その43 毒も転じて味方になる?
翌朝のこと。
俺は庭に出て日課の素振りをやっていた。野球部はやめたものの、身体が鈍るといけないので素振りだけは続けるようにしている。
「おはようございます、達郎様!」
いつも早起きの葵さん登場。
彼女は毎朝、庭の花に水をやるのが習慣になっている。
「おはよう。ナーちゃんとドルファちゃん、まだ寝てる?」
「ええ。姫様もドルファさんも、朝が苦手みたいなんですよね」
葵さんは苦笑している。
ドルファちゃんはそうでもないが、ナーちゃんはとにかくよく眠る。昼間はほとんど俺に抱っこされているけど、気がついたら「すやすや……」って眠っている。
まあ、しょうがないかもな。
今の今まで、さんざんに苦労していたんだし。その分の疲れを発散すべく眠りまくっているんだろうな。とりあえず、よしとしよう。
バットをぶんぶん振り回している俺の傍で、花の一本一本に丁寧に水をやっている葵さん。
「……そうそう、そうでした」
葵さんが振り返った。
「由美さまとマサさまは、達郎様のご都合に合わせるとのことでしたよ? 伝言を頼まれておりましたの」
俺はバットを下ろして
「りょーかい。じゃ、そうしようかね。今日あたり由美さんが来ると思うから、ナーちゃんとドルファちゃんを連れて行ってきたら?」
「はい。……達郎様は、行かれないのですか?」
「ちょっとね……。男一人一緒じゃあ、恥かしいんだよね」
すると、葵さんはちょっともじもじしながら
「よろしいではありませんか。私、どんなのが似合っているか達郎様のご意見を伺いたいですわ。それに、姫様だって……」
はいはい。
葵さんの頼みとあっちゃ、仕方がないな。
「わかった。じゃ、朝のうちに出かけよう。昼過ぎたら暑くなって、またナーちゃんがぐったりしちゃうから」
「はい! では私、姫様とドルファさんを起こしてまいりますわ」
家の中に戻りかけた葵さん。
ふと脚を停め、すっと背中からオーシャンイーグルを抜いた。
その理由は俺にもわかっている。
妙な一団が近づきつつあるようだ。
「達郎様。私が、様子を……」
葵さんが出て行こうとしたが、俺は手で制して
「待った。どうやら、数がいる」
俺達は家の門の脇に身を潜めてあたりの様子をうかがうことにした。
俺の家の前には、住宅街の通りが走っている。
そっと顔を出してみれば――向こう側からやってくるのは、どうやらポイズンの連中らしい。ドジョウみたいなツラをしたゴンズイとか、トゲトゲしいミノカサゴ、それにフグがいる。合計、ざっと五十くらいか。
「……達郎様、ドルファさんを起こしてまいりましょうか?」
小声の葵さん。
身を寄せ合うようにしているから、彼女の顔がすぐ間近にある。
「いや、待って。……どうも、ヘンだな」
相変わらず視力のいい俺だから、まだ遠くにいるポイズン達の様子がわかる。
これはどうも、俺達を襲いに来たという感じではない。
のろのろぐずぐずしていて、やる気ゼロ感たっぷり。
ってか、ほとんど敗残兵の有様。
なんかどいつもこいつもキズだらけだし、足を引き摺っているのもいる。いったいぜんたい、どうしたっていうんだ?
気になった俺は、奴らがやってくるのを待たずして飛び出していた。
「あっ! 達郎様っ!」
「――おい! お前ら!」
いきなり目の前に現れた俺の姿を一目見るなり、ポイズンの一団は
「きゃーっ! に、人間だーっ!」
「もうダメだーっ!」
「やめてーっ! ふぐちりはイヤーっ! せめて、てんぷらに……」
めいめい悲鳴を上げている。
いちいちうるさいよ。
それにこの間から、そこのフグ!
煮られるのだけがダメで、何で刺身と天ぷらはOKなんだ?
