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その63 10+8+0+2

 峰山を、止めるしかない。

 そう決めた俺は床を蹴って突進した。

「セーイ!」

 突っ込んできたセイウチ野郎を軽くすり抜け、前へ前へと進んでいく俺。

 だが何せ、峰山までの距離がありすぎる。

 しかも十頭前後だと思われたセイウチ軍団はさらに数を伏せてあったのに加え、海へ帰ったと思っていたウツボども、それにトドまで出てきたから性質が悪い。

 遠くにちらりと、必死な俺を眺めて冷たく笑っているフィルの姿が目に入った。

「ふふん、抵抗するのはやめたまえよ、海藤君。君がいかに下劣な軟式野球部で鍛えていたといっても、なにせこの通り」

 ヤツは機械のスイッチを掲げて「すべては僕の手にあるのだからね」

 そうしてそのまま、無情にも電源を入れようとしやがった。

 万事休す!

 峰山の指が機械のスイッチをポチッとやり――やや間があって、建物全体がゴゴゴゴと振動を始めた。機械が動き出しちまった。

 これまでか。

 土壇場にきて、ブルーフィッシュを守りきれなかった――。

 再び海が汚され、そのためにブルーフィッシュへ戻れなくなったと知ったらナーちゃん、どれだけ悲しむだろう。

 でも、こうなってしまえばどうすることもできない。

 俺はあきらめかけた。

 だが――

「な、なんだ!? なぜこんなに、工場が揺れる? まさか、据え付けに不備があったとでも……」

 そう。

 機械が稼働するにしては不自然なくらい、工場全体がえらく揺れていた。

 マグニチュードいくらの直下型地震にでも見舞われているようだ。

「セーイセーイ(どうやら静まれ、というニュアンスのようだ)……」

「トッ、トドッ? のつまり!?」

 あまりの激震に、暴れまわっていた海獣組の連中も右往左往し始めた。

 そして。

 ばごーん! どーん! がっしゃーん!

 巨大な機械の間の通路に敷かれていたアミアミ鉄板(よくわからんが、工事現場とかによくあるヤツ)が見る間にあちこち弾け飛んでいく。

 まるで、地震というよりも怪獣に襲われているみたいだ。

 立っていられなくなり、俺は床に伏せた。

「……!?」

 そこで見てしまった。

 大穴の開いたところから、赤くうねうねとした、ほとんど大木のような巨大な触手が突き出てきたのを!

 やっぱり怪獣か!?

 いや違う。

 これって、これって、もしかして――

「……また海を汚すつもりかね? 懲りない人間達がいたものだな!」

 どこからともなく、でかい声がした。

 ドキュメント番組のナレーターにあるような、重低音の効いた澱みがなくて聞きやすいおじさん風ボイス。ラジオのパーソナリティとか、カラオケなんか歌ったら恐らく聞き惚れるだろうけど、それはともかく。

 どがーん! すどーん!

 出来立てほやほやだった工場の床は瞬く間にぶち壊されていき、一本しか見えていなかった触手が次々と床下から飛び出していく。

「あきゃーっ!」

「トドーっ!」

 まるで神の怒りに触れたかのように海獣組の連中は恐れおののき、クモの子を散らすように逃げて行く。逃げ道を争うあまり、セイウチ同士でケンカになったりしている。

「お、おい! お前達、どこへ行くんだ! 逃げるんじゃない――」

 激震の中で峰山は叫んだようだが、もはや言う事を聞くヤツなどいなかった。

 さっきまで余裕しゃくしゃくで悪女の笑みを浮かべていたフィルも、峰山に抱きついておろおろしているし。

 そして、ついに。

 ばっごおぉん……!

