#6話:黒髪のミサギと水晶髪のクイシェ
酷く荒唐無稽な夢を見た。でもまあ夢なのだから、荒唐無稽なのは仕方ない。
何故か全裸で、どこか暗い部屋で囲まれていたと思ったら、いつのまにか山奥を彷徨うことになり、女の子に助けられる夢。
不思議な光に満たされて、まるで天使のような女の子――
夢分析とかしたらどうなるんだろう?
そんなことを思いながら、瞼を開く。
「…………」
そこは見慣れた部屋ではなかった。
「…………」
つねる。
「…………」
頬から手を離した。
「夢じゃなかったかー……」
深鷺は夢だと思いたかった昨晩の記憶を反芻しながら、外の明かりから恐らく昼頃だと見当を付け、とりあえず服が着せられていることに安心した。
体を起こすと、めくれた毛布が部屋側に引っかかった。見れば、昨日助けてくれた女の子が、椅子に座りながらベッドに突っ伏している。
(うわあ……この子、ずっと看ててくれたのかなー……)
自分を助けてくれた女の子に対する深鷺の評価は、夢の印象と同じく“天使”になった。2頭身ほどにデフォルメされた女の子が、ファンシーな後光を背景にくるくると舞い踊るイメージが脳内で展開される。
実際、まるで天使のような寝顔だった。長い睫毛、白くて玉のような肌、形の良い唇、そしてなにより目を引くのはその髪だ。
まるで水晶のような透明感で光を反射している髪。果たして、こんな髪が現実に存在するのだろうか。
「外人さん……ってレベルじゃないよねぇ……」
どう見ても日本人には見えないし、昨日聞いた不思議な言葉は少なくとも英語ではなかったはず。
いったいここはどこなのだろうか、という疑問に対していくつかの答えが湧いてくるのを意識はしていたが――――とりあえずは保留とした。それを1人で考え始めてしまうのはまだ早いと思ったのだ。それに、多分この子に聞けばすぐにわかることでもあるはずだ、と。
「ん……」
「あ」
起こしてしまっただろうか。今更遅いと思いつつも息を潜める、どころか、息を止めて様子を伺う深鷺。
ゆっくりと顔を上げた女の子は、深鷺と視線が合うなり急に固まってしまった。
「■■■■■■■■■……」
「えっ……と……おはようございます?」
なにを言われたのかわからなかった深鷺は、とりあえず朝の挨拶をしておいた。
(あれ? 昨日は言葉通じたのに……)
自分にはわからない言葉を聞いて不安が蘇る深鷺。まさかあそこだけ夢だったとかいうオチだったりして、とマイナス思考が滲み出してくる。
女の子は体を起こすと寝ぼけ眼でぼんやりと深鷺の顔を見た。目がハッキリしてくるとびっくりしたようで一瞬固まったが、すぐに深鷺の手を両手で包むように掴んだ。
「■■■■! ■■■? ■■■■■■■■■?」
嬉しそうに、そして心配そうになにかを言ってくれていることは表情からなんとなく伝わってくるのだが、言葉の意味がさっぱりわからない深鷺は困ってしまった。
「ごめん、なにをいっているのかわからない……」
「■、■、■■■■っ!」
女の子が身を乗り出し、両手の指を深鷺の頭に当てた。深鷺は昨日の夜と同じように頭を抱きしめられてしまう。
「――【■■■■】」
光が女の子を包み、深鷺へと伝わっていく。
「え、ええと、これで、わかるよね? 言葉……」
「……おお! わかる、わかるよ……! ありがとうっ!」
女の子が身を離すと、深鷺の頭の中には聞いたこともない単語や文法、発音方法が存在していた。
とても不思議な現象だったが、それを気にするよりも、あっさりと不安を解消してくれた女の子へ、嬉しさと感謝の印として抱きしめ返す深鷺。
「あ、え、うん、そんな、たいしたことじゃ……」
少しの間ぎゅっとしていた深鷺が感謝の気持ちを伝え終わると、女の子は顔を赤くしてそっぽを向いていた。
(あ、なんかかわいい)
そこで、くぅぅっ、と深鷺のおなかから音が聞こえた。
「あー……」
(今昼時だったらー……えーと、半日以上なにも食べてないのか。そりゃ鳴るよ、うん……昨日は真っ暗闇の山の中をあんなに歩き回ったんだから、おなかくらい鳴るさ!)
