その39 召しませ山の幸(二日目)
とんでもない山奥だから、街にいれば普通に聞こえてくる筈の喧騒なんて何一つない。
陽が落ちれば、セミ達も合唱を翌朝まで控えてくれる。そういう意味では、自然というものはなかなか上手くできているものだ。夜の夜中までミンミンとうるさかったら、人間はとても生活できないに違いない。ってか、キレるよな。
年寄り二人暮らしにはでかすぎるんでないかというサイズの浴槽に浸かりつつ、そんなことを思っていると
『達郎さま? お爺さまと、真剣に何をお話しされていたのですか?』
ナーちゃんが尋ねてきた。
こうして一緒に風呂に入るのも、最初はえらい照れた。
なんたって、彼女のナイスなバディが絶えず視界に入ってくるだけじゃなくて、直に触れてくるのだから。下半身は尾ひれだからいいとしても、上半身は普通に人間のそれ。しかも普通の人間以上に「たゆん」としていてすごいボリュームなのだ。ナーちゃんは一向に気にせずくっついてくるのだが、若く健康な男子なら、興味はあっても気恥かしく思うのが所定の心情というものだろう。
『……知りたい?』
『はいっ』
俺はほんのり色づいたナーちゃんの顔を眺めていたが
『帰る頃には、わかるよ。きっと』
『まあ。今は、お話できないことなのですね?』
ちょっと「ぷっ」とふくれたような、甘えたような表情をしたナーちゃん。
そうだな。
でも、端的に言えば、今回の俺の目的は――ナーちゃんを守るためなんだ。
なんとなく俺の気持ちの在り処がわかるのか、彼女はそれ以上ツッこんでこなかった。
ただ、しきりに「ごろにゃん」って甘えたがっているけれども。
風呂から上がると、ばあちゃんが畑から採ったばかりのスイカを出してくれた。
風鈴、蚊取り線香、スイカに団扇。
古きよき日本の夏の夜は、現代にもこうしてちゃんと残っている。折り目正しい葵さんなんか、すっごく喜ぶかもしれないな。彼女は今、ドルファちゃんとともに留守番しているけれども。
スイカを「がぶっ」とやった俺を、じーっと見つめているナーちゃん。
ん?
そうか。
スイカはほとんど水分みたいなモンだ。ナーちゃんが口にしても問題なさそうだな。
『……食べる? 水っぽいから、ナーちゃんも食べられると思うケド』
『じゃあ、達郎さま! 一口、かじっていただけませんか……?』
かじれ? はいはい。
しゃくっ
『かじったけ……ど……?』
俺がかじって口にふくみかけたスイカ片を、ナーちゃんは口移しにもっていってしまった。
『スイカって、甘いですねぇ! 冷たくて、とっても美味しい!』
『そこはあんまり甘くないんだぞ? どうせなら、この真ん中あたりが……』
『達郎さまったら! ほっぺにタネがついていますわ!』
そんな感じで、一つのスイカを仲良く食っている俺達。
じいちゃんはもとより、ばあちゃんも慣れてきたのか、にこにこしながら見ている。
「おとーさん。ひ孫が楽しみですねぇ」
「……あァ」
ひ孫?
