その34 バカは死んでも
すったもんだで、期末試験は過ぎていった。
まあ、良くも悪くもないだろう。俺はいつも中間だし。
ってことで、明日は終業式。
二年生になってはや四ヶ月。
いろいろあったなぁ。
なんといっても……またナーちゃんと暮らせるようになったのが一番でかいよな。
折角戻ってきてくれたんだから、大切にしてあげないとな。
ここ数日、テスト勉強がしたくてあまり構ってあげていなかったから、寂しそうにしていた。夏休みの宿題などという面倒事はとっととケリつけて、色々連れていってあげたいものだ。海獣組とかリーネのバカに襲われるのはゴメンだが。
――などと考えながら、帰り道を歩いていると
「……あれ?」
「あ、達郎。学校は終わったの?」
幸子。
見りゃわかるでしょ。帰るんだよ。
「どこ行くんだ? 買い物か?」
そう尋ねると、幸子はちょっと心配そうなカオになって
「遠海市のおじいちゃんが、調子悪いんだって。だから、様子見に行ってくるわね。お父さんも会社終わったら来てくれるって。……もしかしたら今晩、帰れないかも知れないの」
そうか。
そりゃなんとかしないとな。
「わかった。こっちは上手くやっとくよ。じいちゃんによろしく」
「ごめんね。夕飯、作る時間なかったのよ。テーブルの上に五百円置いておいたから、それで何か食べてね」
おい。
五百円って、子供のお駄賃か!
今どき、コンビニの弁当だってそれ以上するわ! 葵さんとかドルファちゃんもいるってのに、何も考えとらんのか、このアホ幸子は。
「いいよ……何とかするよ……」
「ごめんねー。行ってきまーす!」
去ってゆくアホ幸子の背中を見つめながら、つくづく情けなくなった。
仕方がねェなぁ。
自分でなんか作るとするか。
『……達郎さま? どうかなさいましたか?』
『いや、夕飯をどうしようかと思ってね』
帰宅してキッチンの前に立った俺。
佇むこと三十分。
ただ立ち尽くしている俺を不思議に思ったナーちゃんが尋ねてきた。
……ない。
冷蔵庫の中、チョー空っぽ。
あのバカ幸子、普段どうやって料理しているんだ!?
『あの、あの、達郎さま? 私は、お水があれば大丈夫ですから……』
うん、わかっている。
でも、葵さんとか痩せの大食い・ドルファちゃんもいるしねぇ。
こりゃ困った。
「達郎様? 私、お買い物へ行ってまいりましょうか? お母様からお金をお預かりいたしましたの」
へぇ。
葵さんにも渡していったのか。
……待て待て。俺と同様、どーせ五百円玉一個なんじゃないのか?
あのバカ幸子ならやりかねん。
「いくら置いてったの?」
「ええ、これだけいただいたのですが……」
葵さんはポケットから茶色い封筒を取り出した。
!?
中を覗いた俺は、開いた口が塞がらなくなった。
おいおい……福沢先生、いったい何人いらっしゃるんだ!?
ざっと見ても十諭吉(この単位はおかしいが)以上いるじゃねーかよ!
驚くと同時に、なんだか腹が立ってきた。
「あのバカ親……そんなにてめーの子供が信用できねぇのか?」
「これ、どうしましょう? 達郎さまのご指示をいただきたいと思うのですが……」
葵さんもまた、困っているらしい。
そうだろう。
海の世界の住人に札束だけ渡して「自分でなんとかしろ」という発想は、乱暴にも程がある。これがまだ葵さんだったからいいが、海の世界には基本的に「カネ」なるものは存在しないのだ。
なんだって、こったら大金を置いていく!? あの天然幸子の考える事は常にわからん! いい歳こいて金勘定もできないのかよ。
が、しかし。
これだけあれば何でも食えるじゃないか。
ってか、フランス料理フルコースだろうが高級中華だろうが寿司屋だろうが、おとといきやがれだよ。……別に行くつもりはないが。
そこへ
「あー、おなかすいたー! ……あれ? おかーさま、お出かけですかぁ?」
てけてけとドルファちゃんがやってきた。
彼女は食う。
イルカという生き物が大食いかどうかは知らないが、とにかく、食う。
いつも軽く五杯くらいおかわりしたあと「うーん。もうちょっと、いけるかなぁ」とかぶつぶつ言い、結局は八杯程度食ってしまう。それでも彼女の美しい体型には何の変化も起こらないのだから、海の世界というのは不思議なものである。
俺は考えた。
葵さんに買出しに行ってもらい、俺が夕飯をこしらえることはできる。
しかし――よく考えてみれば、悪戦苦闘の末に期末試験を乗り越えたこの俺が、わざわざ幸子に気を遣ってケチケチやる筋合いはどこにもないというものである。
ヤツが葵さんにそれだけの金額を渡したという事は、俺達がそれを使いきってしまうこともまた可、といえなくはないだろうか(かなり強引だが)!? そして今夜は、これから夏休みに突入しようかといういわば前夜祭、カーニバルビフォー。
ちょっとぐらい、いいじゃないか!
