その18 めんそーれ海の世界
ごぼぼぼぼぼ――
飛び込んではみたものの、実のところ想像以上にキツかった。
ナーちゃん、さすがは人魚。
すいすいと泳いでいくのはいいのだが、その分水流が激しく、何度も振り落とされそうになった。きゅっとくびれていて柔らかで抱き心地満点の腰にしがみついている俺はいいとしても、由美さんとマサはひたすら手につかまっていることしかできない。
が、残念ながら二人を心配するだけの余裕は俺にはなかった。
鼻や口から少ない空気が漏れていくのを我慢するだけで精一杯。
ナーちゃん、そろそろ息が……と、思い始めた頃だった。
突然、全身にまとわり付いていた水圧から解放された。
同時に感じる、妙な重力。
「……はい、着きましたよ」
ナーちゃんの声に、ハッとなった俺。
どうやら、多少気が遠くなりかけていたらしい。言い換えれば溺れかけていた。
「……お? おお?」
霞む目をごしごしこすりつつ飛び込んできた光景は――海の世界だった。
岩や砂地の地面が広がっていて、当然ながら建物などはどこにもない。
上を見上げれば、水族館のエントランスで見たような、重いスカイブルーとホワイトが入り混じった光が差し込んでいる。そのせいか、空間自体がうっすらと青みがかったようで、そこがまた海の世界っぽい雰囲気をかもし出している。
ふと気がついたのだが――呼吸ができる!
「達郎さま? だいじょうぶですか? ちょっと、苦しそうでしたね?」
はい。相当苦しくて、途中からは三途の川を泳いでいるのかと……って、あれ?
「ナーちゃん? なんで……?」
そう。
俺とナーちゃん、今は額&額をやっていないのだ。
彼女のクリアなボイスが耳にフツーに飛び込んでくる。
ナーちゃんは人懐こい笑顔をつくって
「海の世界では私、普通にお話ができるのです。ですから、マサさまと由美さまとも、きちんとお話ができるのですよ?」
にこ。
ああ、いつものかわいいナーちゃんだ。
「そっか。そいつはよかった。……ってか、飛び込んでからけっこー距離なかったか? 俺、溺れちまうかと――」
どこかで白い花が咲いていたような。それに、死んだばあちゃんを見かけたような気がする。
「ごめんなさい。一生懸命に泳いだつもりだったんですけど、その……」ナーちゃんはぽっと顔を赤らめ「達郎さまがぎゅーっ! って抱き締めてくださるものですから、私、気になってしまって……」
ぞーっ。
振り落とされまいとしたことが、逆にナーちゃんを刺激して減速させたってコトか。
あぶなかった……。
次回からは場所を選んで――って、いやいや、何を言っている、俺。
そんなエッチな話をするためにここへ来たワケではないのだ。
岩の上に座り込んでいた俺は、よっこらしょ、と立ち上がった。
「ここは、どの辺なんだ? 総督府とやらは近いのか?」
「はい。この先へ、進んだところにあります」
そうか。
んじゃ、一丁お礼参りに……って、あれ?
マサと由美さんがいない。
まさか、たどり着けなかった?