 その辺にある機械なんかよりもまだでかい、見上げても足りないくらいにどでかく赤い何かが現れた! しわっとしていて、どちらかといえば日光焼けした赤色みたいなカラーリングのそいつは――

「……お前かね、フィルーシャ! 人間と結託して東の海を支配しようとしていた悪いコは!」

 その姿を一目見るなり、がくがくと震えているフィル。

 彼女を抱き抱えている峰山も腰を抜かしたらしく、ずるずると床に座り込んでしまった。

 説明は要らないだろう。

 赤くてうねうねとした何本もの足を持っている方といえば、ずばり――タコ。

 ぶっちゃけ、ありえないサイズ。

 声が声だけに、タコのおじさんってところだな。

 タコおじさんは頭の下についている、これまたでっかい目ん玉をギョロリと向き

「そこの人間の若者! お前もお前だ! どうしてこんなコトをする! 海を汚せば、お前達人間だって生きていけないっていうことが、なぜわからん!」

「たたたたたたたたたたたた、た、タコ……」

 もう、あのクールな峰山はどこにもいない。

 今はただ、タコおじさんに睨まれて半べそをかいている哀れな金持ちのボンボンがいるだけだ。

「お前達、お仕置きだ! 反省しなさいっ!」

 ぶちゃっ!

 これはもう、お約束。

 タコおじさんは峰山とフィルに大量のスミを吐きかけた。

 二人とも逃げられるはずもなく、たちまち真っ黒け。目をぱちくりさせて呆然としている。ギャグアニメとかでよくこういうシーン、あったかも知れない。

 悪党に天罰を加えたタコおじさん、ちらりと俺の方を見ると

「……おや? ナタルシアちゃんの婚約者、確か達郎君といったかな? どうしてこんなところにいるんだい?」

 あえ?

 タコおじさん、どうして俺のことを?

 床に伏せていた俺はゆっくりと立ち上がり

「確かに、ナーちゃんの婚約者で海藤達郎っていいますが……どこかでお会いしましたか?」

 すると、タコおじさんは目を細めて愉快そうに笑い出し

「おお、やっぱりそうだね! ナタルシアちゃんやドルファちゃんから聞いていたよ。……私は十八同盟のスミスというんだ。達郎君とナタルシアちゃんの婚礼があるからって、ドルファちゃんがわざわざ呼びにきてくれてねぇ。君と会うのは初めてだ。これからよろしくねぇ」

 ドルファちゃんの名前が出てきた。

 と、言っているそばから

「はーい! たっつろーさまーっ! たっだいまーっ! ドルファ、もどりましたぁ!」

 スミスおじさんの腕の一本をひょいひょいとよじ登り、ドルファちゃん登場。

 んー?

 そーいうことかっ!?

「あーっ! あなたがスミスおじさんですかっ! どこのどなたかと思ったら……」

 ようやく合点がいった俺、一人で何度も頷いているとドルファちゃんが

「あぇ? あたし、説明しませんでしたかぁ? スミスおじさんはぁ、大きなタコなんですよぉって」

「うん、聞いてない……」

 俺達のやりとりを聞いていたスミスおじさんは「はっはっは」とでっかい声で大笑いして

「私はねぇ、普段は太平洋の真ん中で暮らしているんだよ。あんまり大きいものだから、このあたりの海じゃあ狭くて暮らせないんだ。久しぶりにやってきたと思ったら、この」ギロッとスミまみれのフィルーシャを睨みつけ「フィルが海獣組の奴らをそそのかして悪いコトをしているようだと聞いたものだからね。そしてちょうど、昔このあたりで海を汚していた建物と同じものがつくられているのを見かけたのさ。人間達がまた同じ事をするつもりなら一つ懲らしめてやらねばと思ってやってきたんだよ」

 ――滑り込みセーフもいいところだ。

 タイミングがあとちょっと遅かったら、また海が汚染されていたところだった。

 スミスおじさんの派手な登場によって、工場の中はメチャクチャ。あの新品の機械もぶっ壊れてしまっていて、峰山がスイッチを押したはずだがさすがに動いていないようだ。人間がやったことなら器物破損とかで犯罪になるだろうけど……海の世界の住人がやったんなら、法律じゃ裁けないよな。

 ってか、これだけ破壊力があって俺達の味方になってくれる心強いおじさんがいたんだったら、今までの色んな苦労はなんだったんだ! さっさとブルーフィッシュを救ってくれい!

