その13 主砲の華麗なる憂鬱
――あの夏から月日は流れた。
相変わらず毎日は淡々と過ぎ去っていく。
だけど、俺はちょっとした変化の中に飛び込んでいたから、いつまでも同じままってワケじゃない。
やっぱりね。
なんでもいいから、なんかやるコトないと、人間はダメなんだな。
やることを見つけてからというもの、ほんのちょっとだけかも知れないけど、前に進めたような気がする。入学した頃の俺じゃないって、今は思える。
そんなこんなで年が明け、俺の高校生活一年目は終了。
二年生からはクラスが変わるから、今のクラスの連中とはほとんどおさらばだ。
「また一緒だといいなぁ、海藤」
史郎はそう言ってくれた。
一緒だといいけどね。ま、期待しないでいたほうがいいだろう。クラス替えを決めるのは教師達だし。
それに。
俺にはもう、心残りはない。
――じゃあね、春香ちゃん。彼氏といつまでも仲良くね。
そーいうことだ。
そうして三月の終わり、俺達が二年生に進級するちょっと前のことだった。
港湾開発地区にあったでっかい工場が爆発事故を起こした。
ちゅどどーん、という爆発音は俺の家にまでモロ飛んできたから、よく覚えている。
あとでニュースを観たら、百人を越える従業員の人達が亡くなり、それ以上の数の負傷者が出たとかいっていた。
世間の事情にうと過ぎる、というか興味あること以外興味のない(当たり前か?)俺はその時初めて知ったのだが――その工場、ちょうど卒業したばかりの「峰山」とかいう男子生徒の親父さんが社長になっている大企業のもので、すっごく儲かっていたらしい。そういや、峰山たらいうヤツがホテルで大々的に卒業パーティを独自に開いたとかで、校内ではもちきりの噂だったっけ。あり余る金持ちだったんだな。なんでみんなに配らんのだ?
そういえば、と思い出したのは――この峰山、去年学校祭の実行委員長を努めたヤツだ。俺も実行委員だったけど、委員長の名前なんて学祭が終わってしばらくしてから聞いた。……俺ってそういう人間なんです。
ややあって、テレビに出てきた彼の親父さんは「典型的に強欲な社長」タイプだった。
「社長! 多くの死傷者が出ているんですよ! 何かコメントは!?」
マスコミの記者達にマイクを向けられると
「何なんだ、キミ達は! 私を侮辱するのか! 私だって、数日寝てないんだぞ!」
とかキレだす有様。
しかし数日後、記者会見の場に出てきたヤツは、涙で顔をぐちゃぐちゃにして
「も、申し訳ありませんでした……。私が、間違っておりました……」
と、おいおい泣き出した。
なんだこの豹変ぶりは。なんか憑いてるんじゃないのか?
それを観ていて正直、俺は「ざまー見ろ」と思った。
なぜなら――その工場はこっそり排水を海に垂れ流していやがったからだ。警察の現場検証でそれが発覚し、とうとう峰山社長以下えらい人達がばしばし捕まった。
しかもそれには市とか県の役人もからんでのことだったらしく、事件はとんでもなくでかいものになった。
ま、悪い事はできないようになっているものさ。いつかはバレる。
人間だろうと動物だろうと、コミュニティをつくって生きていく以上はね。
――そうして五月の連休も過ぎた頃、事故のあった港湾再開発地区は大きく姿を変えることとなった。
排水で汚染された埠頭のあたりを埋め立てるのと同時に、工場跡地にでっかい水族館が建てられることになったのだ。
「ふーん。なーるほどねェ……」
臭いものにはフタをしろ、という訳か。
あのあたり、マジ臭かったしな。埋め立てはどうかと思うが、それで少しは海がキレイになるのなら、それもアリか。
「――達郎! 準備はいいのか!?」
親父の呼ぶ声がした。
「はいよー。 今行く」
よっこらしょ、とスポーツバッグを担ぐと、俺は部屋を出た。
今日も部活だ。
『よばーん! ファースト、海藤君』
「おーし達郎! 一発かましたれ! かーましたれー!」
言われなくたって、かましますよ。
おお、今日もボールがよく見えるわ――ほい!