自分への言い訳を瞬時に済ませた深鷺。安心したらおなかが空いた、というのもあったのだろう。
一方、空腹を察知したらしい女の子はすぐさま立ち上がった。
「あ、おなか、空いてるよね。と、とりあえず、ご飯食べようかっ。作ってくるねっ?」
顔を合わせないまま部屋を出て行った女の子の背中を「あ、うん、ありがとう?」と見送る深鷺。
(ああー……聞きたいこととかあったんだけど……ていうかまだ名前も聞いてないよ……わたしの胃袋め……)
鳴ってしまったものは仕方ない。おなかが空いているとどうにも思考がマイナスに傾くことを自覚している深鷺は、お言葉に甘えて食事を待つことにした。
(とりあえず……起きよっか)
ベッドから降りようと足を床に降ろす。
「………………あれ?」
足首を捻っていたことをすっかり忘れていたのだが、痛みを感じない。
恐る恐る足首を持ち上げ、手でゆっくりと曲げてみるも全然痛くない。そして自分の足を見ていて、おかしな点に気が付く。
(裸足であれだけ山を歩き回ったのに、傷1つないー……なんで?)
汚れがないというのは、まだわかる。誰かが拭いてくれたのだろう(さっきの子だろうか?)。しかし怪我がないというのはどういうことだろうか。
昨晩は小石を踏んづけたり、体中を枝に引っ掛けたりと、かなり痛い目を見ていた。途中から面倒になって怪我の具合も確認していなかったが、両足は傷だらけになっていたはずだ。
足だけではない。よく見てみれば両手も、体中見える範囲のどこにも、傷らしい傷がない。
そこら中がひっかき傷だらけになっているだろうと思っていた深鷺は、拍子抜けした。腑に落ちず、首をかしげる。
「うーん?」
昨日のことはやっぱり夢だったのだろうか。
唸りながら考えてみても答えは出てこない。
↑↓
夢を見ていた。
夢にまで見た夢が現実になる、そんな夢。
友達と手を繋いで歩いたり、なんでもない話で笑い合ったり、魔術の研究をしたり、同じベッドで眠ったり、急に飛躍して巨大な怪物と戦ったり、とにかく、一緒にいる夢。
夢だと気が付けば悲しくなってしまういつもの夢でも、今日は違う。
だって、もしかしたら、昨日逢った女の子が友達になってくれるかもしれないから――――
「■」
声が聞こえたのでゆっくりと顔を上げると、黒髪の少女と目があった。
「おはようございます……」
条件反射で挨拶をして、どうして目の前に夢に出てきた子がいるんだろうと考える。クイシェの頭はまだ夢と現実の境目を彷徨っていた。
(……あ、そっか!)
どうして自分がベッドに突っ伏しているのかを思い出し、じわじわと目が冴えていく。
「よかった! 大丈夫? 調子悪いところとかない?」
健康そうに見えるものの、心配するのを止められず確認するクイシェだったが、黒髪の少女は困惑した顔で答えた。
「■■■、■■■■■■■■■■■■■■■……」
「あ、ご、ごめんねっ!」
(言葉、通じないんだった!)
