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その40 召しませ山の幸(三日目)

 ひょいと潜ったナーちゃんは、なかなか水面に顔を出さない。

 ずどどどと激しく流れ落ちる水の動きをぼんやりと見ている俺。

「……彼女は海の方、でしょう? 人魚ですものね?」

 少しの間黙っていた滝女さん、不意にそんなことを訊いてきた。

「あァ、俺が釣ってしまってね……。すぐ海に返そうとしたんだけど彼女、帰ろうとしなくて。――なんだかんだで、一緒にいるようになってたんだ」

「でしょうね。……なんとなくわかりますわ、彼女の気持ち。出会って間もなかったにせよ、あなたに強く魅かれてしまったのですよ」

 ?

 なんだか、まるで傍目から何もかも見ていたような言い草じゃないか。

 どうしてそんなコトがわかるんだ?

 内心でいぶかしんでいる俺。

 すると、滝女さんはその答えを示すように

「海の世界、山の世界に生きる者達にとって、目の前にいる人間の方がどういう方なのか、うすうすとわかるものなのです。――あのコはただ単純にあなたが若くて健康な男性だったからではなく、強くて優しい心をもった方なのだと、出会った瞬間に悟ったのですわ。もし、仮に私があのコだったとしても」ふわりと微笑んで「同じように、あなたを慕ったことでしょう」

 海の世界と同じように、山の世界も存在するのか。

 まあ、おかしくはないよな。

 するってぇと、今海の世界で起こっているような勢力争い的な揉め事が、山の世界でも起こりうるのだろうか。

 それはともかく。

 この不思議な感覚は一体、なんなのだろう?

 滝女さんには、俺の過去も心の中も、何もかもがスケルトンで見えているような感じがする。

 といって、覗き見られているとかいうイヤな感覚なんかじゃない。

 まるで――なにもかもわかってくれて、かつ受け止めてくれているような。

「じゃあ……滝女さんは、俺がそういうヤツだって思ったから、俺の前に現れたの?」

「ええ、その通りです。それに……」

 滝女さんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。「ずっと昔、まだ若かった頃のあなたのお爺さんにも会ったことがあるのです」

「俺の……じいちゃんに!?」

 これには驚いた。

 そんな話は今まで一度も聞いたことがないって。

 顔だけでびっくりしていると、滝女さんはそんな俺が可笑しかったらしく「ふっ」と笑った。

 でも、すぐ真面目に戻って

「あなたのお爺さんは、心が真っ直ぐで正しい人間の方ですわ。だから、山の民の姿が見えたのでしょうね。転んで怪我を負った山の民の子供を、この滝まで連れてきて、手当てしてあげていたのです。とても珍しい人間の方がきたものだと思って私、ついつい姿を見せてしまいましたの」

「じいちゃん、びっくりしていなかった?」

 フツーはビビるだろ。

 山奥を歩いていて、いきなり目の前にこんなセクシー美女とか、いかにも「人間じゃないもん!」的な子供なんかがいたら、な。

 が、滝女さんはふるふるとゆったり首を横に振った。

「いいえ。現れた私に驚く風でもなくて、それよりもとても悲しそうな顔をしていました。これから戦争へ行かなくてはいけないんだって。でも、自分は人を殺したりなんかしたくないんだって、強い言葉で私に訴えていたのです」

「……」

 だいぶ前に、聞いたことがあったのを思い出した。

 戦争も末期で敗戦になる少し前、じいちゃんは兵隊に召集された。

 はるか南方の戦線まで動員され、食べる物も救援もなく、死ぬような思いをしたらしい。どころか、ちょっと油断すれば殺されてしまうようなきわどい状況下で、気が狂いそうになったのだそうだ。幸いなことに、戦争はそこから長くは続かなかったものの、後で聞けばその地域ではたくさんの兵士達が命を落としたのだという。そのことを痛ましく思ったじいちゃんは復員後、先祖代々の墓の隣にもう一つ墓石をつくって異国で倒れた兵士達の供養をしているのだった。

 村の人たちはずいぶん変わったことをする、と最初は奇異な目で見たようだが、今ではみんなが交代交代でその墓石の掃除をしたり、花を供えたりしている。

 しかし――そうだったのか。

 じいちゃん、自分が死ぬかもしれないっていう恐怖と背中合わせになっていながら、一方で他の人を傷つけたくないって、強く思っていたんだな。

「私は言いました。『あなたには強く正しい心があるのだから、その心はきっと、みんなを幸せにする知恵をも具えているはずです。絶対に誰も殺さないんだって強い心を持ってお行きなさい。必ず、その心が素晴らしい知恵を導き出しますよ』と」

「……」

 じっと滝女さんの形のいい唇の動きを見つめている俺。

 この展開はなんだろう?

 まるで、俺が欲している答えをそのまま教えてくれているような。

 強い心は、みんなを幸せにする知恵を具えている。

 そうか?

 そうなのか?

 そういうことなのか?

