その22 食後のデザート
セイゾー以下海獣組とその手下、一匹残らず殲滅。
俺達はジンベエさんとブルーフィッシュのみんなの力を借り、奴らをみんな簀巻きにして残らず叩き出した。総督府の建物は残ってしまうが、みんなで有効活用すればいいだろうというテキトーな結論に落ち着いた。雨なんか降らない(海の世界だし)から、建物なんてなくてもいいんだろうけど。
力の要る仕事をあらかた終えると、ジンベエさんは黙ってのっそりと去って行った。
「あのっ! ジンベエさん!」
その大きな背中に向かって声をかけたのはナーちゃんである。
「……?」
ゆっくりと振り向いた彼に「ジンベエさんはこれから、どのようになるおつもりなのですか? もしよろしければ、お話ししていただけませんか?」
ジンベエさんは「ぬぼーっ」という表情を変えずに
「……俺達、海の、調整役。ずっと」
それだけ言って、また彼はのっしのっしと歩き始めた。
よくわからないけれども、俺はジンベエさんの姿に妙な感動をおぼえた。
あれが――男だ。
男って、ああいうものだよな。上手く言えないけど、男はああいう風でなくちゃ。無理矢理表現すればう……口で語らず背中で語る、みたいな? ヤツに比べたら俺、まだまだ小さい。
「……ジンベエさん!」
俺は思わず呼びかけていた。
「ありがとう! またいつか会おう!」
彼はちょっと歩みを止めたが、振り返ることなくまた歩き出した。
言い知れない爽やかな感動に満たされていると
「……何となく、わかる」
背後で由美さんがぼそりと言った。
そうして俺達もまた、ナーちゃんに送られて人間の世界へと戻ってきた。
帰りは葵さんがマサと由美さんをエスコートしてくれたから、三人とも来る時のように溺れる思いはしないで済んだ。
埠頭の先端に這い上がると、もう日はとっぷりと暮れている。
「じゃあな。ブルーフィッシュが落ち着いたら、また来いよ」
海面を漂っているナーちゃんに、俺は言った。
本当は俺と一緒にこのまま来たかったみたいだけど――ようやく自由を取り戻したブルーフィッシュのみんなには、気持ちの支えが必要だ。それはナーちゃんと葵さんだから。
『はい……。私、すぐに達郎さまのお傍へ参りますから……どうか……』
以上、葵さんの通訳。人間の世界側だから、ナーちゃんは喋ることができない。
彼女、ちょっと寂しそう。
「姫様。そのように寂しいお顔をするものではありません。達郎様に申し訳ないでしょう?」
葵さんが宥めた。
『そうですよね……』
思いなおしたように、ナーちゃんは俺ににこっと微笑んで見せた。
そうそう。すぐに、会えるよ。
「葵おねーさまっ! どっ、どーかっ、また来てくださいっ!」
マサはどうやら、すっかり葵さんのとりこになってしまったらしい。
葵さんもまた、にっこりと素敵な笑顔で「ええ、ぜひ」
「マジっスよ! オレ、オレ、マジ待ってますからっ! なんなら、オレがそっちに行きますよ! マジで!」
ここに、ブルーフィッシュの永久なる味方が誕生した。
「……おォい、行くぜェ? 夜風がちぃっと、コタえるからな」
先に歩き出していた由美さんに促された。
一つ忘れていたが、海の世界に着いた時にはなぜか服は濡れていなかった。
が、こうして戻ってくると、当然服がびしょびしょなのである。
「由美様!」葵さんが叫んだ。
「あン?」
「姫様が、いえ、私からもですが……本当に、ありがとうございました、と」
それを聞いた由美さんはふっ、と小さく笑い
「……なんかあったら、また呼びな。――アンタ達のこたァ、嫌いじゃねェからな」
自宅に戻った俺は、夜も大分遅くなって戻ってきたこと、それにずぶ濡れになっている理由を幸子からしつこく追及された。