不安そうな顔を見て慌てて身を乗り出すクイシェ。昨夜のように頭を抱きしめると、魔導術を発動させる。
クイシェの身に魔光が灯り、黒髪の少女へと伝わってゆく。
「――【言語移植】」
少女の戸惑う声を聞きながら施術を終え、少女の頭を解放すると、クイシェは言葉が通じることを確認した。
「え、ええと、これで、わかるよね? 言葉……」
「……おお! わかる、わかるよ……! ありがとっ!」
嬉しそうにしてくれている黒髪の少女を見てクイシェも嬉しくなったが、逆に抱きしめられてしまったことでクイシェは固まった。
「あ、え、うん、そんな、たいしたことじゃ……」
誰かに抱きしめられる(セクハラはノーカウント)のなんて何年ぶりだろうか。
慌てるクイシェ。
抱きしめ返せばいいのだろうか、と、どうすべきかわからずに両手がホールドアップされた人のように浮いていた。
そうこうしているうちに少女が離れる。
少し名残惜しそうな顔をしたかもしれないと、クイシェは慌ててそっぽを向く。
そこで、くぅぅっ、と音が聞こえた。
「あー……」
「あ、おなか、空いてるよね。と、とりあえず、ご飯食べようかっ。作ってくるねっ?」
部屋を飛び出てバタバタと台所へ向かい、さっそく調理を始めた。鍋に魔導書から魔力を通し、加熱する。
心臓がドキドキしていることを誤魔化すように手を動かす。
適当な野菜をザクザク切っては鍋に投下していく。
(抱きつかれちゃった……っていうか先にわたしが抱きしめちゃって……でもあれはああしないと危ないからで、仕方ないし…………あ、そういえば名前も聞いてない……)
深夜に村へと帰還したクイシェは、村の女性医師に黒髪の少女のことを任せると、結界の張り直し作業に取りかかった。
本来指示を飛ばすべきギュランダムが抜けている分、作業速度は遅れてしまう。かといって見た目ボロ雑巾のようになってしまっていた師匠を叩き起こしてまで手伝わせるのも酷かと思い、そのまま続行した。
全ての作業を終えた頃には、日が昇ってしまっていた。
クイシェは作業している間もずっと、保護した少女のことを考えていた。初めて目にしたときの怯えた姿や、離れると不安そうにしていた寝顔を思い出す。
保護欲に突き動かされたクイシェは、結界を設置し終わるなり自宅へ戻り、少女を運び込んでもらった部屋へと向かった。
少女のことを任せていた女性医師は、体が冷え切っていたこと以外は特に問題ない、と言っていた。ベッドを覗いてみると、そこには予想に反して安らかな寝顔があり、それを少しだけ残念に思いながらもクイシェは安心する。
女性医師からは自室に戻って寝るよう薦められたが、クイシェはその場を離れなかった。
なんとなく、少女の隣にいてあげた方がいいと思ったのだ。
そのときの自分と、思考が重なる。
(言葉も通じないほど遠いところで1人きりだなんて、きっと心細い)
鍋からスープをよそう手が止まった。
村から出たことすらほとんどない自分には想像も付かないが、自分なら寂しさだけで死んでしまうのではないだろうか。
(ましてや裸で暗い山奥にいるなんて……!)
そこで思い出した(“そこ”で思い出してしまうのはとても嫌だったが、思い出してしまったものは仕方ない)。
(お師匠様……は、もう気が付いたかな)
結局、ギュランダムは結界の張り直し中に起きて来ることはなかった。
よく考えてみると、完全に自業自得で気絶した挙げ句、わたしは眠い中夜通し作業していたのだから、引きずられてたんこぶだらけになったくらい当然の報いなのではないか――――なんてことが思い浮かんでしまうが、クイシェはすぐに手を振ってその考えを散らした。
――――どんな事情であれ、お師匠様なら少女の力になれるだろう。
と、クイシェは考える。自身もできる限りのことをするつもりだった。
(わたしが守ってあげる。一緒にいてあげる。そうしたら)
それが自分の都合、願望からのものであることに、後ろめたさを感じつつ。
(そうしたら、友達になってくれるかなー…………)