その26 学校祭ですけど(一日目)
結局、ドルファちゃんを襲った連中の特定はできなかった。
彼女は二日間というもの、高熱を出して寝込んでしまったからだ。ほとんど意識はなく、時々うわ言を言った。
「――やれやれ、だな。よォやく熱、下がってきたぜ? 一時はどォなるかと思ったよ。苦しそうに呻くんだもんさ」
彼女を助けてから三日目、この日は水曜日。学校祭初日。
ホームルームなどが一切ないのをこれ幸いと、俺は早々に学校をフケて家に戻ってきた。
ドルファちゃんは俺のベッドに横たわっている。
その傍で胡坐をかいて座っているのは、くわえタバコの由美さん。ドルファちゃんは海の世界の者とはいえ、人間の女の子の姿カタチをしている。さすがに俺が着替えをさせたりするのは忍びないから、やむなく由美さんに相談したのだ。
見た目はコワくても人情篤い由美さん、速攻で飛んできた。
「おーおーおー、こんないたいけな女の子つかまえてボコったか。どこのどいつだ、あァ!? アタシがぶっ潰してやるよ!!」
傷ついたドルファちゃんを一目見るなり武装天女に変身しかけたのを必死になだめ
「由美さん! それはともかく、まずは彼女の手当てを――」
「お? おォ、そォだな」
意外にも由美さんは器用だった。てきぱきと鮮やかに手当てを施しつつ
「……に、してもタツぅ。おまえ、律儀だよなァ」
後ろを向いて座っている俺に言った。
「何がです?」
「よくアタシを呼んだよなァ。このコ、脱いだらチョーナイスバディだぜェ。胸なんか特にムッチリだよ。フツーの男だったら、真っ先に襲いたくなるって! ……ま、アタシほどセクシーじゃあないけどな」
ケラケラと笑っている。
ケガした女のコを襲うなんて、ガチ鬼畜じゃないか。
「ま、そこが」つと笑いをやめ「おまえのいいトコだよな。だから、信用できる」
――それからというもの、由美さんは泊り込みでドルファちゃんを看病してくれた。
彼女に任せっぱなしというのも申し訳ない気がした俺は学校を休んでしまおうと思ったが
「いいって。行けよ、ガッコー」
「でも……」
「それがお前の務めなんだから、とりあえずやるコトやっときな。アタシゃこのとーりプーだからな。ヒマだけは腐るほどある」
そう言ってくれる由美さんが、涙が出るほどありがたかった。
ただ、一つだけ苦情を言われた。
「おまえのかーちゃん、なんだァありゃァ? 一日ずーっと、テレビの前から動かんぞォ? アタシがハダカで風呂から上がってきても気付かねェんだもの」
あの……お年頃なんですから、由美さんも。スッポンポンで他人の家の中歩かないほうがいいですよ?
