#4話:暗闇から暗闇へ
時間を遡り、ここは竜翼山脈研究所の地下儀式場。
【………………あ?」
(まぶしー)
目の前に蒼白い光が見える。照明としてはずいぶん淡い光で、あたりの暗さと比べると頼りない。
(……って、え? 真っ暗?)
夕方だと思っていたのに急に夜になってしまったことに深鷺は混乱した。
(公園で昼寝でもしてたっけ……?)
一瞬、頭がぼんやりしているのは寝起きだからだろうかと考える。
天気のいい日などは公園でウトウトすることもある深鷺だが、危ないから1人ではしないようにと兄から注意されていた。帰り道は1人でいたはずだし、そもそも公園になんて寄っていない。
深鷺は急に肌寒さを憶え、肩を抱いた。
腕が、胸に、妙にぺったりと付くのに気が付く。
(……な、なんでハダカ??)
更に混乱する深鷺。
「ここ……どこだろ?」
少なくともここが公園――野外でないことは確かだ。
目の前には変な形の小さな照明が床に1本立っているだけ。
遠くは暗くてよく見えないが、空気の流れが感じられず、頭上には天井があるようなので、かなり広そうだがここは室内であるはずだと、深鷺は推測する。
(まあ、外でハダカはありえないよね)
寝る前にどんなことをしていてハダカなのかはわからないが……とまで考えて、深鷺はようやく不安になってきた。
その不安を待っていたように人の声らしきものが聞こえた深鷺は、手足で身を隠しながら、
「誰かいるの?」
いて欲しくはないが、問いかける。
……答えが返ってこなくとも、誰もいないことの証明にはならない。
深鷺は闇を照らそうと、傍らにある凝った意匠の照明へと手を伸ばした。
「「「「■■■っ!」」」」
暗闇から複数人の怒声。深鷺は身を竦ませると声のした方、つまりあちこちを見渡した。
放射状に紋様の描かれた床が、自分を中心に広がっている。
身を預けるところも隠すところもなく、怒声に阻まれて照明を手にすることもできない。
徐々に闇に慣れていく視界が、あたりを取り囲む柱を捉えた。それが、まるで自分を閉じこめた檻のようにも見える。
そして、その柱の隙間にみっちりと列ぶ人影を見つけた。
どこを見ても人、人、人。
「…………!」
そのうちの1人と目があった。
その1人だけではない、隙間という隙間に人がいて、皆が皆、こちらを向いている……
朦朧としていた意識と、突拍子もない暗闇に混乱していた頭が、ようやく現状を把握した。
「きゃあああああああああああああああああああああっ!?」
体を丸めて悲鳴をあげた途端、深鷺はその場から“消えて”しまっていた。
◇
目を瞑っていた深鷺は、いつまでもなにも起こらない事に疑問を感じていた。
人の気配がなくなっている。
「……?」
急に冷え込んだ空気を吸いながら恐る恐る目を開くと、景色が一変していた。
風の流れを感じる。虫の泣き声が静かに響いている。
視界を埋め尽くすのは闇と柱と人ではなく、木々の幹、草と土。上を見上げれば枝葉の隙間に空が見え、流れる雲の隙間にはうっすらと星が見えた。
世界が青く薄暗い、夕焼けの終わりの時刻。
(……なんで? なにがどうなって??)
深鷺は山の中にいた。いつのまにか自然に囲まれ、平らな岩の上に座り込んでいる。
遠くの空がわずかに明るく、深鷺はそちらで日が沈んでいるのだろうと理解した。じわじわと、世界が暗く染まっていく。
体がブルリと震えた。くしゃみをして、音を立ててしまったことに慌て、あたりを見渡す。何を恐れたのかは自分でもよくわからない。
(誰も、いないみたいだけど……)
誰かがいればいたで困るのだが、いなくなってしまったところで状況は良くなったかと言えば、そんなこともない。
(夢でも見てるのかなー……ぜんぜん、そんな気はしないけど。とにかく、このままこの場所にいるのは……)
自分にいったいなにが起こっているのか?