カッキーン――
白球が遠くの彼方へと消えてゆき、塁審の手がぐるぐると宙で回されている。
「ナイスバッティーン! すげーぞ、たつろー!」
ベンチでメンバーが狂喜している。
すごかねェよ。
こんなユル球、なんでみんな打てないかなぁ。俺には停まって見えるんだけど……。
だらだらとベースを回ってホームイン。
「よっしゃあ! 達郎につづけェ!」
続いたところで、逆立ちしても無理ですな。
スコアボードに表示されている点数は二十一対二。
念のために言っておくと、二がうちのチーム。
それもその二点、俺が二回ホームを踏んだからだ。
今日はまだいい。二回も打順が回ってきたことだし。後攻めで良かった。
「――ゲームセット!」
おお。四回までいったか。上出来上出来。
整列して挨拶を終え、ベンチに戻ると
「ご苦労さんご苦労さん! 二点も入ったなァ、うんうん」
にこにこ顔の監督。
あんた神様か。スコアボードが目に入らぬか。
「くっそーっ! 今日こそ、失点を二十点までにおさめたかった!」
三年生のキャプテン・清水が悔しがっている。
それでも二十点ですかい。
零封してやろうとか打ち崩してやるとか、そういう野心はおもちではございませんので?
ってか、根本的な大問題として……監督以下部員全員スットコドッコイだし。
――俺は去年、一年生の夏休みにこの軟式野球部に入部した。
夏休み、することもないので学校へ行って芝生の上で寝転がっていたら、近くで騒いでいる連中がいた。何かと思って盗み聞きしてみると
「泡島が辞めただと!? なんでだよ!?」
「もう、こんな弱小チームでなんかやってられないってっさ。硬式の方に行くんだと」
「なにーッ!? それじゃ俺達、試合に出られないじゃねェか!」
野球部の奴ららしい。それも、軟式野球部。
うちの高校にはそれぞれ硬式と軟式の野球部があり、硬式の方は割と強い。同級生で親友の高波史郎も入部していてセンターで四番を務めている。
逆に、軟式野球部はカス以下で、試合をすれば必ず負けるということで有名だった。
その軟式野球部に、とうとう裏切り者――いや、物のわかる人間が現れたようだ。
どこの誰だか知らないけど、泡島さん、あんたは正しいよ。
残りの八人がバカなだけだって。
……と、俺は心の中で思ったが
「ううっ……せっかく、せっかく、みんなで野球ができるようになったのに……」
「ちくしょお! ちくしょお! 甲子園へ行こうって、みんなで誓ったんだぁ!」
おい。
基本的に致命的なカン違いだぞ、それ。
あんたら、軟式でしょーが!
とかツッコんでやったほうが親切なのか?
とはいえ。
一人足らないばっかりに試合すらできないのは可哀相というものだ。
どんなにクズで使い物にならないプレイヤーだって、試合をする権利くらいはある。
「……あのー」
俺は男鳴き、いやいや男泣きしている連中の傍へ、つかつかと近寄っていくと
「俺、入部したいんですけど?」
途端に、奴らはピタリと泣き止み
「ほ、ほんとうか!? 俺、今ここで喜んでもいいのか!?」
「ウソついたら、また泣くからな! お前、それでもいいんだろうな!?」
泣け。勝手に。
「いや……野球、好きだし、それで……」
「うおーっ!」
俺が言い終わるのを待たず、バカナイン(現在八名だが)どもはグラウンドへと全力ダッシュしていき
「ばんざーい! ばんざーい!」
甲子園出場が決まったように喜び始めた。
あー。
バカはバカに変わりないんだろうけど、ともかくも野球が好きなんだろうな。
俺は何となく、声をかけて良かったような気がした。
――のは、大間違いだった。
「ちーす。海藤、入りまーす」
それから毎日というもの、俺は真面目に練習へと出かけて行ったが
「お! 海藤、ちょうどいいところにきたな! 俺と替わってくれ。俺はそっちをやる」
部室の中には、輪が三つ。
トランプ、トランプ、コイコイ(花札のことである)。
で、夕陽が辺りを染める頃
「よーし! 今日も頑張った! じゃ、かいさーん!」
ちょっと待て。
野球はどーした! 野球は!?
せめてファミスタに……じゃなかった、練習をやれ、練習を!