「そのうち泥棒にやられるんじゃねェ?」と、言ってから「……おまえも苦労してんなァ、タツ」
はい。幸子にはもう、気絶するような苦労をかけられっぱなしで……。
それはさておき。
おでこを冷やしたりキズの様子を診たりと、昼夜を問わず由美さんはまめまめしく看病してくれた。あんまり眠らないので心配になったが、どうやら缶ビールとタバコさえあれば苦にならないらしい(彼女はまだ十九歳である)。
三日目も昼を過ぎた頃、ようやくドルファちゃんはうっすらと目を開けた。
俺と由美さんが隣でもしゃもしゃとお好み焼きと焼きそばなんか食っていたから、ニオイで刺激してしまったかも知れない。ちなみに学校祭の出店で買ってきたヤツだから、さっぱり美味くない。
「……あ、達郎様? あたし……」
由美さんは食っていたお好み焼きを放り出してベッドに駆け寄り
「おぅ! 気がついたか、ねェちゃん! 熱は大分ひいたぜ! 焼きそば食うか?」
やめなさいよ。ケガ人なんだから。
見慣れぬ人間がいたことにドルファちゃんはちょっと驚いた様子だったが
「お水が、飲みたいです……」
それを聞くなり由美さんは
「おぅ、タツぅ! カキ氷買って来い! メロンとイチゴとブルーハワイな!」
だから、水だって言ってるでしょーが。
しかもケガ人に合成着色料なんか食わす気ですか。
カキ氷はおいといて、ミネラルウォーターを飲ませてあげたら少しは心地がついたらしく、ドルファちゃんはゆっくりと起き上がった。
「すみません、達郎様。あたし、何日も寝込んでしまったんですね……」
「いィって! こいつはンなコト気にしねェよ。――それよか、何があったンだ?」
由美さんを知らないドルファちゃんはちょっと戸惑っている。見た目もコワいしな。
俺は苦笑しながら
「あ、ドルファちゃんね、この人は由美さん。ドルファちゃんをずっと看病してくれていたんだ。俺が一番頼りにしている人さ」
と、紹介してやった。
「まあ! ありがとうございます! お二人がいなかったら、今ごろあたしはダメだったかもしれないですね?」
ようやく笑顔になったドルファちゃん。
「で、いったいどうしたっていうんだ? ポイズンとやらいう連中と人間に襲われたって、言ってたよな?」
「人間!? なんだァそりゃ? ナンだって、海の奴らを襲ったりするんだ?」
「それが――」
ドルファちゃんは俺達に事情を話して聞かせた。
ついこの前まで、海の世界をほとんど牛耳る勢いだった海獣組の勢力は、セイゾーがやられたのをきっかけにあちこちで抵抗されるようになった。すると、海獣組の中でも内輪もめが始まり、ついには分裂の様相を呈し始めた。同じ海獣組であっても、下っ端扱いされていた連中が真っ先に反抗するようになり、セイゾーらのような上の者達を次第に圧迫していっているという。
そんな中、海獣組ともっとも近い立場にいた一人の人魚族が、突然海の世界から姿を消した。
「それって、あのフィルーシャのことか?」
「いえ……。フィルーシャも元々はハーレム・THE・セイウチというグループの中心にいましたが、欲望と脂肪のかたまりみたいなセイゾーがセイウチを仕切るようになってからは離れていきました。まさか、人間の方のところへ身を寄せていようとは思いませんでしたが」
「ちょっと待った。人魚族ってのは、海の世界じゃそんなにエライものなのか?」
ドルファちゃんはこっくりとうなずき
「魚人や海獣人などよりもずっと気高くて知性を備えた生き物ですから、どの種族も争って人魚族を中心者に迎えようとします。そして、それ以上に大切な理由なのですが……」
ちょっと上目に俺を見た。「――海の世界では唯一、人間の方と結ばれることができるのが人魚族なのです。私みたいに完全に人間の方の姿をしていても、魚人や海獣人は人間の方と結ばれることは許されません。ですからナタルシアの従者の葵さんも、人魚の血を引いているとはいっても人魚ではありませんから、人間の方と結ばれることはできないのです」
ん?
わかったようなわからないような。
イワシャールとかハーレムSay子みたいなゲテゲテのバケモノは論外だとして、ドルファちゃんや葵さんなら、人間でないといっても人間の男どもは放っておかないだろう。美人で気立てがよくて聡明なんだし。おまけに強い。
なんで人間と結ばれたらダメなんだ? いいじゃん別に。
俺がそう質問すると、ドルファちゃんは悲しげな顔をして
「ダメなんです。海の世界では、人間の方達というのはもっとも知性があって、力があって畏怖すべき存在。その人間の方達と海の者達が簡単に結ばれてしまっては、海の世界の均衡を保つことができなくなるからです。ですから、人間の方と結ばれることができる人魚族を、どの種族も大切に扱っているのですよ」
「んー? じゃじゃじゃじゃあ、さ。どーして人魚だけは人間と恋をしてもいいのさ?」
「それは、人魚族が本来、何よりも愛情の深い生き物だからです」
ぷっかー。
三枚あったお好み焼きを残さず平らげた由美さん、食後の一服。
粉っぽいだのソースが薄いだのさんざん文句をぶちまけていたのに。なんだかんだで飢えていたんだな。
「あン? それとこれと、どーいうカンケーがあるんだ?」
「人魚族はどうしても、素敵な人間の男性と結ばれたかったのです。それでその権利と引替えに、自分達の大切なものを一つ犠牲にしたのです。――それがなんだか、お分かりになりますか?」
人魚のたいせつなもの?
