#49話:【クイシェの精査室】
昼食を挟み、本日の後半戦。
深鷺が呼ばれたのは、ギュランダムの家の横にある開けた場所だった。
先日、ギュランダムが用意した結界を深鷺が次々と破壊する、という実験を行った場所である。
集まったのはギュランダムとフリネラ、クジールとグリースター、そしてクイシェと深鷺だ。
クジールの手伝いの続きをするということになっていたが、今日のこの実験は実質、深鷺のために行われている。
深鷺の特殊性を調べるためだ。
突然ワープしてしまう現象、怪我が治りやすい体質、使用しても減らない魔力。
これらのうち、主に魔力量についてをクイシェに全力で調べて貰うことになる。
ワープは条件が不明だし、怪我の治りやすさはわざと怪我をしてまで調べるというほどのことではないように思える。しかし魔力の方は魔術がまともに使えるか否かという、今後深鷺が生きていく上で重要な要素となるし、掌魔導書が使えるようになったので、クイシェによる精査が可能なのではないかという判断だ。
「いいの? ミサギちゃん……」
「え? いいよ? というか、おねがいします、かな?」
どうやら深鷺は“儀式”に対する拒絶感など無いらしく、クイシェは安心した。
用意された場には深鷺を中心として囲むように要石が並べられつつある。
グリースターたちが抱えている要石は、深鷺では持ち上げるのが不可能だと確信できるような大きなものだ。要“岩”と言えるほど大きくはないが、米袋ほどの大きさはある。
結界術は地脈から魔力を汲み上げ球状の膜を編み出す技術だが、その膜を維持する働きを持つのが、要石だ。石と名が付いているが、植物や魔獣の爪などの場合もある。
紫色をしたこの石は、この村に用意されている要石のなかでも最も大きく、強力なものだ。
本来は都市全体を囲うような超広域の結界の設置に耐えうる代物で、地脈から引き出せる魔力もかなり多い。
ゆえに設置する際はそれぞれの間隔を数百メートル以上空けなければ結界の構築に失敗してしまうほどの品なのだが、今はそれを並の結界と同程度の間隔で並べている。
「まさかこれを使うことになるとはのう……」
「念のため用意しておいて良かったですね」
「これで失敗したら、もうどうしようもないんだがな」
ギュランダムとグリースターは軽々と、クジールは少々気合いを入れて紫色の要石を持ち上げては定位置へと運ぶ。フリネラは砕け散った要石を拾い集めている。
既に実験は何度となく行われているが、どちらもクイシェが調べる間もなく結界が壊れてしまっていた。
深鷺が結界に触れたわけではなく、結界や要石が深鷺の魔力に耐えきれなかったのだ。
そうして失敗に失敗を重ね、最後の手段とばかりにいくつかの検証を行った後、例外的な方法で結界を張ることになり、大型の要石を引っ張り出してきているのだった。
これ以上の環境は現時点では用意できないため、次に行われる実験が最後のチャンスとなる。
この結界が無ければ、クイシェは本気を出すことが出来ないのだ。
◇
クイシェの超感覚には“一定以上効果範囲を狭めることが出来ない”という弱点がある。
これほどの能力に弱点というのもおかしな話なのだが、際限なく感覚を開いてしまうと、クイシェが情報を処理しきれなくなるのだ。
彼女の超感覚は、魔力を対象とした無数の感覚で成り立っている。その感覚が感じ取れる範囲は1つ1つがとてつもなく広域に及ぶ。まるで数キロ先まで見通せる視覚を数十種類保有しているようなものだ。透視、暗視、赤外線視覚、エックス線視覚、遠隔視といったものを一度に処理していると考えれば、その処理の大変さが伝わるだろうか。
そして超感覚には視覚だけでなく嗅覚や聴覚、第六感的なものまで存在する。
そんな感覚を大量に解放してしまえば、いくら天才と呼ばれていようともクイシェの頭はパンクしてしまう。