ついでに――一日でケータイを二台もダメにしたことで、罰金を科されるハメになったのであった。
まあ、いいや。
ブルーフィッシュ共和国復興のために寄付したと思えば、な。
また、憂鬱な月曜日がやってきた。
「達郎! もう行くの? 朝ごはんは?」
「要らん。――どーせ、つくってないんだろ?」
「そーなのよ。よくわかったわね」
……お前を親と呼ぶのは百年早かったわ。
「行ってくる!」
勢いよく家から飛び出した俺。
やや遅れ気味。三分と少々。
完全に出遅れたワケではないが、急がないとぎりぎり間に合わない可能性がある。
といって、別に寝坊をした訳じゃない。
テーブルの上に置いてあった新聞に何気なく目をやったところ、驚くべき見出しが載っていたのだ。
『開業間もない近海マリンミュージアム、閉鎖へ』とある。
慌てて記事に詳しく目を通してみると
『ショーの入場料と称して客から別料金を収受していたが、このショーに偽装があることに気付いた客が指摘。同施設側はこれを認めた』
確証はないが、どうやら俺のことと思って間違いないだろう。
ナーちゃんをああいう風に見世物にしたことは許せないが、まさか閉鎖にまで発展するとは。何となく、やり過ぎたようなイヤな気持ちになったが、記事には続きがあった。
『のみならず、展示する魚類の購入などをめぐり、海外の裏組織と売買関係があったと同施設関係者が告発したことから、県警が捜査に乗り出した。同施設館長は当社の取材に対し「誠に申し訳ないことをした。皆様には深くお詫びする」とコメントした』
あー。
こりゃダメだ。俺が悪いとかいう以前のハナシになってしまっている。
ってか、ナーちゃんがあそこでああいう扱いをされていたが、それは「売り飛ばされたんです」と彼女は言っていた。すると――近海マリンミュージアムの内部に、海獣組とつながっているヤツがいたっていうことになりはしないだろうか?
憶測だが、この「裏組織」っていうのはもしかすると、海獣組とか、あるいは海の世界の勢力とつながっている連中かも知れない。
一年前に出会った時、ナーちゃんだったか葵さんが言っていた。海の世界で、人間と結託した勢力がある、と。
うーむ。
これはなんだか、事件のニオイがしますなぁ、ワトスン君。
「……達郎? 何、一人でぶつぶつ言っているの? 朝から熱でもあるの?」
いやいや、ワトスン君なんかどこにもいない。目の前にはただの幸子がいるだけだ。
ヤツは居間で朝の韓ドラを観てやがる。例の勝手に韓国旅行以来、ハマったらしい。
――などというイレギュラーがあり、ちょーっとばかし家を出るのが遅くなった。
一年前の運動不足な若者だった俺とは違い、今なら学校まで走るくらい何でもない。
駆けながらも、あの記事の内容が頭に浮かんでくる。
(それにしても……告発した内部の関係者って、誰なんだ? もしかしたら、海獣組とかそれに手を貸した人間をよく思っていないヤツがいるとか……。だとすれば、そいつはブルーフィッシュにとって味方じゃなくても敵じゃないってことも――)
ああだこうだと考えてしまっていた俺。
だが、少なくとも走りながらはよくなかった。
キキーッ!
「――ぬおっ!! しまったっ!!」
赤信号の横断歩道へ飛び出してしまった。
危機一髪。危うく、短い生涯を終えるところだった。
すれすれで急停止した高そうな車。すぐにその後部座席の窓が開いた。
「バカヤロー! 死にてェのか、コラァ!」
とか怒鳴られるかと思いきや――
「……誰かと思ったら、二組の海藤君か。いやぁ、怒鳴らなくてよかったよ」
顔を出してそう言ったのは、俺と同じくらいの歳の男子だった。
そいつの顔を表現するのは簡単だ。アニメによくある、長髪でクールなタイプのイケメン男子。たいていは金持ちで勉強と運動神経抜群。以上!