思いつかないな。
足? いや、それは最初から持っていない。
正体を見られたらその男を殺す。……ではないな。
そういや昔、俺が小さいころ、幸子が人魚姫の絵本を読んでくれたことがあった。人魚姫が海の泡になってしまうところでボロ泣きして、いきなり俺の布団で鼻水をふきやがった。幸子のせいで、それ以来人魚姫の絵本を敬遠するようになった俺。
それはともかく、あれも壮絶なお話で、愛ゆえに自分の命を捨ててしまうという、現代社会ではマジあり得ないストーリーだ。陸に上がるために人間の姿になったのはいいが魔女からもらったクスリのせいで声を失い、声が出ないためにバカ王子に誤解されてしまう。しかも、そのバカはよりによって他の女に手を出すのだが、何を血迷ったか人魚姫はバカに遠慮して身を引き、最後に泡と化す。
登場人物が全部イタ過ぎて、まったく救いようのない腐った童話である。
――ん!? 喋る?
そうか。そうなのか?
葵さんやドルファちゃんにあって、ナーちゃんにないもの。
それは――
「……声、か」
ドルファちゃんはこっくりと頷き
「さすがは達郎様。ナタルシアを深く愛していらっしゃるからすぐお分かりになりましたね。――その通り、人魚族は陸に上がって人間の男性を愛すことを許されている一方で、陸では愛する人の名を呼ぶことができないのです。唯一お話ができるのは、愛する人と触れている時だけ……。それでもまだましかも知れませんが、彼女達にとっては、それはとても辛いことでもあるのです」
げーっというカオをした由美さん。
「そこまでするかよ? フツー……。声がなかったらよォ、カラオケできねェんだぜ?」
ツッコミ方がおかしいですよ、由美さん。
ドルファちゃんはくすりと笑って
「ですから、人魚族は海の世界ではずば抜けて特別な存在だということなのです。――あら、あたしったら! ついついハナシがずれてしまいました」
――ってことで、話は元に戻る。
「海の世界から姿を消したのは、リーネという人魚です。彼女はどこでどう人魚族としての美しい心を失ってしまったのか、海獣組の連中を動かして海の世界をその手に握ろうとしていたのです」
「そのリーネってのは、人魚族の中でも力があるヤツなのか?」
人魚族とはいえ、人間のようにそれぞれ姿形が違うだけで特殊な能力などはもっていないという。だから、海の世界を支配しようとしても、彼女や海獣組だけではどうにもならないらしい。
が、ドルファちゃんは続けてこんなことを言った。
「つい最近、海獣組の支配から逃れたアザーラッシュ(どうやらアザラシらしい)やラッコチームの者達が教えてくれたんですよね。人間の方と手を組みたがったリーネがブルーフィッシュを征服してナタルシアを捕らえ、人間の方の世界にある魚達を見せる水族館とかいう建物へ彼女を渡した、って」
おいおいおいおい。
そいつは穏やかじゃねェなぁ。
人魚が自分と同じ種族の人魚を売った、ってのかい。
自分に都合のいい条件を手に入れるために。
最悪なヤツだな。
「……で?」
リーネの謀略は上手く進んだかのように見えた。ドルファちゃんが聞いた話では、リーネはとてもカネと力のある人間と知り合うことに成功したらしい。
だけど、失敗の時はあっけなくやってきた。――たまたまショーに出されていたナーちゃんを目にした俺がショーをぶち壊して彼女を助け出し、その足でマサや由美さんともどもセイゾーを潰したからだ。
しかも、セイゾーがやられたことで海獣組を恨んでいた連中がこぞって立ち上がり、逆襲を始めた。たちまち海の世界で居場所を失ったリーネ。
