップルですよ。
浮気野郎とでも浮き輪野郎とでもなんとでも、罵るがいい!
罵るが……罵るが……ののし……られたくないよ……。
――などという、ロミ男とジュリエットよりも悲しい一日を終え、ヤケメシを食うために帰路を急いでいたのである。
今日なら、どんなに最悪で腹だたしい幸子の料理も残さず食えそうな気分だ。
黒い生姜焼きでも、衣が白い天ぷらでも、赤いかたまりの存在感全開なマーボ豆腐であったとしても……。ぜんぶ、冗談抜きにあるけどな。ちなみに昨夜のかき揚げはなぜか歯ごたえ感ゼロだった。
ガッコーから俺の自宅まで、徒歩で二十分。
毎月の定期代をケチった幸子が、俺に無断で願書を出したからこうなった。言い忘れていたが、地球は幸子を中心に回っていて、彼女がそうだといえば例え南極と北極でさえ入れ替わるのだ。自分の子供などは茶碗に残った飯粒ほども気にならない女である。
俺達は自宅にほど近い商店街にさしかかっていた。
買い物をしに出てきたおばちゃん達、多数。
その中を、人魚を抱っこしつつ超セクシー美女と並んで歩くのだから、奇異な視線がぐっさぐさと俺に突き刺さってくる。
平静な顔を保ちつつ歩くに耐えなくなった俺は
「葵さん」
声をかけた。
道の両側に立ち並ぶ商店を面白そうに眺めていた彼女は
「はい、達郎様」
「その……オーシャンイーグルって、どういう仕掛けなの?」
どういう仕掛けだろうと、俺にとって別に問題はない!
ただ、話題が欲しかっただけだ。
「ええ、これはですね――」
水分を瞬時に凝縮しつつ弾丸と化して発砲できる、海の世界の武器なのだと教えてくれた。
「普通は手に入らないものなのですが、南の海にいるドルファが手に入れて送ってくれたのです。姫様をお護りするには、これくらいのものは必要でしょう、って」
ドルファ?
また、あらたな固有名詞が登場した。
葵さんの大切なお知り合いなんだろうね。
ま、南氷洋の鯨太さんといいドルファさんといい、協力してくれているということは、他にも仲間がいるという証拠なんだろう。特に鯨太さん、クジラだもんな。なんか、えらく頼りがいがありそうだ。こっちにきてはくれないんだろうか。
そういうことをぶつぶつと考えながら歩いていた俺。
すると。
道の先で、俺達を待ち構えている人影を見つけた。
最初は夕陽が逆光となってよく見えなかったが、よく見れば――春香ちゃんだった!
春香ちゃんはゆっくりとこっちに歩み寄ってきて、俺の前で立ち止まった。
「海藤クンの家、こっちの方なんだってね? 高波クンに訊いたら教えてくれたのよ」
「あ? ああ、史郎がね……教えてくれたんだ」
内心、他校の不良にでも出会ったかのようにどぎまぎしている俺。口調がオウムになっている。
とうとう「死の宣告」をしにここまでやってきたのかと思った。いうなれば、俺はてくてくと死刑場への道を歩いてきたことになる。「恋の死刑場」! イヤな例えだな。
が、よくよく考えれば、それはあり得ないというものだ。
なぜなら――俺達は付き合ってたワケでもなく、まだ告ってもいなかったし。
じゃあ、なぜ春香ちゃんはここにいる?
彼女はいつもどおりのほんわかフェイス。殺気とか邪悪なオーラは出ていない。
「……海藤クン」
「あ? え……? な、何?」
春香ちゃんは急に、そっぽを向いた。
顔が赤くなっている。
「私ね……人魚のコ相手に嫉妬しているのって、なんだかヘンだなぁって思ったの。よくよく考えてみたら、自分で自分が可笑しくて」
ゆーっくりと、小さな声で呟くように、春香ちゃんは言った。
はぁ。
はい。
さようなものでしょうかね?
……ん? 嫉妬? それって――
「で、さ」
はい。
そのまま、しばらくあっちを向いていた春香ちゃん。
急にくるっと向き直るなり
「私は、その……別に、海藤クンのことを、キライじゃないから!」
言い捨てるなり、春香ちゃんは「だっしゅ!」で走り去って行ってしまった。
……?
にゃ?
あえ?
これって、もしかして……許してくれたってこと!?