その24 海の天秤たち
「むっきー! うっきー! どすこーい!」
肉がつかえて教室に入れないものだから、廊下で勝手に暴れ始めたS子。
まあ、ヤツがやってきたこと自体なかったことにしてしまおうかと思ったのだが――壁を壊すはガラスを割るわ、多少迷惑ではある。
それにうるさい。
いつだったかテレビの動物番組で観たことがあるが、発情期の海獣どもはオスメス入り乱れて「んごー! んごー!」とか咆えまくるのだ。それと何ら変わるところはない。
さすがにあちこちの教室から教師が顔を出し
「うるさいぞ、コラ! 今、授業ちゅ――」
言いかけるのだが、それを目にするなり「あ、やべ」みたいな顔をして引っ込んでいく。
「……どーする、海藤君? アレ、近所迷惑じゃない?」
貝田があごをしゃくって俺に訊いてきた。
俺に訊くな。
水族館にでも連絡するか? ……あ。閉鎖になっちまったんだっけ。
やっぱりなかったことにしよう。
みな、暗黙の了解であるかのように目でコンタクトを取り始めた。
ところが――
「なんであんたがいるのよ!?」
廊下の向こう側から、別のオバサン声が飛んできた。
そちらの方へと視線を向けると……なんと、別のセイウチババアが。
ドタンバタンと独り荒れ狂っていたS子の動きが止まった。
「……出たわね、Say・羅! あんたなんか、セイゾー様に捨てられたクセに!」
「なんですって!? あんたみたいな『一生愛人上等』の泥棒ネコばーさんに言われる筋合いはないわよ! セイゾーの本妻はアタシだけよ!」
言うが早いが、Say・羅はどすんどすんと猛スピードで突進してきた。
「本妻が何よ! 愛されるから愛人なのよ! セイゾー様の愛はアタシのものよ!」
S子も叫びながら迎撃する体勢をとった。
どすぅん!
たちまち両者激突。
なんだかよくわからんが、勝手に「本妻VS愛人 セイウチ・愛と憎しみの争い」が始まってしまった。本妻はどうやらSay・羅というらしいが、こちらもただのぶよぶよしたカタマリであることは言うまでもない。
「アンタなんか! アンタなんか!」
「セイゾー様は渡さないわ! このっ! このっ!」
互いに繰り返し罵声、そしてハラをぶつけ合っている。
その度に学校の建物が「ズン、ズズン」と揺れた。今ごろ、テレビで地震速報が流れているかもしれない。
しかし、だ。
まったく必要のない「脂肪」を叩きつけあっているだけだから、勝負なんかつきようがないのだ。
ホントーに、ただのクソ迷惑。
「――実に醜い争いだな。みんなが迷惑している。やるなら、表でやりたまえ」
そこへ現れたのは、あの峰山だった。
彼の胸にはフィル。
その彼女は二つのカタマリを冷ややかな目で眺めている。
すると、S子とSay・羅はハラのぶつけ合いを停止し
「フィルーシャ! なんでアンタが人間の世界にいるのよ!?」
ごにょごにょ……フィルと峰山、額&額中。
「君達のようにオスだメスだと繁殖しか頭にないような下品な海獣はもううんざりだと、彼女は言っている。理知共に備わった人間の方のお傍にいたいから、君達とは手を切るそうだ」
おー言う言う。
確かにその通りではあるな。といって、それが自然界のごく当たり前な営みではあるのだが。
「こっ、この裏切り人魚がっ! 人間の男に媚びてるアンタに言われたくないわよ! それによくも、よくもうちの主人を利用してくれたわね!」
「そーよ! あんたなんかがいるから『ハーレム・THE・セイウチ』はメチャクチャになったのよ!」
セイウチババアどもの怒りの声が届いたのか、どうか。
フィルは「ふん」というカオをしてから急に峰山に甘え始めた。
「原因は君らじゃないのかな? オスの奪い合いで内輪もめばかりしているから、セイウチの勢力は衰退したんだろう? フィルはそう言っているが?」
再び聞こえてきた「ぷちっ」の音。
「きーっ! あの憎たらしいクソ人魚め!」
「こうなりゃナタルシアよりも腹立つわぁ! やっちまいましょ!」
共通の敵ということで見解が一致したらしいS子とSay・羅。
互いに頷きあうと、峰山目掛けて迫っていった。
見る見る黒茶色のカタマリが押し寄せてくるというのに表情一つ変えず、逃げようともしない峰山。
おいおい。潰されても知らんぞ?
