その35 イワシの冷しゃぶ
じりじりと照りつけてくる日差しがムカつくほどウザい。
部屋の中にいても、熱気が容赦なく窓から飛び込んでくるのだ。
夏だからってこれみよがしに暑いってのはどうだろう。年間通じて平均的に照ってくれりゃあいいものを。太陽ってヤツは気が利かないものだ。
「……」
扇風機の前にぺたりと座っているナーちゃん。ちょっと辛そう。
さすがに暑いのが苦手らしく、そこから動こうとしない。というか、人魚だから自分で自由に移動できないんだけども。
俺は机に向かっている。
夏休みはまだほんの初日だが、ここで宿題に立ち向かえるかどうかが重要なトコだ。
などとカッコつけてみたが、とどのつまり宿題みたいに後々祟るような厄介ごとにはさっさとトドメを刺す主義だからだが――うーむ、こうも暑いとねぇ。宿題と戦うためのモチベーションに激しく影響してくる。
「……ただいま戻りました」
コンビニへ買い物に行っていた葵さんが戻ってきた。
涼しい顔をしつつも
「外はさすがに暑いですねぇ。私がこちらで暮らしていた頃は、こんなに暑くなかったような気がします」
そうなんですよ、葵さん。
地球は今、温暖化とやらにやられていまして。あと百年もすれば、地球上は全て海の世界になってしまうんですよ。困ったものです。
「達郎様はカキ氷ですね。姫様はお水、と。……あらやだ! 氷がみな解けてしまっていますわ」
水道水の氷なんか美味くないから、ついでに氷も買ってくるようにお願いしておいたのだ。ナーちゃんの飲む水に入れてあげたいと思ったのだけども……予想通りなコトになったか。
「あー、冷凍庫に新しい氷をたくさん作っておいたから、ナーちゃんにはそれをあげたら?」
「まあ、達郎様はお優しいですものね。では、それを姫様に」
葵さんは下へ降りていったがすぐに戻ってきて
「大変! 冷凍庫の中の氷がみな無くなっていますの! どなたか、お使いになったのかしら?」
「全部ないって!? そんなバカな」
家には他に誰もいないハズ。だから幸子が使い果たしたとかいうセンはない。
念のため、俺も台所へ行って冷凍庫を開けてみた。
……ない。きれいさっぱり。
ほんの一時間前にセットしたはずなのに。
「おっかしいなぁ。冷凍庫、壊れたかな?」
独り怪しんでいると、俺は妙なコトに気がついた。
台所から風呂に向かって、足跡がついている。
明らかに、汚れた足で歩いた跡。
(もしかして……)
俺はイヤな予感がした。
風呂の方へ近寄ってみると、中から気配がする。
「おー、いっつゆあおーしゃん! あぁなたとおぉ、わぁたしだぁけのおぉっ! らららら、すいぃーとっ! ……おぉしゃぁん!」
どこかで聞いたことのあるオスカルボイスだな。
声は悪くないのだが、だからといって歌が上手いかどうかは別の問題だ。
早くも俺は頭に怒りマークを点滅させつつ、風呂の戸を開けた。
「……貴様か。バカイワシ」
「おや、達郎どのですか。レディの入浴中に侵入するとは、なんと破廉恥な!」
イワシに破廉恥呼ばわりされたかないわ!
それよりも、俺の目を釘付けにしたのは――浴槽一杯に浮かんだ氷。
バカイワシはその浴槽に浸かって涼しそうなカオをしていやがった。
「おい……その氷、どっから盗んできたんだ? え?」
「盗んだなどとは人聞きの悪い。この家があまりにも暑苦しくて仕方がないから、こうして水風呂でガマンしてあげているのです」
何が悪いと言わんばかりのバカイワシ。
すでに俺の右手にはバットが握られている。
そのことに気付いていないヤツは、さらに続けて
「それにしても達郎どの。どうしてこの家はこう暑いのですか? もっと、居住性にすぐれた設計をしなければいけませんよ。エアコンもないなんて、これだから庶民は困りますね。人間というのは、なぜこうも――」
「……そんなに暑けりゃヒマラヤでも登って来い!」
ばごぉん!
「あーれー――」
風呂の壁を魚型にぶち抜きながら、クソイワシは再び旅立っていった。
――朝からバッティングなんかさせんじゃねぇ。
クソ暑いってのに。
注)イワシャールの歌はオリジナルです。