 話はまだ途中だから、最後まで聞かなくちゃツボがわからないけれども。

「――それから一年くらい経って、あなたのお爺さんはまたここへやってきました。私を見るなりたった一言『ありがとうございました』って、それだけを言って帰って行きましたわ」

「何も詳しいことは言わずに?」

「ええ、何も。……ただ、とてもいい表情をしていましたね。きっと、それが答えなのですよ」

 懐かしそうな遠い目をしつつも、ちょっと愉快そうな滝女さん。

 つまり、じいちゃんは戦争へと駆り出されはしたものの、誰も殺さずに戻ってきたのだろう。戦争=強制的に殺し合いをさせられるという悲惨な状況におかれていながら、じいちゃんはどうやって「不殺」を貫いたのか、俺は不思議に思った。

 ただ単純に幸運だったとかいうレベルの話じゃなくって、きっとじいちゃんなりに「何か」をしたのだろう。訊いても教えてくれるかどうかわからないけど、すごく興味がある。

「そっか」

 ついつい引き込まれるような感じになって、気がつけばうんうんと頷いていた。

 催眠療法みたいだな。

 ……だが、待て待て!

 じいちゃんの話は、それはそれでいいけれども――俺は俺なんだ。

 俺は俺の答えをつかみとらなくちゃいけないんだよ。

 どういう訊き方をしたらいいのかわからない俺は、しばらく頭の中で言葉を選んでいたが

「……滝女さん、だっけ? さっき、ナーちゃんは俺に優しくて強い心があるから魅かれたんだって、言ったよね?」

「ええ。そのように言いましたわ」

「でも、俺はある時期、彼女を守ることができなかった。だから、強くなりたいと思って自主トレして、なんとかここまできたんだ」

 俺はぐっと押し込むような視線を滝女さんに向けた。

「――でも、まだ、何かが足りない。このままじゃ、いけないと思っている。思っているんだけど、その……何をしたらいいのか、わからないんだ。ただ、ナーちゃんはもちろん、みんなのことを守りたいっていう、気持ちだけはあるんだけど」

「何も足りないものなど、ありませんよ?」

 滝女さんから、間髪容れず即答がはね返ってきた。

「はぇ?」

 九十Kmの変化球を予想していたら、百四十Kmのど真ん中ストレートがきた、みたいな感じ。

 見逃しで三振したような顔の俺に、滝女さんは

「あなたはあなたのままでよいではありませんか」

 にっこりと微笑んだ。

「これ以上力など求めてはいけません。かえって彼女が戸惑い、恐れるだけですよ? あなたはもう気付いているのでしょう? 力は所詮、力のぶつかり合いしか生まないということに」

 はい。

 おっしゃる通りです。

 できることならもう、レッドバックの連中もポイズンの連中も、ついでにいえば海獣組の奴らだって傷つけたりなんかしたくはない。力でねじ伏せたって、少しもいい気はしない。

「……強いていうなら、力を求めたりせず、あなたに具わっているその強い心を、皆に示していくのです。あなたのお爺さんがやったように。――そうすれば、海の世界の者達はあなたに対して敵意を抱いたりすることはなくなるでしょう。むしろ、あなたを慕って、より多くの者達が寄り集まってくることでしょう」

「……」

 俺は滝に打たれたあとのような顔で、滝女さんを見つめている。

 これって……これって……!

 過去に似たようなことがあった気がした。

 野球の試合で、俺のデビュー戦。

 独り黙々と自主トレに励んでいたものの、きっと俺の実力なんかは大したレベルじゃないと思っていたのに、いきなりホームランをかましてしまったんだよな。三振だけはしたくなかったけど、まさかホームランになるなんて、日本のエネルギー自給率ほども思わなかった。

 でも、あの時俺は――ボールが停まって見えた。

 知らず知らずのうちに、それだけの力をつけていたんだな。

 人は誰でも、自分で自分の評価をしたくなるけれども、案外自分のことなんかちっとも見えていないものだ。

 自分で下す自分の重さなんていうものは、重すぎたり軽すぎたりしてしまう。

 だから……たくさんの人たちと、一緒にいることが大切なんだ。

 たくさんの人達の中にいるから、自分の価値や重みがふわっとナチュラルに理解できるようになる。まあ、ネット相手だけじゃ生きていけないのと意味的に一緒かも知れないけど。結局は直接会って、いいこともイヤなことも話し合うから分かり合えるんだ。

「でも、でも、俺は――」

 そう。

 とはいっても、俺はすでにたくさんの人たちを傷つけてきてしまった。

 あの日、勇気をもって傍に来てくれた春香ちゃんを傷つけてしまった俺。

 窮地に追い込まれたナーちゃんや葵さんの力になることができなかった俺。

 めぐみの気持ちに応えてやれなかった俺。

 そして、力任せにぶっ飛ばしてきた、鯛や桜エビ、ウツボにポイズン等々、海の連中。

 やっぱり、それは俺の心が弱かった証拠じゃねぇ?

