その23 セイウチ、愛の仇討ち
峰山のおかげで、俺は遅刻を免れた。
が。
どうにも授業に集中できーん!
――学校までの車中、ヤツは俺に言った。
「海藤君も以前、人魚のコを連れていたよね? だから、びっくりしないだろうと思ったし、同じ人魚のコを同伴している者同士、色々お付き合いできたら、と思ってね」
びっくりしたっつーの!
俺は一瞬、ナーちゃんが峰山のところに行ってしまったのかと思った。
しかし、フィルはフィルだった。
髪も顔カタチも胸のでかさ……ああ、何でもありません。ウロコの色とか、ことごとくナーちゃんとは違ったからだ。それに今、ナーちゃんは――
「あのコ、一緒じゃないのか?」
鋭いところを衝いてきやがった!
「……ああ。色々と、事情があってな。会おうと思えば会えるけど、今は別々だ」
「そうか。……海に帰っているのか?」
「ああ。里帰り、だ」
葵さんやバカイワシ、それにみんなとこれからどうするか相談でもしているのだろう。
ブルーフィッシュもひとまず落ち着いたし、問題はない。
海獣組だのレッドバックの連中が報復にこなけりゃいいけれども。
『――』
『――』
峰山とフィル、隣でなにやら額&額の最中。
誰なの? この人、とかそんな話でもしているのだろう。
人魚は誰でも丘に上がれば喋れなくなるんだな。
それで思い出した。
事あるごとに、色んな海の奴らが言っていた。人魚「族」というコトバを。
族であるなら、人魚はナーちゃん一人とは限らない。もっといるってこった。すると、ナーちゃんやフィルの他にも、人間の世界にやってきているコがいるのだろうか。
ただ、人魚にもいろいろいるのかも知れない。
人魚ってのは優しくて情が深い生き物だと思っていた。げんに、ナーちゃんはそうだった。
しかし、このフィル。額&額で話もしていないし、さっき出会ったばかりだから何とも言えないが――何となく、お高いカンジがする。俺の方をちらちら見ているかと思えば、峰山に甘えて「チュー」なんかしたりしている。
そういや俺、ナーちゃんとはまだしたことがなかったな。
結局それっきり、俺は車中で峰山と会話をしなかった。
学校に到着し、峰山が車を降りるや否や生徒達の注目の的だ。
とびっきり美人でセクシーな人魚を同伴しているから当たり前のことだが。
しかしよくまあ峰山のヤツ、堂々とフィルを連れてきやがったものだな。学校が騒ぎになることなんて、ちっとも顧慮してないんじゃないか? これだから、金持ちのボンボンの感覚なんてわからんというんだ。うるさくてアタマ悪そうでも、まだマサの方がわかりやすくて付き合いやすいと思うのは俺の偏見だろうか。
ホームルームが始まるまで時間がないから、さっさと先を急いでいた俺。
その後を、フィルを姫ハグした峰山もついてきた。
廊下で別れ際、ヤツはちらりと俺を見て
「まあ、あまりそう敵意をもたないで欲しいな。……僕たちは敵側の勢力じゃないんだし」
意味深な言葉を残し、別の教室へ入って行った。
「……」
その後ろ姿をじっと見つめている俺。
正直、奴らが俺達の側であるとは思えなかった。
初対面の印象を信じた方がいいというが――フィルとかいう人魚のコ、どうも怪しい。
同族であるナーちゃんが人間に売り飛ばされ、ブルーフィッシュが滅亡同然の状態にあったというのに、影も形も見せなかった。海獣組が猛威を振るっているのを知っていたなら、ナーちゃんを助けるべく何かしてくれても良かったじゃないかと思う。というか、かなり直感に過ぎないが、ブルーフィッシュが平和になったのを見計らって登場してきたんじゃないか、そんな気がした。彼女にはよくよく注意しておく必要がある。峰山共々、何を考えているかわかったものじゃない。
ともあれ、ぎりぎり学校に間に合った俺は教室に入った。
何事もなく一時間目を終え、二時間目に突入。授業は日本史。
この潮清高校は進学校の端くれだから、教師達はそれなりにシビア。
だから、俺みたいに授業中にぼんやりしているヤツを目ざとく発見するや、
「……おい、海藤!」
はえ?