「おい、そこのミノカサゴ!」
「はっ、はいっ! み、ミノカサゴでございます。正しくは、ハナミノカサゴですが……」
俺が指したそいつは、塀に張り付くようにしてぶるぶると震えている。
目線の位置まで屈んだ俺は
「……いったい、どうしたっていうんだ? まずは、話してみろよ」
「へ……?」
それから三十分後。
朝っぱらだというのに、海藤家は大騒ぎになっていた。
「ほれ、終わり! はい次!」
「よ、よろしくお願いします……」
ここは海の野戦病院か。
二階にある俺の部屋から廊下、階段、玄関、庭、さらに家の周りを一周する勢いで、ポイズンどもが行列をつくっている。無傷なポイズンは一匹もいない。どれもこれも、満身創痍。
俺と葵さん、それに急遽呼ばれてやってきた由美さんがフル稼働で一匹づつキズの手当てに忙しい。
ただし、ドルファちゃんはあれこれ雑用係。彼女はキズの処置とかそういう作業が苦手らしく、最初に彼女から手当てを受けたゴンズイは「しっ、死ぬかも……がくっ」と気絶してしまった。
「あれ? ゴンズイさん、動かなくなっちった」
可愛らしく「あれ?」じゃないよ。
包帯を締め上げすぎて、ほとんどハムみたいになっちゃってるし。
なにせ、ポイズンどもは五十匹もいる。
救急箱にあった包帯なんかじゃ足らず、仕方がないので古いシーツを割いて代用。俺の背後でナーちゃんが量産している。
「ひっ! しっ、しみるぅ!」
「だーっ! 男がいちいちうっせェんだよ! シャキッとしねェか!」
「はっ、はい……」
「動くんじゃねェよ! 巻きずれェンだからよォ!」
バイトの明けで眠気MAXの由美さん、機嫌が激悪い。
仕方がないなぁ。
「由美さん、これ」
「……お? ラッキー! 気が利くなァ、タツ!」
ぷしゅっ。
ごっごっごっ……
「あーっ! やる気出てきた! あと五本くらい、用意しといてくれ!」
はいはい。冷蔵庫でキンキンに冷やしてありますから。
由美さんの処理速度が格段にアップした。くわえタバコでてきぱきと片付けていく。
なんで朝からこんなコトになっているのか。
――俺がさっき、ハナミノカサゴから聞いた話である。
二週間ばかり前、学校祭の最終日に俺達の襲撃に失敗して全滅したポイズン達。
彼等が大ボス・リーネの元に逃げ帰ると
「今日はまあ、大目に見ましょう。まさか、ナタルシアがあんなに強力な護衛部隊を手なずけているなんて、私としても想定外でしたから。――ただし」
冷酷な視線をポイズン達に投げ
「……次はこのような失態、許しませんことよ? もし次回、私の命令を果たせなかったならばどうなるか、わかってまして?」
「は、はい! リーネ様!」
幸い、鍋の刑は免れたらしい。
それで昨晩。
彼等は海の世界でもずっと独立を保ち続けている勢力「殻の組織(つまりはホタテにサザエにアワビといった連中らしい)」への襲撃をリーネから命じられた。ところが、奴らはハンパなく硬かった! ポイズン達のよれよれな攻撃などではびくともせず、しかもシャコ貝(よく人間が挟まれて溺れ死ぬというあのバカでかいヤツだ)が援軍にやってきたからさあ大変。ポイズン達はバタバタとなぎ倒され、ほうほうの体で逃げ帰った。
が、そんな悲惨な彼等を待っていたのは――ずらりと並べられた平底の鍋。
鍋の中では、醤油と砂糖とみりんを混ぜたダシが煮えたぎっている。
「あなた達……私、次の失敗は許さないと、言いましたよね?」
「り、リーネ様っ! ど、どうか、それだけはお許しを――あーっ!」
屈強なシャーク達の手で、ポイズン達は次々とダシの中へと投げ込まれ――しかも上からとき卵をもれなくかけられたという。
「ひどい扱いですよ。リーネは俺達を、よりによって『柳川鍋』にしたんですよ? ドジョウみたいな顔したゴンズイならともかく、ミノカサゴの柳川なんて……」
「そ、それをいうなら私なんかフグですよ! やっぱり、まずはてっさじゃないですか! せめて天ぷらがイケるってのに、何が悲しくてまるごと柳川鍋にされなきゃならんのですか……しくしく」
ドジョウの柳川鍋だって、食うところで食ったら高いんだけどな。
まあ、それはさておき、リーネがいかに残虐非道なヤツかはよくわかった。
俺は立ち上がり
「おい、お前ら」
「は、はい……」
「全員、俺の家に来い。手当てしてやるよ」
「へ……? な、なぜですか? 俺達はみんな、この前あなたを襲ったのですよ?」
「知るか、んな昔のハナシは」俺は鼻で笑い「……キズついてるヤツがいるってのに、放っておけるか。しのごの言わずに来い!」
と、いうワケだった。
結局、全部の手当てを終えたのは昼も近くなってからで、俺も由美さんも葵さんも、すでにへとへとになっていた。