 まあ、たくさんの困難を乗り越えてきたから、今の俺達があるんだけどさ。

「ところで、たつろーさまぁ?」

 ドルファちゃんのぱっちりした美しい瞳がじっと俺を見ている。

「どーして、こんなところにいらっしゃるんですかぁ? あたし、たつろーさまにお会いしたいと思って、早く帰ろうと思っていたんですぅ」

 そーかそーか。

「それはねぇ」

 かくかくしかじか。

 俺はスミスさんとドルファちゃんに、事情をかいつまんで説明してやった。

 全てはそこで真っ黒になっているバカ野郎とその実家、ならびに色ボケ性悪人魚が仕組んだ謀略であって、決着をつけるためにここへやってきたのだということ。

「あれぇ? だったら、あたしとスミスおじさんが今日着くって、連絡が届いてませんかぁ? トビノちゃんに先に行っててもらったんだけどなぁ……?」

「それ……誰?」

 新たな固有名詞だ!

「トビタローちゃんの妹ちゃんですぅ」

 あいつに妹がいたのか。そりゃあさぞかし速いだろうな。

 でも、俺の家にやってきたことがないから、迷子にでもなってしまったんだろうか。

 とりあえず、それはおいといて。

 峰山はともかく、そこのバカ人魚をどうしてくれたらいいものか。

 リーネは自爆して愛くるしい「リーネちゃん」に変身、無事マサに引き取られたからいいものの……フィルーシャはおしない草もこわね草も口にしてはいないからフィルーシャのままだ。彼女の処遇については海の世界の住人達に任せるより判断のしようがないんだな。

 とか思っていると

 ズゴゴゴゴゴゴゴ……

 再びものすごい揺れが! 今度こそ地震かっ?

 すると、こともなげにドルファちゃんが

「あ! カイおばさんとエルシナさんが着いたみたい!」

 今日は馬鹿に初対面の方が多いな。

 カイおばさんにエルシナさん?

 どういった形態の方々かと思いきや、その答えはすぐにわかった。

 ばちこーん! と、でっかい機械が二つくらいふっとび、床下からこれまた巨大な、今度は白いのがにょきっと天井目掛けて生えてきた。

「遅れましてごめんなさい、スミスさん。最近老眼で、暗いとモノが見えないものですからちょっと迷ってしまいましたわ」

 気品のあるおばさまの声が轟いた。

「おお、カイさん。私達も、今着いたところだよ。我々年寄りには夜の海はキツいねぇ」

 ここまでくれば、わかりやすすぎる。

 白くてでかくてタコと双璧な生き物といえば――この世にたった一つしかいない。

「カイおばさまーっ! アタマ、大丈夫ですかぁ? ちょっと天井にぶつかってますよぉ!」

「大丈夫よ、ドルファちゃん。こう見えてもアタマは軟らかいの。おほほほほ――」

 楽しそうに笑っているカイおばさん。

 カイ、つまりはイカのおばさんでしたか。ゲソおばさん、とかよりまだネーミングは悪くないけど。

 で、スミスさんの足の数プラスカイさんの足の数イコール十八、それで「十八同盟」ということらしい。

 確かに……これだけ巨大なタコとイカがそろえば最強だな。

「おばさまーっ! こちらがナタルシアのダンナ様、達郎様なのーっ!」

「は、はじめまして……海藤達郎です……」

 挨拶すると、カイおばさんはでかすぎるヘッドを「ぶんっ!」と前に倒して

「こんばんは、達郎さん。カイと申しますの。ナタルシアがすっかりお世話になっちゃって。ナタルシアったら、こんなにステキな人間の男性をつかまえたのねぇ。うらやましいわぁ」

「カイさん、年寄りは年寄りらしく大人しゅうしないとねぇ。若者をうらやんではいけないよ」

「あら、私ったらはしたない。……おほほほほほ」

 目の前で楽しそうに談笑している巨大なタコとイカ。

 これはいったい――なんなんだろう?