「ナーちゃん! マサと由美さんは――」
「お二人でしたら、ここへ着いた途端に手が離れてしまって……」
話しているその矢先。
「――おォい! タツー! ナー!」
由美さんの呼ぶ声が聞こえてきた。
良かった。無事だった。
「由美さん! マサがいないんですけど……」
「あァ、マサぁ? あいつだったら――ほれ!」
彼女はあごをしゃくって見せた。
その先には――大の字に倒れているマサの姿があった。安心したが、みっともなくもある。
「おォい、マサぁ! いつまでも寝てんじゃねェよ! だっせェな!」
武装天女からダサい呼ばわりされたマサは
「じっ、じぶん、マジ……くっ、苦しかったっス……」
半ば、放心していた。
ヤツを起こしてやり、これでチーム全員の無事を確認。
「ナーさぁ、ここって、どのヘンなんだ?」
長い前髪をかき上げながら、質問した由美さん。泳ぎたかっただけあって、マサとは違いまったくダメージは受けていないようである。
「ここは海の世界でも、人間の方達世界にもっとも近い場所なんです。海の世界のどこからでも人間の方達の世界へ行けるという訳ではないのです」
ナーちゃんがそう教えてくれた。
「へー。じゃあ、ここがそれか」
「はい。もっとも、ここは元ブルーフィッシュ共和国があった区域で、ほかにもレッドバックだったりアーマーユニオン、十八同盟の区域なんかがあります。そこからも人間の方達の世界へ通じる地点はありますけれども、それはまた別のところへとつながっています。達郎さまの住んでいらっしゃる街の近くへ行けるのは、ここだけなのですよ?」
嬉しそうな顔をしたナーちゃん。
「で、目的の場所はあっちにあるそうだ」俺はその方向を指して示した。
「おォ、じゃっ、いこーぜ! カノジョのねーちゃん、助けなきゃなァ!」
早くも回復して気合い十分のマサだったが、認識に相違がある。
助けるのはナーちゃんのお姉さんなどではない。
とはいえ、大した問題でもないのでスルーしつつ先へ進もうとすると
「――おい! そこの奴ら!」
そこへ、背後から呼びかけてきた声がある。。
振り返ると、二匹の魚人がいた。
目玉がやったらでかくて、身体がワインレッド。
たぶんキンメ、正式には金目鯛と思われる。しゃぶしゃぶがイケるらしいがとてもとても高価なようで、幸子が食わせてくれたためしは一度もない。
キンメAは手に持っていた木の枝みたいなものを俺達につきつけ
「さてはお前達、総督閣下に逆らう人間達キン? 無駄な抵抗は止めキン!」
続けてキンメB「大人しく総督府まで来てもらうキン!」
「……おい、お前ら」
「何だキン!?」
俺は奴らが持っている得物(と、呼ぶのも忍びない代物だが)を指さし「それ……なんだ?」
すると、両キンメは「がくり」と膝を付き、でっかい目から大粒の涙を流し始めた。
「そう、そうなんだキン……経費節減とやらで、俺達、これしか支給してもらえなくて」
「うんうん。どーすんだキン、俺っち、家にかあちゃんと子供二人いるってのに……」
あ……どうやら、触れてはいけないところをツッこんでしまったようだ、俺。
レッドバックの奴らも、海獣組にはいいように使われてるんだな。ほとんど下請け状態だ。
何となく、気の毒になってきた。
が。
俺の背後では由美さんが転げまわって爆笑中。
「ひーっひっひっひ! キンって、キンって……あはははは、腹いてェっての」
マサはマサでずっとメンチ切り続けている。そろそろ眼球が疲れてきたようで「……おい、タツ! どーする? どーする?」と小声で催促が。
俺だって、無駄なケンカは避けたい。本当の相手はこいつらじゃないし。
「じゃあ、そこをどいてくれ。俺達は総督府に用事があるんだ。お前らじゃない」
と、一応好意的な態度を示せば通してくれるかとあっさり甘く考えたのだが
「そ、そーはいかないキン! セイゾー閣下に逆らう人間どもめ!」
「これ以上生活苦になったら一家無理心中キン! お前らつかまえてボーナスもらうキン!」
ああ、そうかい。拳あるのみか。しゃーないな。
「キーン!」
「メーッ!」
だいたい想定通りの掛け声と共に、キンメ達がぴょーんとかかってきた。俺はナーちゃんをかばいつつ、迎撃すべく身構えた。
――しかし。
「うるぁ!」
「オラァ!」
きらーん!
「キーンメーッ――」
コンマ数秒後、キンメ二匹は海の世界のお空へと消えていったのだった。
マサの左ストレート、それに由美さんのタメ蹴りが炸裂したためである。
「……なんでェ。ハリがねェよ、ハリが」
不満そうなマサ。
それはまあ、お約束だから仕方がない。
『まずはザコから登場!』ってヤツだ。