と、いうことで――
「よーし。みんなで晩メシを食いに出かけよう! たまにゃあ、いいだろ」
「わーい! みんなでお出かけー!」
喜んでいるドルファちゃん。
葵さんも
「達郎様がそうおっしゃるのでしたら、そのようにいたしましょう」異論はないようだ。
俺はナーちゃんに、かくかくしかじかと説明してやった。
『はい、達郎さま。お出かけですのね?』
はい。お出かけですよ、姫様。
歩いて十分くらいのところにあるファミレスに入ってささやかな晩餐を始めた俺達。
――なんだか、周囲から妙に注目を浴びているようだ。
そりゃまあ、なんたってとびっきりのセクシー美女が三人もいるわけだし、しかもうち一人は人魚である。目立たないハズがない!
ナーちゃんは海藤家へ戻ってきて以来ほとんど外出なんかしたことがないから、こういう場所がもの珍しいらしく
『達郎さまっ! ここはどのようなところなのですか?』
『達郎さまっ! これは何に使うものなのですか?』
これはねぇ……あ! むやみやたらと押しちゃダメ!
ぴんぽーん
「はーい――」
店員のおねーさんがやってきちゃったよ。
『まあ! 音がなるのですね! それに人間の女性の方を呼ぶためのものなのですね!』
『うん、音を鳴らしてね、この店の係員を呼ぶためのものだよ』
それに、ナーちゃん。女性だけがくるとは限らないんだよ。ムサいおっさんとかアタマ悪そうなおにーさんが来ることもあるよ?
呼びつけておきながら俺とナーちゃんが額と額をくっつけていちゃいちゃしているものだから、店員のおねーさんはさすがにイヤなカオをした。
すると、すかさず葵さん
「あの、お水を少し、多めにいただけませんか?」
にっこり。
彼女の知性と気品溢れる美しいスマイルを向けられて、心を動かされない人間などいないに違いない。おねーさんは
「はい! かしこまりました! 少々お待ちくださいませ!」
つられてたちまち笑顔になり、水を取りに駆け出して行った。
その後もナーちゃんの無邪気な質問攻めは続いたが、俺は根気よく相手していた。
テスト勉強の最中、僅かな時間とはいえ寂しい思いをさせてしまったからな。
冷たくしちゃあ、血も涙も汗もないというものだろう。……あれ、違ったか?
そうして食い物がきて晩メシになったのだが――そこでまた、俺達は周囲の視線を一斉に浴びるハメになる。
ドルファちゃん、えらい食いっぷり!
ぱくぱくぱくと大盛りのライスを三口ほどで平らげるや
「おかわりー!」
あー、教えてなかった。
ここは俺の家じゃないから、おかわりって叫んでもごはんはやってこないんだよ?