「この平治の乱を起こした人物は誰だ? それとその息子は?」
教師は顔が妙に濃い、海老原という中年親父。こいつはランダムにすぱすぱと指名してくるということで、みんなから恐れられている。
へーじのらん?
あの五円玉を投げる方でしょうか。その息子は……人間かと……。
あれ? さっきまで「なかとみのかたまり」とかいう単語がとんでいなかったっけ?
全然違うことを考えていたから、答えられるワケがない。
「あー……それは……」
やばい。
答えられなかったらまたちくちくと嫌味を言われるぞ。
と、冷や汗たらたらになっていた俺は、ふと目の前をなにかが過ぎっていったのに気がついた。
それは一度机の上を「ひょい」と通り過ぎたと思いきや、巻き戻しみたいにまた戻ってきやがった。
「――あ! たつろーにーちゃん、みーつけた! ボクだよ! トビタローだよ!」
お? 何かと思えばトビタローじゃないか!
相変わらずちっこい身体にでっかい羽。それをぱたぱたさせて俺に挨拶してきた。でっかいバカイワシとはまるで正反対。小さくて幼いくせに、働き者。あの日セイゾーを撃退してからというもの、このコは俺にくっついてきて離れようとしなかった。かわいいヤツ。
「おう! よくここがわかったな。海から来たのか?」
「うん。葵さんから聞いてきたんだけど、ここは同じ服を着た人間のおにいちゃんとおねえちゃんがいっぱいいるんだね! ボク、あちこち探しちゃった!」
そーかそーか。ご苦労さん!
……ん?
気がつけば、海老原は口を「ぱっかー」って開けきったままフリーズしている。
周りの生徒達「なんだ、アレ?」と言わんばかりにどよめいているし。
「か、海藤クン? それ、そのコ……」
隣の席の女子生徒・貝田理美が訊いてきた。彼女は一年生の時も同じクラスで、セミロングが似合う可愛い系なコ。しかし、襲撃してきた「マッチョ鯛」に人質にされかかるも、逆にボコボコにしてゴミ捨て場に放り出したというツワモノである。
そういう経緯があるから、貝田は大して驚きもしていない。
「こんにちは、人間のおねえちゃん。トビタローです!」
トビちゃんがぴょこっと挨拶するなり、貝田の瞳はたちまち「キラキラ星」となり
「……かっっわいー!! チョーかわいーじゃん!!」
鯛のときとは真逆なリアクション。
バカ声で褒められたトビちゃんは
「えへへ……」
羽をぱたぱたして照れている
その一声を機に、女子ども殺到。
「やっだ! こーんなにちっちゃいんだ!」
「ボク、トビタローちゃんっていうの?」
突如俺を襲った大ピンチは、奇跡的に粉砕された。ついでに日本史の授業もな。口の部分が故障した食い倒れ人形みたいな顔のまま、海老原はふらふらと教室から去って行ってしまったからだ。
トビちゃんは抱っこされたりなでられたり、もう大人気! ってか、もみくちゃにされてしまっている。
「……あははは、くすぐったいよー!」
こらこら。
幼い子供をそのようにいじり倒してはいかん。ぬいぐるみじゃないのだぞ。
色んな女子生徒たちにパスされハグされまくったあと、ようやく再び貝田の胸に戻ってきたトビタロー。キュート系キャラが大好きな貝田は、ほとんど私物のようにしてトビちゃんを抱き締めている。
一通りのフィーバーが収束したところで俺は
「ところで、なんで学校なんかにきたんだ? ブルーフィッシュの方はもういいのか?」
「あ! そーそー、たつろーにいちゃんに大事なコトをお話しにきたんだった! ボク、忘れるところだったよ」
だろうな。
さんざんにシェイクされてたんだからな。
「大事なコト? 姫様のことか?」
すると、トビタローは羽をぱたぱたさせて
「ううん、ちがうんだ。ブルーフィッシュのお国の方はだいじょうぶだって、葵さんが言っていたよ。……そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
ズドガッシャアン――
突然、教室入り口のドアが吹っ飛んだ。
「ブルーフィッシュと手を組んだ人間、出ておいで! あたしの愛しいセイゾー様を、あんな目に遭わせたりして! 許さないんだから!」