それをゆっくりと考えている余裕がないことに思い至った深鷺は、険しい自然に囲まれた山の中、本当に自分の身ひとつでいるという頼りない状態を少しでも改善すべく、まずは地面に落ちていた太い枝を手に取った。役に立つかはわからないが、なにもないよりはマシだろう、と。
暗闇に沈んでゆく森を見てふと、さっき目の前にあった照明があればと、座り込んでいた岩の方を振り返ってみるが、蒼白い光は見あたらなかった。
諦めて、目の前に立ちふさがる予想以上の闇に一瞬怯みながらも、身を隠せる場所、安全な領域、明るい空間、せめて身に纏えるもの、あるいは守ってくれる誰かを求めて、歩き出す。
「誰かーっ! いませんかーっ? たすけてくださいーっ!(できれば女の人だとなお良いですー!)」
生命の危機に直面しているという意識が芽生えた深鷺は、羞恥心を脇に避け、大声で助けを呼んでみた。
自分が置かれている不可思議な状況を考えるに、成果はあまり期待してはいなかったが……
(よくわからない不思議なことが起きているのなら、よくわからない不思議な助けがあったって良いはず)
そんな根拠のない希望を胸に、定期的に声を張り上げた。たしか、存在をアピールしながら歩くことは熊避けにもなるんだと、どこかで聞いた話を思い出しながら。
すでに日は落ちきってしまった。このまま夜が深まれば、いまよりも暗く寒い中を裸でいなければならない。
いざ歩き始めてみると、拾った枝は杖代わりになり、とても役立った。ほとんど見えなくなりつつある足下の安全を確認するためには必須と言って良いほどだ。
そうでなくとも、こう視界が悪い中で邪魔な枝やら藪やらを素手や素足で払っていたら、傷だらけで酷いことにになってしまっただろう。もっとも、杖があってもすでに傷だらけなのだが。
深鷺は登山経験がないわけではなかったが、それはあくまで整備された登山道の話だ。登山遠足では急な坂に階段が用意されていた。しかしここでは獣道すら見つからない。
山奥の道なき道を歩む中、深鷺は足下を慎重に確認しているにも関わらず、何度か転んでしまった。体を守るものが1本の枝しかない深鷺は、痛みと冷気に集中力を削がれていく。
(寒いー……痛いよー……誰かー…………)
そうして、どれほどの時間が過ぎただろうか。
正確な時間はわからないが、少なくとも夜の闇がだいぶ深まったことだけはわかる。
どこまで歩いても道らしきものは無く、明かりも見えてこない。1度山頂らしき所にも辿り着いていたが、見晴らしが悪くてどうしようもなかった。
いったい、ここはどれほどの田舎なのだろうか。明かりの気配もまったく感じられず、日常とのあまりの落差に現実感もない。
もう何度頬をつねっただろう?
進んでいる方角は果たして正解か、間違っているのか。どこかにはたどり着けるのか。
もしかすると同じあたりをグルグルと回っているのではないだろうか、という不安が生まれてくる。
それでも、暗闇の奥から、自分の背後から、なにかが追いかけてくるのではという妄想に急き立てられ、歩みを止める事もできない。
(あっ!)
疲労と焦りからか、足下の確認を怠った深鷺は坂を転げ落ちてしまった。
……冷たい地面の上で硬直した体をゆっくりと落ち着かせつつ、体中の痛みを確認する。
なにかに背中を引っかけた擦り傷ヒリヒリと痛む。
幸いなことに深い傷はないらしかったが――――足を捻ってしまったようだ。
この足では、とても山道を歩ける気がしない。
「うう……」
深鷺は離さず掴んでいた枝の杖を頼りに、半分泣きながら立ち上がる。
あたりを見渡すと、滑り落ちてきた坂の下に小さな窪みがあるのを見つけた。
片足でひょこひょこと跳ねながら窪みへと向かう。
ふと、つい先ほど、似たようなことをしていたような気がして、学校の帰り道の場景を思い出す。
(夕方……そう、夕方、帰り道でちょっと遊んでたはずなのに……そこからの記憶が全然ないっていうか……どうして、)
どうして山奥にいるのか、なにもわからない。
それが“わからない”ということ自体を恐怖するところにまでは、深鷺の頭は回転しなかった。今の深鷺には目の前にある闇への恐怖と心細さ、痛みのショックのほうが大きい。
跳ねながら辿り着いたそこには、屈んでようやく入れるような小さな横穴が空いていた。
(中途半端な穴……なにかの巣ってわけじゃないよねー……?)
奥行きがそこそこあるので、雨宿りくらいはできるだろう。実際に降ってきたら水が流れ込んで来るかもしれないが……天気が変わらないことを祈るしかない。
痛む足を庇いながら、窪みの中に体を納める。
深鷺は顔を伏せて、冷えた体を抱えて体を休め始めた。捻った方の足首に体重がかからないよう伸ばし気味に、片膝だけを抱える姿勢だ。感覚が麻痺してきているのか、全身に怠さは感じるものの、痛みはそれほど感じていない。
心の中で深鷺は、誰かへ助けを求めること以上に、余計なことを考えないようにと強く意識していた。
何も考えず、できれば眠ってしまいたい。
考えてしまえば恐ろしい想像をしてしまうに違いない。
深鷺はこれが夢であることを切に願いながら目を閉じた。
――――クイシェが深鷺を抱きしめることになったのは、それからわずか数分後のことだった。