あまりに酷使した場合は頭痛に襲われ、意識を失うこともあった。
クイシェはこの能力の精度に限界を感じたことはほとんど無いが、クイシェ自身の処理能力には限界があるのだ。
クイシェはたとえ寝ている状態であっても、この村の全域程度の範囲であれば常に魔力を感じ取っている。逆に、それ以上は範囲を狭めることができない。
それだけでもかなりの情報量だが、解放する感覚を増やせば増やすほど情報は増えていく。しかし、感覚の有効範囲は減らない。
感覚を掛け合わせれば掛け合わせるほどに、読み取れる情報は増してゆくが、クイシェに掛かる負担も大きくなってしまう。
クイシェはその超感覚を全力で用いることができずにいた。
そこで考えられたのが、魔力を隠蔽する結界を利用する方法だった。
その結界は"境界の内外で魔力を完全に遮断する"とされていたもので、組み合わされていた魔導術はそのまま【魔力隠し】と呼ばれていた。
元々はとあるミミック種が、おそらく魔力の匂いに敏感な天敵の魔獣から隠れるために使っていたもので、魔導師達もそれと同じ理由から結界や個人用として魔導術に組み込み、用いていた。
一時期は【獣払い】にも魔獣対策として術式が組み込まれていたものだが、この村ではクイシェの感覚の邪魔になるので現在は使われていない。
この術を組み合わせた結界の内側でなら、クイシェの感覚の有効範囲を区切ることが出来るのではないかと、ギュランダムを初めとする村人が総出で調整、改良を施したのが結界専用魔導術【クイシェの精査室】である。
【クイシェの精査室】は、実際に【魔力隠し】の結界で実験したところ、超感覚の一部が結界を素通りして外側の情報を拾ってしまったことから開発が始まったものだ。
クイシェ自身も研究に加わり、同タイプの術を世界中から取り寄せては組み込み、改良に改良を重ねた結果、クイシェが自覚している感覚の全てを完全に遮断、とはいかないまでも、大半を遮断することに成功した。皆の努力の結晶である。
そこまでしてこの【クイシェの精査室】を開発したのはもちろん、クイシェの超感覚が持つ精査能力から得られるモノに、莫大な価値があるからだ。
そしてクイシェにとっても自身の能力をより深く知る経験となった。
ちなみに術名はギュランダムが魔道書の表紙に勝手に書いてしまったもので、クイシェ自身はまったく気に入っていない。
名前は要りません! という文句はスルーされてしまったのだった。
◇
「それじゃミサギちゃん、全力で手加減してね」
「はいっ。全力で手加減をしつつ、気合いをいれますっ?」
自分でもなにかおかしなことを言っているような気がして思わず疑問符を付けてしまった深鷺だが、クジールがあまりにも真顔で言うものだから普通に返答していた。
重そうな要石の配置が終わり、クイシェは要石の中心に改めて立つ。
足下には導線が深鷺を中心として放射状に引かれ、目の前には腰ほどの高さの小さな机。その上には掌魔導書【虫】が置かれている。
前回クジールが用意した術だと光が眩しく邪魔になるため、今回は無色透明な魔力の塊を発生させる「虫」と呼ばれる術式だけで作られた魔導書を使うことになった。
クイシェ以外にはまったく認識すら出来ないので見た目には何も起こっていないようにしか見えないが、今回はクイシェがいるので問題ない。
「さて、準備は整った。三度目の正直、というやつかのう?」
「大丈夫よー、きっとうまくいくわー」
深鷺はフリネラの声援に後押しされ、深呼吸をした。そして自分に向けられた術を全て受け入れる心構えで、魔導書に右手を載せた。
要石で囲われた円の内側、向かって正面にはクイシェがいる。
真剣な面持ちで瞳を閉じ、成功の祈りか集中のためか、両手が首元で組まれていた。
クイシェが祈る姿はとても様になっている。やっぱり天使だなあ、といきなり雑念に囚われた深鷺だったが、特に問題は生じず、結界の構築が始まった。