ひ孫、ねぇ……。
翌朝。
早くに起床すると、朝もやの中をじいちゃんについて畑へ出た。
ゆっくり寝ていなさいとは言われたものの、この山の中じゃバッティングセンターもないし、せめて何かして身体を動かしたかった。
何も植わっていない、草ボーボーの畑のところへ来ると
「秋蒔きの畑だ。これおこすのなら、身体動かすのに丁度いいんでねェか? ムリしなくていいから、達郎の調子でやればいい」
「わかった」
クワ一つ借りた俺は、黙々と作業を始めた。
春先から手が入っていない畑は表面の土が固くなっていて、なかなかの重労働。
本当なら機械を借りて一気にやってしまうらしい。これは年寄りの人力じゃあムリだ。
俺がざっくざっくとクワを振るっている様子を、あぜ道に座って眺めているナーちゃん。
海の世界には畑なんかないから、人間の世界独特の営みを見ていると楽しいようだ。視界に入る位置とはいえ、いきなり襲われたりしないか心配してみたが、こんなところまでリーネの手先がやってきたりはしないだろうと思い返した。現れたとしたら、逆に褒めてやってもいいくらいだ。即刻、畑の肥料にしてくれるけどさ。
「ふんっ! ふんっ! くくっ……よっ! ふんっ!」
幾らバッティングや自主トレで鍛えていたとはいっても、農作業となるとまた別らしく、しばらく続けていると手の平やら腕、腰に響いてきた。
(うーむ。これはどうも、俺の動きに無駄があるらしいな)
頭の中でぶつぶつと考えながら、試行錯誤している俺。
一振り一振りのスイング(?)を手直ししながらやっていくと、なかなか進むものじゃない。
そうして朝もやが薄れ、少しづつ太陽の光りが一帯を照らし始めた頃。
「おーい、達郎や! 朝メシに戻るべー!」
じいちゃんの呼ぶ声がした。
畑から採ったばかりの野菜を中心とした朝メシは、格別のものだった。
消費期限切れや腐りかけの食材を堂々と使ってのける幸子の料理とは天地雲泥の差がある。
朝メシを食って一息つくと、また俺はナーちゃんを連れてさっきの畑へ出た。
今日も暑い。
今度はナーちゃん、日傘つき。
西洋絵画でよくある貴婦人みたいになっている。
彼女に見守られながら、土と格闘し続けている俺。
固い大地は、意外と思い通りにはなってくれないものだ。
汗だくになってクワを振り下ろしていると、脳裏にいろんな光景が浮かび上がってくる。
初めてナーちゃんと出会った日のこと、マッチョ鯛や桜エビに襲われたこと、ウツボにさらわれた葵さんを助けに行った後の別れのシーン、そして由美さんやマサと共にセイゾーやリーネの手先・ポイズン達と乱闘している場面――などなど。
どうにかなる、はやがて「どうにもならない」に変わり、その「どうにもならない」は「強くならなきゃ」へとグレードアップした。強くなることで仲間の存在を得ることができ、仲間の力を借りて悪い連中をぶちのめしてきた。悪知恵もたくさん駆使したけどね。
でも、まだ何かが足りないような気がする。
由美さんやマサ、葵さんにドルファちゃんがいればいいってものじゃあない。
助けてもらった分、今度は俺も彼等の力になりたい。
そうしなきゃ、とかいう義務とか責任じゃなくって「なりたい」っていう、望み。
どうすればいいんだろう?
――ようわからん。
もっと身体を鍛えるとか、今度はムエタイを習いにいくとか、そういうコトではないような気がする。力で力を押し返すのは限界がある。例えば、セイゾーみたいなブヨデカ野郎と一対一で戦ったところで、物理的に対抗できないのは明らかだ。
敵ですら「……いや、ムリ! お前とは戦えんわ!」ってなるような、これはつまり「ハート」の部分のあり方かも知れない。ジンベエさんみたいなごついヤツになって「戦い、無益」とか言うなら説得力あるのだろうけど。
俺はいったい、ここから何を目指せばいいのか。
そういう自問自答を繰り返しているうちに、ざっと端から端まで掘り返し終わっていた。
「……?」
ふと気がつけば、いつやってきたのか、ナーちゃんの傍にじいちゃんが佇んでいる。
