#52話:言語移植の活用法と熱交換結界
※おひさしぶりです。
※51話の最後少し削りました。
極楽な溜息が漏れる。
(このお風呂とも、今日でお別れかあ……)
深鷺は湯気の中で、この1ヶ月間の出来事を思い出していた。
異世界。
獣人たちの姿。
魔獣。
自分にできた妙な体質。
魔術。
この世界のこの国の言葉。
それぞれ、それなりに慣れたと言えるだろう。比較対象は無いが、順調だと思える。
とくに、最も苦戦を予感していた言葉の問題が好調なことは大きな安心材料の1つだった。それもこれもクイシェと【言語移植】のおかげである。
【言語移植】は効果が消えると同時に得ていた知識を全て忘れてしまうが、その知識を用いて会話していたときの記憶までもが消えてしまうわけではない。
そのことに気が付いた深鷺は、術の効果時間中に自分が使った言葉を思い浮かべ、交わした会話の内容と照らし合わせることで、効率的に意味を理解できるようになっっていった。
すぐに気がつけなかったのは、術の効果で得て失われる知識量が半端ではないための反動などもあったのだろう。クイシェもそんな活用法があるとは思っていなかったようだ。
知識量の落差感に慣れてくるにつれ、深鷺の学習速度はみるみる上昇していった。なにせ“答を知っている状態”を体験できるのだ。これ以上の学習方法は無いんじゃないだろうかと、深鷺は密かに戦慄していた。
仮に言語以外の、例えば魔術の知識を移植できるとしたら、それこそ簡単に魔導師が量産できてしまうのではないだろうか。問題はこの術自体がクイシェにしか使えそうにない点と、時間制限があることで――
(――まあ、つまり無理だよね)
そんなおいしい話はないだろう。
(脳に直接情報を刷り込む……こんなSFな技術、地球だったら後何年で実現するんだろ?)
クイシェによると、厳密に言えばこの術は相手の頭に知識を刷り込んでいるのではなく、相手の意識を術者の知識に繋げているものらしいが。
発音のほうはまだ心許ないが、あと一月もあれば問題ないレベルでの会話が可能になるだろうと、深鷺は楽観視している。
実のところ【言語移植】という反則的な安心感があるせいで深鷺の学習速度が落ちているという見方もできた。
不真面目なわけではないが、右も左もわからなかった最初のころほどの必死さは無い。
その分、心に余裕があるおかげで村の研究に多大な貢献をしているので、結果的には、まったく悪い話ではなかったりもする。
「はぁぁー……よし」
いつまでも浸かっていてはキリがない。と、すでにもうちょっとだけ、を何度も繰り返した挙げ句のこと、何度目かのキリの良さを感じながら、湯気の中を歩き脱衣所へと移る深鷺。
「ミーちゃん、はい」
名残惜しそうに湯を振り返ったりしつつ戸を開けると、そこには先ほどまで一緒に入っていたフリネラがいた。【冷蔵結界】から取り出したブイミンジュースを渡してくれる。深鷺は触れれば結界を壊してしまうので、自分で取り出すことができないのだ。
甘酸っぱい味が口内を満たす。しっかり冷えていて、茹で上がった体に気持ちいい。
グリースターとフリネラの共作となった結界は順調に改良を重ねられ、試作品はさっそく実験浴場で使われている。
命名権を与えられた深鷺は自分の馴染みの言葉からそのまま【冷蔵結界】と名付けていた。
現在は脱衣所に用意された【冷蔵結界】と、外の浴場にある【保熱結界】を導線で繋げ、結界の効果で常に熱を移動させている。
当初の、冷めた空間からさらに熱を奪う、という発想はうまくいったのだが、必要な冷却成果は得られなかった。
そこで深鷺は、さらにもう一つの結界を用意して結界同士を導線で繋ぐことを提案してみた。鍋に熱を這わせる事ができる導線なら、結界同士を繋ぐこともできるのではと考えたのだ。
【冷蔵結界】から【保熱結界】へ熱を送り、【保熱結界】は【冷蔵結界】から熱を引っ張ることで、効果倍増を狙ったのである。こうすれば、実質結界2つ分の魔力で冷却が可能となる。
そこからは、グリースターの苦労の連続だった。
【クイシェの精査室】を設置した際も、自分から要石へ魔力を流す導線が放射状に設置されていたのだから、問題ないだろうと深鷺は思っていたのだが、実際はそう簡単にはいかなかったのだ。
導線というのは魔力の通り道であり、つまり小さな人工の地脈とも言える性質を持っている。地脈の状態に敏感な結界術と組み合わせるには、かなりの試行錯誤と失敗を重ねたらしい。
地脈か導線、どちらかのみを魔力の供給源とするなら問題はないらしいのだが。
しかしそこは職人の意地か、一週間も過ぎた頃には、現在用いられている結界と遜色のないものが完成していた。
こうして、【冷蔵結界】【保熱結界】合わせて【熱交換】と呼ばれる結界術が誕生し、現在も改良が続けられている。
また、導線を用いたアイディアが成功したことで気をよくした深鷺が祝いの席でいろいろと妄想を語った結果、村の研究者たちは結界と導線を組み合わせた「魔導書」を作る、という大きな計画に着手し始めたらしい。
まさか自分の適当に言った妄言が実行に移されるとは思わず、そのあたりは深鷺は関わってもいなかったのだが、知らないうちに大事になっており、知ったときには慌てたものだった。
どうやら土地を魔導書化するという壮大な計画らしい。
こうした実績を積み上げていく中で、深鷺の“お手伝い”は早い段階から助手的なものではなく「意見役」に変わっていった。
異世界の常識から持ち込まれる深鷺の意見は、的外れなものも少なくは無かったものの、村の研究者達に良い刺激を与え、あるいはそのまま発明に至るものも多かったのだ。
中には魔導術がまったく関係ない、祭で使う遊具や出店の商品案まで持ち込まれていたりする。
当の本人も、村人たちが喜んでくれるので満足気だ。
助けられ、交流を深め、助け合い、共に祝い、家族のように過ごした。
そんな村人たちとも、今日でお別れとなる。