が、このアホ球児どもは監督が滅多に来ないのをいいことに、毎日ゲーム三昧。たまに監督はやってきたが、これまたどーしよーもないジジイ。いや、退職間際の現国教師。校内では「ヒツジ」のあだ名で通っている。大人しくて温和で、しかし何もしないからだ。
ある日、いつものようにメンバー全員で通称「練習」をしていると、急に部室へ入ってきた。
怒られるかと思ったが、ヒツジはにこにこしながら
「……清水君。練習はどうかな?」
「は、はいっ! 今、休憩中です! それで、みんなでレクレーションをしています」
集合してから休憩しかしてないだろうが。しかもその「レク」って、いつの時代の単語だよ。
すると
「おお、そうかそうか。それは大事だね。みんなで、仲良くやりなさい」
……行ってしまった。
ダメだこりゃ。
絶対勝てない理由を知ってしまった俺。
それからというもの、腐食しきった先輩達を放置しておいて、勝手に練習を始めた。
露骨にやると何を言われるかわからないので、まず自主トレをやっておいて
「ちーす!」
と、部活に入って行く。
「おー海藤! 遅かったな! 練習に遅れるとはなっとらん」
ははは。死ね。
が、別にそれ以上どうということもないので、適当に「レク」に混じって、帰る。
帰宅途中、近くにあるバッティングセンターでひたすらバッティング。
そういうイミがあるようなないような生活を淡々と続けた。
それでも、やらないよりは全然よかった。
何もしないでじっと毎日を送っていたら多分、俺は先輩達以上に腐っただろう。どうしても、俺の中にあるもやもやを断ち切りたかった。あの日以来、俺に巣食って消え去らないこの「モヤモヤ」を。
そうして――俺の地味な努力が報われる日はやってきた。
デビュー戦。
こんなクソバカなチームにも対戦を申し込んでくれる、涙がでるほどありがたい学校がある。
ライパチ(ライトで八番)で試合に出た俺。
二回の表を終わった時点で三十二対ゼロ。途中から退屈で仕方がなかった。
そして裏。うちのチーム、恐らくだが間違いなく最後の攻撃。
相手のピッチャーも大したことがなかったらしく、うちのメンバーに何度かフォアボールとデッドボールをプレゼントしてくれた。お陰で、俺にまで打順が回ってきた、というワケだ。
「まー海藤、モノは経験だ。思いっきり、空振りしてこい! あのピッチャー、ノーコンだが球は速いから、三振しても恥にはならん!」
少しも嬉しくない激励、ありがとうございます。
あんたと一緒にゃなりたかねェよ。
と、思いつつ俺は打席に立った。
ぺっ、とピッチャーが放った第一球は、腰が抜けるほど遅かった。
「ふんっ!」
元気一杯のフルスイングでかっ飛んだ打球はそのまま――スタンドを越えて場外へと消えていった。
「……」
味方ベンチ、ぼーぜん。
まさか新入りの俺が打つとは、誰一人見てなかったらしい。いや、夢にも思わなかったらしい。
「おお! 割と飛んだなぁ。ま、こんなものかな」
先輩達がかすりもしなかった速球を、俺があっさり打ったのも無理はない。
毎日バッティングセンターで、普通に百二十キロ以上の球を打ってたしな。目と身体が自然に慣れていたという、ただそれだけのことだ。
なお、その試合は三十二対一で(当たり前だが)バカ負けした。
それからというもの。
うちのチームは試合に出るたびにクソ負けをこいたが、零封されることは少なくなった。
必ず俺が打つからだ。
あのヒツジ監督も、ついには俺に四番の称号をくれた。
――そんなワケで。
「じゃ、引き上げるぞーっ! 二点取った祝いに、監督が焼肉に連れて行ってくれるそーだ」
「おーっ! やったー!」
平和な奴らだ。
その二点を稼いだのはどこの誰だと思ってやがる。
ま、別にいいけどさ。
試合に勝つとか負けるとか、どーでも良かったんだ。
俺自身がどういう形でもいいから、前に進みたかった。だから、必死にトレーニングを続けた。ホームランはともかく、少しづつ変わっていく自分を眺めているのが楽しかった。
球場を後にしようとしていると
「おーい! たっつー!」
一人の女子生徒が追っかけてきた。
水瀬めぐみ。おんなじ二年生で、何を血迷ったかこの弱小野球部のマネージャーを買って出た女である。実際、その言動はわりと理解しにくい。唯一のメリットはカオがちまちましていて、そこそこ見られることくらいだろうか。相当失礼だが事実ではある。
「あん? どーした?」
「あのさ、あのさ……」
彼女は素早く目線を走らせて辺りの様子をうかがうと、急に声を落として
「……今度の休みさぁ、ヒマ?」
「へ? 別に、忙しくはないけど」
そう答えてやると、めぐみはむふふ、と不気味な笑いを漏らし
「じゃじゃじゃじゃあさ、一緒に、新しくできた水族館に行ってみない?」
「俺と? 何でまた? 男ならほかに腐るほどいるだろう」
実際、腐っているヤツも多いが……。
「ちーがうんだって! やっぱさぁ、バリバリに活躍しているスポーツマンと一緒がいいじゃん! そのほうが、一緒に歩いていて気分いいし」
ヒトのことを何だと思ってやがる。
ブランド品のバッグとかアクセサリーじゃないんだぞ。
ってか、いい歳こいて水族館かよ。なんでそんな所へ行きたがる? ガキか、おまいは。
……とはいいつつも、俺はOKしてやった。
新しくできたという、そのでっかい水族館は俺も気にはなっていた。
あの日以来、一度も足を踏み入れていない場所。
いったい、どんな風に変わったのだろう? 今なら、行けるような気がする。
俺の心の中で、ようやくそこまでの余裕が生まれ始めていた。