俺はついさっき失踪した海老原のごとく口が「ぱっかーん」となったまま、塞がらなくなった。
集団でかたまっている女子達、それにクラス中も唖然としている。
破壊された入り口のところでなにやら咆えていたのは――でっかくてぷよんとした黒茶色のカタマリだった。
いや、違う。
俺には見覚えがあった。
今や魚人達の住居と化したブルーフィッシュ総督府の一階、そこに掛けられていた一葉の絵画。
ヌード画。
それも、薄汚くて弛みきったブヨ腹をだらしなくさらけ出し、今どきオカマでもやらないような「うっふーん(はーと)」的な面つきで転がって(いや、横転かも知れない)している、最高にブサイクなメスセイウチの獣人のものである。
葵さんを救う際、俺は何のためらいもなくそいつを壁から引っぺがし、アザラシ野郎をぶん殴ってやった。その後、ニシン達の手によってブルーフィッシュ区域の外れに埋められた末、その上に『ブサイク撲滅の碑』が建立されたのであった。二度とこういう気持ちの悪いモノがブルーフィッシュに持ち込まれないようにとの祈りをこめて、だ。
が。
たった今、この教室までやってきているあのデブは――紛れもなく、例の絵画のモデルである。
画ですら気持ち悪いのに、実物ははるかにひどかった。直視に耐えない。
ヤツは泣いているらしく、青いアイシャドーがのびて「お化けメイクのクマ(目の下にできるアレである!)」状態。真っ赤な口紅なんかは口の周り全体に広がって「私、生肉食いました」的なザマである。
そういうツラでハンカチをかみかみ
「くやしーっ! 人間達もあのナタルシアも! セイゾー様の代わりにハタキを討ってやるわ! セイウチ界に輝ける美貌ありと言われた、この」
ぺーんっ!
薄汚いハラを相撲取りのように叩き「――ハーレム・Say・子がねっ!!」
しーん……。
教室中、ドン引き。
誰もが「うわ! なにこの腐った肉ダンゴ!」みたいな目で、顔を引きつらせている。
仇を討つのは結構だが、その前にてめーのハラ打ってんじゃねーよ。ってか、その見るに耐えないツラとハラのどこが「輝ける美貌」だ。
しかも名前に「ハーレム」って、アンタ……。
呆れて物を言う気にもならない。
ウザイ。かつキモイ。最悪。
もはや雰囲気は完全に「空気読めよ」。
口を開こうとする者は誰もいない。
ところが――
「たつろーにいちゃん! あのキモデブオバンだよ! あのきたないおばさんのカタマリがセイゾーのうらみを晴らしに人間の世界に来るかもしれないって聞いたから、ボク、たつろーにいちゃんに教えにきたんだ!」
るー(涙が滝のように流れる音である)。
うんうん。
ありがとね、トビちゃん。
でも、言うのがちょおーっと遅かったね。そいつ、もう来ちゃった。
それに――いくら「キモデブオバンかつきたないおばさんのカタマリ」だからって、そういうことを本人の前で口に出しちゃいけないよ? 人間の世界ではね、そういうの「KY」っていうんだよ?
とはいえ、トビちゃんは幼いしねぇ……KYなんてわからないか。
しかし、この状況で(誰もが思ったことを)彼がストレートに言ってしまったものだから
「どっ!」
クラス中、大爆笑。
ただし一頭ばかり、わなわなぷるぷると震えているカタマリがあった。
やがて
ぷちっ――
その音を、全員が聞いたハズだ。
「……ブッコロスぞ!! このクソガキャァー!!」
とうとうキレたハーレム・Say・子がおたけびを上げた。
途端に爆笑の嵐がぴたりと止んだ。
「だーれが『崩れ年増のLL肥満メタボババァ』じゃコラー!! 黙れそこー!!」
……言ってねぇよ、誰も。
ブルーフィッシュのごたごたがやっと落ち着いたと思ったのに、さらに面倒くさい事態が起こりそうな、そんな気がした俺。このデブといい朝のフィルといい、どうしてこう次から次と俺の目の前に現れてくるのだろう。
なお。
「ハーレム・Say・子」なんて長い源氏名(かどうか定かではないが)はいちいち呼んでられないため、以後「S子」に短縮しておこう。