その55 秋ですね
その後、魚住興業については多少の動きがあった。
まず、倒産。
これは近海MMの閉鎖がもっとも大きな原因らしい。負債総額ン億円というから、この地域土着の会社が抱えた借金としてはかつてない規模だ。
次に、魚住の強引なやり方に苦慮していたあちこちの取引先が立ち上がり、一斉に裁判を起こした。どうやら地元のチンピラとつるんで恐喝まがいの行為もやっていたとかで、警察が動く事態にもなった。魚住社長は逮捕こそされなかったが、もはやこの街で顔を晒して歩けない人間第二号になってしまった。第一号は峰山社長である。
追われるようにして近海からいなくなったらしいと、親父の知り合いの記者が言っていたようだ。マサが近工の連中を通じて聞いた話でも、近水に魚住の姿はないという。確報だな。
俺とナーちゃんが再会したあの近海マリンミュージアムも取り壊されるとかされないとか、街の人々の話題に上っている。噂では、峰山、といってもMCGの方――が再び権利を得たっていうし。もしかすると、建物を再利用して工場にするかもしれないということを、親父・舟一がもっともらしく語っていた。
――さて、俺達サイドはというと。
リーネちゃんの再誕生日(?)から数日後。
まず九死に一生を得たシャーク達はすごすごと南の海へと帰って行った。
「ホンマ、すいませんでした!」
居並ぶ俺達を前に、一斉に土下座した彼等。
やつらから手ひどい暴力を受けたドツボ以下ポイズンの連中はぷんぷん怒っていたが、俺はそれを制止しつつ
「お前ら、もう一度訊くけど……海の世界、平和な方がいいんだろ? 違うのか?」
「いや、達郎さんの言う通りだ。俺達は何も、争いを好んでいるワケじゃない。リーネから、十八同盟を動かして俺達を襲わせるって、脅されていたんだ。まさかとは思ったが、その、仲間達を危険にさらすワケにもいかないから、仕方なく……」
そのリーネ、もといリーネちゃんはマサに抱っこされて、すやすやと気持ち良さそうにお休み中。本当にあのろくでもないリーネだったのかと疑ってしまうほど、今のリーネちゃんはキュートである。マサにも、次第に彼女をいとおしむ心が芽生えてきたようで、ヒマさえあればあやしたり抱っこしたりしている。ちょっとパパに見えなくもないが。
「十八同盟が? そんなコトするハズないでしょー! スミスおじさんもカイおばさんも、とってもいい方達でぇす!」
ドルファちゃんが怒っている。
また新たな固有名詞が出てきたぞ。
十八同盟にスミスおじさん? カイおばさん? なんじゃソリャ?
「ともかく」俺は言った。「やっと、ここまできたんだ。お前らもひとつ、よろしく頼む」
「ああ、わかっている。もう二度と、お前達やブルーフィッシュには手を出さない。約束するよ」
そうしてシャーク達は去って行った。
これでとりあえず、リーネに加担していた連中はことごとく雲散霧消したことになる。
ウツボ達とは完全に和解したワケじゃないが、少なくともこっちにはドツボさんがいる。で、あのチンピラもどきの連中はバランサー達の監視化におかれ、肩身の狭い日々を送っているようである。まだお会いできていないが、バランサーの中ではジンベエさん級のでかさを誇るクジラさん達がこの近くまでやってきていて「悪さ、すんなよ?」とか言いながらウツボを見張ってくれているという。
唯一、あのセイゾーらの「ハーレム・THE・セイウチ」とはどういう話し合いもできないままになったが――風の便りでは、セイゾーはボスの座を追われたようである。若くてしっかりした新ボス、それに新しい人魚族のコを中心に迎えたとのことで、もはや悪事に加担する心配はなさそうだ。
こうして、長きにわたったリーネ一派の策動による海の世界のドタバタは(かなり急展開ではあったが)終止符を打たれた。
ま、俺達が一つ一つ力ずくで解決しようとしていたら、こうも早くは片付かなかっただろう。
ナーちゃんとこのブルーフィッシュとドルファちゃん達バランサーが協力したことから、次々と慕い寄ってくる連中が出てきて、しまいにはリーネがどうすることもできないような大勢力になったというのが大きいかもしれない。
滝女さんが言ったとおり、力は力の争いしか生まないワケで。
強い心があれば、争ったりすることなく、一番大切な部分でつながることができる。
よくわかったよ。
一切が片付いたその晩のこと。
「……ねぇ、ナタルシア」
ドルファちゃんが思いついたようにナーちゃんに尋ねた。
「そーいえば、スミスおじさんとカイおばさん、そろそろ呼びに行った方がいいんじゃない? 婚姻の儀式に間に合わなかったら大変じゃん。けっこーお年寄りだから、ここまで来るのに時間がかかるよ?」
ぶっちゃけ俺はこれといって何の関与もしていなかったのだが、水面下では着々と俺とナーちゃんの結婚話が進められているようである。人間の世界では男性は十八歳からじゃないと結婚できないのだが――相手は海の世界のコ。関係ないってばないか。
『そうですね。いろいろあって、お声がけするのを忘れていましたわ。スミスおじさまとカイおばさま、お元気でいらっしゃるかしら? 長いことお会いしていませんでしたわ』
懐かしそうなナーちゃん。
「んじゃあたし、呼びに行ってくるね! ジーナさん、あとよろしく!」
「はいよ! 気をつけて行っておいで! まだ海獣組の連中の幾つかは、油断できないからね!」
