#51話:抱える危険と抱いた決心
湖ほどもある水桶の底に、針先程度の穴を空けたようなもの。
全体から見ればほんの小さな流れだが、確かにその動きは存在した。
細部を認識する感覚ではわからなかったが、この巨大な視点からでは逆にハッキリと知ることができる。
もっと強力な、信じられないほど消費量の多い魔術を使えば、よりこの流れは明確になるだろう。
深鷺が魔導書に流し込んでいる魔力と同じだけの魔力が、地脈から深鷺へと流れ込んでいた。
地脈という世界中を流れる膨大な魔力の流れから見れば、ここでクイシェが感じていられる魔力すらごく僅かなものだろう。
しかし人が、生命が扱える魔力としては、無限とも思えるほどの魔力の、その一端を流し込まれながらも、深鷺は平然と気合いのコントロールに集中している。
この広大な視野で地脈を感じ取る感覚は、【クイシェの精査室】では遮ることができないもののひとつだ。深鷺と地脈の動きは準備をせずともこの感覚でいつでも確認することは出来るということになる。
現状では、これ以外の感覚を用いても深鷺の違和感が邪魔となり、深鷺の事を調べるのには役に立たなかったので、【クイシェの精査室】もあまり役には立たなかった事になるが……
ともあれ、深鷺の特殊性の一端は知ることが出来た。
このことを伝えるべきか否か、クイシェは一瞬だけ迷う。
しかし、すぐに答えは出た。
才能に伴うリスクは、それを知ろうが知るまいが、その者が抱えることに変わりは無いのだ。
クイシェは深鷺が、自分やギュランダムと同様に特殊な才能、能力の持ち主であることを、喜びや同情の混じった、複雑な気持ちで飲み込んだ。
「ミサギちゃん、終わったよ」
「……あ、もういいの?」
一定の気合いを入れる――一定量の魔力をずっと流し続けるのはことのほか、疲れるものだ。流れている魔力を認識できていない深鷺では、神経もかなりすり減ったことだろう。センスは良い方なのかもしれない。
おつかれさま、とクイシェが言えば、深鷺も同じ台詞を返す。
立ちっぱなしで集中を続けていた深鷺がどこかに腰を下ろそうと一歩踏み出すと、魔力の供給源を失った結界はたちまち薄まり、消え去った。
それほど長い時間ではなかったはずだが、2人ともかなり疲れた顔をしている。
「終わったか? 2人ともご苦労じゃったの」
「おつかれー、ジュースあるよー?」
フリネラから真っ黒い果汁を受け取り、二人してこくこくと喉を鳴らす。
落ち着いた2人は結界の撤去を手伝い、判明した事実に関する話は場所を移してからとなった。
◇
深鷺は使用した魔力を地脈から補充する力があるらしい。あるいは直に地脈から魔力を使っているのかもしれない。その2つの違いが深鷺はよくわからなかったが、説明している方もわかっていない
結界が壊れてしまう理由は、そのように深鷺が地脈に影響を与えているからだろう、と推測された。
結界は地脈から一定量の魔力を引き出すことで保たれている。地脈の流れが歪んでしまえば、シャボン玉を膨らますようなバランスで構築されている結界は、弾けて消えてしまうというわけだ。
自分の超感覚もかなり異常で特別な部類だが、深鷺の力もよっぽどのモノだと、クイシェは思った。
あれほど無尽蔵の魔力があれば、設計次第でどんな術でも扱えるだろう。ありとあらゆる魔導術を、その消費量を考慮せずに作ることができるのだ。
クイシェはざっと思いつくだけでも、屋根より分厚くなるような魔導書のアイディアがいくつか浮かんできた。クイシェですら扱えないような術であっても、深鷺が魔導術に慣れれば易々と使えるようになるかもしれない。
恐るべき能力であり、それは色々な危険も孕んでいる。
そして深鷺の抱える問題はそれひとつではない。
もしワープ体質のことが知れ渡り、それが魔導術によるものだと判断されれば、その術式を盗もうと動き出す者たちが出てくるだろう。体質だと判断されればその術式を解明しようと、深鷺を捕らえて人体実験をしようとする者たちが現れかねない。
あるいはもっと手っ取り早く、深鷺を“使い魔”にしようとする者も出てくるかもしれない。
深鷺はその危険性を理解できているだろうか?
深鷺は無事に旅を送ることができるだろうか?
クイシェは改めて、深鷺のことばかりを考えている。
楽しいことばかりでなく、心配なことや、彼女の願いのことを。
◇
クイシェは、決意を固めてギュランダムの家の扉を叩いた。
実験が終わったあと、クイシェが感じ取った魔力の出所から考えられる色々な話は夕食前には終わり、今後についてはまた明日以降となっている。
現在は空に星が見える時刻。深鷺は自室で寝ているはずだ。
「……あの、お師匠様。真面目な話をしにきたので、変なところに隠れるのはやめて出てきてください」
超感覚が示すギュランダムの姿は不自然なサイズに収まったもので、どうやら室内のなにかにしゃがんで隠れているような印象をクイシェに与えていた。
クイシェの勧告から数秒後、なにかを諦めたのか、渋々といった態度でギュランダムは立ち上がり、扉を開く。
「その感覚はちと卑怯じゃと思うのう」
「天才が卑怯呼ばわりされるのは仕方ないって昔お師匠様が仰ってましたよ?」
深鷺がやってきてからというもの、以前よりも警戒心が育ってしまったらしいクイシェの対応に、ギュランダムは寂しさを憶えた。
無視しつつ、クイシェは自分の決心を伝える。
「わたしは、ミサギちゃんに付いていこうと思います」
「ふむ。ミサギが旅立つときはそれに付いていくと?」
「はい」
「つまり、魔術学院には行かない、ということかの?」
クイシェが弟子を卒業したとき、ギュランダムはこの先の希望を聞いた。そのときクイシェは、異国の魔術学院に通うことを願ったのだ。
この国を出て、魔導師達が集まり、魔導師を育てる都市へ行く。そこでクイシェは、友達が得られるのではと考えていた。
クイシェはもはや自分の仕事を魔導術関連以外では考えられないし、そして同じ技術を学ぶという共通点は友人を得るのに役立つと思っていた。
外の世界に出るということは、自分の特異性を隠さなければならないし、露見すれば危険にさらされる可能性も高い。
それでも友達というものを得てみたいと考えていたクイシェは、ギュランダムから忠告を受けても、生まれ育ったこの村から遠く離れてでもなお、学院へと行きたがっていたのだ。
クアラ村が存在するこの国には、若者を集めて魔術を教えるような教育機関はまだ存在していない。ゆえに、遠い異国の地まで行くしかないのである。
しかし、クイシェはその道を選ぶことをやめた。
「いろいろと準備もして貰っていたのに、ごめんなさい。でも、ミサギちゃんの力になりたいんです」
「お主ら、出会ってからさほどたっとらんのに、随分仲良くなったようじゃのう。学院への手続きは既に済ませてしまっていたんじゃが……」
片手で髭をなでつけながら、ギュランダムはそれほど時間を掛けずに答えを出す。
「まあ、構わんじゃろう。好きにするといい。お主は弟子を卒業した身じゃし、そのときに、今後は好きに生きろと、儂は言った。儂らも可能な限り手を貸すが、お主が遣りたいことをするが良い」
「……ありがとうございます、お師匠様」
「じゃがのう……ミサギが元の世界に戻るための手伝いをする、それがどういう事かわかっておるか?」
クイシェはしっかりと頷いた。
ならばこれ以上言うことはないと、ギュランダムは愛弟子の決意を認めるのだった。