俺の膝の上でちまちまと水を飲んでいたナーちゃん、すっと手を伸ばして「ぴんぽーん」。
「――はい、おきゃくさまー!」
『……このようにするのですね? 達郎さまっ!』にこっ。
はい、よくできました。
その後も、ドルファちゃんが「おかわりー」と叫ぶたびにナーちゃんが「ぴんぽーん」は続き――気がつけば、回転寿司を食ったがごとく皿が重ねられていた。
言い忘れていたが、彼女はおかずは普通に一人前しか食べない。
なにがって、俺の家でもそうだが「ごはんが美味しい!」とかいって白米をオニのよーに平らげるのである。
この間、葵さんは小さな丼ものを注文していたが、その三分の一も食べ終わっていない。
「ドルファさん。ここは海の世界ではないのですから、少し遠慮しないといけませんよ? 達郎様にご迷惑をおかけしてしまうではありませんか」
「えー。だって、おいしいんだもん」
こどもみたいにむくれているドルファちゃん。
なんちゃらステーキとか単価が高いものをアホみたいに食われたら無難に即死だが、ライスくらいは……ねぇ。
「あー葵さん、いいよいいよ。コメくらい、安いもんだし」
「でも、達郎様……」
「わー! たつろーさま、やさしーっ!」
ドルファちゃんは喜び、また食い始めた。
――そうしてメシを食い終わった俺達。
なんとなーく甘いモノが欲しくなったので
「……デザートはどーする?」三人にそう質問すると
「あたし、超ジャンボパフェ!」別腹ドルファちゃん、予想通りの回答。
「それでは私、アイスコーヒーをいただきますわ」さすが大人の食後、葵さん。
『私はお水を……』ナーちゃんは……な。
で、高さ五十センチもあるパフェと格闘しているドルファちゃんを除き、俺達はまったりとした食後のひと時を過ごしていた。
「達郎様、試験の方は、その……大丈夫でしたでしょうか? 姫様がだいぶ無理ばかり申し上げて、お勉強にさしつかえがでたのではないかと、案じておりましたの」
葵さんは優しい! とにかく優しい!
実は俺、放課後に図書室で勉強してから帰宅していたのだが、やはりそれだけでは足りなくなっていた。で、深夜にナーちゃんが眠っているのを見計らい、こっそり起きては試験勉強をしていたのである。
すると、気配を悟った葵さんが
「達郎様、こんな深夜まで……。あまり無理をなさらないでくださいね? 私、心配で……」
とか言いながら、冷たい麦茶なんか運んできてくれるのだ。
これは経験した者にしかわからないだろう。
美しくも優しい人に温かく励まされると人間、どれだけテンションとエネルギー出力を高められることか! おかげで、俺は少ない日数ながらも素晴らしく密度の濃い学習時間を確保しつつ試験に臨むことができたのである!
ひとえに葵さん、あなたのおかげですっ!
……で、あるのに「申し訳ないフェイス」をされては俺が「申し訳ないっス」。
「いや、逆に助かったんだ。葵さんが支えてくれていたから、ラストまでしっかりネバれたよ。まったく問題ない」
「達郎様にそう仰っていただけると……私、とても嬉しく思いますわ」
天使のように微笑んだ葵さん。
素敵だ!
あの日、由美さんやマサに助けてもらいながら葵さんを救い出せて本当に良かったな、と俺は心の底からしみじみと思った。
ナーちゃんも号泣して喜んでいたし。
何となく満ち足りたような幸福な気分になって天然アップルジュースをちゅーちゅーやっていた。
すると。
「――まったく! この店は何一つなっていないではありませんか! 最高級牛フィレプレミアムステーキとかいっておきながら、ソースの味は濃すぎるし肉は焼きすぎて硬いし。特上フカヒレスープにいたっては、顕微鏡でなければ見えないようなのがちょっと入っていただけでしょう! これは詐欺ではありませんか!? 店員にいたってはどれも気品のない低劣な庶民の娘ばかり雇っていて。私みたいなエレガントで魅力に溢れた店員なんか一人も目に入りませんでしたわ。それなのに……ぐだぐだ」
おおっと。
クレームですか。
大声で騒ぎ立てているものだから、店内の客が一斉にそちらを見た。
出口付近のレジかららしい。
「大変申し訳ございません、お客様。しかしですね――」
「しかしもクソもありませんよ! 責任者を出しなさい、責任者を!」
ったく、イヤなヤツだな。