海獣組に圧迫されていた海の調整役・バランサー達はこれをチャンスと、あちこちの勢力と協力関係を結んでいったという。イワシャールが言っていたのはこのことらしい。
が、話はそれで終わりではなかった。
「リーネにしてやられていたのは、何も魚人達や海獣人達だけではありません。人魚族の中にも、彼女を快く思わない者達がいるのです」
その一人が――フィルーシャなのだという。
「ハーレム・THE・セイウチがリーネ率いる勢力に併呑されるや、その中心だったフィルーシャは追い出されてしまったのです。彼女はそれをひどく恨み、機会があればリーネに復讐しようと狙っていたと聞きます。そしてこの前、達郎様達がナタルシアを助けてセイゾーを退治したという話を聞いた彼女もまた、海の世界からいなくなりました。結局、人間の方の傍にいましたけど、いったい何を企んだことやら……」
……あれ?
由美さん?
「ぐぅ……」
転がって寝てるよ。
テトリスと新聞が大嫌いだという彼女は、複雑な話を五分以上聞くと眠くなるのだという。
まあいいだろう。
夜中も寝ないでドルファちゃんの看病しててくれたんだし。
いくら缶ビールとタバコでエネルギー補給十分だって(本人がそう主張しているだけであって、何ら根拠はない)いっても、やっぱり寝ないとツラいよ。
いろんな話を聞かせてもらったが、肝心のところがつながっていない。
「それでさ、ドルファちゃんがポイズンと人間に襲われたっていうのは、今のハナシとどうつながってくるんだろう? 黒幕はリーネかフィルーシャ、ってことなのか?」
ドルファちゃんはうーんと首をかしげ
「リーネかフィルーシャが背後にいる可能性はあると思いますが、どちらなのかは正直、よくわかりません。ポイズングループは普段、海の世界で悪さを働くような連中ではありませんし。ただ一ついえることは、私達バランサーの存在が気に入らない者の仕業だということです。あの晩、襲われたのは私だけじゃなくて、ジーナさんも襲われたんです。ジーナさんと一緒に身を守っていたんですが、お互いに離れちゃって……。大きくて力持ちなジーナさんのコトだから、まずやられたりなんかしてないと思いますケド」
つまり、犯人の手がかりはナシ、と思った方がいい。
これじゃあどうしようもない。
とはいえ、ドルファちゃんはガチで襲われたのだ。逃げるのに必死だった以上、犯人を記憶していなくても仕方がない。
床にごろりと転がり、天井を睨んでいる俺。
このあと、どうしたものだろう。
ドルファちゃんが元気になったのはいいが、放っておけばまた襲われないとも限らない。
と、そこでふと気付いた。
ひとつだけ聞き忘れていたことがある。
「人間が混じっていた、って言ったよな? どういう奴らだったんだ?」
「若い男性でした。そうですね……達郎様と同じくらいの歳の方ばかり、十人もいたでしょうか」
若い? ヤクザの若い衆とか?
それにしても、俺くらいの歳でヤクザはないだろう。
首をひねっていると
「ああ、そうそう」
ドルファちゃんがぽんと手をたたいた。
「この前に見た、達郎様が着ていた服と似たようなのを着ていましたよ。色は青くて、前に五つばかり、きらっと光る金色の玉がついていて――」
はい、よくできました。
それだけわかれば十分です。
青い学ランを着た連中。
そういう趣味の悪い制服を生徒に強いるような学校は、この街にはたった一校しかない。
――近海水産高校。
そこの奴らだ。