ドルファちゃんはスミスのおっさんとカイのおばちゃんだかを呼ぶために海へ出た。
結局、彼等が何者なのかわからんままだけど。
なんだかバタバタやっているうちに、もうすぐ十月。
ドルファちゃんが旅に出たとはいえ、海藤家は毎日えらい騒ぎだ。
「ダンナ、凝ってますな」
「んー。最近、デスクワークが多くてねぇ」
居間では親父・舟一がハナミノカサゴに肩を揉んでもらっている。
「ママさーん! お布団、干しといたよー!」
「あらあら、すみませんジーナさん」
最近は幸子、黙って旅行にいく機会がめっきりと減ったようだ。
ジーナさんといういいお知り合いができたからかも知れない。ま、幸子の頭の中なんか、何を考えているかわかったものじゃないが。幸子のお知り合いといえば、あのイワシャールはどこへ行ったのだろう。夏休みに風呂場からぶっ飛ばしたきり姿を見せていない。
――ま、いいか。
あの青魚、何の役にも立たないどころかいるだけで腹が立つし。
庭先で幸子とジーナさんがやりとりしているかと思えば
「おい、おめェら! 達郎さんの大切なお宅だ! キレイに掃けよ!」
「うっす! お頭!」
ドツボの指揮下、ポイズン達が竹ほうきで家周りを掃除している。
そこへマッチョ鯛とキンメが現れて
「うぉい! ブルーフィッシュからの届け物だぜぇ! 達郎さんはいらっしゃるか?」
「あーっ! この鯛野郎! せっかく集めたゴミの上に乗っかりやがって!」
「何ィ!? やるか、このフグ野郎! 今が旬だからって、調子にのるなよ!?」
フグと鯛がにらみ合っていると、にわかにぬぼーっとでかい影が。
言うまでもなく、ジンベエさんだけど。
「……お前達、争い、良くない。ここは達郎さんの家。争い、良くない」
「は、はい……」
そのジンベエさんの頭をぴょんと踏み台にして、トビタローが二階目掛けて飛んで来る。
「たつろーにーちゃーん! もう少ししたら、ブリさんが来るよー! おっきぃんだ!」
「おォ、ご苦労。来たら、居間に頼む」
「はーい」
また窓から飛び出して行ったトビタロー。よく働くヤツだ。
ふと、窓から外に目をやれば
「あァ……あったかいねェ。……眠くなってくるだろォ?」
「きゃっ!」
物置の屋根の上で大の字に寝転がって日向ぼっこしているマサ。
ヤツの腹の上には、にこにこしているちっこいリーネちゃんがいる。でっかい頃よりもずっとずっと幸せそうだな。いいコトだ。
なんだか嬉しくなってきた。
そんな彼等を眺めていると、ちょいちょいと袖を引かれた。
「ん?」
振り返ると、やっぱりにこにこと笑っているナーちゃんが。
『これ、どぉですかぁ? 達郎さまっ!』
前とは違うデザインのドレスか。
うんうん。
ナーちゃんにはとっても似合うよ。
だけど、これ……
「達郎様、いかがでしょう? このデザインこそ、姫様の魅力を十分に引き出せると思いませんか?」
ニシンのおばちゃん、やったらと自信満々だ。
その隣にいるアジのおばちゃんが不満そうに
「とは申せ、達郎様。これでは姫様の胸ばかりが強調されていて、姫様全体の魅力が伝わってこないと思うのですよ。やはり、この前私が縫ったデザインの方がよろしいかと」
確かに、ね。
肩から背中、胸元がずばり露出。下からすくい上げるようにしてあるから、今にも溢れこぼれ落ちんばかりになっているナーちゃんの胸! ってか、胸をちょっと隠してある以外はほとんど露出じゃないかよ……。
「いやいや、アジーノさんのより、私の方が……」
「何を仰いますか! ニシンシアさんのデザインでは、姫様がハダカ同然でしょう? 姫様に恥をかかせるおつもりですか?」
どっちのおばちゃんも譲らない。
判決を下してやる。両方不可!
アジーノさんのドレスはスケスケで胸まで露わだし、ニシンシアさんのは胸しか隠してないし。どーしてこう、両極端になるかね?
「両方を一緒に組み合わせたデザインにしてもらえる? 胸のところをニシンシアさんのやつをベースにして、周りをアジーノさんのデザインで固めればいいと思うケド?」
それが常識的なデザインというものではなかろうか。
にらみ合っていたアジとニシンは
「では、達郎様がそのように仰るのであれば」
何とか受諾してくれたようだ。
背後では葵さんが苦笑している。
「さて、姫様のドレスが落ち着きましたから、お次は」
くるりと振り返ったアジとニシン。
「葵様のドレスもご用意して差し上げたいと思いますの」
「え……?」
葵さんが固まった。
「さあ、葵様! 寸法を測りますから、お召し物を脱いでくださいまし!」
「わ、私は必要ありませんから! 姫様をお守りする立場ですから、ドレスなど……」
「何をおっしゃいます! 一番姫様を支えてこられたあなたが美しく飾らなくてどうしますか? さあ!」
「いやーっ! 要らないですってばーっ!」
アジとニシンに追われ、葵さんは逃げていった。
『達郎さまっ! このドレスでは……いけませんか?』
不思議そうな顔をしているナーちゃん。
前のめりになっているから、そのこぼれんばかりに寄せ上げられた胸がぽゆぽゆと重力に引かれるままに揺れている。
いけなくはないよ?
いけなくはないんだけど、やっぱり――親父を招待できないんだよねぇ、これじゃ。
人間と海の世界の連中がシャッフルしていて騒がしくはあったが、海藤家は今日も平和なのであった。