 これから先だって、誰かを傷つけてしまわないとも限らない。誰かを傷つけてしまうということは、自分の心に弱さがあるから。

 っていうような不安を、めんめんとかったるい言葉で表現した俺。

 すると

「確かに、過去の一つ一つ、その時のあなたにできなかったことはたくさんあるでしょう。弱い自分だって、思いたくなるのは無理はないかも知れません。――でも、そうではないのです。だからこそ、取り返していこうとあがいて、強くなろうと願って努力しているあなたがいるじゃありませんか。これ以上に強いあなたがいるとお思いですか?」

「……」

 ――そっか。

 過ぎてしまったことは取り戻せないけど、これからのことなら幾らでも変えていける。

 そういうことか。

 俺の心が強ければ――これからは傷つけることもぶっ飛ばすことも、助けてやれないこともない。みんなで笑って暮らせるようにすることが、絶対にできるはず。

「あなたはもう、本当はわかっていると思います。わかっている自分に気がつかなかっただけ。だから……自信をもっておやりなさい。絶対に、大丈夫ですから」

「うん……」

 頷いて見せた俺。

 滝女さんが言ったコトの意味、正直俺はわかりきっていないかもしれない。でも、ここへ来る前よりもずっと大きな何かが間違いなく俺の心の中にあるのがわかる。

 自分には何もないないって、ただむやみやたらとその先へ先へ求めてばかりじゃいけない。今そこにあるものをきちんと見つめてその価値を大切にすること。そうすれば、自分には何もないんじゃなくて実はとてもすげぇものを持っていたんだって、気がつけるはず。今の自分を大事にできないと、決して将来の自分を大切になんかできない。

 俺達人間は決して弱い生き物じゃないんだよね。

 自分の中にすごい強さがあるっていう真実からみんな、目を背けているだけ。

 ――ありがとう、滝女さん。

 ここにくるまで、とんでもない遠回りをかましてしまったけど、もう、大丈夫。これからもいろいろヤバめな事件が起こったりするだろうけど、負けるコトはないよ。

 絶対にみんなを守ってみせるから。

 大事な何かをつかめたという充実感が、俺の顔にも現れていたのだろう。

 じっとこっちを見つめていた滝女さんは

「……どうやら、何かをつかめたみたいですね?」

 ゆっくりと立ち上がった。

「心の強い人間の方に会えるのが、私にとっての楽しみでもあるのですよ。その分だけ、人間の世界が良くなっていくということですからね」

「……」

 彼女はすいっと滝つぼにむかって足を踏み出した。

 ――なんと、滝女さんの身体は沈むことなく、アメンボのように水面に浮かんでいる!

 イリュージョンを見たようにびっくりしている俺に

「では、私はそろそろ失礼しますわ。ほんの少しの間でしたけど、あなたに会えて良かったと思います。あなたの妻となる海の方にも、よろしく伝えてくださいね?」

 行ってしまおうとした。

 慌てて俺は立ち上がり

「たっ、滝女さん……!」

「はい?」

「あ、ありがとう……ございました」

 何をしているのか自分でもよくわからかったが、がばっと頭を下げていた。

 滝女さんはもう一度、にっこりと透き通った美しい笑顔を見せて

「こちらこそ。また、お会いしましょうね?」

 そういって彼女は、流れ落ちる滝の飛沫の中へと溶け込むように消えていった。

「……」 

 滝女さんが姿を消して間もなく、さんざんに泳ぎ回ったナーちゃんが戻ってきた。

 まるで、彼女が戻ってくるタイミングを見計らっていなくなったような感じだ。

 浅瀬までやってきた彼女は、ぼんやりと佇んでいる俺を見て不思議そうな顔をしている。

『達郎さま……? どうか、なさいましたか?』

『いや、なんでも、ないんだ。――気が済むまで泳いだかい?』

『はいっ、ありがとうございます! 美しい水のあるところで泳ぐと、とってもすっきりするんです。……勝手に泳ぎまわったりして、ごめんなさい』

『いいんだ。それより、陽が落ちれば山は冷えてくる。身体が冷えてしまうといけないから、戻ろうか』

『はいっ、達郎さま』

 ナーちゃんに服を着せて抱っこし、その場から立ち去ろうとした。

 陽が傾きかけているようで、辺りはさっきよりも暗くなってきたようだ。

 ふと振り返ると、滝のところには滝女さん、それに森のあちこちに山の民が立っていて、俺達を見送ってくれていた。

 ありがとう、滝女さん。それに、山のみんな。

 俺は絶対、俺ができることをやってみせるから。じいちゃんのように。

 さようなら。

 またいつの日か、会ってくれるように。

 それから――じいちゃんとばあちゃんのコト、よろしく頼みます。



 夏のある日、山奥で遭遇した、ほんの僅かな時間の不思議な体験。

 しかしそれははっきりくっきりと、確かなカタチとずしりとした重さをもって俺の心の中に刻まれた。

 もう、物理的な力は要らない。

 ここから先、大切なのは「心の力」。

 滝女さんが気付かせてくれたその力で、このコを守ってあげたい。

 山道を下りながら、俺は強く思った。

 そのナーちゃんは――久しぶりにのびのび泳いで疲れたのか、俺にぴったりとくっついたまま幸せそうな顔をしてうとうとしていた。

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