「よォ、やっと、終わった、な……」
すっかり疲労しきった由美さんは、缶ビールを立て続けに三本飲み干し「でもまあ、生き物助けてやったのは悪くねェ。ビールが美味いって。へへへへ……」
眠気のピークをとっくに通り越し、テンションが狂ってしまっている。
『達郎さまっ! お疲れ様でした! お優しい達郎さま、とっても素敵ですわ!』
ナーちゃん、背後から抱きついてくるなり「ちゅーっ」。
さて。
包帯やらガーゼやらで痛々しい姿のポイズンども。
なぜか立ち去ろうとはせずにずらりと神妙に座っている。
廊下から階段から玄関、果ては庭にまで、ところ狭しったらありゃしない。
俺はトイレに行きたいのだが……。
それはともかく、何事かと思っていると
「……お優しい人間の皆さん、それにナタルシア様に葵様、どうか、聞いていただきたい」
ずずいっと、ドクウツボが代表して前に進み出てきた。
言い忘れていたが、こいつももれなく柳川鍋にされた挙げ句タマゴがエラから入って呼吸困難に陥り気絶したらしい。ミノカサゴ達が仕方なく重そうに担いできていたのである。
きちんと正座しつつ
「このたびは、こんな我々ポイズングループに優しくしていただいて、本当にありがたかった。リーネの元を叩き出されている上に海では殻の組織から追われている我々。もはや行き場所もなく、このうえは遠くの街の水族館にそろって身売りしようとしていたところです」
ほう。
水族館に身売りか。それも壮絶だな。
「が、しかし!」
相変わらず目つきはイヤな感じだが、それでも精一杯の誠意をみなぎらせて
「このご恩だけは、一同絶対に忘れません! 例え遠くの水族館でこき使われようとも、皆さんが危機に陥ったならば、全員で助けにまいります! これだけは、固くお誓いいたします」
ぐいっと頭をさげると、以下に控えている連中もドミノ式に「ぐいっ」。
「……だとよ」
缶ビールを空け続けている由美さん。
ナーちゃんを抱っこしている俺の隣に座っている葵さんも
「姫様、達郎様。このポイズンの者達はもはや、達郎様やブルーフィッシュに対して敵意を抱くことはないでしょう。もともとは、リーネの命令に従わざるを得なかっただけなのですし」
まあ、そんな感じだろうね。
そもそも、俺達がボコり合う理由なんかなかったんだよな。
俺はしばらく考えていたが
「……ドクウツボさん」
「へっ! ドツボと呼んでやってくださいまし」
なんだか、ヤクザの世界みたいでイヤだな。
「リーネに見つかったら、まずいんだろ?」
「へっ。お恥かしい話ですが……」
「じゃあ、ひとまずブルーフィッシュに行ってればいいだろう。水族館に身売りなんて、やめなよ。んなコトされたら俺達だって、寝覚めが悪ぃしさ」
葵さんや由美さん、ドルファちゃんがそこそこで頷いて見せた。
「そんなことより、これから先、手を貸して欲しい。俺達はリーネとフィルーシャっていう二人の人魚がそれぞれ何を仕出かすかわからんから、それを止めにゃならん。ここにいる葵さんも由美さんも一騎当千のツワモノだけど、最後に必要なのは力じゃない」
ぐっとドツボに視線を打ち込んだ俺。
「……みんなの協力だよ。そうすれば、海の世界は平和になる。だろう?」
「わっ、我々にそんなにもお優しいコトバを……ううっ」
よくわからんが、ドツボが感激のあまり突っ伏して泣き始めた。
その背後では、こっぱポイズンどもが小躍りしながら
「ブルーフィッシュ、ばんざーい! ばんざーい!」
「俺達、自由だーっ!」
狂喜してるし。
外にいるポイズン達も「ナタルシアさまーっ! ばんざーい!」とかやっている。
こりゃ、近所から苦情がくるかもな。
『……これでいいかい? ナーちゃん』
『はいっ。お見事でございました、達郎さまっ。ポイズン達をも味方になさるなんて……』
――その後、ドツボ率いるポイズングループご一行様は、ガイド役のドルファちゃんに連れられてブルーフィッシュへと旅立っていった。
自宅の前で彼等を見送っている俺にナーちゃん、葵さんと由美さん。
「……うぉい、タツぅ」
「ん? なんすか?」
「お前……なんか、変わったな」
由美さんが不思議そうなカオをしている。
「ヤバいくらいのオーラがある。……お前、田舎に行って何やってきたんだ?」
「なんもしてませんよ。まあ、歩き回ったりしてましたけど」
事も無げに答えると、由美さんはさも感心したように
「へぇ。歩き回ったくらいで、そったらオーラが身につくのか。――アタシも少し、あるっかなァ。最近ちょっと、腹回りが気になるし」
歩く以前にビールをやめた方がいいんじゃないですかねぇ。
とても本人には直で言えないけれども。