さもなくば、いきなり「必殺! 土下座っ!」とか……ないよな。
どすぅっ
峰山のほとんどギリギリ手前で、急にS子とSay・羅の動きが停まった。
「アンタは――!」
「邪魔すんじゃないよォ!」
セイウチババア二頭は前に進もうともがくが、びくともしない。
奴らと峰山の間には、巨大な何者かが。
そしてさらに
「はいはいはーい! ケンカはそこまでにしてねー!」
窓からひょいと入り込んでくるなり、そう仲裁に入った者がいる。
男子生徒が一斉に唸った。
ムリもないか。
年の頃は俺達と同じくらい。
長い髪を束ね上げていて、瞳が活き活きと輝いている。細っこい身体を包んでいるのはブルーのようなグレーのような衣装。胸から上と片足が露わで、イブニングドレスに見えなくもない。ともかくも明るい雰囲気の可愛らしいコである。強いて言えば、テレビでたまに出てくるキャバ嬢に見えなくもないけれど。
ただし――その手にはクリアブルーのショットガンらしきものが。葵さんのオーシャンイーグルみたいな銃なのだろうか、よくわからない。
彼女が登場するなり、そこで初めてフィルが不愉快そうな表情を見せた。
額&額で峰山と何やら通じ合っていたが
「君らはバランサー、か? 何をしにきた?」
女の子はさっと表情を消して峰山に一瞥をくれながら
「ええ。そのバランサーですよ。――こっちの世界でちょおっとミョーな気配、感じちゃったんですよねぇ?」
言い捨てておいて
「ジーナさーん! そのお二方、ここから出しちゃってくださいね。人間の皆さまがご迷惑していますから」
「はいよ! 任せておおき!」
元気のいいおばちゃんの声が轟いた。
ジーナさんなるおばちゃんは、じたばたしているセイウチババアを押さえ込もうとしたが、
「ふんぎゃー! きーっ!」
「がーっ! がふーっ!」
あんまりにも暴れるので
「……いい加減にしな! 人間さん達が迷惑してるだろうに!」
一喝するなり、ゴン、ゴン、と頭突きを連発。
喰らったセイウチババアはたちまち白目を剥いて大人しくなった。
「手間をかけさせるんじゃないよ、まったく。困った年増たちだねぇ」
ジーナさんは圧倒的に強かった。
しかも、片腕に一頭づつ「よいしょ」と担いでいる。恐るべき馬鹿力。
こうして我が高校は発情したセイウチババアの襲撃から救われることになった。
……それにしても、気になる。
セイウチババアのあの一言。――裏切り人魚。
間違いなくフィルーシャを指しているだろう。どう考えてもナーちゃんじゃないよな。
いったい、海の世界で何が起こっているというんだ? ドタバタは何もブルーフィッシュだけに限ったコトじゃないんだな。
「――ところで」
捕獲したメスセイウチを窓から外にぽいと放り出したジーナさんは
「こないだ、うちのダンナを助けてくれた人間のお方がいらっしゃるんだろう? ここのどこかにいないのかい?」
ダンナ?
ジンベエザメの? って……ああ、ジンベエさんのことか?
すると、この元気で馬鹿力なおばちゃんって――
「それって、ジンベエさんのことか? ジンベエさんなら、俺が助けたけど?」
手を上げて前に進み出た俺。
するとジーナさんは「にっっこぉー!」と横に裂けてしまいそうな笑顔になって
「ああ! アンタだったのかい! いやー、うちのダンナが世話になったねぇ! どこかへ連れて行かれたのかと思って、アタシゃ気が気じゃなかったんだよ! あんなにグズでノロマな亭主でも、いないとそれはそれで心配でねぇ……」
そっと目頭を拭った。
ジンベエさんも男だったが、俺はこのジーナさんも一発で気に入った。
こういう夫婦漫才みたいだけど心の底でしっかりつながっている夫婦、とってもイイ!
「世話なんて、とんでもない! そのあと、俺達が助けてもらったんスよ!」
「いやいやいや、うちのダンナも喜んでいたんだよォ? ぬぼーっとしているから何考えているのかわからないヒトなのよ、まったく! でしょお?」
ってか、ダンナのジンベエさんはほとんど無口だったのに、奥さんのほうは喋る喋る! ジンベエザメってみんな無口なのかと思ったが、まったくそういうコトはないらしい。
げらはははと談笑している俺とジーナさんの周囲では
「ねぇねぇ、名前、何ていうの?」
「どっからきたの?」
野郎ども、寄ってたかってナンパを始めやがった。
セイウチのコト言えないなぁ。逆ハーレムだろう、これじゃ。
「はい! ドルファでーす! あたし、元々イルカなんです!」
「ドルファちゃん! メアド交換しない? ねぇ?」
が、ドルファさんはにこっと千分の一秒スマイルを見せた後
「それはひ・み・つ、です!」
ガードは限りなく固かった。