俺はヤツに見覚えがあった。
春先に、経営していた港湾地区の工場が爆発事故を起こし、警察に逮捕された峰山という社長の親類にあたる人間だ。その社長の息子はこの三月に卒業しちまったが、今目の前にいるのはいとこで、俺と同じ二年生。で、苗字はやはり「峰山」という。
あの事故は校内に関係者がいたということでかなり話題になったが、その「関係者」であるはずの彼は、同級生に向かってこう言い放った。
「あれはねぇ、僕には関係ないんだよ。親父とおじさん(逮捕された峰山社長のコトだ!)は仲が悪いから、ずっと前から付き合いもなかったし。うちの親父も幾つか会社もっていて色々言われるけど、少なくともおじさんみたいなバカな真似はしないしね。家族ひいきするワケじゃないけど」
廊下でそれをやったものだから、ありとあらゆる生徒達が耳にした。
当時、俺は自主トレに燃えていたしあんまり事故に興味もなかったから、スルーしたのだが――その時ちらと見えたのはヤツの顔だった。理由はまったくないが「なんとなく」ヤなヤツだなと思った記憶がある。
しかし、俺の方はまだしも、峰山の方が俺の顔を知っているとはどういうことだろう?
こいつとは、一年生の時もそうだが、一緒のクラスにはなっていない。
そういう「なんか胡散くせェ、こいつ」的な心の作用が、自然と顔に出ていたのだろう。
ごめんとも言わずに突っ立っている俺に、峰山は
「でも、本当に良かった。あの低劣な軟式野球部にはもったいなさ過ぎる唯一のプレーヤーにケガさせたとあれば、残りの八人から刺されてしまうだろうからね」
悪かったな。低劣で。
俺はその「グダグダ軟式野球部」の部員ですよ、どーせ。
それにひとつだけ言っとくが、今は十人いる。
四月に一人、血迷った新入生が入部してきたのだ。ついでにマネージャーだっている。……まあ、どちらかといえばマネージャーの方が血迷っているが。
それはともかく。
軟式野球部経由で俺のことを知っていたらしい。
やや納得した俺は
「す、すまん! 以後気をつけよう。――じゃ、急ぐから! 苦情があるなら後で!」
さっさと行こうとした。遅刻寸前だから、金持ちのお喋りに付き合っているヒマはない。
すると!
「待ってくれ! この車に乗って一緒に行こう! ここで会ったのも、何かの縁だし」
金持ちはすぐそれだ。
いかにも「自分は誰とでも友人になりたいんだ!」みたいな発言しやがる。金の力で友達できりゃ苦労しねェよ。他人を見下してるってホンネが見え見えだぜ? ――と言いつつ、乗る! 乗ります!
まともに走ったら汗だくになってしまうし。
立っている者は金持ちでも使うのが俺の主義だ。
「んじゃ、遠慮なく!」
カネの亡者とでも守銭奴とでも、なんとでも言うがいい。
遅刻するワケにはいかんのだ。
「ああ、乗ってくれよ。どうぞどうぞ。もう一人乗っているから、ちょっと狭くて申し訳ないけど」
「構わん。助かった」
後部座席のドアを開けて堂々と乗り込んだ俺。
さすがは金持ちの車。後部座席が広い。うちの親父のボロ軽とは比較の対象にもならない。
峰山の隣、というか膝の上には、その「もう一人」がいた。
そいつを一目見た瞬間、俺は固まった。
えらい美人。
ふっさふさのロングヘアに、ぱっちりとした瞳、整った顔立ち。首以下ほっそりとしていながらも胸がセクシーボンバー。そこだけを派手な模様のスカーフ布地で覆っている。
だが、俺がビビったのはそれが理由じゃない。
セクシーというだけならナーちゃんや葵さんで十分な免疫がついている。
っていうか、カノジョは――
「彼女、フィルーシャっていうんだ。俺はフィルって呼んでいるけどね。仲良くしてやってくれ」
よろしく、というようにフィルは俺に向かってウインクした。
ウインクしつつ足先が跳ねて「ぴちっ」と音を立てた。
いや、そこには足なんかありゃしない。きゅっとくびれた腰より下はワインレッドにキラキラと輝くウロコで覆われていて、つま先のあたりが半透明で大きなヒレ。
そう。
カノジョ、フィルは……人魚だった。