気に食わないとすぐ「責任者」か。
案外そういうバカ客に限って、ケチだったり文句つけてなんか得しようとか考えているヤツばっかりだぜ? クレーマーなんてものは、この世には一円の価値だってないんだっつーの。
『達郎さま? 大きな声でお話している方がいるようですが……どうなさったのでしょう?』
『ん? 人間にはね、いろんなヤツがいてね。中にはとんでもない野郎もいるのさ』
そう言って何気なくそちらの方をひょいと見やった俺は――フリーズした。
『……達郎さま?』
『ナーちゃん。すぐに戻るからね』
俺は席を立った。
そのまま、レジの方へ――
「責任者はどうしたのです!? 責任者は!」
「いや、ですから、お客様。全て食べ終えられてから申されましても、当店としては……」
「もう、結構ですわ! そんなにはした金が欲しいのなら、海藤達郎という私の召使がいますから、その者に支払ってもらいなさい! 明日でも、その使えない召使を――」
「……誰が、使えない召使だって?」
ぱきぽき、ごきっ……
いやあ、今日は骨がいい具合に鳴っている。
数日勉強勉強で、体が鈍っていたようだ。
「た、達郎、どの……?」
俺の声に、ゆっくりと振り返ったボケイワシ。
「ふーん……。俺、いつからお前の召使になったんだっけ? あァ?」
「あ、いや、その、これは……コトバのしりとり、じゃなくってあやとり、とでもいいましょうか。はははは……」
乾いた笑いは要らねェよ。
レジの機械に目をやると「一万六千九百八十三円」の表示。
ほう。
さぞかし、いいモノばかり食ったんだろうなぁ。
俺達のテーブルの伝票、四人分で八千三百二十二円だった。ドルファちゃんがライスをおかわりしまくったにも関わらず、イワシ一匹の食事代金の半分以下だ。
「……で、さんざん食っておきながらよりによって無銭飲食、か。いい度胸してるなぁ、カスイワシよ」
イワシャールはぶんぶんと手を振り
「とっ、とんでもない! このエレガントな私が無銭飲食などと、人聞きの悪いコトを! ただ、姫様のためを思って意見していたまでですよ! いつかは、その、姫様がお越しになる日のために、この私がわざわざ下見にきてやった、と。これが真実です!」
「そーかそーか。……で、経費を俺に払え、と?」
「達郎どのはペッペケプー(意味不明)とはいえ、姫様にお仕えする者ではありませんか。たかがこれしきの経費くらい、まさかケチケチするようなことはないでしょう? そう思ってですね、この私が気を遣い――」
「……貴様にかける経費などないわ!」
がっしゃあぁん!
「あーれー……」
きらーん!
俺は後悔していた。
早いうちに、さっさとヤツの息の根を止めておくんだった。
「申し訳ございません、達郎様……」
学校へ行こうとしている俺に、葵さんが謝ってきた。
もうずっと平謝りの葵さん。
「いいって。葵さんはまったく悪くないし。全部あのクズイワシとバカ幸子のせいだし」
――結局、ヤツの無銭飲食分と俺がヤツを蹴り飛ばした際に破壊したガラスの弁償で、幸子が残していったアヤしい金の半分が消えてしまった。
しかも。
翌朝帰ってきた幸子は
「達郎っ! あなた、私が葵さんに預けていったへそくり、半分無駄使いしたでしょお!」
はあっ!?
へそくり!?
バカか、お前は!
いや、バカだ! 大バカだ! 世界バカデミー大賞受賞決定だ!
なんで葵さんにてめーのへそくりなんか預けるんだよ!? ってか、へそくりならへそくりだって言っとけ!
朝っぱらから大ゲンカをこいた幸子と俺。
よーくわかったよ。
人間の世界にも海の世界にも、どーもならんヤツの一人は絶対にいるものなのだ、と。
しかも、そういう奴らに限って仲良しこよしだったりするもので――
「達郎どの! 幸子どのに向かって何という口の利き方をするのです! 少しはこのエレガントな私の物言いを見習っていただ――」
「……エレガントな食材にされてこい!」
ガシャーン
「あーれー……」
昨夜全力でぶっ飛ばしておいたにも関わらず、いつの間にやら帰還していたバカイワシ。
今度、水産加工場に持って行って「これ、原材料です」って提供してやったほうがいいのだろうか。
しかし、昔の人は言ったものだ。
バカは死んでも治らない。
幸子とイワシャール、生まれ変わってもやっぱりバカなんだろうか。