 俺は半ば呆然としてそのありえない光景を眺めていた。

 いろんな海の連中を見てきたが、ここまでスケールが違いすぎると言葉もないというものだ。

 しかし、さらにダメ押しで俺は驚愕の存在と対面する事になる。

「――カイさん、少しだけ、足を上げていただけませんでしょうか? ここでは地上の様子がわかりませんの」

 床下から、声がした。

 女性の、それも今までに聞いたことのない透き通ったフルートの音色のような美しい声。

「あらあら、ごめんなさいね。年をとると、こうも物忘れがひどくなっちゃって……」

 足の一本で頭をかきつつ、カイおばさんは別の足をゆっくりと上にもちあげた。

 その足の上には――一人の人魚が座っていた。

 ナーちゃんよりもずっと大人びていてしかし美しく、視線をやるのが憚られるほど全身から気品が溢れている。真っ白く透けるような肌に、きゅっと細く引き締まった完全といっていいほどの身体つき。そのセクシーなボディには、天女の水浴びのように細長くふわりとした布が一枚、豊かな胸にかぶさっているだけだった。

 そして彼女の下半身は……黄金鱗。

 金色に輝く鱗をもつ者は、人魚族の中でも何十人に一人しかいない。

 そう、彼女は――

「はじめまして、達郎様。人魚族の長、エルシナと申します」

 にこっ。

 モナリザも軽く卒倒するような最高の微笑み。

 俺は度肝を抜かれた。

 ナーちゃんの愛らしい笑顔はもちろん俺にとって唯一のものだが、それとはまた別のものだ。

 ぶっちゃけ、海の世界の頂点に立つ存在。

 だけどエラそうな感じなどは少しもなくて、どこまでも慈愛に満ち溢れた神々しい笑顔。海というよりも、この世の女神様ではないかと思ってしまうくらいだ。

「こ、こんちは……」

 不覚にも、そう言ってぺこっと頭を下げるのが精一杯!

 するとエルシナさんはふふっと笑って

「ナタルシアは人魚族のコ達の中でもとびきりの甘えん坊さんですから、達郎様にはとてもご迷惑をおかけすると思いますが……誰よりも優しくて、心の直ぐなコであることはこの私が保証します。ですから、どうか、よろしくお願いしますね?」

「は、はい……」

「海の世界の者達がいろいろとご迷惑をおかけしてしまったようですが、ブルーフィッシュの平和についてはご心配いりません。ナタルシアとは達郎様の世界で、安心して暮らしてくださいね?」

 そして彼女は足許で真っ黒けになっているフィルーシャに目をやった。

 途端に表情は一変。

 見た者全てを石に変えてしまうんじゃないかというすさまじい恐怖のオーラ全開で

「……ところで、フィルーシャ。あなたはいったい、何をしているのですか? ちょっと私が目を離したスキに」

「大姉さま……それは、その……」

「リーネといい、あなたといい、心悪しき人間と手を組んで野望を叶えようなどと、呆れて物も言えません」すうっと息を吸い込んだかと思いきや「恥を知りなさい! 恥を!」

 ひえぇ!

 どうもすみませんでした! 俺が間違ってました!

 ……と、思わずこっちが詫びを入れてしまいそうになった。

 それくらい、エルシナさんの怒りは強烈で恐ろしいものだった。

「フィルーシャ、あなたには罰としてアンジェリカの代わりにアマゾンへ行ってもらいます。ピラニア達が悪さをしないように、しっかりと見張りをなさい。アンジェリカにはナタルシアの代わりに東の海を守ってもらいます。……言っておきますが、彼等はあなたのような心ない人魚には簡単に従うような連中ではありませんから。心して罪を償うように」

「はい……」

 ピ、ピラニア!?

 そのお目付け役って……見張りも何もフィルのヤツ、あっという間に食われてしまうんじゃないだろうか? エルシナさんも、見た目によらずコワい方でいらっしゃるようだ。

「それから、そこの人間の方? 海はあなた達だけのものではありませんよ。もし今後も、このようなことをして海を汚すというのであれば」

 美しくクリアなエルシナさんのボイスのトーンが一気に下がり

「……海の世界の総力を上げて相手になりましょう。よろしくて?」

 俺には海の神・ポセイドンの警告であるかのように聞こえた。  

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