「達郎! 今日は暑いから、それくらいにしとけ! 倒れちまうぞ!」
「ん。わかった」
Tシャツは汗でびっしょり濡れていた。
無意識のうちに、俺は一人でぶつぶつと呟くようになっていたらしい。
『達郎さま……? どうかなさいましたか?』
ナーちゃんの心配そうな声にハッとしたりした。
そんな俺を、じいちゃんはじっと見ていたが
「……達郎。明日は天女の滝でも行ってこいや。少しは、気持ちが落ち着くべ」
翌日の午後、俺はナーちゃんを連れて少し山を登っていったところにある滝へ行ってみた。
この辺りの人たちはみんな「天女の滝」と呼んでいる。
俺も小さい頃は親とかじいちゃんに何度か連れられてきたことがあるが、一度一人できたらこっぴどく叱られた。滝つぼに落っこちて溺れたらどうするんだ、ということで。
だばだばと流れ落ちる滝が豪快で、何よりも涼しい。
おお、これがマイナスイオンとかいうものか。俺の心と身体を癒してくれ。
火照ったカラダと脳みそに冷気とマイナスイオンを吸収しようと勝手にイメージしていると
ばしゃばしゃ――音がした。
「……あれ?」
見れば、ナーちゃんが服を脱ぎ捨てて滝つぼで泳いでいた。
やっぱり、清流とみれば条件反射で泳ぎたくなってしまうのだろう。
やたらと涼しそうでいいのだが、なんか妙なエロさが感じられるのは気のせいでもないようだ。ハダカで泳がれると、な。
ま、人魚だから溺れる心配はないだろうし、こんな山奥まで誰も来ないに決まっている。
水面に浮かび上がってきては俺の方に手を振り、また潜ったりを繰り返しているナーちゃん。たまにはどこかで泳がせてあげた方がいいのだろうか?
俺も靴を脱いでジーパンの裾をめくり、すね下だけ水に浸かってぼんやりとしていた。
ドドドド、という滝の音に混じって、鳥のさえずりが聞こえてくる。
周囲は森に囲まれていて、どういう人工的なニオイもない。
ちゅん、ちゅちゅん……
鳥の声を聞いているうちに、なんだか眠気がしてきた。
そういや今日はとんでもなく早起きしているんだっけ。
目をつむってうとうとし始めた俺。
すると、背後から
「――涼しそうですね、あのコ」女性の声が!
!?
ぎょっとして一発で眠気が吹き飛んだ。
近くには誰もいないと思っていたのに。
振り返り見ると、確かに一人の女性が立っていた。
年の頃は葵さん、あるいは由美さんくらい。つまり、俺よか年上ではあるが、若い。
腰まで届く長い黒髪を垂らし、皮膚は透けるように白いというか青白い。一瞬、幽霊か雪女かと思ったが、温和そうな顔立ちをしていてほんわかと微笑んでいる様子をみれば、悪い人ではなさそうである。
ただし、格好がタダ者じゃない。
ほっそりとした体に、一本のながーい布のようなものを巻きつけている。胸と腰のあたりだけを隠していて、あとはだらーり。
……以上。
週刊誌のグラビア的にエッチな状態ではあるものの、女性の存在感があんまりにも透明すぎているから、どうもそういうしつこさが感じられない。例えるなら、ファッションショーに出てくる外人のモデルさんに近いかも知れない。肉体に性的な自己主張をちりばめていないから、露出は大きいがごく自然な感じに留まっている。
それはともかく、見てくれからしてフツーの人間だとは思われない。
「……どちら様で?」
胡乱臭げにそう訊いた俺に、女性はちょっと苦笑して
「あら、そんなカオをしなくても。私は怪しいものではありませんわ。ここに棲んでいる者ですもの、たまには姿を見せてもよろしいんじゃなくて?」
住んでいる、じゃなくて棲んでいる?
やっぱり人間じゃあない。
それに「たまには」って……。
「ふーん……じゃあ、さしづめ『山の神』とか?」
「ふふ。私、そこまで偉くはありませんわ」
彼女は静かに近寄ってくると、俺の隣に腰を下ろした。
「私は滝の女と書いてたきめ、といいます。――もっとも」
ゆったりと笑いながら
「人間の皆さんがそう呼ぶので、何となくそう思っているだけですけど。本当は何というのでしょう? ふふ、自分でもよくわかりません」




